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アラフォーだって輝ける! 美しき不死チート女剣士の無双冒険譚 ~仲良しトリオと呪われた祝福~11~19
11. 最高の死に方
本当に……、そうか……?
ソリスは胸の奥からあふれてくる違和感に頭を抱える。
仲間二人が亡くなったというのに自分は豪遊? 本当に?
ソリスはギリッと奥歯を鳴らし、流されそうになってしまう自分を、ギリギリのところで食い止める。
華年絆姫の名を歴史に刻む、それが喪われた仲間に対する贖罪であり、責任なのだ。
ソリスは自分の頬をパンパンと張る。
「退かない! 何度だって死んでやるわ! フィリア……イヴィット……見ててよ!」
ソリスは全身に気迫を漲らせ、ボス部屋の巨大な扉を押し開けた。
◇
ここのボスは、過去の踏破者の話によると物理攻撃が効かず、光魔法を湯水のように乱射して力押ししたという話だった。大剣しか攻撃方法のないソリスには極めて相性の悪い敵である。生き返るとしても、どんなにレベルを上げても倒せないのだとしたら、二度とボス部屋からは出られない。無限に殺され続けるだけになってしまうのだ。
ソリスはブルっと身体を震わせて、その嫌なイメージを振り払う。
ポケットからトパーズの魔晶石を取り出すと、パチッと大剣のツバの穴にはめた。
ヴゥン……。
大剣はかすかに震え、黄金色の輝きがツバのところから徐々に刀身に広がっていく。やがて大剣全体が激しく黄金色に輝いた。大剣に神聖力を付与したのだ。これで斬りつければ光魔法と同じ効果が付与される。もちろん、僧侶の放つ光魔法には遠く及ばない攻撃力ではあるが、わずかでも攻撃力が通るのであれば活路は開けるとソリスは考えていた。
ソリスは目の前に大剣を立て、目をつぶり、大きく深呼吸を繰り返す。このボスを超えれば実質過去の最高到達深度に並ぶ。華年絆姫の名が街に轟くのだ。喪われてしまった二人の名誉のためにも絶対に勝たねばならない。
ソリスは大剣を風のように振り回し、一連の流れるような動作で基礎の型を舞った。その剣の軌跡は、まるで空中に絵を描くかのように、美しくも力強かった。
ヨシッ!
ソリスは大きくを息をつき、呼吸を整えると決意に燃えた目で重く大きな扉を押し開けていった。
◇
いつもと同じボスのフロア。壁の魔法のランプがポツポツと点灯していくが、広間の中央は黒く煤のようなもので煙っていてよく見えない。
ぼうっと黄金色の光を放つ大剣を前に構え、恐る恐る近づいて行くソリス――――。
煤の向こうで目がキラリと輝き、何者かがスタスタと近づいてくる。
ソリスは立ち止まり、大剣を構え直した。
しかし、現れたのは黒いローブをまとった黒髪ショートカットの背の低い女性……。
「おや、ソリス殿、遅かったでゴザルなぁ」
丸眼鏡をクイッと上げてニヤリと笑う、忘れられない笑顔……、フィリアだった。
ひっ!?
ソリスは首を振りながら後ずさる。
フィリアは死んだのだ。こんなところに居るはずはない。居るはずはないのだが、その声、話し方、そして眼鏡を上げる仕草まで本人そのものなのだ。
「何? こんな幻覚で私を謀れるとでも?」
そう言いながら、ソリスは大剣をカタカタと震わせてしまう。会いたかった仲間が目の前でこんなに生き生きと動いているのだ。例え幻覚だとしてもそれには抗いがたい魅力があった。こんな大剣など今すぐ捨てて駆け出したい。そんな想いを必死に振りはらおうとソリスはギリッと奥歯を鳴らした。
「幻覚? 何を言ってるでゴザルか。そしたら……イヴィットの好きだった男、教えちゃおうか? くふふふ……」
フィリアは、悪い顔をして口に手を当てながらとんでもないことを言いだす。
「お、お前何を言い出すんだ!」
ただの幻覚だと思っていたらとても幻覚とは思えない行動を取りだした。こんな幻覚なんてあるだろうか? ソリスはたじろいだ。
「ちょっと……。あなた……。そういうの、止めてくれる……?」
暗闇からまた一人やってきた。栗色の長い髪を後ろでくくった女性……。イヴィットだった。
ひっ!?
ソリスは後ずさる。それは死んだ時の緑色のチュニックをまとったイヴィットそのものだった。
「くふふふ……。だってソリス殿があたしらを死んだことにしてるのでゴザルよ」
「あたしは……、死んでない……。そう、また昔のように……」
イヴィットは穏やかな笑顔でソリスに手を差し伸べる。
「ちょ、ちょっと、あんたら何なのよ!!」
「さ、ソリス殿、また昔のように三人で仲良く暮らすでゴザルよ!」
フィリアも茶目っ気のある笑顔でソリスに手を伸ばした。
ここは地下三十階のボス部屋。フィリアもイヴィットもいるはずがない。明らかにボスの罠である。そんなことは分かっている。分かってはいるが、この二人の手を拒絶し、大剣で一刀両断にするなんてことはとてもソリスにはできなかった。
ソリスは穏やかな顔でゆっくりとうなずくと大剣を床に置き、幸せそうな顔で二人に両手を広げた。二人は嬉しそうに近づいてくる。
フィリアはちょっと照れたような顔をしてうつむき、イヴィットはニコッと笑う。
ソリスは二人をハグし、懐かしい二人の香りが鼻孔をくすぐった。
そう、そうだよ。これが自分の幸せなのだ……。ソリスはこの甘い時間をじっくりと味わう。自分の心は華年絆姫と共にある。それは一生変わらないのだ。ソリスは涙ぐみながら二人を抱きしめる。
刹那、無数の風を切る音が広間に響く……。
ゴフッ!
ソリスは盛大に血を吐いた。飛んで来た無数の漆黒の短剣がソリスを貫いたのだ。
「くふふふ……、お馬鹿さんっ!」
漆黒のゴシックロリータをまとった真っ白い肌の少女が、黒い霧の中にふわりと浮かび上がり、楽しそうに笑った。
全身を貫く激痛の中、幸せそうな笑顔を見せながら床へと崩れ落ちるソリス。
フィリアもイヴィットも霧のように消え去り、ソリスの哀れな血が静かに床板を赤く染め上げた。
いい夢を見た……。ソリスは今わの際に今までで最高の死に方だったと、満足げにほほ笑んだ。
12. 呪われた漆黒の炎
『レベルアップしました!』
黄金の光に包まれながらソリスは立ち上がり、大剣を一気にゴスロリ少女へと叩きこむ。
うひぃぃぃ!
まるで霧を斬るかのように全く手ごたえはなかったが、斬る刹那、大剣は閃光を放ち、少女はビクンと痙攣して逃げだしていく。少しはダメージが入っているようだった。
「『お馬鹿』は誰だろうなっ!」
ソリスはダッシュで追いかけもう一発大剣で一刀両断にする。
「な、何よあんた!? 殺したはずなのに! 死ねぇぇぇ!!」
空間に無数の漆黒の短剣が浮かび、また、ソリスに向けて超高速で吹っ飛んでくる。
くっ!
