見出し画像

異世界最速の英雄 ~転生5秒で魔王を撃破した最強幼女の冒険物語~ 60~Fin

60. 素っ裸の青年

 オディールとレヴィアが駆け寄ってきて、その素っ裸で転がっている青年をまじまじと見つめた。

「誰これ? 金髪碧眼の幼女だったんじゃないの?」

 オディールはレヴィアに聞いたが、レヴィアもキツネにつままれたように首をひねっている。

「おい、お前は誰だ?」

 オディールは容赦なく青年のお尻をツンツンとつつく。

 ん……?

 霧が晴れるように徐々に明瞭さを取り戻す意識の中で、青年は薄ぼんやりとした目を開いた。そこには、ムーシュがけげんそうに見下ろしている。

 ……、えっ?

 殺されたはずのムーシュがいることに戸惑いつつも、青年は素っ裸で勢いよく跳ね起きた。

「ム、ムーシュ! 生きていたのか!?」

 自分より背の高い青年に血走った目で迫られたムーシュは、混乱し、後ずさる。

「い、生きてないです……よ?」

 青年がムーシュの手を捉えようとした瞬間、手は空気のように彼女をすり抜け、彼はその不思議な現象に面食らって立ち尽くした。

「も、もしかして……主様……?」

 ムーシュは青年の彫刻のような肢体を一瞥し、羞恥に頬を染め上げながら顔を手で覆う。

「もしかしなくたって僕だよ! 蒼! なんで分かんない……あれ?」

 彼の視線がゆっくりと自分の身体を辿り、その驚くべき変貌に心が跳ねた。

「おわぁぁ! なんだこれ!」

「あー、お主は転生前はこんな姿だったんじゃな。カッカッカ」

 狼狽する蒼を見て、レヴィアからはじけるような笑いがこぼれ落ちた。

        ◇

 天使に服を借り、天空のカフェに案内してもらった一行は、お茶を飲みながら善後策を話し合う。

 窓の外には満天の星々の中を壮大な天の川が流れ、黄金の花の揺れる丘はキラキラと星明りを反射しながら美しい夜を飾っていた。

 オディールはコーヒーを美味しそうにすすると、蒼に挑戦的な視線を向ける。

「さて、女神を倒し、ヴェルゼウスを倒した蒼くん! 君は二つの世界の新たな神になる権利を得た訳だけど……、どうする?」

「えっ!? な、何ですかそれ? 自分は神殺しの犯人だと思ってたんですけど?」

「殺じん犯ではあるけど、神を殺した人は普通新たな神になるんだよね」

「か、神!?」

 オディールの話に蒼は頭が追い付かずに宙を仰いだ。

「主様は神!? じゃぁ、ムーシュはこの世で二番目に偉い!?」

 ムーシュは目を輝かせながら、湧き上がる歓喜を押さえられない様子で蒼を見る。

 蒼はそんなムーシュをジト目で見ると大きなため息をついた。即死スキルを付与されて殺されただけなのに、いつの間にか神様たちを殺していて、自分が次の神だという。そんな荒唐無稽な話があるだろうか?

