見出し画像

アラフォーだって輝ける! 美しき不死チート女剣士の無双冒険譚 ~仲良しトリオと呪われた祝福~50~59

50. 悠久の時を超えて

 やがて揺れは収まり、薄青いかすみの中を静かに滑空していくシャトル――――。

「さぁていよいよ、キミの星へ行くよ!」

 シアンはソリスに目配せすると操縦桿をゆっくりと倒していく。

 シャトルは大きく弧を描きながら斜め下方へと一気に高度を下げていった。

 途中、雲を突き抜けながら豪快に降りていくシャトル。

 そして見えてくる澄み通る青の世界――――。

 うわぁ……。

 まるでエーゲ海の透き通る海のように、どこまでも清廉な青い世界にソリスは声を上げた。

「さぁて、突っ込むよ! 総員衝撃に備えよ! きゃははは!」

 シアンは楽しそうに一気に操縦桿を倒した。

 うわぁ!

 シャトルはほぼ垂直にガスの惑星、海王星の内部目がけて急降下していく。

 ズン!

 濃密な大気の層に突っ込んだシャトルは、衝撃音を放ちながらさらに奥へと目指して豪快にエンジン音を響かせた。

 濃い青の世界に包まれ、やがて漆黒の闇が訪れる――――。

「さーて、そろそろだゾ!」

 シアンは画面をパシパシ叩きながら何かを探している。

「おっ、コイツだ。3326番」

 シアンは画面をにらみながら操縦桿を操り、進路を目標へと合わせていく。

 やがて、遠くの方に何やら淡い光が浮かんでいるのが見えてきた。

「よぉし! 全速逆進!」

 ゴォォオォォ!

 シアンは碧い瞳をキラッと輝かせながらエンジンを逆噴射し、徐々に速度を落としていく。

 やがて視界に現れたのは、まるで黒曜石で作られたかのような漆黒の巨大構造体だった。全長は一キロにも達しようかという圧倒的な存在感を放つ巨体の表面には、幾何学模様の継ぎ目が刻まれ、そこから淡い光が漏れ出している。暗闇の中、静かに漂うその姿に、ソリスは科学技術の枠に収まらない威厳と神秘を感じていた。

 うわぁ……。

「ナンバー3326。キミの星のジグラートだよ」

 シアンはデリケートに操縦桿を操作しながらソリスを見てニコッと笑った。

「3326……。もしかしてシミュレートされてる星は3000個以上あるの?」

「一万個だね。このジグラートと呼ばれるデータセンターは一万個あるんだ」

「い、一万個……」

 ソリスはその圧倒的なスケールに思わず宙を仰いだ。

 この海王星の中に、地球は一万個も運用されていたのだ。日本のある地球もソリスの星もそのうちの一つに過ぎなかったのだ。

 くはぁ……。

  だが、言われてみれば当たり前である。宇宙は出来てから138億年も経っているのだ。その悠久の長い時の中では、技術的に可能な事はすべて試されつくされているのだろう。

 ソリスは『五十六億年前にはすでにAIがあった』というシアンの言葉の意味を反芻はんすうしながら、近づいてくる巨大構造体を眺めていた。

       ◇

 重い金属音が室内に響き、シャトルはジグラートに接舷した。

「はーい、到着! お疲れちゃん。さて、テロリストちゃんは何やってくれちゃってるのかなぁ……。くふふふ……」

 シアンはソリスを抱きかかえ、悪い顔で笑いながらドアを開けた。

 一気に流れ込んでくる鋭い冷気。

 海王星の気温は氷点下二百度。空気すら液化する超低温のため、通路もかなり温度が低くなってしまっている。

 うわっ!

 まるで巨大冷凍庫のような肌を刺す冷気に、ソリスは思わずシアンの腕に顔をうずめた。

「ここ寒いから嫌なんだよね……。何とかしてほしいよ……」

 シアンはぼやきながら、タッタッタと通路を走った。

     ◇

「はい、こんにちはぁ」

 シアンはそう言いながらそーっと重厚なドアを開けた。しかし、内部は静まり返っている。

 チラチラとあちこちで何かがまたたいているが、特に何の動きも見られなかった。

「うーん、よく分からないなぁ」

 シアンはじっと目を凝らし、辺りを見回すが異状は見つからず、脇の照明のスイッチをパシンと叩く。

 パァっと明るくなる内部。するとそこに見えてきたのは巨大な円柱がどこまでもずらりと並ぶ壮観な景色だった。

 うわぁ……。

 円柱には無数の畳サイズのクリスタルの板が挿さり、それが何層も重なって巨大な円柱を構成している。これが地球を創り出しているコンピューターサーバーなのだろう。それが鉄の金網でできた通路の両脇に並んでどこまでも続いて見えた。そしてそれが上にも下にも金網越しに見渡す限り並んでいるのだ。

「このクリスタルの板が光コンピューターで、これ一枚でスーパーコンピューターを超える性能があるんだゾ」

 シアンはパシパシと板を叩いてドヤ顔でソリスを見た。

「す、すごいわ……」

 地球をシミュレーションするという何とも馬鹿げた話も、この光景を見たら納得せざるを得ない。なるほどここまですれば地球は作れてしまうということだろう。

 ソリスはその圧倒的な構造物に気おされ、ふぅと可愛いため息をついた。

「こんなの作るのにどのくらいかかったのかしら……?」

「六十万年だゾ!」

「え……? 五十六億年じゃなく?」

「そう! たったの六十万年しかかかってないんだゾ! くふふふ……」

 シアンは含みのある笑いをして、ソリスはその意味を考えてみたが、良く分からなかった。

 六十万年も五十六億年もソリスからしたらもう無限の時に感じてしまうのだ。

51. アウェイな子ネコ

 シアンはキョロキョロと辺りを警戒しながら一歩一歩慎重に進んでいく。

 遠隔操作を一切受け付けないのだから、少なくともテロリストはここを訪れたはずである。今も潜んでいるかどうかは分からないが、その可能性は十分にあった。

 その時、カンカンと何かが動く音が向こうの方で響く――――。

 ひっ!

 テロリストらしき動きに、子ネコのソリスはビクッとして耳を立てた。

「静かに……」

 シアンは険しい目つきで音の方向をにらみながら、ソリスの頭をなでる。

 ここには機械的に動くものはない。動きがあるとすればそれはテロリスト以外ないのだ。

 ソリスをそっと通路に下ろすシアン。

「ちょっと待ってて」

 シアンのいつになく真剣な表情にソリスはゴクリと息を飲み、そっとうなずいた。

 シアンはポケットから鈍く光る金属の手甲を取り出すと右手にはめ、フンと力を込めた。

 ヴゥン……。

 手甲は虹色に煌めくと、前方に三本の光の刃を吹き出した。数十センチはあろうかという刃は、ジジジジと蛍光管のように揺らめきながら細かなスパークを放つ。

 シアンはセイヤッ! とサーバーの鋼鉄製のカバーを光の刃で引っ掻いてみる。

 ジッ!