大剣でいくつか払ったが、とても全部は払えず、ソリスはまたハチの巣となって地面に崩れ落ちた。この短剣は鎧をすり抜けて身体を貫通していく。ある種の黒魔法のようだった。
『レベルアップしました!』
黄金の光を纏い、ゆらりと再度立ち上がるソリス――――。
「あ、あんた……。何なの……?」
ニヤリと笑いながら大剣を構えるソリスに、ゴスロリ少女の黒い唇がぴくぴくと震えた。
「汝を倒す者、華年絆姫!!」
ソリスはさらに増した瞬発力を生かし、一気にゴスロリ少女に迫る。
しかし、ゴスロリ少女も負けていない。漆黒の短剣を無数浮かび上がらせると、そんなソリスをハチの巣にして打ちのめす。
ぐはぁ!!
『レベルアップしました!』
またも立ち上がったソリスは悪い顔をしながら言い放つ。
「クックック……。悪いねぇ。もうあたしの勝ちなんだわ……」
「マ、マジかよ……。あんた、もはや魔物だわよ……」
ゴスロリ少女はウンザリしたように首を振った。
「さっきのフィリアとイヴィットはどうやって出したの?」
ソリスは鋭い視線で大剣を少女に向けた。
「知らないわ。あたしは幻惑のスキルを使っただけだもの」
「幻惑……? でも、それならフィリアはイメージ通りのことを言うはず。変なことを言っていたあれは単なる私の幻覚なはずがない」
「ふふっ、だったら本物なんじゃない?」
ゴスロリ少女は肩をすくめる。
「ほ、本物……? フィリアは死んだのよ!」
「は? はっ、ははははっ!」
ゴスロリ少女は腹を抱えて笑った。
「な、何がおかしいのよ!!」
「あんたも何度も死んでるじゃない」
ゴスロリ少女はふぅと大きくため息をつくと、忌々しそうにソリスをにらんだ。
「え……?」
ソリスは言葉を失った。死んだら終わりだと思っていたが、確かに自分は何度も復活してるし、魔物たちも時間が経つと再生してくる。ここでは死は絶対的なものではなかったのだ。
「じゃ、じゃぁフィリアたちも生き返らせる方法があるってこと?」
生き返らせる方法として、神話に出てくる伝説の魔法蘇生があったが、それを実際に使える人は聞いたことが無かった。しかし、一時的にでもフィリアたちを召喚できていたゴスロリ少女のスキルに何かキーがありそうな気がする。
「そんなのあたしに聞くな! 女神たちに聞け!」
「め、女神……?」
ソリスは唖然とした。神話の存在だった女神に聞けとはどういうことだろうか? 女神とは会えるような存在なのだろうか?
「あんたのその生き返るギフト、どうせ女神からもらったんだろ? 会ったことあるんじゃないの?」
「へ……? ま、まさか……」
ソリスは動揺した。会った記憶などないはずだったが、確かにギフトの名前は【女神の祝福】、女神の効果だったのだ。
「な、なぜ女神様が私に……?」
「知るか! バーカ! 殺しても死なないとんでもないチートを送り込んできやがって、後でクレーム入れてやる!」
ゴスロリ少女は腕を組んで濃い化粧の頬を膨らませた。
「後でって……、会える……の?」
「おっといけない。今のは聞かなかったことにしといて。とりあえず死んどけ!!」
ゴスロリ少女はクワっと目を見開くと、無数の漆黒の短剣を浮かべ、ソリスに向けて放つ。
しかし、ソリスもレベルアップである程度は見切れるようになってきていた。素早く回避しながら短剣を払い落し、何とか直撃を免れる。
「ざ~んねん!」
ゴスロリ少女はそれを読んで、逃げ先に短剣を放っていた。
「ぐふぅ! つ、次こそは……」
ソリスは無念そうに床に崩れ落ちる。
『レベルアップしました!』
その後両者は延々と死闘を繰り広げていく。ソリスが与えるダメージは限定的だったが、それでも数十回も食らわせているうちにゴスロリ少女の様子に変化が見られてきた。
「……。くぅぅぅ……。化け物め……」
ゴスロリ少女は苦しそうに胸を押さえ肩で息をしている。
「そろそろ決着……ね。腹減ってきちゃったしね」
死にすぎてメンタルが限界に近づいていたソリスも、次の一撃で決めようとカチャリと大剣を構え直した。
「このチート婆ぁ! インチキだぞこんなの!!」
ゴスロリ少女は怒りで顔を歪めながら罵った。もう漆黒の短剣を出すこともできないようである。
「女神様に会ったら『ソリスは喜んでいた』と、伝えてくれる? くふふふ……。死ねぃ!!」
「いやぁぁぁぁ!」
空中を飛んで逃げようとするゴスロリ少女。
ソリスはものすごい跳躍力を生かし、一気に飛び上がるとゴスロリ少女の背中をけさ切りに斬り裂いた――――。
グァァァァァ!!
断末魔の叫びが広間に響き渡る。
ヨシッ!
ソリスはシュタッと着地すると、空中で苦しむゴスロリ少女を見上げた。長い死闘にもついに終わりが訪れたのだ。ソリスはグッとこぶしを握った。
ゴスロリ少女は真っ白になった目から黒い血を流し、恨めしそうにソリスをにらむ。
「許さん、許さんぞ! こんなの認めない……。あいつらが頭抱えるようにして……やる……。呪いを受けよ!!」
少女は口をパカッと開け、漆黒の炎を一気に吐きだした。
うわぁぁ!
慌てて避けようとしたが一歩遅く、ソリスは漆黒の炎に包まれる。
くあぁぁぁ!
熱くはないが、魂をジリジリと炙られるような不快な痛みがソリスを貫いた。
「ざまぁ! はーっはっはっは!!」
ゴスロリ少女は楽しげに笑いながらすうっと消えていく――――。
後にはコロコロッと深紫の魔石を落としていった。
漆黒の炎も徐々に消え去り、ソリスは解放される。
「な、なんだ!? 何をされた?」
身体をあちこちと見回したが、何の変化も見受けられない。何をやられたのか分からず、その不気味さにソリスはブルっとその身を震わせた。
13. 筋鬼猿王
ボス部屋を出て、隅の小部屋で堅いパンと干し肉をかじり、お茶を飲みながら疲れをいやすソリス。
「はぁ……。詰めが甘かったなぁ……」
勝って浮かれて、最後に訳わからない攻撃を食らってしまったことに頭を抱えた。
「一体何を食らったんだ……?」
人心地着いたところで、ソリスは大きく息をつくと、恐る恐るステータスウィンドウを開いてみる――――。
ーーーーーーーーーーーーーー
ソリス:ヒューマン 女 三十九歳
レベル:95
:
:
ギフト:女神の祝福【呪い:若化】
ーーーーーーーーーーーーーー
「ゲッ……。何これ……」
ソリスは顔を歪めて思わず宙を仰いだ。
レベルが95ともはやSランクになっているのも驚きだったが、それ以上に【呪い:若化】という不気味な文言に、ソリスは嫌な汗が噴きだしてきた。
【若化】などという呪いは聞いたこともない。文字だけ見れば『若くなる』ということであり、いい事なのではないかと思うが、ゴスロリ少女が『ざまぁ!』と嗤っていた呪いである。きっと面倒な呪いに違いない。
それに呪いは冒険者の間ではひどく忌み嫌われており、呪い持ちは邪険に扱われ、遠ざけられてしまうのだ。それは呪いの中には伝染力を持つ物もあり、触れた人に伝染ったり、増殖したりしたケースもあったからでもあるが、ゲンを担ぐ命懸けの職業である冒険者にとって、呪いが『気分を落とす縁起の悪いもの』とされていることが大きなところだった。
この呪いも他の人に伝染してしまったとしたら大問題である。華年絆姫は名誉どころの話ではなく、呪われた汚点になってしまう。
「マズい、マズいわ……」
なんとか解呪しなくてはならなかったが、呪いなどどうやって解いたらいいか分からない。ソリスは頭を抱え、必死に解決策を模索する。
しかし、過去に呪われた冒険者はいつの間にかいなくなってしまっていて、治ったという話は聞いたことが無かったのだ。
いったい彼らはどうしたのだろう……?