 もちろん、神になればハーレムだろうが酒池肉林だろうがやり放題できるに違いない。しかし、今の蒼にはそんなことはもう魅力には映らなかった。

「僕はさぁ、気の置けない仲間たち……大好きな人たちとのんびりと暮らしたいだけなんだよね。神になるってそういうのからは遠い気がするんだけど?」

 蒼はゆっくりとそう語ると渋い顔で肩をすくめる。

「若いのによく分かってるねぇ。神になるってホント面倒な事ばっかりなんだよ……」

 オディールはウンザリしたように口をとがらせた。

「なんじゃ、お主、随分実感がこもってるのう?」

「あ、いや、『大いなる力には大いなる責任が伴う』ってことを言いたかっただけだって」

 オディールは苦笑しながら慌ててフォローする。

「であれば、元通りって言うのが一番……かな? 僕はそうしたいです」

 蒼は屈託のない笑顔で、晴れやかに言った。

「ほいきた『元通り』……ってことは数百億人全員を生き返らせるってことだよね? ふはぁ……」

 オディールは気が遠くなって宙を仰いだ。

「ご、ごめんなさい。手伝えることはなんでもしますから」

 蒼は申し訳なさそうに頭を下げる。

「いいのいいの、面倒くさいことはみんなレヴィアがやってくれるから!」

 ブフッ! とカフェオレを吹きだすレヴィア。

「ちょ、ちょいまてぇ! なんで我が……」

「だって、他にできる人いないじゃん。みんな死んじゃったし」

「お主がやればええじゃろ!」

「だってまだ僕十代だもん。千歳超えた先輩が一番の戦力なんだなぁ」

 オディールは悪戯いたずらに成功した時のような、意気揚々とした笑みを浮かべる。

「十代!? お主サバ読みすぎだろ!」

「ノーノー! 私、サバ読みまセーン」

 オディールはおどけて腕をクロスさせる。

 キーーッ!

 レヴィアは小さな牙を剥きだしにして威嚇した。

 そんなレヴィアとオディールがじゃれあう中、蒼はムーシュを優しく見つめ、ムーシュはほほを赤くしてうつむいた。

61. サンチュは舞った

「えー、そろそろよろしいでしょうか? 皆さんグラスをお持ちください」

 すっかり復元した東京の恵比寿にある焼き肉屋を借り切って、一同を集めたパーティが開かれる。男子高校生の蒼は乾杯の挨拶を任されてウーロン茶のグラスを掲げた。

「えー、この度はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます」

「ホントよぉ。あなたに殺された人たち復元するの大変だったんだから」

 女神ヴィーナは口をとがらせながらビールのジョッキを掲げる。

「まぁまぁヴィーナ様、今日は楽しく飲みましょうって」

 大天使シアンは嬉しそうに女神の肩をポンポンと叩くと、我慢できずにビールを一口呷って一人だけ幸せそうな顔をする。

「はいはい、早く乾杯!」

 オディールは自分勝手な人たちにため息を漏らすと、蒼の背中をパンと叩いた。

「あー、では。無事、解決したことを祝いまして……、カンパーイ!」

 イェーイ! お疲れ! ヤフー!

 みんな思い思いにジョッキをぶつけ合い、ムーシュも楽しそうに蒼のグラスにジョッキをぶつける。

 みんなの楽しそうな様子を見て、蒼は自分の選択が正しかったことを改めて感じ、目頭が熱くなった。数百億人が生きていた状態からのシステムの再起動、それは気が遠くなるような大変な作業だったが、何とか無事に復旧できたのだった。

