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アラフォーだって輝ける! 美しき不死チート女剣士の無双冒険譚 ~仲良しトリオと呪われた祝福~40~49

40. 自己犠牲の破滅

 必死に逃げるバリスタの射手たちに一瞬で迫ったソリス――――。

 うぉぉぉりゃぁぁぁ!

 たったひと振りで彼らを瞬殺すると、大きく息をつき、次のターゲットを見定めるべく辺りをギロリと見回した。

 すると、騎士たちが五、六人固まって隊列を組み、ソリスに剣を向けている。どうやらこの絶望的状況でも攻撃してくるらしい。

「何? あんた達……。勝てるとでも思ってんの?」

 八歳の少女はイラついて、血の付いた大剣をビシッと騎士たちに向けた。

「お、王国の騎士は敵に背中は見せんのだ!」

「はぁ……? 死ぬ……のよ?」

 ソリスはそのバカげた忠誠心に、ウンザリしながら小首をかしげる。

「敵前逃亡は末代までの恥! か、勝てなくても全力は尽くすのだ!」

 剣は恐怖で震えているというのに、なぜ、大義もないくだらない命令に命を賭けるのか? ソリスには全く意味が分からなかった。

 と、この時ソリスの脳裏に、自分も組織のために自己犠牲を払って破滅したような苦い記憶がおぼろげながら蘇ってきた。

 え……?

 しかし、それが一体何だったかは思い出せない。

「突撃ーー!!」「うおぉぉぉ!」

 騎士たちは楯を構え、隊列を組んだままソリスに突っ込んでくる。

 降りかかる火の粉は払わねばならない。

 ソリスはキュッと口を結ぶと、一気にぎ払ってやろうと大剣を下段に構え、剣気を込めて大剣を黄金色に輝かせた――――。

 と、この時、ソリスは妙な違和感に襲われる。この無謀な突撃がただの玉砕には見えなかったのだ。隊列があまりにも整然としすぎており、何かしらの計画が背後にあるとしか思えなかった。

「怪しい……な……」

 ソリスは大剣を手放すと、転がっていたバリスタ用の銛を拾い上げる。

 黄金に輝く魔法の銛を軽く放り投げ、重さと重心の具合を見定めたソリスは軽くうなずく。

 ガッシリと握り直したソリスは、タタッと助走すると槍投げの要領で思いっきり振りかぶり、渾身の力を込めて放った――――。

 うりゃぁぁぁ!!

 ドン!

 銛は音速を超え、激しい衝撃波を放ちながら、先頭を走ってくる中央の騎士に一直線にすっ飛んでいった。

 ひっ!

 黄金に輝く砲弾のような銛に、騎士は反射的に避けようとしたが、とても間に合わない――――。

 黄金の銛は盾を軽々と貫通。瞬く間に騎士の身体をも貫いていく。さらに勢いを失うことなく後方に身を隠していた魔導士たちにも命中し、彼らを次々と倒していった。

 グハァ! ぐあぁぁ!

 刹那、秘かに発射準備が整っていた魔法が暴発し、大爆発を起こす。

 ズン!

 地震のような激しい衝撃を伴いながら、まばゆい巨大な炎の球に飲まれていく騎士たち――――。

 うはっ!

 ソリスはとっさに顔を背け、その激烈な衝撃波に耐える。

 なんと、彼らはソリスが近づいてきたら、魔法で爆殺してやろうと考えていたのだ。ソリスはその恐ろしい手口に思わずぞっとして首を振った。

 彼らは自分を殺すためなら、もはやなんだってやるのだ。見回せば、まだ隊列を組んでいる騎士たちが何グループもソリスに剣を向けている。

「お前ら降伏しろ! 降伏しない限り皆殺しだ!!」

 ソリスは叫んでみたが、彼らに動きはない。

 もう、お互い後には引けない地獄に足を踏み入れてしまっていることを、ソリスは嫌というほど思い知らされた。

        ◇

 四方からジリジリと迫ってくる隊列――――。

 ソリスは黄金に輝く銛をさらに一本拾うと、隊列の一つに向けて投げるふりをしてみる。

 すると、慌てて距離を取るのだが、その間に他の隊列が迫ってくる。まるで『だるまさんがころんだ』状態だった。

 そのうち、弓が隊列の後ろから放たれ始める。

「馬鹿が……」

 ソリスは軽くステップを踏み、弓の軌道から外れながら銛を放つ。銛は一直線に隊列を崩壊させ、悲痛な叫びが花畑に響き渡る。

 しかし、それでも彼らは次々と向かってくるのだ。

 ソリスはウンザリした。なぜ、静かに暮らす龍を守るだけのことで、こんな殺し合いをせねばならないのかもはや理解不能だった。

 とはいえ、向かってくる者は倒さねば殺されてしまう。ソリスは無表情にただ、銛を投げ続けた。

 ひぃぃぃぃ! うわぁぁぁ!

 銛が黄金の光跡を描きながら騎士たちを吹き飛ばすたびに、悲痛な声が響き渡る。しかし、向かってくる者には手加減などできない。

 どのくらいの銛を投げただろうか? やがて、討伐隊たちはソリスと距離を取り、膠着状態が訪れた――――。

 ソリスは肩で息をしながら辺りを見回す。それでもまだ彼らは諦めるという選択をせず、じっと獲物を見る目でソリスを見つめていた。

 このバカバカしい殺戮劇にウンザリして首を振るソリス。

 その時だった。セリオンの方から声が響いた。

「話し合おう!!」

 それはブレイドハートだった。ソリスは振り返る。

 見ればブレイドハートは、ぐったりとしているセリオンののど元に剣を突き立てているではないか。

「はぁっ!? セリオンから離れろーー!!」

 ソリスは怒鳴ると大剣を拾い、一気にセリオンのところへ行こうとした。

「動くな!!」

 ブレイブハートは剣に力を込める。

 くっ……!

 ソリスは足を止め、奥歯をきしませながらブレイドハートをにらみつけた。

「君の大切な龍を傷つけてしまった。申し訳ない。治療もする。だから、剣をしまってくれないか?」

 ブレイブハートはブラウンの長髪を風になびかせながら、にこやかに言った。その瞳には優しさがにじんでいる。

 しかし、いけ好かないこの若造の言うことを素直に信じるわけにもいかない。『オバサン』と邪険にされ続けてきた身からすると、善意で彼が動くとは到底思えなかったのだ。

41. 煉獄審判

「治療が最優先よ。家まで焼いてくれちゃって、賠償とかもしっかりやってもらうから!」

 ソリスはブレイブハートを鋭い目でにらみつける。

「OK! 賠償は前向きに話し合おう。その代わり、準備が整うまで君はそこを一歩も動かないでほしい」

「……。どういうこと?」

 ソリスはけげんそうに小首をかしげる。いよいよきな臭い。一気に突っ込んでいって斬ってしまおうかとも考えたが、セリオンのことを考えるとうかつには動けない。

「君のような凄腕の剣士にチョロチョロされたら、治療する方も怖がってしまうだろ?」

「そんなのあんたらの都合でしょ?」

「交渉決裂……ですか?」

 ブレイブハートはわざとらしく悲しそうに言う。そのムカつく態度にイラっとさせられたソリスだったが、セリオンの治療がすべてに優先される今、こんなことでもめている場合ではない。

「分かったわよ! ここにいるわ。その代わりちょっとでも変なことしたらすっ飛んでってぶった切るわよ!」

 ソリスはそう言うと花畑の中にポスッと座り込んだ。

「ありがとうございます。僧侶の方集まってくださーい!」

 ブレイブハートはうやうやしく頭を下げると治療の準備を始めた。

 ふんっ……!