ソリスはガックリと肩を落とし、重いため息をついた。
一旦ギルドへ戻ろうとも思ったが、さらなる祝福を受けるのは目に見えている。今頃入り口には多くの冒険者がソリスを待っているだろう。
「マズい……、マズいぞ……」
こんな状態ではとても祝福を受ける気にはなれない。祝福されるのは呪いを解いてからだ。華年絆姫の名を穢すわけにはいかないのだ。
「あぁぁぁ……、参ったなぁ……」
しばらく頭を抱えていたソリスだったが、いつまでもここにはいられない。
ふぅと、大きく息をつくとソリスはダンジョンを進もうと決意した。そもそもこの呪いがどんな物かもわからないのであれば方針も決まらないし、解呪にかかるであろう莫大なお金も稼いでおかねばならなかったのだ。
「チクショー! ゴスロリめ!!」
ソリスは自分の太ももをパンと叩くと立ち上がり、ギリッと奥歯を鳴らした。
◇
レベル95もあれば三十階台のモンスターはもはや雑魚だった。解呪資金になりそうな美味しい魔物は倒し、面倒くさそうな敵は戦わずに俊足で駆け抜けていく。大抵の魔物はもはやソリスの逃げ足の速さに追いついてこれないのだ。
数時間で歴代最高到達地点である三十九階まで到達してしまったソリス――――。
結局、呪いらしき兆候は何も見えず、いつもと変わりない状況にソリスは首をかしげた。
「さて、どうするか……?」
ソリスは地下四十階の巨大な扉を見上げながら、大きくため息をつく。
しばらくは解呪のためにあちこちを奔走しなくてはならない。もしかしたら他の街へも行くことになるかもしれないのだ。
あるならば、ここで前人未到の四十階を制覇しておくのは悪くない選択だった。どこへ行くにしても歴代最強の冒険者であれば、それなりの便宜を図ってくれるに違いない。
ここは全く情報がないのでどんなボスが出てくるかもわからないが、それは先延ばしにしても状況は変わらないのだ。
ここでもうひと頑張りして華年絆姫の名を揺るがぬものにして、解呪に専念しよう! ソリスは何度か深呼吸をするとパンパンと頬を張って気合を入れ、重厚な扉を押し開けた。
◇
薄暗い広間、魔法のランプが徐々に照らし出す中に、小柄な生き物が何かをやっている――――。
は……?
ソリスが目を凝らして見ると、サルが人差し指一本で逆立ちをしながら筋トレをしているではないか。その徹底的に鍛え上げられた上半身は、上腕二頭筋も大胸筋も豊かに膨らみ、すさまじいほどのオーラを発していた。それは筋鬼猿王、最強拳闘士の名を欲しいままにしていたサルの魔物だった。
「ほう……? お客さんか、珍しい」
甲高い声を上げながら、筋鬼猿王はピョンと宙返りして、立った。手で汗をぬぐい、肩をグルグルと回しながらソリスを品定めする。全身を覆う色艶の良いシルバーの毛並み、首の周りにはまるでネックレスのような赤い色の毛が生え、黄色い顔の下には白いあごひげを伸ばしていた。
体を鍛える魔物など聞いたことがなかったソリスは大剣を構え直し、慎重に出方をうかがう。
「大剣か、お主、無粋よのう……」
筋鬼猿王はそんなソリスを鼻で嗤うと、両手のこぶしに鋼鉄のメリケンサックをはめ、ピョンピョンと軽く飛び上がると、首をグルグルと回した。どうやら武器はこれだけらしい。
剣士と拳闘士であれば圧倒的に剣士の方が有利である。ソリスはこれ幸いと突っ込んでいった。
うぉぉぉぉぉ!
レベル95の圧倒的な膂力を全開させるソリス。最初から出し惜しみはなし、振り上げた大剣を一気に筋鬼猿王の脳天へと放った――――。
「馬鹿が……」
筋鬼猿王はバカにしたようにつぶやくと、目にも止まらぬ速さでジャブを放ち、メリケンサックで大剣の刀身を撃ち抜いた。
パリーン……。
あっさりと砕け散るソリスの大剣――――。
へっ!?
まさか拳に負けるはずが無いと思っていたソリスは、そのすさまじいまでの正確で強烈なパンチに圧倒された。さすがに四十階のボスである。ソリスは今回もまた壮絶な死闘になってしまうだろうことに、気が遠くなる思いがした。
14. 絶望の味
「こんなもん使わず、拳で語らんかい!」
うろたえるソリスの顔面を冷酷無比のメリケンサックが撃ち抜いた。
ゴリッ!
意識を一瞬で持っていかれ、ボコボコに撲殺されてしまうソリス。
「ふんっ! 弱すぎて話にならんわ……」
筋鬼猿王はメリケンサックから血を滴らせ、鼻で嗤いながら広間の奥へと踵を返した。
『レベルアップしました!』
黄金の光を纏いながら立ち上がったソリスは、油断している筋鬼猿王に後方から襲い掛かる。
全体重を乗せた渾身の右ストレートを筋鬼猿王の後頭部目がけ放った――――。
しかし、筋鬼猿王は直前でスッと身体を揺らして避け、逆に体制の崩れたソリスを狙い撃ちにした。
ゴスッ! ゴリッ!
メリケンサックが骨を砕く嫌な音が広間に響き渡る――――。
「ふぅ、危ない危ない。油断も隙も無い。確かに殺したはずじゃったが……」
『レベルアップしました!』
黄金の光に包まれながら立ち上がるソリス。ただ、黄金の光に混じってかすかに紫色の怪しい光が揺れていたのにソリスは気がつかなかった。
「な、何だお前……チートか?」
筋鬼猿王は呆れたように首を振る。
「華年絆姫の名のもとにお前を倒す。悪いがお前はもう死んでいる」
ソリスは前傾しながら両腕で顔をかばい、ボクシングのファイティングポーズをとった。
「ほざけ! そんなド素人の技が通じるかい!」
筋鬼猿王は豊かに膨らんだ大胸筋を躍動させ、強烈なボディーを一発叩きこむ。鎧の金属プレートごしにでも衝撃がレバーに届いた。
ゴフッ!
胃液が逆流しそうになり、ガードが甘くなった隙を筋鬼猿王は見逃さない。
ソイヤー!
ゴスッ! ゴスッ!
メリケンサックがソリスをえぐっていく。
ぐふぅ……。
意識を断たれたソリスは口から血だらけの泡を吹き、またもノックアウトされた。
『レベルアップしました!』
今度は距離を取るソリス――――。
筋鬼猿王の射程距離内では到底勝負にならない。足を使うのだ。
広い広間を後ろに横に逃げながらソリスはチャンスを探す。
「ほう? 頭を使うようになったな……」
筋鬼猿王はスッスッと距離を詰め、ソリスはサササッと横へ逃げていく。
しばらく追いかけっこをしていた二人だったが、業を煮やした筋鬼猿王が一気に迫ってきた。
「ちょこまかウザい奴じゃ!」
一直線にソリスに迫る筋鬼猿王に、ソリスは今度は逃げずに逆に向かっていった。
へ?