         ◇

 
「ハイ! こちらが当店自慢のトモサンカクになります」

 店員が入ってきて大皿に山盛りの希少部位、トモサンカクを並べていく。

「ウヒョー! さぁ食べるゾーー!」

 シアンは大皿をひっくり返し、一気にロースターにトモサンカクをぶち込んだ。

「あんたねー! そんなんじゃちゃんと焼けないでしょ!」

 怒る女神をしり目にシアンはまだ冷たいトモサンカクにかぶりつく。

「ウホー! うまーっ!」

「あー! シアン様ズルーい!」

 レヴィアもロースターから生の肉をガサッと取るとそのまま丸呑みした。

「うほぉ、これは極上じゃな」

「あんたたち、肉は焼いて食べなさいよ!」

 女神の怒りが爆発する。

 そんなやり取りを横目に、蒼は自分たちのテーブルのロースターにトモサンカクを並べていった。

「こんな風にしてお肉を食べるの初めてですよぉ」

 ムーシュはニコニコしながら肉を裏返していく。

「今回は、いろいろ世話になったね」

「何を言ってるんですか。ムーシュは主様の一番奴隷ですから」

 ムーシュは嬉しそうに微笑み、パチッとウインクをした。

「あー、僕が本当はこんな姿だって知って幻滅……しない?」

「あら、そんなことないですよ? むしろ今の方が……、あのプニプニほっぺたは名残惜しいですケド」

 ムーシュはほほをポッと赤くする。

「良かった……。はいどうぞ」

 蒼はトモサンカクをムーシュの皿にのせる。

「どれどれ……。おほっ! おいしーい」

 ムーシュは目を輝かせながら脂のうまみが爆発するトモサンカクに感動する。

「ふふっ。日本の牛肉は美味しいんだよ」

 蒼はそう言いながら自分でもトモサンカクを頬張り、しばしその肉汁に心を奪われていた。

        ◇

 宴もたけなわに盛り上がってきた頃――――。

「そもそもあんたが、不正動作を狙う呪いをかけたのが問題じゃない!」

 ジョッキを何杯空けたのか数えられなくなってきたころ、女神の怒りが爆発する。

「いやいや、任せるって言いましたよね? ご自分の発言には責任持っていただかないと?」

 真っ赤になったシアンも座った目でにらみ返す。

「いやいや、世の中やっていい事と悪いことがあるでしょ!」

「やっちゃいけないことはちゃんと明文化してもらわないと守れませんね」

 シアンはそう答えながらジョッキをグッと空けた。

「私は常識の話をしてんの!」

 女神も負けじとグッとジョッキを飲み干す。

「常識に縛られたらイノベーションは起こせませんってぇ」

「イノベーション? 殺されるのがイノベーションなの? はっはっは! あー、可笑しい」

「まさか全知全能のはずの女神様まで殺されるなんて、思いもしませんでしたからね」

 シアンはそう言うと新たなジョッキをグッとあおった。

「……。何アンタ……。ケンカ売ってんの?」

 女神も新たなジョッキをグッとあおり、ガン! とテーブルに叩きつけた。

「さぁ? 売られたら買いますよ?」

 シアンは碧い目をギラっと輝かせると女神をにらむ。

「やんのかコラァ!」

 女神はフラフラしながらバン! とテーブルを叩き、全身から黄金色のオーラを放った。

「いいですよ? やりますか?」

 シアンも碧眼をギラリと光らせ、負けじと青いオーラをぶわっと全身から放つ。

 二人の発するオーラが闘気となってぶつかり合い、衝撃波が辺りを襲う。

 皿は飛び、ジョッキはなぎ倒され、サンチュは舞った。

「まぁまぁ。お二方とも、ここはお祝いの席ですから……」

 あわててオディールが間に入る。

「あんたは黙ってな!」「あんたは黙ってな!」

 ハモった二人から衝撃波が放たれ、オディールは吹き飛ばされた。

 二人は恐ろしい形相でにらみ合っている。

「あわわわわ、世界が終わっちゃう……」

 ムーシュは真っ青になってガタガタ震えた。創造神と宇宙最強が争えば次の瞬間地球が吹っ飛んでいてもおかしくない。せっかく復旧した世界は再度深刻な危機に直面していた。

62. 知ることは呪い

 そんなムーシュの肩をポンポンと叩き、ニッコリとサムアップすると、蒼は二人の間に颯爽と立った。

 いきなりやってきた蒼を二人はけげんそうににらむ。

 蒼は大きく息を吸うと、大胆に二人の前で大声で何かを唱えようとする。

De?」

 刹那、まるで氷水を浴びせられたかのように、女神とシアンは冷たい恐怖が背骨をい上がるのを感じた。それは二人の戦闘意欲をも瞬時に霧散させる。一度味わった即死スキルによる死の記憶は、心の奥底に深く刻まれてしまっている。今はもはやその力を持たないことを知っていても、その根深い恐怖に立ち向かうのは容易ではなかったのだ。

 二人は大きく息をつくと、ぎこちなく笑いながら、

「あ、あら、ごめんなさいね」「悪い悪い」

 と、バツが悪そうに謝った。

 蒼の顔には、ほっと安堵の笑みが浮かんだ。この世界で、圧倒的な力を誇る二大巨頭を仲裁するというのは、命がけである。彼の心臓はまだ高鳴りを覚えていた。

「それは良かったデス」

 つい丁寧語を使ってしまう蒼。

 直後、女神とシアンは紫色の光に包まれ、苦しそうに宙をもがくと、そのままバタバタっとテーブルに崩れ落ちた。周囲には紫色に輝く微粒子がゆらゆらと舞い、静寂が辺りを包み込む。

「えっ!? ま、まさか」

 心乱れ、動揺する蒼。

 丁寧語がアウトだとしたらこの先どう生きていったらいいのだろうか?