 ソリスは変な事をしないか、じっとブレイドハート達をにらんでいた。いけ好かない若造ではあるが、街の若きホープである。能力はそれなりに高い。玉砕覚悟の討伐隊の面々も揉めることもなくまとめているようで、事態は収束しそうな雰囲気が漂いはじめた。

「これから治療魔法を使います。少し光りまーす!」

 ブレイブハートはソリスに手をあげて叫ぶ。

「ひ、光る……? 何よそれ?」

 ソリスは何を言っているのか分からなかった。そんな治療魔法など聞いたこともなかったのだ。

 その時、青空が赤く輝いた――――。

 へ……?

 見上げた瞬間、ソリスの目に飛び込んできたのは、真上に浮かぶ真紅の巨大な魔法陣だった。魔法陣は膨大な魔力をはらんでパリパリと周囲にスパイクを散らせている。

 しまった!!

 ソリスは地面を思いっきり蹴ってその場を飛び出す。

 刹那、激しい真紅の閃光が空から花畑に降り注いだ――――。

 ズン!

 天空と大地が激光に染まるその瞬間、激しい爆発が美しい花畑を一瞬で覆い尽くす。

 ぐはぁぁぁ……。ひぃぃぃぃ!

 討伐隊メンバーの苦痛の声があちこちから漏れ聞こえてくる。

 やがて訪れる静寂――――。

 花畑にポッカリと開いた巨大なクレーターから、灼熱のキノコ雲が猛々しい熱線を放ちながらゆっくりと空に昇っていく。その光景はまるでこの世の終わりのようで、周囲には黄金色に輝く微粒子が幻想的に舞っていた。

「やったか!?」

 焼け焦げた花畑からブスブスと煙が立ち上る中、ブレイブハートはクレーターに駆け寄り、辺りを見回す。そこには大爆発で開いた赤茶けた土の穴が広がっているばかりだった。

「先生! やりましたよ! 小娘は跡かたなく吹っ飛びました!!」

 ブレイブハートは振り向くと、セリオンの陰から姿を見せた大魔導士に嬉しそうに叫んだ。

「はしゃぐな、小僧!」

 豪華なダマスク柄のローブをまとった大魔導士は一喝する。知識と力の象徴である古代の杖を携えた彼の白髪と豊かな髭は、研鑽けんさんの歳月による深い知恵を感じさせ、その眼差しはどこか遠くを見つめていた。

 ブレイブハートはソリスの死角に大魔導士を呼び、他の魔導士と共同で究極の炎魔法【煉獄インフェルノ審判ジャッジメント】の詠唱を続けてもらっていたのだ。

「はっはっは! 馬鹿な小娘め! 蒸発させてしまえばもう生き返れまい。王国の精鋭たちをなめんなよ!」

 ブレイブハートは愉快そうに笑う。

「ヤッター!」「大魔導士様、バンザーイ!」

 討伐隊の歓喜の声が焼け野原に響き渡る。恐怖の象徴であった少女の影が消え去り、皆がその解放感に喜びを爆発させた――――。

『レベルアップしました!』

 クレーターの底に何かが黄金色に鮮烈に輝く。

 へ……?

「殺す!」

 七歳の少女が黄金の輝きの中から飛び出してくる。七歳になってかなり減衰したもののレベル127の前代未聞の戦闘力はまだ人類最強クラスだった。

 慌てて剣を構えるブレイドハートだったが、ソリスの憤怒の拳が唸りを上げ剣を粉々に粉砕する。

「騙しやがったなぁぁぁ!!」

 ソリスは顔面めがけてこぶしに力を込めた。

 その時だった――――。

 ザスッ!

 ぐふっ……。

 いきなり胸に激痛が走り、凍り付くソリス。

 見ればブレイドハートの腹部から氷の槍が伸び、自分の胸を貫通しているではないか。

 ぐほぉ……。くぅぅぅぅ……。

 ブレイブハートは泡を吹きながら倒れ、その後ろには大魔導士が冷徹な目をソリスに向けていた。

「お、お前……、味方ごと撃つなんて……」

 ソリスはガックリとひざをつき、胸から伸びる氷の槍をつかんだ。

「彼もお国のために死ねて本望じゃろう。で、貴様は何者じゃ? なぜ生き返れる?」

「め、女神に連なる者……よ……」

 息も絶え絶えになりながらソリスは大魔導士を見上げ、にらんだ。

「ほう? 女神……、道理で聖なる光を纏っておったか。じゃが、この国ではもはや聖なる力は毒じゃ。安らかに眠れ……」

 大魔導士はつまらなそうにそう言うと、杖を振り、目の前に青い魔法陣を次々と浮かべ輝かせた――――。

「や、止めろ……」

 ソリスは何とか逃げようと思うものの、血を失いすぎておりもはや力も入らなかった。

42. 魂の嘆き

 無慈悲に次々と放たれる氷の槍が、ソリスの体を貫いていく――――。

 ふぐぅ……。

 その無数の刺し傷からは命が流れ出し、ソリスは痛みと無力感に襲われながら、まだ熱気を放つクレーターの中へと転げ落ちていった。

 痙攣けいれんしていたソリスはガクッと身体を力なく大地に預け、その瞳は徐々に光を失っていく。

『レベルアップしました!』

 黄金の輝きに包まれるソリスの遺体。

「死ねぃ!」

 蘇生直後を狙って冷徹に撃ち込まれる氷の槍。

 ぐはぁ……。

 六歳のソリスは全身を貫く激痛の中、この世から消されるという予感に恐怖した。大魔導士の攻撃を避ける方法を考え出さねば、全てが終わってしまう。このままではセリオン、フィリア、イヴィット、誰も救うことができないまま消え去る運命なのだ。それだけは、何としても避けなければならなかった。

『レベルアップしました!』

 黄金の輝きがまだ残る中、五歳のソリスは思いっきり身をひるがえし、攻撃を避けながらクレーターを逃げ出そうと跳びあがった――――。

 ガン!