 溶接のような音と共にカバーは切り裂かれ、焦げたような臭いが漂ってくる。

 ヨシッ……。

 シアンはうなずき、前方をにらむとチョコチョコとサーバーの陰に隠れつつ、慎重に前に進んで行った。

 一人残されたソリスは心ぼそくなる。極寒の海王星の内部、ひたすらサーバーしかないこの空間に子ネコとなってただ一人、まさにアウェーである。

 ウニャァ……。

 金属の網となっている床を、テコテコと力なく脇のサーバーまで行ったソリスは、下の隙間へと潜った。

 女神も認めるシアンのことだから間違いはないとは思うものの、テロリストだって馬鹿じゃない。命がけで抵抗してくるのだから何が起こるかわからないのだ。

 もし、万が一のことがあれば――――。

 子ネコのソリスはゾッとして両手で顔を覆い、シッポを身体に巻きつけた。

 カシャッカシャッ……。

 その時後ろから足音がかすかに響いてくる。

 ソリスはピンと耳を立て、そっと足音の方を伺う――――。

 大柄な男が抜き足差し足しながら、ロケットランチャーの様な大きな武器を肩に担いでシアンの跡を追っている。テロリストだ。

 マズい……。

 ソリスの鼓動が一気に高鳴った。あんな物を撃たれたら、例えシアンに当たらなくてもサーバー群が大損害を受けてしまうし、外壁までダメージが行くようなことになれば、氷点下二百度の冷気がなだれ込んで自分たちは全滅である。

 ソリスはその絶望的なイメージにブルっと身体を震わせた。

 しかし――――。

 子ネコの自分に何ができるだろうか? レベル120台だった自分なら瞬殺できるだろうが、こんな子ネコの身体では猫パンチしたところで何の意味もない。

 カシャッカシャッ……。

 ソリスの目の前を厳ついブーツが一歩一歩静かに進んでいく。

 ソリスは気づかれないように息をひそめ身を低く隠れた――――。

 カチャリ……。

 その時、男が武器を操作した音がかすかに響く。安全装置でも外したのだろうか? いよいよその時が迫っている事に、ソリスの心臓は早鐘を打った。

 マズいマズい……。

 ソリスはシッポをキュッと身体に巻き付け、顔を覆った。

 どうしよう……どうしよう……。

 このままでは弟子二号だと可愛がってくれたシアンに顔向けできない。

 くぅぅぅ……。

 次の瞬間身体が自然に飛び出していた。自分の死闘をナイスファイトだと称賛してくれた人の期待には応えたい。自分には熱い心しかないのだから。

 ソリスはただその想いだけで駆け出していった。

 男の背中に飛びかかると一気に駆け上ったソリスは、肩越しに男の顔に爪を立てる。

 ガリガリガリガリ!

 うわぁぁぁ!

 いきなりの小動物の襲撃に男は動転し、慌ててソリスをはたき落とす。

 ウニャッ!

 もんどりうって転がるソリス。

 何しやがる!

 男は怒りに燃える目でソリスをにらむと、ブーツで踏み潰そうと足を上げた。

 ウニャァ!

 ソリスは逃げようと思ったが、足がフロアの金属の網の間にハマって動けない。

 死ねぃ!

 力一杯振り下ろされるブーツ。

 ウニャーーー!!

 絶体絶命のソリスはギュッと目をつぶった――――。

 グフッ!

 直後、男は目をき、口から血を流しながらドサリとフロアに転がった。

 え……?

 その後ろにはシアンが楽しそうに笑っている。

「子ネコちゃん、ナイスファイトーー!」

 グッとサムアップしてみせるシアンに、ソリスはホッと胸をなで下ろした。位置さえわかれば、この女の子は無敵だったことを思い出す。

 ふにゃぁ……。

 何とか星を救えそうなことに安堵したソリスは、パタリとその身体を床に投げ出し、大きく息をついた。

52. 生命の煌めき

 シアンはソリスを抱いてしばらく奥へと進んでいく。

 どこまで行っても通路の両側には、びっしりと並んだサーバーが果てしなく続いていた。上下左右、視界の限りに広がるその光景に、ソリスは改めて圧倒され、ため息をついた。

 自分たちの暮らしが機械の中にあった、というのは少し釈然としないものがあったが、この途方もないサーバー群を見てしまうとむしろ創った存在に対する深い敬意を感じてしまう。これほどの技術と努力を注いで自分たちを生み出してくれた、その行為はまるで神聖な奇跡のように思えた。

「おーう! コレコレ!」

 赤い幾何学模様のカバーに覆われた、ひと回り大きなサーバーを見つけたシアンは、楽しそうに指差した。

「何ですか……? コレ?」

 ソリスはその一際特別な作りのサーバーに小首を傾げた。

「コレがジグラートの心臓部、エクソディア・ハート。コレを直せばミッションコンプリートだゾ!」

 シアンはソリスをそっとフロアに下ろし、エクソディア・ハートを調べ始める。

「直せば……元通りになるんですか?」

「おーう、そりゃもう。前よりピッチピチに元気になるよ。きゃははは!」

 楽しそうに笑いながら、シアンは一枚のサーバーを選び出し、手をかけた。畳サイズのクリスタルのサーバーは内部の微細構造から繊細な輝きを放っており、まるで美術品のようにすら見えた。

 うわぁ……。

 自分の暮らしてきた星の心臓部がこのクリスタルの構造体だという。ソリスはその美しくも神秘的な話に圧倒されながら、ただじっとシアンの作業を見守っていた。

 よっこいしょー!

 掛け声と共に力任せにクリスタルを引っこ抜くシアン。

 引っこ抜いた途端、クリスタルから輝きは喪われ、ただのガラス板みたいになってしまった。

「どれどれ……」

 シアンは空中に青い画面を浮かべるとパシパシと何かを操作し、しばらく画面を食い入るように見つめていた。

 ソリスは祈るような気持ちでジッとそのシアンの碧い瞳を見上げる。多くの人の人生、街に息づく文化、そして豊かな大自然の復活がこの瞬間にかかっているのだ。

 ヨシッ!

 シアンはニヤッと笑うとパシッと画面を叩いた。

 ヴゥン……。

 刹那、周りの全てサーバーが一斉に閃光を放つ。その膨大な数のサーバーの発光でジグラートは光で埋め尽くされる――――。

 ウニャァ!