 くぅ……。

 また殺神犯である。面倒極まりない事態になってしまったと、蒼は重苦しい気持ちで頭を抱え込む。

 しかし、次の瞬間女神とシアンは顔を上げ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「ふふっ」「騙されてやんのー!」

 え……? んもぉ……。

 蒼は担がれたことに気がつき、がっくりと肩を落とす。

「はっはっは! 僕たちを殺したお返しさ!」「お返し、お返しぃ」

 女神もシアンも蒼のオロオロした姿に笑いを爆発させる。手を打ち鳴らし、彼女たちの楽しげな笑い声が、部屋中に響き渡った。

     ◇

「蒼ちゃーん! 仲裁ありがとね」

 女神たちに吹き飛ばされたのに元気に楽しく飲んでいるオディールがやってきて、蒼のグラスにジョッキをカンと合わせた。

「いやいや、あれくらいは……。でも……。オディールさんって本気出したら余裕であの二人を止められますよね?」

「何言ってんの、僕はただの新入りスタッフ……」

「実は僕、思い出したんです。ヴェルゼウスさんを殺した時、即座にオディールさんにも即死スキルを放ったんですよ。でも死ななかった。上位神すら死んだ即死スキルをキャンセルできる……。これは、そういうことですよね?」

 蒼の眼は、オディールの鮮やかな碧眼に固定され、その深遠なる淵を凝視する。

「……。勘のいいガキは……。ふぅ。仲良くなれそうだったのにな……」

 オディールの顔から笑みがすっと消え、手のひらを蒼の方に向ける。そこには蒼に対する冷徹な排除の意志がこもっていた。

「ちょ、ちょっと待ってください。大丈夫です。誰にも言いませんから。ただ、少しだけ教えて欲しいことがあるんです」

 オディールは小首をかしげ、蒼を見つめる。

「本当です。誰にも言いません」

 蒼は手を合わせ、心の奥底から願いを込める。こんなことで未来を失う訳には行かない。

 オディールはけげんそうに蒼の瞳の奥を見つめると、軽く指を鳴らした。その小さな音がまるで魔法の呪文のように室内に広がる。

 その瞬間、世界はまるで古い白黒写真の一枚に閉じ込められたかのように、色と音を失った――――。

 騒がしい笑い声と賑やかな語らいで満ち溢れていた焼肉屋の部屋も、静まり返っている。

 見ればみんな止まっている。レヴィアはジョッキを傾けたまま凍りつき、口元からこぼれるビールの泡が空中でキラキラと静止していた。その隣で、シアンの振り回した青い髪は空中で華麗に舞った状態で静止している。

「うわぁ、何、何なの!?」

 あまりのことに蒼は慌てる。

「教えて欲しい事って何? つまんないこと聞いたらこのまま消し飛ばすからね?」

 周囲が灰色のヴェールで覆われた中、オディールだけが色彩を失わなかった。黄金色のオーラが冷たい笑顔を浮かべる彼女を包み込む。彼女の金髪はサラサラと煌めき、鮮やかな碧眼が青い光を放ちながら蒼を射抜いた。

「け、消し飛ばす!? ……。ふぅ……」

 オディールの鋭く突き刺さるような視線に圧倒されながらも、蒼は深く息を吸い込み、内なる不安を静かに鎮めていく。

「オディールさんは、誰よりもこの世界のことを分かっているんですよね? 結局この世界って何なんですか?」

 蒼はしっかりとした声でオディールをまっすぐに見ながら聞いた。

「ほう? 世界を知りたい。なるほどね……。でも、『知ることは呪い』。一度知ったらもう元には戻れないよ? それでもいいの? 今なら全ての記憶を消して元に戻るけど……?」