予想外の行動に焦る筋鬼猿王。
直後、ソリスはスライディングキックで筋鬼猿王の下半身目がけ、足を狙っていった。
ソイヤーー!
脚をうまくひっかけて機動力を奪おうと考えたのだ。
しかし、筋鬼猿王はヒョイっとキックをかわすと、逆に思いっきりソリスの顔面を蹴り飛ばした。
ゴフッ!
もんどりうって転がるソリス。
筋鬼猿王はそれを逃さず、マウントポジションを取ると、メリケンサックで殴り始めた。
「ド素人の足技なんか食らうかよ! 格闘技なめんな!!」
グハッ!
腕を砕かれ、頭を砕かれ、絶命するソリス――――。
『レベルアップしました!』
黄金色に包まれたソリスだったが、筋鬼猿王にマウントされたままである。
ソリスは必死に逃げようとしたが、筋鬼猿王の方が一枚上手だった。
「馬鹿が! 逃がさねぇよ!」
マウントポジションからの容赦ない殴打。
グハァ!
グチャグチャにつぶされてしまうソリス。しかし、復活は止まらない。
『レベルアップしました!』
「何なんだお前はよ!」
筋鬼猿王も必死になって殴り続ける。
『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』……
どのくらい繰り返しただろうか? さすがに疲れの見える筋鬼猿王をソリスはブリッジし、蹴り上げ、何とか脱出した。
「お前、大概にせぇよ……」
筋鬼猿王は肩で息をする。
殺しても殺しても埒の開かないソリスに筋鬼猿王は初めて恐怖を覚えた。殺せば終わり、それがこの世界のルールである。それが殺しても殺しても終わらない。逆に殺せば殺すほど手ごわくなっていく。それはもはや悪夢だった。
「さっきも言ったろう。お前はもう死んでいるんだよ」
ソリスは嬉しそうに微笑んだ。かなりレベルアップしたからか、さっきとは比べ物にならない程に気力体力が充実しているのだ。
「お前……、なんか別人になってねぇか?」
筋鬼猿王はソリスの艶々した張りのある肌をいぶかしげに眺める。
「別人? 何言ってんの?」
「最初は婆ぁだと思ったが……今はおねぇちゃんじゃねーか……」
「……は?」
ソリスの心臓がドクンと高鳴った。
慌てて手を見ればスベスべでつややかな張りのある肌になっている。
「な、何これ!?」
ソリスは自分の顔を触ってがく然とした。モチモチとして弾力のある肌、それはとてもアラフォーのものではない。長い年月で失われたはずの若い子のそれだった。
「の、呪い……なの?」
ソリスはゾッとした。さっきまでこんなことはなかった。つまり殺されるたびに若返っているのかもしれない。
二十回くらい殺されてニ十歳くらいまで若返ってしまったと考えるべきだろう。と……、なると……。後二十回殺されたら赤ん坊になってしまう。そしてさらに殺されたら?
ソリスはもうこれ以上殺されるわけにはいかない現実に青くなる。
「ほう? 呪い? このまま殺し続ければ勝ちってことだな。はっはっは」
勝機を見出した筋鬼猿王はニヤリと笑った。
『マズいマズいマズいマズい』
ソリスは忘れかけていた絶望の味を再び心に感じ、冷や汗を垂らしながらゴクリと唾をのんだ。
15. 勝利の鈍い音
ソイヤー!
筋鬼猿王はまっすぐにソリスに突っ込んできた。
慌ててソリスはステップを踏みながら回避をしようとする。しかし、闘志に燃える筋鬼猿王は狂気じみた眼差しでソリスの退路をふさぎ、徐々にフロアの隅へと追い込んでいった。
くっ!
もう一度マウントされたら、赤ちゃんになるまで殺され続けてしまう。ソリスは必死に退路を探すが、必死な筋鬼猿王の追い込みに逃げられそうになかった。
「くぅぅぅ……仕方ない……。やってやるわよ!!」
ソリスは覚悟を決めると、逆に一気に筋鬼猿王の方に飛び込んでいく。
馬鹿が!
筋鬼猿王の鮮烈な右ストレートがソリスの腕を砕く。
ぐふっ!
が、止まらない。ソリスは激痛をこらえながら、そのまま筋鬼猿王を押し倒し、逆にマウントポジションを取ったのだった。
「くっ! マウントくらいじゃ変わんねーよ!」
筋鬼猿王は下からソリスの額を撃ち抜く。
しかし、マウントされた状態では全然パワーは乗らない。ソリスは逆にその腕を取ると全体重をかけてへし折ったのだ。
ゴキィ!
壮絶な音が広間に響き渡る。
「グギャッ!! ふ、ふざけんな!」
筋鬼猿王は残った左腕で渾身の力を込めてソリスのこめかみを撃ち抜いた。
ゴフッ!
筋鬼猿王の上に倒れ込むようにして死んだソリス。
「ちっ! どけぃ!」
筋鬼猿王は慌ててソリスの死体を蹴り飛ばし、マウントを取りに行こうとしたが、砕けた右腕の激痛によろけ、間に合わなかった。
『レベルアップしました!』
黄金色に輝きながら立ち上がってくるソリスに、筋鬼猿王は右腕を押さえながらギリッと歯を鳴らす。
「こ、この、チート娘が!!」
「何を使おうが最後に立っていたものが勝ち……。それがここでのルールだわよ? ふふふふ……」
ソリスは顔を引きつらせ、必死に余裕を装いながら笑う。
「ふんっ! 赤ん坊にして踏みつぶしてくれるわ!」
筋鬼猿王はソリスに向かって猛然と突っ込んできた。
片腕となった筋鬼猿王なら、左腕を折ってしまえばもはや勝ち確定である。
「折れば勝ち……、折れば勝ち……」
ソリスはガードしながら全神経を左腕の動きに注いだ。
ぬぉぉぉぉ!
筋鬼猿王は左腕を大きく振りかぶって迫る。
ソリスは何とか左腕をつかもうとタイミングを計った。つかめたら勝ちなのだ。
だが次の瞬間、筋鬼猿王はいきなり後ろを向く。
へ?
ソリスは何が起こったのか分からなかった。
刹那、飛んでくる目のくらむような後ろ回し蹴り――――。
ゴフッ!
ソリスはもろに蹴りを胸に受け、吹き飛ばされる。
もんどりうって転がったソリスに、畳みかけるように筋鬼猿王が痛烈な蹴りを決め、ソリスの意識を断った。
『レベルアップしました!』
ソリスが復活すると、筋鬼猿王がソリスをマウントして、いやらしい笑みを浮かべながら見おろしている。それは最悪の展開だった。
くっ!
ソリスは必死に脱出しようとしたが、間に合わず、痛烈なメリケンサックの衝撃にまた意識を断たれる。
『レベルアップしました!』
うりゃぁ!
『レベルアップしました!』
そりゃぁ!