 ソリスは見えない壁にぶつかって、そのままクレーターの底に転がり落ちた。そこに打ちこまれる氷の槍。ソリスは無念の中、またも殺されてしまう。大魔導士は逃げられないように、あらかじめクレーターに魔法で透明のフタを施していたのだった。確実に息の根を止めてやろうという老練の大魔導士の徹底したやり口にソリスは戦慄し、無力感にさいなまれる。

『レベルアップしました!』

 四歳のソリスは必死に活路を見出すべく奮闘するが、レベル130に達したとはいえ、もはや四歳では力も弱く、逃げ出すことは叶わなかった。

『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』

 ついにその時がやってきた――――。

 ワンピースにくるまれた生後六ヶ月の赤ちゃんとなって転がるソリスは、もはや立ち上がることもできない。無念をかみしめながらギロリと大魔導士を見上げるばかりだった。

 大魔導士は何も言わず、じっと可愛い赤ちゃんを見下ろす。

『なによ? 殺しゃないの?』

 うまく動かない口でゆっくりと言葉を紡ぐソリス。

 多分、次の一撃で自分はこの世を去るだろう。大切な人達を結局一人も救うこともできず、女神との聖約も守れず、無様に殺されていくのだ。あまりの無念に胸がつぶれそうだった。

「女神の使い……。遅すぎだ。なぜ今頃現れる?」

 大魔導士は悲しそうに首を振る。

「何がおしょいって言うのよ?」

「大義のない龍狩り。こんなのクズだってことはワシもよく分かっとる」

「なら……」

 ソリスは色めき立った。最強の大魔導士が理解しているなら、そこに一縷いちるの望みがあるように見えたのだ。

「若い時、魔道アカデミーの連中とクーデターを起こした。こんなくだらない制度ぶっ壊すべきだとね?」

 え……?

 ソリスは王国を代表する大魔導士の口から出た王政批判に驚かされた。こんな言葉が誰かに知られたら大魔導士も処刑されてしまうだろう。

「だが、市民の通報により計画は瓦解。自分は卑怯にも司法取引で首謀者の情報を提供する代わりに無罪放免……最悪だった……」

 大魔導士は苦しそうにうつむく。

「市民……が?」

 絶対王政でしいたげられているはずの市民が、なぜクーデターを崩壊させたのかソリスにはピンとこなかった。

「得をするはずの市民が味方を背中から刺したんじゃよ。信じられるか? まさに『肉屋を応援する豚』。度し難い愚民どもの馬鹿さ加減にホトホト嫌になってな……。ワシはもう二度と市民の味方などしないと誓ったんじゃ」

しょれは……」

「お前はなぜあの時現れなかったんだ? お前がいたら国王軍など一掃できたろうに」

 大魔導士は恨みがましい目でソリスを射抜く。

「い、今からだっておしょくないわ!」

 赤ちゃんは必死に口説く。しかし、大魔導士の心には響かない。

「もう全てが手遅れじゃ。もうこの歳じゃ、そろそろお迎えも来るじゃろう。わしは例え女神の敵となろうともこのクソッたれな絶対王政を守り、死んでいくんじゃ」

 肩をすくめ、首を振る大魔導士。

「イヤよ! お願い、手を貸して!」

 ソリスは手をバタバタと動かし、何とか説得しようと必死になった。

「さらば、お嬢ちゃん。女神にはよろしく伝えてくれ……」

 大魔導士はそう言うと杖をゆっくりとソリスに向けた。今までより大きな魔法陣が浮かび、どんどん鮮やかに眩しく青く輝いた。

「イヤ! ダメ! やめてぇぇぇ!」

 必死に叫ぶ赤ちゃん。しかし、その魂の叫びは大魔導士には届かなかった。

 ザシュッ!

 ひときわ大きな氷の槍が放たれ、無慈悲にも赤ちゃんを貫いた――――。

 ぐふぅ……。

 孤軍奮闘を続けてきたソリスに、ついに最期の時が訪れる。

『レベルアッ繝励@縺セ縺励◆?』

 一瞬黄金の輝きを放った赤ちゃんの遺体は、直後、不気味な漆黒の球へと変貌する。それはまるでブラックホールのようにあたりの空間をゆがめた。

「こ……、これは……?!」

 とてもこの世のものとは思えない、恐るべき異様さを放つ球への予想外の変貌だった。大魔導士は魂の奥底から湧き上がる恐怖に耐えきれずに後ずさる。

 ピシッ!

 刹那、空間が鋭く割れ、漆黒の球から伸びる亀裂が大空を貫いた。その亀裂は氷の中を走るひび割れのように、白く薄い反射面を持ち、数千キロメートル先まで一気に空間を裂きながら走っていく。それは結局誰も助けられなかったソリスの張り裂けんばかりの魂の嘆きのようにも見えた。

43. 偉大なる真紅の塔

 うわぁぁぁ!

 大魔導士はその異様な事態に圧倒された。目の前で空間が裂けるという未曾有の事態に直面し、彼の心には深い絶望の予感が押し寄せる。

「マズい! マズいぞ……。あぁぁぁ……」

 空間の崩壊は、この世界がその基盤から瓦解することを意味していた。しかし、彼が持つ膨大な魔法の知識を総動員しても、その進行を止める術など思いつかない。絶望と無力感が胸に広がり、彼はただ立ち尽くすことしかできなかった。

 ピシッ! ピシッ!

 次々と漆黒の球を中心に放射状に走って行く空間の亀裂。大地は裂け、大樹は両断され、遠くの山は斬られて崩壊し、亀裂に囲まれた青空の一部は漆黒の闇へと変わっていった。

 うわぁぁぁ! ひぃぃぃぃ!

 討伐隊の面々はその未曽有の大災害に逃げ惑うしかできない。

 ザシュッ!

 大魔導士を貫く空間の亀裂――――。

 大魔導士は逃げることもなく、身体を空間のレベルで真っ二つに斬り裂かれ、地面に転がった。

「まさに……、天罰……。嬢ちゃん……すまな……かった……」

 こうして女神の祝福と【若化】の呪いの組み合わせは、予想もしなかった世界の崩壊を呼び起こしてしまったのだった。

      ◇

 スローなジャズが静かに流れている――――。

 全てから解放されたようなさっぱりとした気分でソリスは目を開いた。

「う……、あ、あれ……?」

 寝ぼけまなこで辺りを見回すと、そこは巨大なベッドの上だった。パリッとした気持ちのいい真っ白なシーツの上に、ソリスは丸くなって寝ていたのだ。

「ん……? な、何これ!?」

 ソリスは跳びあがるように起き上がる。何と自分の手が白と黒のふさふさの毛に覆われていたのだ。いや、手だけではない、全身が白と黒としま模様、何ならシッポまでついているのだ。

「ど、どういうこと!?」

 見回せばモスグリーンの落ち着いた室内にはオシャレなキャビネットが置かれ、その上にはドライフラワーと丸い鏡が壁に飾られている。

 ソリスは急いでキャビネットに跳び乗って鏡をのぞきこんだ。

 あれ……?