 オディールははすに構えて蒼の反応をうかがった。

「の、呪い……。でも僕は知っておきたい。転生して、呪われて、世界滅ぼして戻ってきた。その背景は知っておかないとうまく生きて行けそうにないんです」

 蒼は心の内に秘めた、深く熱い思いを、言葉にして静かに解き放った。

「あ、そう。そしたら……。君はどこまで世界のことを知ってるの?」

「それは……、『この世界は情報で出来てる』ってことくらいです。レヴィアさんが『色即是空、空即是色』だって言ってました」

「あー、なるほどね。でもそれだと本質を捉えそこなうんだな」

 オディールは得意満面の表情で、蒼の顔をじっくりと覗き込んだ。

 世界が情報で構成されているという事実だけで、蒼にとっては既に驚愕のニュースだった。しかし、それ以上に驚くべき真実が存在するという。

 蒼は不安と期待が交錯する中、ゴクリとのどを鳴らした。
 

63. お釈迦様の量子論

 オディールは得意げな笑みを浮かべながら、神秘を纏った解説を始める。彼の声には深い知識と経験に裏付けられた凄みがこもっていた。

「『色即是空、空即是色』お釈迦様のたどり着いた境地なんだけどこれ、『量子力学』の説明なんだよ」

 はぁ?

「お釈迦様は人類で初めて量子効果を発見した人なんだね」

「え……? ちょっと……、何言っているのか分からないんですが」

 いきなり仏教と現代科学の最先端が結びついて頭が追い付いて行かない。

「この世界って『量子』という微小な存在の集合でできてるんだけど、これ、実体がないんだよね」

「あぁ、確か確率でしか存在しないという……」

「そうだね。結局すべては確率分布の波でしかない。つまりこの世界は確率でできているんだな」

 オディールは嬉しそうに両手を大きく開いた。

「実体がなく、確率……? だから色即是空、空即是色?」

「そう、有るように見えて観測したら空っぽ。でも確率次第で真空にもまた量子が沸き上がる。現代科学の最先端で描かれるこの世界の本質とは、まぁ滅茶苦茶な世界だよ」

 オディールは呆れたように肩をすくめる。

 はぁ……。

「で、ここからが本題なんだけど『確率でどうとでもなる』のであれば、逆にそこを使って操作ができちゃうんだよね。つまり自分の都合のいい結果だけ取り出せるんだよ。量子コンピュータみたいにね」

 へ?

「例えば植物は光合成でこれをやっていて、太陽エネルギーを高効率で活用してるね。君が毎日食べているお米やパンは植物の量子操作でできたものさ」

「そ、そうなんですか?」

「だからいまだに人類は植物に勝てる光合成ができず、田んぼや畑にたよってるんだな」

 植物もこの世界の不思議な性質を巧みに使っている、という話に蒼は感じ入る。それだけ量子効果というのは身近な話なのかもしれない。

「植物って凄いんですね」

「何を言ってる、君の方がもっと凄いぞ」

 オディールは、不敵な笑みを唇の端に浮かべつつ、力強く蒼を指差し、鋭い眼差しで射抜いた。

 は?

「言霊だよ。君は『可愛い女の子たちとパーティを組んで、ハーレムで愛を育みながら魔王を倒す』って願ったでしょ? だからムーシュたちと真の魔王であるところのヴェルゼウスを倒したのさ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんな浮かれた高校生の軽口で世界が変わる訳ないじゃないですか!」

「本当にそう思う?」

 オディールはニヤッと笑った。

「いや、だって、僕はただの高校生ですよ? 高校生なんてそれこそ何十万人もいるじゃないですか!」

「そうだね。だからみんながそれぞれ独自の宇宙を持ってるのさ」

「はぁっ!?」

 蒼の唇が震え、言葉が途切れた。

 宇宙は一つ、生まれてからずっと当たり前のように思ってきたが、それが全く違うというオディールの言葉に蒼は混乱する。

「宇宙にしてみたらね、一兆のさらに一兆倍の数の世界があっても気にならないくらい微々たるものなんだよ」

「えっ!? じゃあ、この世界は僕の言霊でできた……世界……?」

「そうみたいだね」

 要は自分が浮かれたことを願い、宇宙がそれを採用したからこんなに壮大な旅になってしまったらしい。しかし、そんな荒唐無稽なこと、どう咀嚼していいのかさっぱりわからなかった。