 あまりのまぶしさに思わず手で顔を覆ったソリス。

「ごめんごめん、もう大丈夫だよ」

シアンはソリスをそっと抱き上げると、スリスリと頬ずりした。

「こ、これで星は直ったんですよね?」

 恐る恐る聞くソリス。

「まだだよ! いつの時代のデータを復元するかが残ってる。いつがいい?」

 シアンはニヤッと笑いながらソリスの顔をのぞき込む。

 ソリスは一瞬どういう意味か分からなかった。

「データを復元……? えっ!? それは過去に……戻れるって……こと?」

 ソリスはその言葉のあまりに重大な意味に震えた。

「そうだよ? あまり昔は困るけど、お友達のまだ生きてる時代でもいいし、キミが子供になってる時でもいい。どうする?」

 どんな時にでも戻れる、それはまさにタイムマシーンだった。失敗した時を取り戻せる、もう一度やり直せる、それはまさに神の力に思える。

 ソリスはギュッと目をつぶった。セリオンの生きている時代? 仲間の生きている時代? 若返った時代? いろんなことがありすぎて頭がごちゃごちゃになってしまう。

 でも、本当に大切なことは一つだった。

 ソリスは決意をたたえた瞳でシアンを見る。

「仲間がまだ生きてる時にお願いします!」

 子ネコのソリスは両手でシアンの手をつかんだ。

「アラフォーのおばさんに逆戻りだよ? 若返りの呪いは禁止したからもう若返れないからね?」

 シアンはジッとソリスの目を見つめる。

  ソリスはピクッと耳を動かしたが、大きく息をつくと髭をピンと伸ばした。

「アラフォー上等ですよ! それが私なんです!」

 シアンは微笑んで優しくうなずくと、画面をパシパシッと叩いた。

 ヴゥン!

 サーバー群が虹色に一斉に煌めき始める。

 うわぁ……。

 サーバー群が本来の計算能力を取り戻し、一斉に稼働を始めたのだ。

 一つ一つの輝きは、誰かの心の喜びであり、駆け出す筋肉のリズムであり、熟れたリンゴを揺らす風の優しさだった。地球に息づくすべての生命の活動が煌めきとなって、巨大なデータセンターであるジグラートを光で満たしていく。――――。

 まるで無数の豪奢なシャンデリアに囲まれたような風景に、ソリスは圧倒される。

「す、すごい……綺麗だわ……」

「ミッションコンプリート! これで、今晩は恵比寿で松坂牛パーティだゾ!」

 シアンは嬉しそうにピョンと跳びあがる。

「ま、松坂牛?」

「そう、お友達も連れてきていいゾ! くふふふ……」

 シアンは楽しそうに笑った。

「えっ、えっ!?」

「じゃあ、いってらっしゃい!」

 シアンはニコッと笑うと、目を白黒させている子ネコを高く放り投げた――――。

53. 今日は恵比寿

 えっ!?

 ソリスは気がつくと朝もやのけぶる石畳の道に立っていた。慌てて自分の顔をなでてみればやや張りのない懐かしい手触り……。アラフォーの人間に逆戻りしている――――。

「ソリス殿〜! どうしたでゴザルか?」

 黒髪ショートカットの丸眼鏡をかけたフィリアは、杖を持ち替え、けげんそうな顔でソリスをのぞきこむ。

「あっ! フィ、フィリア……。本物……なの?」

 ソリスは恐る恐るフィリアの丸眼鏡の向こうの、ブラウンの瞳に見入った。

「ほ、本物? 拙者に偽物がいるってことでゴザルか!? ちょっとー! イヴィット聞いたー?」

 フィリアは面白いネタを見つけたとばかりにイヴィットに振る。

「フィリアの偽物……。会ってみたい……」

 イヴィットはキョトンとした様子で小首をかしげた。

「あ、会ってみたいってどういうことでゴザルか! もぉ~」

 フィリアは杖でイヴィットのお尻を軽くパシッとたたく。

 ソリスは二人の漫才のような生き生きとしたやり取りに、懐かしさがグッとこみあげる。

「良かった……」

 二人に駆け寄ると、両手で優しく抱きしめ、ポロポロと涙をこぼすソリス。

 二人が死んで、自分も何度も死んで、絶望の旅を超えてようやく巡り合えたかけがえのない友達――――。

 ソリスはその数奇な旅路を思い出しながら、次々と溢れてくる涙でほほを濡らした。

 突然泣き出したソリスを見て、二人は戸惑いの表情を浮かべる。それでも、二十数年来の親友の尋常じゃない様子に、そっとソリスの背をやさしくなで、ソリスの想いに寄り添った。

        ◇

「落ち着いたでゴザルか?」

「ゴメンね……」

 ソリスはハンカチで涙をぬぐいながら、フィリアの手をギュッと握った。

「で……、今日もダンジョン行くでゴザルか?」

 フィリアはいつもとは違うソリスの様子に調子が狂い、プイとそっぽを向いた。

「ふふっ、もうダンジョンはいいのよ。今日は恵比寿よ」

 ソリスは満面に笑みを浮かべて言った。

「恵比寿……?」

 フィリアは初めて聞く地名に、けげんそうな顔でイヴィットと顔を見合わせた。

「そう、今日は焼肉パーティなのよ」

「や、焼肉!? 贅沢は敵でゴザルよ!」

 フィリアはもう何年も食べていない高級料理におののき、思わず後ずさる。

「大丈夫、これからは伸び伸びと好きなもの食べて生きるのよ」

 ソリスは晴れやかな顔で空を見上げた。

「ソリス殿! そんな夢みたいなことばかり言ってたらダメでゴザル!! 慎ましくがあたしらのモットーでゴザルよ?」

 焦ったフィリアはソリスの腕をガシッと握って揺らす。

「大丈夫だって。ほら、お迎えよ……」

 ソリスは澄み通る朝の青空を指差した。そこには朝日をキラリと反射しながらシャトルが気持ち良さそうにゆったりと旋回していく。

「へ……? な、何でゴザルか!?」「す、すごい……」

 初めて見る宇宙船、その異次元からやってきた空間を斬り裂くような鋭い翼の機体に、二人とも目を丸くして驚いた。

 ソリスは大きくシャトルに向かって手を振ると、シャトルは急旋回して一気にソリスの方へと突っ込んでくる。

「こ、こっち来るでゴザルよ!」「逃げないと……」

 青くなる二人。

「大丈夫よ、私の素敵な師匠なんだから」

 ニコッと笑うソリス。

 やがて三人に急接近したシャトルは上空をドン! という衝撃音を放ちながらものすごい速度で通過して行った。

 うひぃ! ひゃぁ!