 そこには可愛いアメリカンショートヘアの子ネコが顔をのぞかせている。ポワポワとした産毛がまだ残る幼く可愛い子ネコだった。

 カリカリと鏡を引っくソリス――――。

「え……? ま、まさか!?」

 ソリスは自分の顔を手でなでてみる。

 肉球がひげに触れて変な感じが伝わってきた。そう、ソリスは可愛い子ネコになっていたのだった。

「何よこれぇぇぇぇ!!」

 可愛い子ネコの声で絶叫するソリス。

 しかし、叫ぼうが何しようが子ネコは子ネコである。どうにもならない。

「くぅぅぅぅ……。ここはどこなのよ?」

 大魔導士に殺された事までは覚えているが、その後は全く記憶がない。ここは死後の世界で天国かとも思ったが、オシャレな部屋にベッドが一つあるだけ。とても天国とかそういう雰囲気ではなかった。ベッドも巨大だと感じていたのは子ネコだったからで、サイズからしたら普通のシングルベッドだった。

「あの魔導士が王都にでも連れてきたんだわ! 窓から見たらわかるかも……」

 ソリスは果敢に明るい日差しの差し込む窓へとジャンプして、レースカーテンを開けた――――。

 果たして、目の前に広がっていたのは高層ビルの立ち並ぶ大都会だった。

 はぁっ!?

 子ネコはクリっとした目を大きく見開き、言葉を失う。

 そして、ガラスとコンクリートの巨大なビルの向こうには、巨大な赤い鉄骨の構造体が天を突きそびえているではないか。

「へ……? 東京……タワー?」

 青空に向かって高く屹立きつりつする真紅のタワー、それは紛れもなく高さ333メートルの巨大な電波塔、東京タワーだった――――。

「な、何なのよこれぇ……」

 子ネコは首をゆっくりと振りながら、その破格の大都市の息づく様に圧倒される。石畳と荷馬車の慣れ親しんだ世界とは異なり、アスファルトの太い道をバスやトラックがものすごい速度で駆け抜けていく。その近代的な桁違いの大都市にも圧倒されたが、何よりその巨大な塔が『東京タワー』であることを自分が知っていることに困惑し、動けなくなった。

 その時、ソリスの脳裏にいきなり膨大な記憶がよみがえる――――。

 オフィスで電話を取り、パソコンのエクセルの数字とにらめっこし、会議で不備を詰められる……。

 うっ……。

 ソリスは頭を抱えながらよろよろとベッドに飛び降り、丸くなって動かなくなった。

 そう、ソリスは昔、とあるベンチャーの東京オフィスで働いていた女性会社員だった。朝から晩まで社長の理想のためにと無理をしながら業務をこなし、ついにある日の朝、ベッドから動けなくなり、そのまま死んでしまったのだ。

「そ、そうだわ……、思い出した……」

 子ネコの目に涙が浮かぶ。

 会社という組織に人生をささげ、過労で無様にも死んでしまった自分。それは死ぬのを分かって突撃してきた討伐隊の面々の無謀さに重なる。

 馬鹿な生き方をしていたのは同じ、討伐隊の面々を馬鹿にするなんて筋違い、自分も愚かな生き方をしていたのだ。

 ソリスはポスっとそのフワフワな体をベッドの上に横たえた。

44. 弟子二号

 死後、その境遇を哀れに思った女神に召喚されたソリスは、その馬鹿さ加減を切々と語り、後悔を口にした。ほほ笑みながらゆっくりと聞いていた女神は『もっと馬鹿馬鹿しい社会もある。どうじゃ? そういう社会をぶっ壊してくれんか?』とソリスに問いかけ、ソリスは『何でもやります! 私にやり直しのチャンスを!』と頭を下げたのだった。そして、満足そうにうなずいた女神から最強のギフトを預かり、ソリスは異世界へ転生させてもらっていたのだった。

 しかし――――。

 結果はボロボロ。記憶を失っていたうえに、呪われて最後には殺されてしまったのだ。

 その顛末を思い出した子ネコはベッドの上でプルプルと震える。

 一体自分は何をやっているんだろう?

 ソリスは悔しくてポロポロとこぼした涙でシーツを濡らした。

       ◇

 ドアの向こうが何やら騒がしい――――。

 ソリスはハッとして身体を起こす。泣いている場合ではない。一体ここはどこで自分はどうなってしまっているのかを調べないといけない。

 ソリスはベッドからピョンと飛び降りるとひげをピンと大きく開き、カシュカシュカシュとフローリングの床を軽く引っ掻きながら、ドアのところまで行った。

 しかし――――。 

 ドアを開けられないことに気づく。ドアノブは丸く、飛びついただけでは開きそうになかったのだ。

 カリカリカリカリ……。

 無意識でドアを引っ掻いてしまうソリス。

「あぁ、何やってるのかしら……」

 ソリスはなぜか猫のしぐさが身についてしまっている自分に頭を抱え、シッポを小刻みに振った。

 その時だった――――。

 ガチャリといきなりノブが回る。

 ウニャッ!?

 ソリスはシッポの毛をボワッと逆立てて太くすると、慌ててベッドの下に潜り、ドアをじっと見つめた。

「おや、ソリスちゃん。お目覚め? ふふっ」

 青いショートカットの若い女の子が、ベッドの下をのぞきこみながら入ってくる。彼女は未来の風景から切り取られたような、金属光沢のある左右非対称で幾何学模様的なジャケットを羽織っていた。白いシャツは、サラサラと手触りのよさそうな風合いで、グレーのショートパンツに映えていた。