「じゃあ、オディールさんは僕の世界の中のキャラ……ってことですか?」

「今、この瞬間はそうかもしれないね。でも、僕が『美味しいビールが飲み放題の世界がいいな!』って言って、宇宙がそれを採用した瞬間、そこに僕のビール飲み放題の世界が派生して出来上がるんだ」

「どんどん世界は増えていくってことですか!?」

「そうだよ。世界は想いの数だけ生まれ、成長していくのさ」

 蒼は言葉を失った。誰でも自分の生きている世界は、自分の想いによって出来上がった自分だけの世界なのだ。

「地球の裏側で戦争して多くの人が死んでもそれは君のせいだからね?」

「え? なんで……」

「君の想いが巡り巡ってそこで人を殺しているんだから責任感じなきゃ」

「えぇっ……。そ、そんな……」

「だから呪いだと言ったろ。くふふ……」

 毒を含んだような笑みをたたえるオディールを前に、蒼は大きく息をついて首を振った。

「想うだけで世界が増えていくだなんて反則ですよ」

「でも、宇宙からしたら、想いをもって選んでくれる『観察者』がいるから存在できるわけで、想ってもらえることは死活問題かもしれない」

 オディールは無邪気に楽しそうな笑顔を見せる。

「それだけ想いというのが宇宙にとって価値がある……と。はぁ……」

 蒼はそのコペルニクス的転回に頭がついて行かず、首を振った。

 お釈迦様の言葉と同質な量子力学というへんてこな物理法則、異世界転生の先に作られた自分の世界。そして、宇宙を動かす『想い』。蒼は何とか反論をしようと思ったが、そこには反論できる隙が一つも見つからなかった。

「考えるな、感じろ」

 オディールは碧眼をギラリと光らせ、困惑している蒼に活を入れる。

 へ?

「下手な考え休むに似たり。お前の心の奥底では全て分かっているはずだ。それを感じなさい」

「そ、そうですか? やってみますね……」

 蒼は大きく深呼吸をして静かに瞑想状態へと降りていく。

 スゥーーーー、……、フゥーーーー。
 スゥーーーー、……、フゥーーーー。

 深層心理で世界を感じると、そこには大いなる宇宙があり、地球があり、焼肉屋があり、みんなの笑顔があった――――。

「この笑顔は自分の願った先にある世界……。そうだよなぁ……」

 と、その時部屋の喧騒が戻ってきた。

 ぎゃははは! ちょっと飲みすぎですよ? 何言ってんだー!

 蒼は、再び息づき始めたこのにぎやかな世界に、ほっと息をつきながら優しい微笑みを浮かべた。

 この世界は自分の作った世界であり、笑顔に囲まれている。なんと素敵な事だろうか……。

 蒼の瞳にはかすかに涙の輝きがにじむ。騒がしい仲間たちの姿を愛おしく眺める蒼の心の中には深い感謝とともに、切なさが渦巻いていた。

64. 限りなくにぎやかな未来

「オディールさん、ありが……と……。あれ……?」

 蒼は感謝の言葉を伝えようとしたが、オディールの姿が見当たらない。蒼はキョロキョロと辺りを見回すも、オディールの姿はどこにもなかった。

「あれ? オディールさん、どこ行ったの?」

 すっかり酔っぱらって赤ら顔のレヴィアに聞いてみる。

「は? オディール? 誰じゃそれ?」

「何言ってんの! レヴィアの友達だろ? 金髪碧眼の僕らを救い出してくれた綺麗な人だよ」

「はぁ? お主らを救ったのは我一人じゃぞ! 孤軍奮闘してムーシュを見つけ、お主を正気に戻したのはこの我じゃぞ!」

 レヴィアはジョッキをガンとテーブルに叩きつけて怒る。

 え……?

 あんなに仲良かったオディールのことをレヴィアはもう忘れてしまっていた。いくら飲みすぎだとは言え、そんなことあるのだろうか?

 疑問に押し潰されそうになりながら、蒼は不安を抱えたままムーシュにも聞いてみる。

「さっきまでここに座ってた金髪の人……、覚えてる?」

「え? そこはずっと空席でしたよ? ほら、お皿もないし……」

 蒼は頭を抱え、深い困惑に陥った。いったいこれはどういうことだろうか?