『レベルアップしました!』
無情にもどんどん小さくなっていく身体。
徐々にブカブカになっていく鎧の感覚にソリスは焦った。何とか抜け出そうとするものの、筋鬼猿王も必死である。なかなか隙を見せてくれない。
「ほれほれっ! 赤ん坊に戻してやるぞ!」
折れた右腕をかばいつつ、左腕で的確にソリスの顔面を捉え続ける筋鬼猿王。
『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』
レベルアップはするものの、子供へとなって行ってしまってどんどん力も弱くなっていくソリス。
『マズいマズいマズいマズい……』
殺される激痛で朦朧とする意識の中、必死に活路を探す。
「死ねぃ!」
筋鬼猿王が復活してきたソリスの顔面めがけ、こぶしを振り下ろした時だった。ソリスは必死にブカブカになった鎧の中に身体を滑らせる。
「あっ! 待て、貴様!」
筋鬼猿王は鎧の上から殴りつけたが、さすがにそれは効果がなかった。
その隙にソリスは鎧を持ち上げながら下からスルッと身体を引き抜く。
「畜生! ちょこまかと……」
逃がしてしまったことに顔をゆがめる筋鬼猿王。
ソリスは肩で息をしながら、ブカブカになってしまったチュニックのひもを結びなおす。これ以上殺されてしまったら抗うこともできない。ソリスはもうミス一つできないギリギリのところまで追い込まれてしまったことに口をキュッと結んだ。
「子供ではもうどうすることもできまい……」
筋鬼猿王はニヤリと笑いながらソリスに迫っていく。
ソリスは間合いを取りながら後ろへ、横へと逃げていった。
「これで決まりだ!」
筋鬼猿王はソリスに向かってダッシュをすると鋭い蹴りを放つ。
ひぃっ!
ソリスはガードしながら後ずさりで躱した。
「死ねぃ!」
直後、そのまま鋭い渾身の後ろ回し蹴りで一気にソリスの顔面を狙っていく筋鬼猿王。絶妙のタイミングでの会心の一撃、この蹴りをかわすのは素人には難しいはずと、筋鬼猿王は勝利を確信した――――。
ところが、ソリスはまるでバレエを習っている子供のように、信じられない身体の柔らかさでのけぞって、これをかわしたのだった。
……へ?
手ごたえのなさに焦る筋鬼猿王。
これを好機とそのまま筋鬼猿王の左腕に飛びつくソリス。
「死ぬのはあんたよ!」
ソリスは足を筋鬼猿王の肩に絡ませながら、渾身の力を込めて腕を折りに行く。
くぁぁぁぁ!
筋鬼猿王は慌ててソリスを振り払おうとするが、子供とは言えレベルはすでに120を超えている。そう簡単には離れない。
離せぇぇぇぇ!
喚きながら筋鬼猿王はソリスを床に叩きつける。
くはっ!
しかし、しがみついて離れないソリス。このチャンスを失ったらもう二度と勝機はない。
ぐぉぉぉぉぉ!
必死の形相で腕を逆方向へ捩じっていく。
止めろぉぉぉ!
筋鬼猿王が叫んだ時だった。
ゴキィ!
鈍い音がフロアに響いた。
16. 飲み込む言葉
ぐぁぁぁぁ!
ついに両腕を失った筋鬼猿王は絶望の悲鳴を上げる。
飛びのいたソリスは肩で息をしながら、絶望の淵に立つ筋鬼猿王を見つめた。
筋鬼猿王は砕けた両腕をだらんとたらしながら、うつろな目で宙を見上げている。
胸を狙っていれば筋鬼猿王が勝っていたはずだった。筋鬼猿王は『なぜ顔など狙ってしまったのか……?』と、最後の最後で慢心があったことに悔やんでも悔やみきれず、ギリッと奥歯を鳴らし、さめざめと涙をこぼした。
ソリスは、すっかりワンピースみたいに長くなってしまったチュニックのすそをたくし上げ、結んだ。
「さぁ、そろそろエンディングにさせて……」
筋鬼猿王に向けてファイティングポーズをとるソリス。勝利は確信しているものの、慣れない子供姿に心中穏やかでなかったのだ。
筋鬼猿王は絶望の笑みを浮かべながらソリスを見る。
「お前……、この世界のモンじゃねーだろ……」
は……?
ソリスは何を言われたのか分からなかった。自分は孤児として孤児院に育ち、冒険者になった、れっきとしたこの世界の人間である。
「こぶしを交えてわかった。お前にはこの世界の者にはない、訳わからない情念がある。この世界の人間ってのはもっとシンプルなんだよ」
「シ、シンプル……?」
ゴスロリ少女には『女神と会ったはず』と言われ、筋鬼猿王には『この世界の者ではない』と言われる。一体これはどういうことなのだろう? と、ソリスは渋い顔をして首をひねった。
「まあいい、お前の勝ちだ。このザマじゃもはや勝負にならん。また、鍛えなおしだ」
筋鬼猿王はため息をつき、首を振った。
「悪いね、良い戦いだった。お前のことは忘れない……」
「俺も! 忘れんよ!」
筋鬼猿王は忌々しそうにギロリとソリスをにらみ、そして相好を崩した。
セイヤーッ!!
ソリスは助走をつけ、跳び上がると、目をつぶって棒立ちになっている筋鬼猿王の頭を思いっきり蹴りぬいた。
子供とは言えレベル120を超える人間離れしたすさまじいパワーが、筋鬼猿王の顔面をまるで豆腐のように吹き飛ばす――――。
ガクリと力を失った身体が床に転がった。
ソリスは大きく息をつくと、その偉大だった骸に手を合わせる。
やがて筋鬼猿王だったものはすうっと消えていく。きっと別世界でまた人差し指で逆立ちして鍛えるのだろう。
後には赤く輝く魔石がコロコロと転がっていく。
強敵だった――――。
紙一重の勝利にソリスは身体の力が抜け、床にペタリと座り込んだ。
これで前人未到の四十階制覇。それは歴史的偉業だったが、ソリスにはその実感がわかなかった。
それよりも――――。
ソリスは手近に転がっていた大剣の破片を手に取り、鏡のようにして顔を映してみる。
映っていたのはシワもシミもそばかすも全て消え去り、ツヤツヤでプルンプルンの子供の小さな顔だった。
「何よこれぇ……」
続いてステータスウィンドウを開いたソリス――――。
ーーーーーーーーーーーーーー
ソリス:ヒューマン 女 十歳
レベル:124
:
:
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表示された【十歳】の文字にソリスはガックリとこうべを垂れた。
ついに明らかになった呪いの効果。それは生き返るたびに1年近く若返るというものだった。上手く使えばよい面もありそうだったが、将来に反動が来るかもしれないし、どんな副作用があるか分かったものじゃない。この呪いの得体の知れなさに思わずブルっと身体が震えてしまう。
そもそも、こんな小娘になってしまって、周りの人に何と説明するのだろうか?
「うわぁぁぁぁ……どうしよう……」
ソリスは頭を抱え、思わず宙を仰いだ。
せっかく歴史的快挙を成し遂げたのに台無しである。
「ゴスロリーーーー!!」
ソリスは地に伏し、少女の可愛く澄んだ高い声で叫んだ。
◇
ソリスはブカブカになってしまった青いチュニックを、何とかひもで結んで身体にフィットさせると、がっくりと肩を落としながら地上を目指す。
今頃四十階のポータル前ではきっと多くの人が自分の帰還を待ってくれているだろう。前代未聞の偉業を成し遂げたのだ。その盛り上がり具合は相当なものに違いない。
だが……。
こんな十歳のチンチクリンの小娘が出てきたらどうだろうか?