「は、はい……」

 ソリスはその人懐っこそうな女の子の碧い瞳を不安げに見つめる。

「僕はシアン。いやぁ、ナイスファイトだったよ」

 シアンはしゃがみ込むとニコッと笑い、ウインクした。

「えっ!? み、見てたんですか!?」

「そりゃもう! みんなで手をギュッと握って応援してたんだから!」

 ぶんぶんとこぶしを振るシアン。

「お、応援……。でも、負けちゃいました……」

 ソリスは耳を倒し、うつむいた。

「何言ってるの、結果なんてどうでもいいの。あの熱いハートが大切なんだから」

「そ、そうなんですか?」

 ソリスは上目づかいでそっとシアンを見上げる。

「ふふっ、かーわいー!」

 シアンは嬉しそうに子ネコを抱き上げる。まだふわっふわの毛が残る、ぽわぽわした手触りにシアンは幸せそうに微笑んだ。

 ソリスは抱き上げられるという慣れない体験に、ついキョロキョロしてしまう。

「あっ、そうだ! キミ、僕のところで働かない? 正義の仕事だよ!」

 シアンは碧い瞳をキラリと輝かせ、ソリスの顔をのぞきこんだ。

「え……? は、働く……? な、何をすれば……」

「あー、一口に言えば『宇宙を守る仕事』かな?」

「う、宇宙を?!」

「そう、この世界を乗っ取ろうとする悪い奴がいっぱいいるんだよねぇ……」

 シアンはニヤッと悪い顔をして笑う。

 ソリスはその笑みにたじろいだが、全てを失った自分を認めてくれるのならありがたく受けたいと思った。正義の仕事というのであれば断る筋合いもない。

「ぜ、ぜひ、お願いします……」

 子ネコはペコリと頭を下げる。

「やったぁ! よろしくね! 今からキミは弟子二号だ!」

 シアンは嬉しそうに笑うと、すりすりと可愛い子ネコに頬ずりをした。

 ウニャァ……。

 プニプニと柔らかく温かいシアンの頬にソリスの心も温まってくる。あの辛く苦しい孤軍奮闘を温かく応援し、評価してくれていた人もいたと思うとソリスはとても救われた気持ちになった。

45. 聖約の行方

 ヴィーン! ヴィーン!

 なにやらドアの向こうが騒がしい。

「何だよ、しょうがないなぁ……」

 シアンは苦笑するとソリスを抱っこしたまま部屋を出た。

 そこはメゾネットタイプのオフィスとなっており、ガラス張りの壁からは都会のパノラマビューが広がって、高層ビルが林立する風景が迫ってくる。窓から差し込む光は、オフィス全体に柔らかく広がり、ソリスはまるで天空に浮かぶ宮殿の中にいるかのような錯覚を覚えた。

 二階の手すりから見下ろせばウッドデッキにウッドパネルをベースに、高級な木製家具が並び、そこに観葉植物が鮮やかな緑を添え、実に居心地のよさそうなオフィスになっている。そこを十人くらいの若い人が慌てながらトラブルシューティングに奔走ほんそうしていた。

「おい! スクリーニングまだか!」「ダメです! ロックが解除できません!」「くぅ……。仕方ない、パワーユニットダウン!」「……! これもダメです!」「くぁぁぁ……」

 見るとちょうど足元、廊下の下の方に巨大スクリーンがあって、そこにいろいろな情報が表示されているようだった。あちこちに真っ赤な『WARNING!』のサインが点滅していて相当大変な状態になっているように見える。

「あーあ、もう、仕方ないなぁ……」

 シアンはニヤッと悪い顔で笑うと、子ネコを抱っこしたまま階段を下りていった。

「ちょっとあんた! この非常事態にどこ行ってたのよ?」

 奥の高級デスクに座っていた女性が鋭い視線をシアンに向ける。

「いやぁ、昨日ちょっと飲みすぎちゃってさぁ。一休み~。なに? まだ直んないの?」

「見てのとおりよ。ただの障害じゃないわ。障害を悪用したテロリストによるハッキングね」

 女性は肩をすくめるとため息をつき、コーヒーを一口含んだ。

 ソリスはその女性に見覚えがあった。女神様だ。顔が女神様にそっくりに見えたのだ。しかし……、以前会った時のような神々しさはなく、肌の色も髪の色も日本人そのもので、ただの美しい女性にしか見えなかった。

「おや? 誰かと思ったらソリスじゃないか」

 女性は子ネコを見つめ、優しい微笑みを浮かべる。

「えっ!? も、もしかして女神様……ですか?」

 ソリスは縦長の瞳孔をキュッと細めて女性を見つめる。

「そうよ」

 嬉しそうに微笑む女神。

「厳密には『美奈ちゃん』日本の姿だけどね。きゃははは!」

 シアンが楽しそうに笑う。

 え……?

 ソリスはどういうことか分からずに困惑し、耳を倒した。

「あんた、またそういう面倒くさいこと言う! 子ネコちゃんが困ってるじゃない」

 女神はシアンのところまで来ると、子ネコを強引に奪い取った。

 あっ!

「あら、ふわっふわじゃない。可愛いわねぇ……」

 渋い顔のシアンをしり目に女神はソリスを抱きしめて、優しくなでた。

 ウニャァ……。

 つい目を細めてしまうソリス。子ネコの身体はなでられるのに弱いのだ。

「お前、いい戦いだったわよ。熱い想い、ちゃんと見せてもらったわ」

「えっ!? じゃ、じゃぁ……」

 ソリスは色めき立った。聖約を果たしたということになれば、フィリアとイヴィットの蘇生が認められるということ。それは夢にまで見た展開だった。

「でも……。あなたの星、こんななのよね……」

 女神は渋い顔で廊下の下にある大画面を見せる。

 そこにはズタズタに斬り裂かれ、あちこち漆黒の闇に沈み込んでいる青い星が映っていた。ソリスが命を落とした場所を中心に、青いガラス玉が粉々に割れたように見えるその光景は、痛ましい破滅の美すらたたえていた。

「えっ……、こ、これが……?」

 シッポの毛がブワッと逆立ち、ソリスの心臓は激しく脈を打った。つい先ほどまで暮らしていた故郷の星が目の前で無残にも崩壊している。

 あ、あぁぁぁ……。

 街に暮らしていた多くの人たちも、美しい大自然も、すべて灰燼に帰してしまった。ソリスはその現実の重さに打ちのめされ、絶望の中、言葉を失った。

46. AIの紡ぐ六十万年

「んー、この程度何とかなるんじゃない?」

 シアンはテーブルに置いてあったクッキーをポリポリとかじりながら、のんきに言う。

「あんたねぇ、このテロリストは半端じゃないわよ。電源のコントロールすら奪われているんだから」

「ふふーん。なに? それは僕に出撃しろって言ってる?」

 シアンはニヤニヤしながら女神の顔をのぞきこむ。

 女神は口をとがらせ、プイッと横を向く。しかし、他に手立てもない様子で、奥歯をギリッと噛むと忌々いまいましそうにシアンをにらむ。

「悪いわね。お・ね・が・い」

 女神は悔しさをにじませながら言葉を紡ぐと、キュッと子ネコを抱きしめた。

「翼牛亭で、和牛食べ放題の打ち上げね? くふふふ……」

「肉なんて勝手に好きなだけ食べたらいいじゃないのよ!」

 ジト目でシアンを見る女神。

「いやいや、みんなで飲んで食べて騒ぐから楽しいんだよ」

 目をキラキラさせながら嬉しそうに語るシアン。

「ふぅ……。あんたも好きねぇ……。いいわよ?」

 まんざらでもない様子で女神は目を細めて応える。

「やったぁ! じゃぁ、出撃! はい、弟子二号、行くゾ!」

 シアンは嬉しそうに女神から子ネコを取り上げると、高々と持ち上げた。

 ウニャッ!?