「そもそも、金髪碧眼の女の子なんて転生時のお主しか知らんわ」

 レヴィアが不機嫌そうにグッとジョッキを傾ける。

「ぼ、僕……?」

 蒼は思わず息をのむ。オディールと自分との間に流れる不思議な縁に気づいたのだ。彼女の金髪碧眼の容姿は、かつての幼女だった自分とどこか面影が似ている。あのまま成長したどこかの世界の自分が、何の気まぐれかこの世界の自分を救って帰っていった……。そう考えると、すっと全ての謎が解けるかのような閃きが心を照らした。

 この世界を守り、その真実を啓示し、そしてみんなの記憶を霧のように消し去って去っていった別の世界の未来の自分。その奇跡のような力がどうやって可能になるのかは皆目見当もつかない。しかし、深い願望を胸に秘め、それを信じ続ければ、いつか自分もそのような運命を辿るのだろう。

 蒼は大きく息をつくとグラスをギュッと握りしめる。

 そうだったか……。

 つぶやいた蒼はウーロン茶をグッと飲み干した。

         ◇

 蒼とムーシュはみんなと別れた後、渋谷へと山手線沿いに歩く。日本とも今晩でお別れ。明日にはまた異世界へと送還されるのだ。

 懐かしい日本を去るのは残念だったが、死んだはずの人がいつまでもいるわけにはいかないのは確かだった。

 もちろん、言霊の力を使って世界を捻じ曲げて行けば日本に残る未来もあるのだろうけれども、今はそのタイミングではなく、やるべきことは異世界にある気がしたのだ。

 のんびりムーシュと歩いていると、ビルの間に渋谷の超高層ビル群が大きく見えてくる。

「ねぇ主様、戻ったらどうするの?」

 赤らんだ顔を浮かべ、ムーシュは蒼の手を優しく握り、恋人のように指を絡ませてきた。彼女の瞳には、酔いに任せた淡い情熱が宿っている。

 彼女の柔らかな指の感触に心臓が高鳴るのを感じつつも、蒼は冷静さを装い、悟られぬよう慎重に答えた。

「んー? 魔王にでもなろうかな?」

「えっ!? ついに!? ヤッターー!!」

 ムーシュは興奮し、ボン! と爆発して悪魔の姿に戻ってしまう。

「おいおい、その姿はヤバいって!」

 蒼は焦るものの、ムーシュは気にも止めず、魔王になった時のプランに夢を巡らせる。

「そしたらムーシュは魔界ナンバー2なのでーす! まずは親衛隊を作ってぇ……やったぁ!」

 歓喜に震えるムーシュは、興奮の余り、両手を高く天へと突き上げた。

「それから、王国の国王にもなるぞ」

 蒼はニヤッと笑った。

「えっ!? 人間界も!?」

「そう、世界統一。これで無駄な争いを無くし、利権を全部ぶっ壊して僕らの星をこういう輝く世界にするんだ」

 蒼は目を輝かせながら、渋谷の摩天楼を指さした。

 そう、自分の力を使うならまず、異世界からなのだ。そうやって経験を積んで、いつか別の世界の困っている自分たちを助けに行く、それが自分らしい生き方のように思えていた。