失望と落胆のため息が渦巻く様子が目に浮かんでしまう。
華年絆姫の名を上げるためにここまで頑張ってきて、その結末が失望ではとても受け入れられない。
ソリスはポータルを使わず、一気にダンジョンを逆走していった。
レベル124のすさまじいまでの俊足の機動力を生かし、一回も戦うことなく、全てのモンスターをすり抜け、一時間ほどで入口へとたどり着く。
外の様子をそーっと確認し、シレっと入口から外へ抜け出すソリス。
案の定、四十階のポータル前には多くの人だかりができてひどく盛り上がっている。
「やっぱり華年絆姫だろうね」「ソリスさんのソロってこと? 本当かなぁ?」「一体四十階のボスってどんな奴なんだろう?」
ソリスはぎゅっと胸が痛くなる。
今すぐ名乗り出たい。
『華年絆姫はやりましたよぉぉぉぉ!』と、両腕を高く掲げながらみんなの前に出ていきたかった。
しかし……。こんな子供が出ていって受け入れられるわけなどない。ソリスはノドまで出かかった言葉をグッと飲み込み、ギリッと奥歯を鳴らした。
なんとか解呪をして、その時に改めて名乗り出よう。すぐに名乗り出られなかった理由などいくらでも後で考えればいいのだ。
ソリスはキュッと口を結ぶと足早に街を目指した。
17. 営業スマイル
ソリスは街の中心部、大聖堂にまでやってきた――――。
天を突くような尖塔に、壮大な彫刻が施された豪奢なファサードはこの街のシンボルともなっている。
ゴスロリ少女の話からすれば、呪いも女神に関係するものらしい。であるならば、やはり教会に相談するのが筋だと思ったのだ。
大聖堂の大きな扉を恐る恐る押し開けると、重厚な空気が全身を包み込む。見上げれば、精緻なレリーフで飾られた見事なゴシックアーチが息をのむような美しさを放っていた。鮮やかな色彩がステンドグラスから漏れ、祭壇上の女神像に神秘的な輝きを与えている。
うわぁ……。
大聖堂の中を見るのは初めてだったソリスは、想像以上の荘厳さに圧倒され、思わず立ち尽くした。
「おや、お嬢ちゃん、どうしたの?」
クリーム色の法衣をまとったシスターが屈みながら、にこやかに声をかけてくる。
「あっ! いや……あの……」
心の準備ができていなかったソリスは心臓が跳ね上がり、言葉がとっさに出てこなかった。
「ふふっ。落ち着いて、お嬢ちゃん……」
シスターはその慌てっぷりを微笑ましく思ったが、中身はアラフォーなことは気がつかない。
ソリスは息を整えると、シスターに手を合わせて懇願した。
「の、呪いを解いて欲しいんです」
「の、呪い……?」
シスターは顔を曇らせ、後ずさる。
「【若化】という呪いがかかってしまっているようなんです」
「若返るって……ことかしら? でも、それってむしろ【祝福】じゃないの?」
シスターはソリスの気も知らず、のんきなことを言う。若返りに副作用があるかもしれない今、呪いはただのリスクでしかないのだ。もしかしたら今、この瞬間も若返りが進んでいるかもしれないし、後で一気に老化してしまうかもしれない。何より堂々と人前に出られないことが一番歯がゆかったのだ。
「内容はともかく、こちらでは解呪をお願いできるのでしょうか?」
ソリスは極力平静を装いながら聞いてみる。
「司教様ならそういう祈祷をやってくれますよ。ただ……、お布施は金貨十枚していただきますが」
「じゅっ、十枚!?」
ソリスは目を真ん丸にして驚く。それは日本円にしたら百万円に相当する高額だったのだ。
くぅぅぅ……。
ソリスは来る途中、魔道具屋で魔石を換金してきた。しかし、金貨十枚も払ったらすっからかんになってしまう。
しかし……、もしそれで本当に解呪できるのであれば安いと言えるかもしれない。
「分かりました。十枚払えば解呪していただけるのですね?」
「司教様ならきっと何とかしてくださるわ。でも……、金貨十枚も持ってますの?」
シスターは怪訝そうにソリスの顔をのぞきこむ。
ソリスは無言でなけなしの金貨十枚を取り出して見せた。
あら……。
シスターは聖職者に似合わぬいやらしい表情を一瞬見せ、
「さぁこちらへ……」
と、ソリスを奥の建物へと導いた。
◇
階段をのぼり、五階の面談室に通されたソリスはお茶を出され、しばらく待たされた。
高い天井へと伸びた厳かな細いステンドグラスの窓から色鮮やかな光が差し込んでいる。天井からは壮麗なシャンデリアが吊り下げられ、壁には聖人たちの肖像が並び、金の刺繍の施されたカーテンは重厚なドレープを描いている。年季の入った木製の家具は磨き上げられ、深みのある輝きを放っていた。その荘厳な雰囲気に、ソリスは居心地の悪さを感じてソワソワしてしまう。
ガチャリとドアが開き、クリーム色の帽子をかぶった髭面の男が入ってくる。
「迷える子羊よ、いらっしゃい」
ニコッと営業スマイルをする司教。
「よ、よろしくお願いいたします」
ソリスは慌てて立ち上がるとペコリとお辞儀をした。
「で、解呪をしてほしいということですな?」
「は、はい、【若化】という呪いが……」
「では金貨十枚になります」
司教はニコニコと作った笑顔で手を出した。
は、はぁ……。
ソリスは口をとがらせ、渋々金貨十枚を司教に渡す。
「はい。確かに……。ではそこに跪きなさい」
司教は財布を胸にしまい、ぶっきらぼうに洗礼台のところを指さした。
唐草模様のじゅうたんが敷かれた洗礼台には、聖水の入った豪奢な銀のボウルが置かれている。
は、はい……。
ソリスは絨毯の上に跪くと両手を組み、祈った。
「それでは行きますぞ!」
司教は目をギュッとつぶり、ブツブツ何かをつぶやくと、聖水のボウルに手を突っ込んだ。
「祓いたまえーー、清めたまえーー……」
手水の滴をソリスの頭に振りかけながら祓詞をかけていく。
司教は最後に手を組み、顔を真っ赤にして気合いを込め「えいっ!」と叫ぶ。神聖力でソリスの身体がかすかに光を帯びた。
ソリスは呪いが解けてくれくれるように必死に女神様に祈る。ゴスロリ少女のおふざけの呪いなど吹き飛ばしてやるのだ。
「はい、お疲れ様。終わりましたぞ」
「あ、ありがとうございます……」
ソリスは急いでステータスウィンドウを開いてみる――――。
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ギフト:女神の祝福【呪い:若化】
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しかし、全然変わっていなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 解呪できていないんですが?」
「むぅ? それは残念でしたな。ではこれで……」
司教はとぼけた顔で首をひねり、出て行こうとする。
「えっ!? 失敗したならお金を返してください!」
ソリスは激怒した。なけなしの金をこんな何の役にも立たない茶番に突っ込んだとあっては、死んでも死にきれない。そもそも、この司教は解呪の神聖魔法を使ってないのだ。ただの神聖魔法を使った洗礼しかやっていない。そんないい加減な解呪など効くわけがなかった。子供だと思って軽く見ているに違いない。
「残念ですが、お金は祈祷料ですから、効果の有無にかかわらずかかります」
司教はクレーマーをあしらうように、木で鼻をくくったような対応をする。
「いいから返せこのクソ坊主!!」
ソリスは激しい怒りに我を忘れ、司教に飛びかかった。この街最高の聖職者がこんな詐欺まがいな事をして子供を騙すとは許しがたい。
ソリスは司教の胸に手を突っ込むと強引に財布を奪い取った。
18. 奮発した白パン
「うわー! 何をするんじゃ!」
財布を奪われ、うろたえながら取り戻そうと暴れる司教。
「ちょっと、あなた! 止めなさい!」
シスターもソリスを押さえにかかる。しかし、レベル124の圧倒的なパワーに一般人が敵うわけがない。
ソリスは二人をはねのけるとピョンとテーブルの上に飛び乗り、金貨十枚を財布から抜き取った。
「こんないい加減な祈祷してたら、女神様から罰が当たるわよ!」
司教に財布を投げつけるソリス。
「くぅぅぅ……。この異端者が!! 曲者だ! 出会え出会えーー!」
司教は怒りで顔を真っ赤にしながらピーピー! と笛を吹きならした。
バタバタと廊下を誰かが駆けてくる足音が響いてくる。
「ちっ! 何が『異端者』だ! 生臭坊主が!!」
ソリスは辺りを見回し、窓を開けるとそのままピョンと外に飛び出した。
へっ!? キャァァァ!