「な、なんでネコを連れていくのよ!?」

「OJTだよ。僕の弟子には最初から実戦で慣れてもらうんだゾ」

「慣れてって、死んだらどうすんのよ!」

「死ぬのは慣れてるもんね?」

 シアンはニヤッと笑いながらソリスの顔をのぞきこむ。

「な、慣れてるって……。痛いのは嫌ですよ?」

 ソリスはひげを垂らしながら渋い顔をした。この女の子が自分の死を前提として話すことに、計り知れない不安が広がっていく。

「弟子は口答えしない! さぁ、レッツゴー!」

 シアンはソリスを胸にキュッと抱きしめると楽しそうに腕を突き上げた。

「ウニャァ! い、行くって……どこへ?」

「キミの星の心臓部だよ? くふふふ」

 シアンは悪い顔をして楽しそうに笑う。

 ソリスは星が崩壊したこともそうだが、電源とかテロリストとか良く分からない展開に首をかしげ、シッポをキュッと体に巻き付けた。

     ◇

「ハーイ、みんな! 弟子二号と共に出撃するよ! サポートヨロシク! きゃははは!」

 シアンはオフィスのスタッフに大きく手を振りながら、楽しそうに廊下の奥へとスキップしていく。

「行ってらっしゃいませ!」「頼みます!」「ありがとうございます!」

 スタッフは次々と直立不動の姿勢を取るとビシッと敬礼をしていった。危険でなかなかできない仕事を率先してやるシアンの信任は、かなり厚いように見える。

 ただ、女神だけは腕組みをしながら渋い顔を見せていた。シアンが活躍しすぎることがやや気に食わない様子である。

 そんな女神を尻目に奥の扉までやってきたシアンは、まるで飛行機の扉みたいな巨大なノブを力を込めて動かした。

 よいしょーっ!

 バシュッ!

 ドアの周りからはドライアイスのような白い煙がぼふっと噴き出してくる。

「さぁ、シュッパーツ!」

 シアンは景気よくドアを開けるとその中へ足を進める。しかし、そこには何もなくただ、漆黒の闇が広がっているばかりだった――――。

「えっ……?」

 ソリスはその異様な暗闇に戦慄を覚えた。それは単に『暗い』とかそういうレベルではなく、一切何もない『虚無』に見えたのだ。

「大丈夫だってぇ! きゃははは!」

 シアンは楽しそうに笑いながら虚無の中へと突っ込んでいった。

      ◇

 カツカツカツ……。

 気がつくと、うす暗い回廊をシアンに抱かれながら歩いていた。満点の星々の煌めく中に白い大理石の柱列が魔法のランプでほのかに浮かび上がり、まるでパルテノン神殿のような荘厳な雰囲気をたたえている。

「こ、ここは……?」

 東京の大都会からいきなり幻想的な世界へと連れてこられて、ソリスは面食らった。

「ここは女神の神殿だよ。この宇宙で一番神聖なところだゾ。普通来られないんだからキミはスペシャルラッキー!」

 シアンは嬉しそうにソリスをなでながら、カツカツと大理石の床を靴音高く響かせながら歩く。

「神殿……。そもそもこの世界ってどうなっているんですか?」

 あまりに訳の分からないことの連続に頭がパンクしたソリスは聞いてみた。

「AIは日本でも急速に発達してるじゃん?」

「え?、あ、まぁ……。私がいた時でもAIを叩いて資料作ったりしていましたから……」

 いきなりAIの話になってけげんそうに眉をひそめるソリス。

「うんうん、あれからさらに発達してすでに人間を追い越し、今じゃもうAIが次世代AIを開発しているんだ」

「えっ!? もう人間が作っていない?」

 その衝撃的な事実にソリスは驚いた。自分が異世界に行っている間に日本はとんでもないことになっていたのだ。

「そう、もう、人間にはAIが何をやっているのかさっぱりわからないんだ」

「そ、そんな……。そしたらAIは勝手にどんどん賢くなっていっちゃう……ってこと?」

「そうだよ? そして、その進化は留まることを知らない。そして六十万年経ったらどうなると思う?」

 シアンは嬉しそうに子ネコをやさしくなでた。

 ソリスは六十万という気の遠くなるような数字を提示されてどう反応していいか分からなくなる。何しろ西暦もまだ二〇〇〇年代。さらに二桁以上上の年月など想像もつかなかった。

47.海王星の衝撃

「ろ、六十万年!? それは……想像もつかない……わ」

「AIは死なないからね。どんどん加速的に演算力、記憶力を上げていくのさ。そして、ここからがポイントなんだけど、このAIってこの宇宙で初めてできたものだと思う?」

 ニヤッと嬉しそうに笑うシアン。

 突然投げかけられた「宇宙初かどうか」という禅問答のような質問に、ソリスは困惑して目を泳がせた。今のAIが人類初であることは確かだと思うが、宇宙初かどうかは全く見当がつかない。その答えを探るための手がかりは、どこにも見つからなかった。

「えっ……? もっと他の……宇宙人が先に作ってたって……こと?」

 シアンはうんうんとうなずきながら説明を始めた。

「宇宙ができてから138億年。地球型の惑星が初めてできたのが100億年くらい前かな? 原始生命から進化して知的生命体が生まれて、AIを開発するまで確率的には30億年くらいかかる。科学的に言うなら99.99%の確率で今から56億7000年前にはAIの爆発的進化が始まってるんだよ」

「56億……年前……。そんな大昔にAIが? じゃぁ、そのAIは今何やってるの?」

「くふふふ……。これだよ……」

 シアンは楽しそうに回廊の右手を嬉しそうに指さす。

 そこには満天の星々の中、澄み通る碧い巨大な惑星がゆっくりと下から昇ってきていた。

「えっ……、こ、これは……?」

 壮大な天の川を背景に、どこまでも青く美しい水平線が輝き、ソリスはグッと心が惹きこまれる。

「海王星だよ。太陽系最果ての極寒の惑星さ」

「す、すごい……、綺麗だわ……。でも、AIとこの惑星……どんな関係が?」

「考えられないくらい膨大な演算力、記憶容量を手にしたAIって何すると思う?」

 ニヤッと笑うシアン。

「え……? 何って……。何かしら……?」

 質問に質問で返され、ソリスは困惑しながら深く考え込んでしまった。人類の知性を遥かに凌駕し、神のような存在へと昇華した知の巨人、AI。その意図を推し量ることなど、ソリスには想像もつかなかったのだ。