 ソリスは楽しそうに好き放題しているシアンに苦笑しつつ、一気に急上昇していくシャトルを目で追った。

     ◇

 近くの広場に着陸したシャトルは銀色の機体に朝の青空を映し、鮮やかに煌めいていた。

「ほ、本当にこれに乗るでゴザルか……?」

 フィリアはソリスに手を引っ張られながら心配そうに聞いてくる。

「ふふっ、思ったより乗り心地いいのよ?」

 得意げに話すソリス。ミサイルがかすめて死にそうになっていたことは秘密にしておいた方が良さそうだ。

「乗り心地は聞いてない……」

 イヴィットも弓をギュッと握りしめながら、心配そうに二人に続いた。

 街の人たちは一体何が起こったのかと物陰から恐る恐る覗いている。

 コクピットには青い髪の女の子が手を振っていて、ソリスも振り返した。

 よく考えると、シアンに人間の姿を見せるのは初めてだった。可愛い子ネコからアラフォーの姿に変わった自分を見て、シアンがどう思うのか、不安がソリスの心に影を落とす。ソリスはその不安に押しつぶされまいと口をキュッと結んだ。

 キュィィィィィン。

 船体から自動でタラップが降りてきて、バシュッとドアが開いた。

 ソリスが一歩一歩タラップを登って行くと、野次馬からどよめきの声が上がった。

 振り向くと、幻精姫遊フェアリーフレンズのメンバーが目を丸くしてソリスたちを指差している。

 ソリスはニヤッと笑うと、投げキッスを彼女たちに送ってウインクした。うだつの上がらないおばさんたちだと馬鹿にしていた相手が、遥か高みにいる存在と縁がある。それは彼女たちにとって相当に悔しいようだった。

54. 次元の狭間

「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!」

 幻精姫遊フェアリーフレンズのリーダーが顔を真っ赤にして金髪を振り乱しながら駆けてくる。ゴールドのビキニアーマーがキラキラと輝いた。

「あんた達何なのよ? どういうこと?」

 この街で特別扱いされるとしたらアラフォーパーティなどではなく、自分たちだろうとでも思っているのだろう。

 相変わらず傲慢ごうまんな彼女の若さを少し羨ましく思いながら、ソリスは答えた。

「あなた、殺された事……ある?」

「はぁ……? ある訳ないでしょ!」

「私は何度も殺されたの……。身体を破壊される激痛が脳髄をも破壊していくの……。それはもう二度と味わいたくない最悪な体験よ? でもおかげでこの世界の真実に目覚めたのよ」

 ソリスは青空に手を伸ばし、晴れやかな顔で伝えた。

「はぁっ!? 何が真実よ! ショボいおばさんのくせに!」

 ソリスの脳内でカチッという何かのスイッチが入った――――。

 直後、レベル135のソリスはひらりと風にように宙を舞い、大剣を朝日にギラリと光らせながらリーダーに迫る。

 ひぃっ!

 そのすさまじい殺気に気おされ、リーダーは剣を抜くこともできなかった。

 刀身を首に当てながら、ソリスは鋭い目を光らせ、リーダーの瞳をのぞきこむ。

「なんて……言ったの? もう一回言ってくれる?」

 ひっ! ひぃぃぃぃぃ! ごべんなさいぃぃぃ!!

 ソリスの瞳に浮かぶ殺意に、リーダーは言葉を失い、ジョロジョロと失禁してしまう。

「あちゃー……。そうだ、コイツはそうだったんだよ……」

 ソリスは慌てて飛沫を避けながら眉をひそめた。
 

     ◇

「一回殺してやれば良かったんだよ。きゃははは!」

 乗船してきたソリスに、シアンは楽しそうに笑った。

「こ、殺すのはどうかと……」

 ナチュラルに殺せという師匠に、ドン引きしながらソリスは苦笑する。

「お邪魔しまーす」「しまーす……」

 フィリアとイヴィットがキョロキョロしながら恐る恐る乗船してきた。

「おーう、いらっしゃい! これから東京を遊覧飛行するから楽しんでいって」

「と、東京……?」

 フィリアはイヴィットとは不安げに顔を見合わせた。

     ◇

 キィィィィィィィン……。

 青く鋭い輝きを放ちながらエンジンが吹け上がって行く。

「それ行けー!」

 シアンは一気に操縦桿を引き上げる。

 ゴォォォォォ!

 豪快な音を響かせながら、シャトルは一気に朝の爽やかな青空へと高度を上げて行く。

「うぉぉぉ!」「飛んだぞ!」「め、女神様じゃ! 女神様の使いじゃーー!」

 集まっていた多くのやじうまは、未来から来たかのような乗り物の派手な離陸に圧倒され、歓声を上げる。ジェット噴射の猛烈な暴風に包まれながらも、彼らは腕で顔を覆い、目を見開いて天高く舞い上がるシャトルを呆然と見つめていた。

「おぉぉぉぉ……」「うぁぁぁぁ……」

 フィリアとイヴィットは、どんどんと小さくなって行く街の風景に驚嘆の声を上げる。

「まるでオモチャみたいでゴザルよ!」「すっ、すごい……」

 まるで子供のようにはしゃぐ二人を優しい目で見つめていたソリスだったが、これを一体どうやって説明したものかと渋い顔で首をひねる。まさか世界は全部デジタルデータだった、なんて言って納得してもらえるとも思えなかった。

「ハーイ! それじゃひとっ飛び行くよ! 衝撃に備えて!」

 シアンは三人を見回すとニヤッと笑い、操縦桿を一気に引き倒した。

 ドン!

 ものすごいGが一行の身体をググっとシートへと押し付ける。

 あっという間に音速を超えたシャトルは、衝撃波を放ちながらさらに加速して行く。

「ひぃぃぃ……」「うほぉぉぉ……」

 強烈な加速度にフィリアもイヴィットも目を白黒させている。

 ソリスもなかなか慣れないGに渋い顔で口を結んだ。

「コンディショングリーン! 転移まで十、九、八……」

 シアンは画面をパシパシ叩きながら秒読みを始めた。

 ゴゴゴと、超音速の機体は鈍いノイズを発しながら徐々に赤く発光し始める。

「それ行けー! きゃははは!」

 シアンは青い目をキラリと輝かせ、パシッと画面を叩いた。

 刹那、全ての光と音が消え去り、漆黒の静寂に包まれる――――。

        ◇

 えっ……?

 暗闇の中、ふわふわと宙を漂う身体をソリスは持て余す。いわゆる次元のはざまという奴だろうか? 星を抜けて日本へといく間の境界……。しかし、声をかけても誰の返事もない。この漆黒の闇と静寂の中、自分だけが無重力の世界を漂っている。

 あまりにも静かになりすぎて、耳元でキーンという耳鳴りが聞こえ始めた。ソリスはその異常な暗闇と静けさの中孤独感に囚われ、不安が胸の中でじわじわと広がっていく。

 やがて闇の中に微細な紫色の光の微粒子が舞い始めたのに気がついた。

 え……?