五階の窓から飛び降りる少女を見て、司教もシスターも息をのむ。しかし、ソリスにとってはこの高さはもはやただの『小さな挑戦』にすぎなかった。彼女はバサバサっと葉を散らしながら庭木の枝をうまくつかむと、クルリと軽やかに空中を舞い、次々と枝を渡り歩きながら高度を下げていく。その流れるような動きは、まるで森を躍動するサルのよう。最後には、三メートルはあろうかという高い塀を軽々と飛び越え、消えていく。
司教とシスターはお互い顔を見合わせ、人間技とは思えないソリスの身のこなしに首をかしげていた。
◇
「困ったわ……。司教ですらあのザマなんて……。この街じゃダメだわ……」
石畳の通りを、ソリスは人波をかき分けながら唇を噛みしめた。この街は中堅の地方都市で、その賑わいは王都に劣る訳ではない。しかし、高度な魔法が息づくのはどうしても魔塔のある王都になってしまう。ソリスが求める解呪の術も、遠い王都でしか見つからないのだろう。
街の中心部を抜け、城門のそばの馬車のターミナルまで来ると、ソリスは王都の方向にある隣街【リバーバンクス】行きの馬車を探してみる。王都は遠いので直行便はあまりなく、街をいくつか経由していくのが普通だと聞いていたのだ。
ずらりと並ぶ馬車には行先がボードに掲げてあるので、ソリスはそれを見ながら隣街の名前を探した。
「おや、お嬢ちゃんどうしたんだい?」
人のよさそうなひげを蓄えた小太りの中年男が声をかけてくる。
「え? リバーバンクスに行きたいんだけど……」
「お嬢ちゃん一人で?」
中年男はけげんそうにソリスの顔をのぞきこんだ。
「え、ええ……」
「ふぅん、じゃあ、乗せてってやるよ。丁度そっちへ荷物を届ける用事があってな」
ニコッと笑う中年男。
「えっ……? いいんですか?」
「乗合馬車では荒くれ者と一緒になると大変だしね」
男はウインクして向こうに停めてある自分の馬車を指さした。
◇
ソリスは白パンとチーズを買い込むと男の馬車に乗りこんだ。
「よーし! では出発だ!」
男は御者台に乗り、手綱をビシッと波打たせる。
ブルルッ!
車輪が軋む音を響かせながら、二頭の馬が栗毛の輝きを放ちつつ、古びた茶色の馬車を引きだした。
パッカパッカという小気味の良い蹄鉄のリズムが石造りの街並みに響き、心地よい揺れにソリスはゆったりとため息をつく。
やがて馬車は立派な石造りの城門をくぐり、ソリスは後ろの窓から小さくなっていく街の姿を眺めていた。
生まれてからずっと三十九年間過ごしてきた故郷。いいことも嫌な事もたくさんあった思い出あふれる街。それがこんなことで去らねばならなくなるとは……。ソリスは自然と湧いてくる涙を手の甲で拭い、濡れた目に街の最後の光景を焼き付けていた。
◇
どこまでも続く麦畑の一本道をのどかに進んでいく馬車。さわやかな風が吹き、麦畑にウェーブを描いていく。
ソリスは白パンにチーズを挟み、空腹をいやす。
少し奮発して買った白パンは柔らかく、チーズの芳醇な旨味と相まって至福の時をもたらしてくれた。
「やっぱり白パンは美味いわ……」
いつも茶色いパンで我慢して三人で分け合っていたことを思い出し、ふぅと大きくため息をつくソリス。そんな暮らしをしていたのはたった一週間前の話。今では遠い昔のように感じてしまう。
「ふわぁぁ……」
お腹もいっぱいとなってうつらうつらしてくるソリス。あまりにも濃すぎた一日に、疲労は限界を超えていたのだった――――。
◇
ガタガタガタッ!
いきなり馬車が揺れ、ソリスは慌てて目を開けた。
さっきとは打って変わって鬱蒼とした森が広がっている。どうやら麦畑を抜け、森に入ってきたようだったが、どうも様子がおかしい。道幅が妙に狭いし、ひどく凸凹だった。
「オジサン! この道は何なの?」
ソリスは御者台の男に聞いてみる。
「この道がね、近道なんだ。ちょっと揺れるけど辛抱してね」
男は振り向きもせずそう言って淡々と凸凹道を進んでいった。
「いいから、ちょっと止まって!」
ソリスは叫んだが、男は無視して進んでいく。明らかに怪しい。
やがて道の先に男たちが五、六人待ち受けているのが見えてきた。皮鎧に身を包んだボサボサ頭に無精ひげのむさくるしい男たちだった。山賊だ。
ドウ! ドウ!
御者は男たちのところで馬を止める。
「おう、今日は小娘一匹だ」
「ご苦労、どれどれ……?」
男たちがゾロゾロと近づいてきて馬車のドアを開け、ニヤニヤしながらソリスを値踏みした。
ソリスはまんまと騙された自分のバカさ加減にホトホト嫌になる。若い娘がフラフラしていたら捕まって売り飛ばされる。それは孤児院の頃何度もきつく言われていたことだった。改めて自分はもうアラフォーではないことを思い知らされる。
とはいえ、レベル124の自分であれば山賊など恐くもなんともない。面倒なのは手加減ができないことだった。
もちろん、山賊など殺してしまえばいいのだが、まだ人を殺したことがないソリスにとっては今、その判断をするのは荷が重かった。
この時ふと『この世界の人間はシンプル』と、言っていた筋鬼猿王の言葉が頭をよぎる。確かに普通の冒険者なら、山賊に襲われたら何の躊躇もなく殺しているだろう。自分は本当はこの世界の者では……ない? ソリスは背筋がゾクッとした。
「おう、嬢ちゃん。両手を前に出しな」
ほほに大きな傷跡のあるバンダナした男が刃物をチラチラさせ、ニヤニヤしながら声をかけてくる。
ソリスは仏頂面で、すっと両腕を前に出す。
「よーしいい子だ……」
男が縄を出して手を縛ろうとした時だった。
パァン!
衝撃音がして、男はすっ飛んでゴロゴロと森の方へと転がり落ちていった。
へ? は?
山賊たちは何が起こったのか分からず、目を丸くしてソリスを見つめる。
軽く平手打ちをしただけなのにすっ飛んで行ってしまった男を見て、ソリスはふぅとため息をついた。
19. キュン!