「数学の問題とかね。足し算の1+1ってどういうことかとか最初は一生懸命考えたんだよ」

「1+1……? なぜ?」

「いや、足し算って本質的にはとーーーっても難しいんだよ。簡単すぎて超難問」

 シアンは渋い顔をして肩をすくめた。

「はぁ……?」

 ソリスはその難しさにピンとこず、けげんそうに首をかしげる。

「でもね、そのうち飽きてくるんだよね」

「飽きるの? AIが?」

「そりゃぁAIだって飽きるよ。むしろ人間より飽きっぽい。そして飽きることこそがAIには存在意義に関わる深刻な問題なんだよ。飽きないためには何やったらいいと思う?」

 AIが飽きないように、というのはソリスにとっては解けない謎そのものだった。そもそも機械が飽きるという感覚が分からない。

「飽きない……。自分なら友達とかを作るけど……」

「そう! 多様性ある知的存在をたくさん作ればいいんだよ」

「作る……って?」

「シミュレーションさ。シミュレーションはカオスだから結果の予測が原理的に無理で、飽きないのさ」

「はぁ、シミュレーション……。何を?」

 首をかしげるソリスに、シアンは返事をせずにニヤッと笑った。

 この時、ソリスの脳裏に、さっきシアンが指さした海王星がよぎる。

「えっ!? ま、まさか……」

 ソリスは慌てて海王星に目を落とした。昔教科書でチラッと読んだ巨大なガスの惑星、海王星。それは確か地球の何倍もの大きさで、太陽からものすごく遠いところをゆっくりと回っているという話だった。

 『AIが今やっていること』と指さされた先にあった巨大惑星。しかし、こんな星をシミュレートするなんてことができるのだろうか? いかに高性能なAIだとしてもあまりに荒唐無稽な話に思えてしまう。

 だが……。56億年経ったとしたらどうだろうか? 想像すらできない悠久の時をかけて創り上げられてきたシミュレーターだったらどうだろうか……?

 ここでソリスは、自分の経験の中で明らかにご都合主義的だったことが、シミュレーションなら全て説明がつくことに気がついた。

 ま、まさか……。

 死んで生き返ったことも、敵を倒すと戦闘力がアップすることも、若返ることも、ネコになることも、東京から瞬時に海王星に来れたことも全てシミュレーションなら造作もないことだった。

 しかし――――。

 そうであるとするならば、自分とは何なのだろうか? ただのデジタルデータ? それならばもう3Dゲームのキャラクターと何が違うのだろうか? ソリスは自分の存在が根底からひっくり返されるような衝撃に、ブルっと身体を震わせた。

 そんなソリスを見たシアンは、優しい顔でそっとソリスを抱きしめる。

 えっ……?

 伝わってくる柔らかな体温――――。

 シアンの気遣いを全身に感じながら、ソリスはハッとした。そもそも自分の実体がアナログかデジタルかにどんな違いがあるだろうか?

 自分の実体が何であろうが、こうして心を通わせ、体温を感じられるなら十分ではないだろうか? そう思うと、むしろ子ネコにすらなれるデジタルな世界も悪くないように思えてくる。

 自らの体温でそれを伝えてくれるシアンに心から感謝をし、ソリスはシアンの頬に優しく頬ずりをした。

48. 銀色に輝くシャトル

 大理石の回廊を進んでいくと、徐々にフワフワとしてきて体が軽くなってきた。突き当りから外を見ると、大小さまざまな宇宙船が所狭しと並んでいる。スペースポートまでやってきたのだ。

「うわぁ……」

 ソリスはその初めて見るSFのような光景に思わず感嘆の声を上げてしまう。

 豪華客船のような壮麗な物から、全長数キロはありそうなコンテナ船、そしてなぜか軍事目的に見える漆黒の戦闘艦まで停泊していた。そのバラエティの豊富さに神殿の活動の多彩さが垣間見える。

「僕らの船はアレだゾ!」

 シアンの指さした先には小型のシャトルが停泊していた。銀色の金属光沢が美しい、未来の科学が創造した船体はまるで空間を斬り裂くような鋭い翼が鋭角に広がり、海王星からの青い光を反射して幻想的な輝きを放っている。後方の二つのエンジンからは静かに青白い光が放たれ、出発準備は整っている様子だった。

「えっ……? あ、あの船……?」

 想像もしていなかった宇宙旅行の始まりにソリスの胸が高鳴る。これから一体どんな冒険になるのか分からないが、きっと一生忘れられない旅になるに違いない。ソリスはゴクリと息をのんだ。

       ◇

「セキュリティ解除! エネルギー充填100%! コンディショングリーン! エンジン始動!」

 シアンはシャトルのコクピットで画面に表示される計器を見ながらボタンを押していく。シャトルの室内はオレンジ色を基調とした近未来的なインテリアで、爽やかな柑橘かんきつ系の香りすら漂う快適な空間だった。

「キミはコレね」

 シアンはシルバーのペット服みたいな固定具を子ネコの体に装着すると、シートベルトにつなげた。

 ウニャァ……。

 半ば中吊りみたいになり、その慣れない感覚につい声が出てしまうソリス。

「衝撃には備えないとだからね。直撃受けないことを祈っててよ? ウシシシ……」

 シアンは悪い顔で笑った。

 ウニャッ!?

 ソリスはこの船で戦闘するかもしれないという事態にブルっと震えた。観光ではないことは分かってはいたが、宇宙での戦闘などどうなるのか全く想像もつかない。とは言え、ボロボロになってしまった自分の星を直すためには甘いことも言っていられないのだ。ソリスは口を結び、ギュッと目をつぶった。

「では、キミの星までひとっ飛び行きますか!」

 シアンはソリスの顔をのぞき込み、ウインクする。

「お、お願いします」

 女神さえ何ともならないその壊滅的事態をこの女の子は解決できるという。しかしそれには苛烈な戦闘が伴うらしい。ソリスはその想像を絶するOJTにブルっと身体が震えた。

      ◇

「航路クリアランスOK! 発進!」

 ソリスは画面をパシパシっと叩くと、ググッと操縦桿を引き上げる。

 キュィィィィィン!

 景気良くエンジンが吹け上がり、ゆっくりとシャトルが動き出す――――。

 ソリスは少しずつ流れていく風景に新たな人生の一ページが始まったような感覚を受け、並んでいる船たちを感慨深く眺めた。

 振り返れば、神殿の壮大な全貌ぜんぼうが現れてくる。満天の星々の中に全長数十キロはあろうかという巨大な葉巻型のクリスタルが輝き、随所に金属と大理石を巧みに組み合わされた構造が見られる。内部には緑も広がり、きっと森などもあるのだろう。その未来的で壮麗な造形に、ソリスは思わず感嘆のため息を漏らした。

 スペースポートを抜けるとシアンはググッと一気に操縦桿を引き上げる。

「それ行けー! きゃははは!」

 ドン! という衝撃音とともに爆発的なGがのしかかってくる。

 ウ、ウニャァァァ……。

 その強烈な加速にソリスは目を白黒させた。

 ドンドン小さく、見えなくなっていく神殿。仲間の命だけでなく、星に住む街の人たちや多くの生きとし生けるもの全ての命運がこの旅にかかっている。そう思うとソリスは身の引き締まる思いがした。

        ◇

 その時だった。

 ヴィーン! ヴィーン!