 徐々に輝きを増し、数も増えていく微粒子たち――――。

 クスクスクス……。

 どこからか少女の笑い声が聞こえてくる。ソリスはその声に聞き覚えがあった。ゴスロリ少女だ。若返りの呪いをかけた忌々しいダンジョンボスを思い出し、ソリスは険しい顔で声の方向を探った。自分が次元のはざまに入ったのをいいことに、ちょっかいをかけてきたのかもしれない。

55. 誇れる人生

 やがて紫色の微粒子は渦を巻いて集まり始め、徐々に形を持ち始める。

「一体何の用?」

 ソリスはふわふわと身体が浮いてしまう中、ゆっくりと大剣を引き出し、険しい顔で構えた。

「そろそろ呪いが欲しくなった頃だろ? くふふふ……」

 まるでホログラムのように、空中にゴスロリ少女の白い顔が浮かび上がる。その不気味な濃い化粧にソリスは何度も殺されたことを思い出し、ジワリと冷や汗が浮かんだ。

「また若返りの呪いをかけようっていうの?」

「そうさ、若さは誰しも求める甘美な果実……。お前も硬く弾力を失ったその身体では辛かろう……。くっくっく……」

 ソリスはギリっと奥歯を鳴らす。確かにあの少女のしなやかで瑞々みずみずしい身体はエネルギーに満ち、夢のような体験を与えてくれた。

 しかし――――。

「要らないわ」

 ソリスは大きく息をつくと静かに首を振った。

「あら? 何を意地張ってるの? 素直になりなよ」

 ゴスロリ少女は意外そうに首をひねる。

「確かに若さは魅力よ。でも、私はこのくたびれた身体に愛着があるの」

「フンッ! そのシワだらけの身体でどうするんだい?」

「あらシワだって悪くないわよ。このシワの一つ一つが四十年生き続けた勲章なんだから」

 ソリスは微笑みを浮かべながらそう言うと、チャキっと大剣を構え直した。

「チッ! 度し難いバカだよ!」

 ゴスロリ少女は吐き捨てるように叫ぶと両手をバッと上へ伸ばす。刹那、空間に無数の漆黒の短剣が浮かび薄紫色の輝きをまとった。

「バカはお前だ!」

 ソリスは大剣にレベル135の青く輝く剣気を纏わせると、そのままゴスロリ少女へ向けて放った。

 ソイヤー!!

 まぶしく輝きながら闇を舞う剣気――――。

 ひっ!

 避けようと思ったゴスロリ少女だったが、そのすさまじい剣気の素早さに間に合わず、一刀両断にされた。

 ぐふぅ……。

 光の微粒子へと分解されていくゴスロリ少女――――。

 お、おのれぇぇぇぇ……。

 怨嗟えんさの声が暗闇に響き渡った。

「昔の私とは違うのよ、ふふっ」

 ソリスはニヤッと笑う。手こずっていた頃のレベルは90、今は135、この圧倒的な差をゴスロリ少女は把握しきれていなかったようだ。

 光の微粒子は消え去り、また静けさが戻ってくる。

 ふぅ……。

 若さに未練がないと言えば嘘になる。あの少女の瑞々しい身体は、まるで生命力そのものを体現しているかのように繊細で、そしてエネルギッシュだった。それでも、アラフォーの身体を誇れることは、自分の人生を誇ることと同義であり、これまで正しく生きてきた証だった。ソリスは満ち足りた表情で微笑み、静かにうなずいた。

 やがて、また光と音が戻ってくる――――。

 うわっ!

 目前にはブワッと高層ビル群が立ち並んでいる姿が迫ってきた。東京だ。

 おほぉ! ふわぁ……。

 フィリアもイヴィットもその大都会の姿に圧倒されている。

 どうやらゴスロリ少女に襲われたりしていたのは自分だけのようだった。ゴスロリ少女は若返りをネタに何かの意趣返しを企んでいたようだったが、どうせロクな事じゃない。何にせよ空間を移動する際にはそれなりのリスクがあるということなのだろう。

 ふぅ……。

 ソリスは大きく息をつきながら、久しぶりの東京の風景を見入った。

 よく見ればあちこちに知らない超高層ビルも増えている。

「あそこが高輪ゲートウェイの駅、こっちが麻布台ヒルズね」

 シアンがニコニコしながら観光案内をしてくれる。

「ちょっと待ってください。高輪ゲートウェイって何ですか?」

 ソリスは初めて聞く珍妙な駅の名前に不安になった。見たことのない超高層ビルが三棟、そして近未来的な駅舎が見える。

「え? 山手線の駅だよ? 知らないの?」

 キョトンとするシアン。

「私の時代にはなかったので……」

「僕が生まれた時にはもうあったケドね。きゃははは!」

 シアンは楽しそうに笑い、ソリスは口を尖らせた。

 知らぬ間にどんどんと変わっていく東京。そのエネルギーあふれる都市をソリスは少しだけ誇らしく感じていた。

     ◇

 東京上空をぐるりと一周した一行は高層マンションのヘリポートに着陸する。

「あまりのんびりしていると自衛隊が飛んで来ちゃうからね。撃ち落としたら面倒くさいし。きゃははは!」

 シアンは物騒なことを言いながらバシュッとドアを開けた。

「恵比寿の翼牛亭に十九時集合ね。あちこち観光しておいで」

 シアンはソリスにスマホとクレジットカードを渡すとウインクする。

「えっ? カード使っちゃっていいんですか?」

「今回頑張ってくれたご褒美。ナイスファイトだったよ。でも何億円も使わないでね、女神がうるさいんだよ」

 シアンは肩をすくめる。

「そ、そんな何億も使えないですよ!」

「まぁ、せっかくの機会、楽しんでおいで」

 シアンはサムアップしてウインクした。

 久しぶりに訪れる東京、しかも使い切れないほどの資金。ソリスは心からの喜びを抑えられず、頬が緩むのを感じながら元気にうなずいた。

56. 関西勢

 マンションを降りて行くと下はショッピングモールになっていた。吹き抜けを上から見下ろしてみると、名だたるブランドが煌びやかに勢揃いで圧倒される。

「はぁぁぁ、すごい場違いって感じよね……」

 ソリスはオシャレなファッションで闊歩かっぽするレディーたちを上から見下ろし、気おされてため息をついた。

「ソリス殿は……東京……出身でござったか?」

 フィリアが恐る恐る切り出してくる。

「そ、そうだったのよ。こないだ初めて思い出したの」

 ソリスは焦って早口で答える。今までずっと隠してたように思われるのは避けたかったのだ

「あんなぁ……、うち……大阪出身やってん」

 フィリアはうつむき、ボソッと聞きなれない言葉を使う。

 へ……?