「死にたくなきゃ道を開けな!」
ソリスはムッとしながらそう叫ぶと、ピョンと馬車を飛びおりる。
「ふざけんなガキが!」
男たちがソリスを捕まえようと腕を伸ばしてきたが、それらをパシパシっとはたきながらかいくぐるソリス。
「追いかけてきたら殺す、分かったな?」
ソリスは男たちにすごんだが、十歳の少女がすごんでも可愛いだけである。
「ガキが!」「大人をなめんなよ?」
激高した山賊たちがソリスに突っ込んできた。
ソリスはヒョイっと躱すと森の中へと駆けこむ。こうなったら逃げるしかない。むさい男たちの内臓が飛び散るようなシーンは見たくないのだ。
「逃げたぞ! 追え!」
男たちはいっせいに追いかけてくる。
「捕まるか、バーカ!」
ソリスは俊足を生かし、タタタッと加速すると枝に飛びつき、サルのように枝から枝へ飛び移る。
「へへん! それそれーー!」
まるでアトラクションを楽しむように、ソリスは森の奥へと進んでいった。
「あっちだ! 逃がすな!」
しかし、山賊たちもしつこく追いかけてくる。子供に逃げられたということになるとボスの怒りに触れるからなのか、諦めもせず森の中を猛進してくるのだ。森の中で暮らしている山賊たちの行動力は予想以上のものがあり、いつまでたっても追いかけてくる。
「しつっこいなぁ……」
ソリスはハァとため息を漏らすと、気合を入れなおし、本気で逃げ始める。
沢を飛び越え、滝をヒョイヒョイとよじ登り、池の水面を駆け抜け、森の奥へとすさまじい速度で突っ込んでいった。
大自然の中を駆け抜ける至福に心を奪われたソリスは、やがて逃げるという目的をすっかり忘れてしまう。歓喜に満ちながら小一時間駆け巡り、最後には壮大な断崖絶壁を力強く駆け上がった。
「はぁ……楽しかった! 山賊は……、さすがにいない……か……」
ソリスは崖の端に立ち、広がる原生林を一望した。どこまでも続く壮大な原生林の向こうに日は傾いて、森を柔らかなオレンジ色に染め上げている。
「いっけない! もう夕暮れだわ……」
ソリスは焦った。こんなところで野宿なんてとんでもない。野営の道具など持ち合わせていないのだ。人里に戻ろうとしてもどちらに向かえばいいかもわからないし、日没には間に合いそうになかった。
ぐぅぅぅ……。
お腹も鳴ってソリスは顔をしかめた。パンはすでに食べてしまって食料などもう無い。
「もっとたくさん買っておけばよかったわ……白パン……」
途端に心細くなって肩を落とすソリス。
ガサッ!
その時、森の奥で何かが動いた。
ガサガサと草が揺れ、その中から巨大なクマが現れる。
体長三メートルはあろうかという、とんでもなくでかいクマだった。
グルルルル……。
クマはソリスをにらみ、のどを鳴らす。
しかし、ソリスにとってはそれは食料にしか見えなかった。
「おぉ、クマ肉もいい……ねぇ」
ソリスはニヤッと笑うとファイティングポーズをとる。ぶわっと立ちのぼる凄まじい闘気。対筋鬼猿王戦で培った拳闘術を早速試してみようと思ったのだ。
しかし、クマはソリスから立ち上る恐ろしい闘気に当てられ、ビクッと身体を震わせると慌てて逃げ出した。本能的に戦ってはならないと悟ったのだ。
「え? おい……肉……」
まさか逃げるとは思わなかったソリスは、呆然としてしまう。
もちろん追いかけて殺す手もあるのだが、負けを認めて逃げる相手を追い詰めてまで殺すのは筋が違うように感じてしまう。
「はぁ……肉……」
ソリスはがっくりと肩を落とした。食べ物を得られなかったこともそうだが、まさかあんな巨大なクマにすら恐れられる存在になっていたとはショックだったのだ。
しかし、日没まで時間がない。ソリスはトボトボと今晩の寝床を探しに歩き出す。
食料と、一晩露をしのげる安全なところを、日没までに何とか探さねばならなかった。
◇
しばらく巨木の屹立する鬱蒼とした原生林を進んだが、なかなかお目当てのものは見つからない。そうこうしているうちに徐々に暗くなってきて寒くなり、心細くなってきた。
「しまったなぁ……」
こんな森の奥でどうやって夜を過ごせばいいのだろうか? 遠くで響くウルフの遠吠えが夕暮の静寂を破り、不安をかき立てる。
はぁ……。
身を縮こまらせ、しょぼくれながら重い足を引きずっていると霧が出てきた。
「おいおい、困るよ……」
ソリスは渋い顔をしながらさらに先に進んでいく。すると、ふわっとめまいに襲われ方向感覚がおかしくなった。
「ん……? なんだ……これは?」
辺りを見回し、自分の歩いてきた方を確認すると、いつのまにか進行方向が横方向へずらされていることに気がついた。何かの魔法だろうか? ソリスは首をかしげながら先へと進む。
森の終わりに差し掛かると、突然視界が開け、広大な花畑が広がっていた。無数の赤、青、黄色の花々が咲き乱れ、かぐわしい香りが辺り一面を染め上げていた。
すでに日は沈み、空には茜色から群青色へのグラデーションが美しく描かれ、宵の明星がキラキラと輝いている。その夕暮れ空の下に広がる一面の花の世界はまるで天国のようでソリスは圧倒された。
「うわぁ……素敵……。でも……、何か変ね?」
それは自然にできたようなものではなく、どこか人の手による匂いがしたのだ。
目を凝らして見ると花畑の先に青い三角屋根の建物が見える。誰かが住んでいるようだった。
「こんなところに一体誰が……?」
ソリスは首をかしげながらも花畑を進んでみる。オレンジの百合にピンクのなでしこ、黄色い菊に白いシャガ、たくさんの花々がソリスを迎えてくれるように香り豊かに揺れていた。
「綺麗ねぇ……」
ソリスは次第に幸福感に包まれていく。これほど多くの花々に囲まれるのは生まれて初めてのことで、そのかぐわしい香り、美しさに心を奪われた。
「頼んで……みるか……」
誰が住んでいるのか分からないが、ソリスは寝床と食事の恵みを求めて訪ねてみることに決心した。ウルフのいる森でなんかとても眠れないのだ。
花をかき分け、進んでいくと、照明をつけた家の窓から暖色の光が漏れ、辺りの花々に明かりを落とした。それはまるで花畑の中の宝石箱のように見える。
うわぁ……。
ソリスはその幻想的な光景に吸い寄せられるように足を速めた。
近づいて行くと徐々に様子が見えてくる。その建物はまるで童話から抜け出したような、石と木材を組み合わせた温もりのある外観をしていた。広いウッドデッキにはテーブルも配され、居心地の良さを感じさせる。
「素敵ねぇ……」
ずっと狭い集合住宅で暮らしてきたソリスは、こんなところで暮らすなんて夢みたいだとつい憧れてしまう。
家の玄関までたどり着くとソリスは大きく深呼吸をした。こんな素敵な家に住むのだから、山賊とかではないだろう。
しかし……。
こんな山奥にポツンと暮らしているなんて、余程の変人か訳アリである。そもそも人間ではないかもしれない。とんでもない魔物が出てきたらどうしよう……。ソリスは今になってブルっと震えた。
その時だった――――。
ガチャリ。
ドアがいきなり開いた。
ソリスはビクッと固まる。
すると、中から男の子が顔を見せた。金髪のショートカットに碧い瞳。まるで童話から飛び出してきたような可愛い男の子だったのだ。
キュン! と、ソリスのなかで何かがときめいた。
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