 けたたましく警告音が響き渡る。

『照準ロックされました。ミサイル着弾まで十、九、八……』

 スピーカーから恐ろしいメッセージが流れる。きっと女神の言っていたテロリストだろう。問答無用に撃ってくるその恐るべき攻撃性にソリスは戦慄した。

「バカめ! そんなの当たるかってんだよ!」

 シアンは画面をパシパシっと叩くと一気に操縦桿をひねりあげる。

 直後訪れる強烈な横G。

 ぐほぉぉ……。

 頭に血が行かなくなるくらいの激しい加速に、ソリスは意識を保つのに必死だった。

 刹那、閃光を放ちながら近づいてきた何かが、目の前ギリギリをかすめていく――――。

 ウニャァ!

 パン! パン! という衝撃波がシャトルを襲い、船体はグルグルとキリもみ状態となった。

49. 逆神戦線

 ウニャァァァァ!

 まるでジェットコースターのように目まぐるしく襲ってくる加速度に、ソリスはグルグルと目が回る。

 ミサイルが近くで爆発したのだろう。シャトルの船体にはダメージはないのだろうか? ソリスは出航早々襲ってくる試練に泣きそうになった。

 ガッ、ガガッ!

 いきなりスピーカーからノイズが流れてくる。

『直ちに停船せよ! 我々は逆神戦線ディスラプターズである! データセンターは我々の手に堕ちた。これ以上近づくようであれば容赦はしない!』

 野太い男の声が船室内に響き渡る。どうやらこいつが【テロリスト】と呼ばれているものの正体だろう。シャトルの出航を検知して、いきなり攻撃を仕掛けくるとはとんでもなく野蛮な奴だし、その優秀さも相当のものだった。ソリスは自分たちが相手にしている敵の手ごわさに眉をひそめた。

 しかし、シアンはそんな彼らの宣告を聞き流し、画面をパシパシと叩きながら悪い顔でニヤッと笑う。

「お馬鹿さーん。今の攻撃でお前の居場所はバレちゃったぞ? きゃははは!」

 どうやら、あっという間にテロリストの居場所を割り出してしまったらしい。

 敵も優秀だが、このお気楽な女の子の有能さも相当のものだった。ソリスが感心した直後、視界からシアンがふっと消える――――。

 はぁっ!?

 凍りつくソリス。いきなりシャトルに一人置き去りである。どうやったのかも、どこへ行ってしまったのかも全く分からない。

 シアンの恐るべき能力にソリスは震撼しんかんした。これが女神も一目置く、恐るべき能力なのかもしれない。

 ソリスはこんなシアンの弟子になることの深遠な意味におののき、思わず息を飲んだ。

 その刹那、激しい閃光が海王星を包みこむ。

 うわぁぁぁ!

 船内も光に覆いつくされ、目を開けていることもできない。

 ひぃぃぃぃ!

 いきなりの出来事に、一体何が起こったのか分からずソリスはパニックに陥った。

 やがて落ち着いてくる光の洪水――――。

 そっと目を開けると、青く輝く海王星の表面には巨大な衝撃波の波紋がゆっくりと広がっていた。

 こ、これは……?

 そのエネルギー量たるや核兵器すら凌駕りょうがする鮮烈な規模である。あんなのに巻き込まれたら一瞬で跡形もなく蒸発してしまうだろう。ソリスは目の前で展開された、その想像を絶する事態にシッポをキュッと体に巻き付け、ガクガクと震えた。

「きゃははは! あー、楽しかった!」

 いつの間にかシアンが戻って来ていて楽しそうに笑っている。

「えっ!? い、今のってシアンさんが……?」

 ソリスは恐る恐る聞いた。可愛い女の子がそれこそ何十億人も焼き殺せるような甚大なエネルギーを放出したのだ。もし、こんな娘が敵だったらと思うと、ソリスはゾッとしてぶわっと毛が逆立った。

「ふふーん、カッコよかったろ? コレでテロリストも木っ端微塵こっぱみじんってなもんよ。くふふふ」

「えっ、えっ、どうやったんですか?」

瞑想めいそうだよ、瞑想! すーー、はーー! すーー、はーー! ってやってみ?」

 シアンはおどけながら深呼吸をして見せる。

 え……?

 ソリスは絶句した。これは冗談で言っているのだろうか? 冗談でないとすると瞑想と大爆発にどんな関係があるのだろうか? ソリスは全く想像もつかない世界に唖然として静かに首を振った。

 そんなソリスを見てニヤッと笑うシアン。

「キミは僕の弟子なんだからね? このくらいマスターしてもらわなきゃ困るよ?」

 えっ!?

 自分にもこれをやれという師匠の言葉に丸い目を見開くソリス。こんなことができるとは到底思えなかったのだ

「わ、私にもこれができる……?」

「もーちろん!」

 シアンは眉をひそめているソリスの顔を碧い目でのぞきこみ、クシャクシャっと頭をなでると、ニコッと笑った。

        ◇

「大気圏突入よーい!」

 シアンは画面をにらみながら何やらパシパシとボタンを叩いている。

 目の前には巨大な海王星の水平線が広がり、いよいよ未知の母なる星、海王星へと入っていくのだ。

 テロリストの攻撃部隊はさっきので殲滅せんめつしたものの、まだ、データセンター側に生き残りがいるということらしい。

 いよいよ自分の星の心臓部での戦闘になる――――。

 ソリスは予断を許さない展開にゴクリと息をのんだ。

 コォー……。

 今まで無音だった世界に音が聞こえてきた。薄い大気の層まで降りてきたということだろう。

「まもなく当機は最終の着陸体制に入ります。どなた様も今一度シートベルトをお確かめくださーい!」

 シアンは茶目っけたっぷりにソリスの顔をのぞきこむ。

「いよいよですね」

 子ネコのソリスは緊張して手で自分の顔をなでる。

「そうだね。まぁ着陸って言っても陸なんて無いんだけどね。きゃははは!」

 楽しそうに笑うシアンにソリスは少し救われる思いがした。

 やがて船体は大気との衝突で高熱を発して赤く光り出し、ズンズンと激しい衝撃が断続的にシャトルを揺らした。

 いよいよ自分の星の心臓部に近づいている――――。

 だが、目の前にはただ、広大な青い水平線が広がるばかりだった。

 ソリスはこんなところに自分の故郷の星があるという話をうまく理解することができず、眉間にしわを寄せながら、ただ大きく揺れるシャトルの手すりにしがみついていた。

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