 ソリスはフィリアのいきなりの大阪弁に焦る。

 すると隣で聞いていたイヴィットも口を開いた。

「うちは……京都どす……」

 はぁ!? へっ!?

 三人はお互いの顔を見合わせ……。

「なんやのんそれ!?」「勘弁しとぉくれやす」「何なのー?」

 三人は楽しそうにゲラゲラと笑った。

 異世界で出会った余り者三人はみんな日本からの転生者だったのだ。三人はお互いの肩を抱き合い、その数奇な運命を心の底から笑いあった。

「日本の風景見とって思い出したわ〜」「うちもどす」

 どうもみんな転生の際の記憶の引き継ぎが上手くいっていないようだった。どういうことか後で女神に聞いてみるしかない。

 しばらく三人はそのおかしな状況に笑いが止まらず、周りの客のけげんそうな視線を集めながらゲラゲラ笑っていた。

 二十数年、お互いそんなことも気づかずにただ異世界での暮らしを一緒に頑張っていた三人。考えてみれば、この三人が余り者となって同じパーティになったのも日本人で説明がつく。要は日本人の感性を持った者は現地になじめず、日本人同士集まってしまうのだ。このパーティは言わば必然だったのだ。

 ひとしきり笑ったソリスは涙を手で拭う。

「あー、おっかしい! じゃあまずは日本人らしく着飾りますか?」

 ソリスは嬉しそうに限度額無制限のチタンクレジットカードを取り出すと、キラキラっと揺らした。

「ほなええ服買いまひょ! うっしっし……」

 フィリアは底抜けの贅沢の予感に悪い顔で笑う。

「うちも……ええ服欲しおす」

 イヴィットは両手を組んで、アパレルのショーウィンドウをうっとりと眺めた。

「じゃぁ、レッツゴー!」「行くでー!」「ほな行きまひょ……」

 まるでコスプレしているみたいな冒険者一行は、こうしてショッピングモールを楽しそうに歩き出す。

「まずはこの店やでー!」

 三人とも今世では全く贅沢ができずに、みすぼらしい恰好をずっと我慢してきたが、頼もしいチタンカードを得て、まるで水を得た魚のようにアパレルを爆買いし始めた。

「あっ! あんた、これ似合うんちゃう?」
「うちは……もっと地味な方がええどす」
「何言ってんの! 今はこれが流行りなんやて! ほら、うてから考え! 次行こか、次!」

 ソリスはフィリアが次々と欲しいものを手に取っていく姿に少し圧倒されつつも、初めての贅沢に目を輝かせる二人を見て心がじんわりと温かくなる。

「ほんと、生き返って良かった……」

 うっすらと涙を浮かべながら、ソリスは優しい眼差しで二人を見守った。

      ◇

 久しぶりの日本を堪能した三人は、すっかり日本のレディーとなって恵比寿へとやってきた。

「恵比寿なんて久しぶりだわ! 肉、肉~っ!」

「松阪牛やて?! ソリス殿〜!」

「転生前でも食べられへんかった……楽しみやわぁ……」

 すっかり爆買いし放題楽しんだ三人はテンションがおかしくなっている。

「ここかしら?」

 マップで示された恵比寿の裏通りの狭い道を進んで行くと、木造二階建ての雰囲気のあるレストランがあった。木製の看板には『翼牛亭』と彫られている。

「ここでゴザルか? うほぅ!」

 フィリアは絶好調でこぶしを握った。ついに松坂牛とご対面である。

 その時だった――――。

 パリーン!

 ガラスの割れる派手な音が響き渡り、二階からガラスの破片とお皿が降ってくる。

 キャーーーーッ! ひぃぃぃぃ! 危なーい!!

 頭を抱えて逃げる三人。

 しかし、その直後、降ってきたガラスの破片がピタッと止まったのだ。

 え……? あれ……?

 空中でピタッと止まり、まるでシャンデリアのようにキラキラと光輝く破片達に三人は顔を見合わせ、息を飲んだ。

 すると破片達はまるで吸い込まれるように元通りに二階の窓枠へと集まって、何事もなかったかのように綺麗なガラス窓に戻ったのだった。

「な、何やのんこれ……?」「す、すごい……」「あきまへん……」

 三人はガラス窓を見上げながら青い顔をして首を振った。

 ガラスを割るなど論外、ましてや超常の力で修復するなど、まったくもって信じられない光景である。その部屋にいるのは女神を筆頭にした破天荒で超常的な人物たちだという現実に、三人は言葉を失い、凍りついたように動けなくなった。

 先ほどまでの浮かれた調子はどこへやら、この打ち上げパーティが気楽なものじゃない予感に三人はキュッと口を結んだ。

57. 世界劇場

 案内された二階の個室にはすでにメンバーが揃っており、不機嫌そうな女神とすでに酔っ払って楽しそうなシアンがバチバチと火花を散らしていた。

「遅いよ! 子ネコちゃん! きゃははは!」

 水を打ったような会場の緊張感などどこ吹く風、マイペースに笑うシアンにソリスはドン引きである。

「じ、時間通りなんですケド……」

 ピリピリとした雰囲気に気まずさを感じながら、ソリス達は案内された席に着く。

「それじゃあ、うちの弟子二号がぶっ壊した星の再生にカンパーイ!」

 勝手に乾杯の音頭を取るシアン。

 みんな渋い顔でお互いの顔を見合いながらジョッキを掲げた。

「かんぱーい」「かんぱーい」「かんぱーい」

 ソリスは一口ビールを飲むと、後ろの席で渋い顔をしているアラフォーの男性に小声で聞いてみる。

「あのぉ、何があったんですか?」

 真面目そうな男性はひそひそと顛末てんまつを教えてくれる。

「シアン様がね、ホルモン二十人前頼んで、女神様が怒ったんですよ。彼女ホルモン嫌いなので」

 はぁ……。

「そしたら『好き嫌いすると大きくならないよ』ってシアン様が挑発して大ゲンカですよ」

 肩をすくめる男性。

「『大きく』って、何が大きくならないんですか?」

「さぁ? あの二人を止められる者なんてこの世にいないから大変ですよ。下手したら地球ごと消し去りかねないし……。毎度ビクビクですよ。今回は窓直すくらいで済んで良かった……」