「いいね、いいね!」

 喜びに弾けるムーシュは、子羊のように無邪気にピョンピョンと跳ねる。

 その時だった、辺りがざわざわとするのに気がついた。

「あっ! コスプレだ!」「ホントだ、すごーい!」

 ムーシュの立派な翼と角を見て通行人が集まってきてしまう。

「あー、見世物じゃないので……」

 蒼は頑張って制止するが、ムーシュの圧倒的なリアリティを放つ悪魔の姿に大衆は魅了されてしまう。周りは一瞬にして、スマートフォンを構える人々で溢れかえった。

「な、なんなのこれ……日本恐ろしいトコロ……」

 好奇の目に取り囲まれる中、ムーシュは彼らの熱狂に飲み込まれるようにして、青ざめていった。 

「ねぇねぇ、これ、どうやって作ったの?」

 ヤンキーの男たちがムーシュの翼をつかんで聞いてくる。

「あーっ! もう! 主様、行きましょ!」

 ムーシュはそう言うと、バサバサっと翼をはばたかせてヤンキーたちを振り払い、蒼をキュッと抱きしめて一気に飛び上がる。

「うわっ 飛んだぁ!」「スゲー!」「何これ、撮影なの?」

 やじ馬たちはパタパタと月夜に飛び去って行く二人を見ながら大騒ぎをしていた。

        ◇

「ちょ、ちょっと、ムーシュぅ、胸が当たってるって」

 蒼は真っ赤になってもがいた。

「何言ってるの? いつもこうやって飛んでたでしょ?」

「いやまぁそうなんだけど……」

「で、王国も滅ぼすって?」

 ムーシュの顔は喜びに満ち、鼻息を荒くして聞いてくる。

「滅ぼすんじゃないよ、乗っ取るんだよ。【即死】を今回【睡眠】に変えてもらったから、軍隊を全員眠らせて一気に制圧するんだ」

「えっ!? もう殺せないの?」

「もう、殺さなくていいの!」

「なーんだ」

 ムーシュはちょっとつまらなそうに言った。

      ◇

 高く、高く舞い上がり、やがて渋谷上空にたどり着いたとき、目の前に広がるのは、宝石箱が天空に散りばめられたような壮麗な光景だった。見回せば新宿と六本木のビル群が競い合うように輝きを放ち、二人はその眩しい美しさに感嘆の息を漏らす。

「素敵ねぇ……」

 うっとりしながらムーシュはつぶやく。

「僕らの星はこれ以上に素敵にするんだよ」

「そんなこと、できるの?」

「もちろん! ムーシュが協力してくれたらね」

 蒼は嬉しそうにムーシュを見つめる。

「おーし! ムーシュはやりますよぉ!」

 気合の入ったムーシュは鼻息荒くバタバタと風を切りながら、さらに上空へと加速していく。

 吹き抜ける清々しい風が、二人の周りを優しく包み込んでいた。蒼の眼差しはムーシュに優しく注がれ、ムーシュもまた、その眼差しに応えるように明るく微笑む。

「頼りにしてるからな」

 蒼はポンポンとムーシュの背中を叩いた。

「お任せください!」

「計画も立てて行かないとなぁ」

 蒼は東京の夜景を見下ろしながら考え込む。

「まず主様が魔王になるでしょ? そしたら、正室はわたくし、ムーシュでぇ……、おうちは魔王城の最上階! うっしっしー」

「おいおい、正室って何だよ?」

「奥さんってことよぉ! うふふふ」

 ムーシュは幸せいっぱいに笑う。

「そ、それ、もしかして……プロポーズ……?」

 蒼は、突如として耳に飛び込んできた『奥さん』という言葉に心を揺さぶられ、戸惑いながらも、恐る恐る聞いた。

「ムーシュは奴隷になったあの時から心も身体も主様のものですよぉ」

 ムーシュは蒼にほほ寄せると耳元でそっとささやく。

「いや、奴隷と奥さんって全然違うんだけど?」

「んー、イケズぅ……。今回ぃ、ムーシュは主様の命を助けたじゃないですかぁ?」

 ムーシュは口をとがらせ、ジト目で蒼をにらんだ。

「おぉ、そうだな。ありがとう」

「えー? それだけ?」

「な、何が欲しいんだ?」

「……。目をつぶって……」

 ムーシュは小悪魔のような微笑みをたたえ、蒼の瞳に深く視線を落とす。

 蒼は一瞬ためらうが、やがて心を決めたように軽くうなずき、温かい微笑みを浮かべながらそっとまぶたを閉じた。

 ムーシュは幸福に満ち溢れた表情で、静かに蒼の唇に自らの唇を寄せる。

 蒼は優しくムーシュを受け入れ、初々しい緊張を纏いながらも彼女の舌と繊細に絡み合わせた。

 煌びやかな渋谷の上空で二人は運命の歯車を共に動かし始める。彼らの周りには、希望に満ちた未来が輝き始め、その光は二人を導いていく。

 その夜、東京の上空はにぎやかな流星群によって幻想的に照らされたという。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?