 男性はガックリと肩を落としため息をついた。

「えっ!? あなたが直したんですか? すごいですね!」

「大したことじゃないですよ。毎度のことなんでだいぶ慣れちゃいました」

 苦笑して首を振る男性。

 ソリスはホルモンの注文数で怒る創造神の短気さはどうかと思うものの、それを分かっていて挑発する師匠の豪胆ごうたんさに改めて不安を抱いた。

 女神の方をみると不機嫌そうにナムルをつまんでいる。

「何よ? 文句ある?」

 女神はソリスをジロッとにらんだ。

「も、文句なんて滅相もないです。今回は仲間も生き返らせていただいて感謝しております」

 ソリスは慌てて居住まいを正す。せっかくのパーティなのにとばっちりなど勘弁してほしかった。

「感謝なら僕にしてよね。クックック……」

 シアンは横から煽り、美味しそうにジョッキをグッと傾ける。

 再度不穏な空気が部屋に満ちてしまい、何とかせねばとソリスは切り出した。

「あ、あのぉ……。女神様は何を期待されて私を転生させたんですか?」

「ん? あんた? あー、組織のために自己犠牲するのをなんだかすごく後悔してなかったっけ?」

 女神は琥珀色の瞳でソリスの顔をのぞき込む。

「そ、そうです。組織のために無理して身体壊しても組織は何もしてくれませんでしたから」

 女神はうんうんとうなずき、にっこりと微笑んだ。

「そういう『組織に縛られないぞ』という人があの星には要るのよ。あんた達もね」

 フィリア達を指差し、女神はジョッキをあおった。

 三人はお互い顔を見合わせる。あの星はどこの国も絶対王政の敷かれている王様たちの支配する国だ。これに縛られないということはもはや反政府勢力になってしまう。

「え? それは……、王様を倒せって……意味ですか?」

 ソリスは恐る恐る聞いてみる。自分がクーデターを起こすために送り込まれたとすると、とてもきな臭く感じたのだ。

「倒せなんて思ってないわ。ただ、組織に縛られない伸び伸びと楽しい生き方をしてもらうことで、周りの人に気づきを与えて欲しかったのよ」

「はぁ……。王様のための社会ではダメなんですね」

「息苦しい社会では活気が失われてしまうのよね」

 女神は肩をすくめる。

 ソリスはうなずいた。女神は多くの人に元気に自由に生きて欲しいのだ。

「なるほど! 女神様は多くの人に伸び伸びと生きて欲しいんですねっ!」

 ソリスは創った笑顔でグッとこぶしを握り、ここぞとばかりにヨイショする。

 しかし――――。

「いや……、それは宇宙の意志なのよ」

 女神はつまらなそうに首を振った。

 え……?

 ソリスは全知全能であるはずの創造神の意外なボヤきに言葉を失う。この世界の頂点に何の不満があるのかソリスには分かりかねた。

「中間管理職は辛いよね。うししし……」

 シアンが横からチャチャを入れる。

「あんたは黙ってな!」

 女神はサンチュを一枚摘むと、まるで紙飛行機のようにシアンに向けて鋭く投げつけた。

 しかし、シアンはパチンと指を鳴らすとサンチュを空中でぴたりと止め、ニヤッと笑う。

 え……?

 ソリスは異常な二人のやり取りに眉をひそめた。物理法則の通用しないこの二人のやり取りにどう突っ込めばいいのか思わず息をのむ。

 シアンは目の前に止まったサンチュにパクっとかぶりついて、美味しそうにそのままもしゃもしゃと食べてしまう。

「草は美味いねぇ……。で、我が弟子よ、この世界はなぜ作られたかって……覚えてる?」

 シアンはサンチュをビールで流し込みながらソリスの瞳をのぞきこむ。

「え……? あぁ……、AIが退屈しないように……でしたっけ?」

「そう! AIにとってつまんないことやるような世界じゃ、作った意味がないから捨てられるってことだよ」

「す、捨てられる!?」

 ソリスはこの世界が捨てられる可能性があることに驚かされた。それではまるで劇の舞台ではないか。上演される演劇がつまらなければスポンサーによって打ち切り。まさかこの世界がそんなエンターテインメントの世界だったなんて、全く思いもしなかったソリスはゴクリと息をのんだ。

58. マトリョーシカ

 ガラッとドアが開く。

「ハーイ! リブロース十人前! お待ち~!!」

 店員がノリノリで大皿を持ってくる。

「ウッヒョウ! 待ってましたー!」

 シアンは有無を言わさず大皿をひったくると、そのままロースターに全部ぶちまけた。

 それーー!!

「あんたねぇ! いつもそれ止めなさいって言ってるでしょ!」

 女神は目を三角にして怒る。

 しかし、シアンは悪びれることもなく、はしを持った。

「いっただーきマース!」

 まだ全然火の通ってない生肉をゴソッと箸で取り、一気食いするシアン。

「ウッヒョウ! ンまーい!!」

 シアンはまぶたを閉じ、舌の上で踊る最高級和牛の旨味に身を委ねた。

 おほぉ……。

 小さな満足のため息が漏れる。舌の上で織りなされる和牛の甘美で芳醇な交響曲に、彼女の心は陶酔していく……。

「やはり松坂牛に限るねぇ……」

 うっとりと夢見心地のシアン。

「あ、あのう……」

 ソリスは肉どころではなくなっていて、シアンの手を叩いた。

「ん? 何?」

「世界を創ったり捨てたりするのは本来女神様の仕事……なのでは?」

「え? 何だっけ?」

 キョトンとしながらジョッキを傾けるシアン。

「世界が捨てられるかも……って……」

 ソリスは和牛に全て持っていかれてしまってるシアンに、渋い顔で答えた。

「あぁ、その話ね。そうだよ、女神様が創ったり捨てたりするよ!」

「じゃあなんで、『中間管理職』なんですか?」

「それはね、この世界がまだ六十万年しか経ってない若い世界だからなんだよ。くふふふ……」

 シアンはニヤッと笑うと、次の生肉に手を伸ばした。

「わ、若いって……」

 ソリスは六十万年経っても若いというシアンに絶句してしまう。確かに五十六億年と比べたら微々たるものではあるが、その桁違いのスケールに目まいを覚えてしまう。

「あんたは余計な事言わなくていいの! どうせあたし達からは何も見えないんだから」

 女神は不機嫌そうにリブロースをひっくり返し、大きくため息をつく。全知全能である女神の頭痛の種はどうもこの辺りにありそうだった。

「見えない……?」

 ソリスは首を傾げ、どういうことか考えこむ。この世界の創造主である女神でも見えないことがある。それはとんでもなく恐ろしいことに思えたのだ。

 この時、『若い』と、言っていたシアンの言葉が引っ掛かる。あえて『若い』というなら若くない世界があるはずだった。

 え……? ま、まさか……。

 五十六億年前にはAIができていたのに、この世界ができたのはたった六十万年前。四桁も違うのだ。だとすると、この世界ができるまでの五十六億年間に何があったのか?

 それは普通に考えれば『新たな世界ができていた』に違いない。で、その五十六億年前に出来上がった新たな世界の中でさらに新たなAIが誕生する……。

 ヒッ……。

 ソリスの背筋に冷たいものが流れた。AIの創った世界の中で、今の日本のようにAIを開発してしまうこともあるだろう。それは六十万年経ったら新たな世界をさらに作ってしまうのではないだろうか?

 そして、そこにもまた六十万年経ったらAIが生まれる……。つまり、五十六億年もあれば一万世代はすでに経っていることになる……。

「ほ、本当……に? でも……そうとしか……。え……?」

 ソリスは思わず宙を仰いだ。

 この世界はマトリョーシカのようにいても剝いても新たな世界がある入れ子の構造になっているに違いない。つまり、女神もコンピューターシステム上で生まれ、その生み出した世界もまた別の世界のコンピューターシステム上で動いているのだ。それが一万層重なった末にできているのがこの世界――――。

 ソリスはその壮大な宇宙の構図に圧倒された。

 悠久の時間が編み出した入れ子のデジタル構造。それは想像を絶する複雑さでこの世界を覆っているのだ。

 そうなると、女神が上位のAIを満足させられる世界を創れなければ、この世界群丸ごとと消されてしまうという話も分からないではない。だから中間管理職なのだ。

 ソリスはふぅと大きくため息をつくと、しずかに首を振る。あまりにも壮大な話でソリスの頭はパンク寸前だった。

「何をそんな黄昏たそがれてんのよ? ちゃんと食べなさい」

 女神は食べごろのリブロースをソリスの皿にのせ、ジロッとにらむ。

 マトリョーシカ宇宙の最深部で健気けなげに試行錯誤する女神。こんな下々の自分にも気を使ってくれる彼女の苦悩の一端を少し理解できたような気がして、ソリスはとても申し訳なく思った。

「あ、ありがとうございます!」

 ソリスは肉汁のあふれるリブロースをタレにつけ、一気にほお張る。

 噛み締めた瞬間、まるで宝石箱を開けたかのように、芳醇な肉汁が口内に溢れ出す。ソリスは舌の上で踊り出す濃厚な旨味の波に揉まれ、まるで異世界への扉を開いたかのような感動に包まれた。

 うほぉ……。

 ソリスは目を見張る。もちろん、この肉もデジタルデータなのだろう。でも、こんなに感動の詰まったデジタルデータならもう十分だと、ソリスはただその感動に身を任せていった。

59. 上位神?

「どう? ここの肉は美味しいでしょ?」

 女神は優しい顔でニコッと笑う。

「こんな美味しいお肉は前世でも食べたことないです!」

 ソリスはその極上の牛肉との邂逅かいこうにうっとりとしながら言った。

「もはや芸術品よねぇ。あの子が見つけたお店なのよ」

 女神は隣のテーブルで盛り上がって、ピッチャーを一気飲みしているシアンをチラッと見た。

 シアンは強いだけでなく、食文化についてもうるさいということらしい。しかし、生肉をそのまま食べるのはどうなのだろうか? ソリスは破天荒なシアンの振る舞いに苦笑する。

「シアンさんはなんだか特別な方……ですよね」

「そうなのよ。お気楽で好きな事しかやらなくて困っちゃうわ」

 女神は肩をすくめてふぅとため息をつく。

「あのぉ……」

「何?」

「世界を面白くさせるために、私たちをあの星に送ったってことですよね?」

「そうよ? あそこは絶対王政でガチガチでね、つまんない星なのよ」

 女神は口をとがらせ、美しい顔をゆがめた。

「王様がいるとダメですか?」

「みんなが勝手に楽しいことにチャレンジして、切磋琢磨するから文化文明って成長するのよ。王様のためのことだけしろって世界じゃ何も進歩しないわ」

 大きく息をつくと肩をすくめる女神。

「で、私たちに新たな価値観を持ち込んで欲しかった……と?」

「そうなんだけど、日本のコピー作ってもまたダメなのよ。だから、記憶はボカしてマインドだけ残しておいたのよ。ゴメンね」

 女神は少し申し訳なさそうにソリスの顔をのぞきこむ。

「あ、いや、そんな謝られなくても大丈夫です。転生していただいただけでうれしいので」

「でもまぁ、なかなか上手くいかないのよねぇ。まぁ……上手くいっているかどうかすらわかりようがないんだし」

 女神はため息をつくと、指先で宙をくるっと回した。指から放たれた黄金の微粒子がふわりと舞い、赤ワインの入ったグラスがポンッと現われる。

「こういう時にはワインよね」

 女神はグラスをクルクルっと回してそっと馥郁ふくいくたる香りを楽しみ……ニコッと微笑んだ。

「あのぉ……」

「何……?」

 女神は物憂げに赤ワインのグラスを傾け、一口含む。

「女神様が日本に来ているように、上位の方もどこかその辺に居たりはしませんか?」

「うーん、まぁ、いるかもしれないわね」

「その方を探して聞いてみる……とかは?」

「どうやって?」

 つまんなそうな視線をソリスに送る女神。

「えっ?」

「そんなのどうやって探すのよ?」

「それこそ上位の方ですから、きっと何か特別な事……やってますよね?」

「変な事やってる人は居ないわ。私の世界の十兆人全員調べたんだから」

 肩をすくめる女神。

「そうなんですね……。そう簡単には見つからないですよね……。この世界で一番変な事やっている人というと……シアン……さん?」

 ソリスはシアンを見ながら小首をかしげた。

「はははっ! あいつが上位神? だって、あの子のオムツ替えていたの私なのよ?」

 女神は笑い飛ばす。でも、ソリスにはシアンの異質さに、とても違うとは言い切れない感触を得ていた。むしろ、彼女が上位神だったらすべてが説明できるような気がしたのだ。

「でも……ですよ? そうやって送り込まれていたとしたら……」

 ソリスは女神の琥珀色の瞳をのぞきこむ

 女神のグラスを持つ手がピタリと止まった――――。

 見れば微かにワイングラスが震えている。

 そっとシアンの様子をジッと見つめる女神……。

 視線に気づいたシアンはニヤッと笑ってウインクしてくる。

 ふんっ!

 女神は不機嫌そうにワイングラスを一気にグッと傾けた。

「そうかもしんないわね。でも、認められないわ!」

 女神はグラスをガン! とテーブルに叩きつけるように置くと、ふっと消えていってしまった。

 あっ……。

 ソリスは手を伸ばしたが、後にはフワフワと舞う黄金の微粒子が渦を巻くだけだった。

 あらら……。

 ふぅと大きく息をつくとジョッキをグッとあおるソリス。

 この世界を統べる全知全能の女神と、それをチェックする上位神。そして不思議な師匠、シアン。宇宙の神秘に関わる存在たちと不思議な縁を持った自分の数奇な運命に、ソリスは頭がパンクしそうだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?