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異世界最速の英雄 ~転生5秒で魔王を撃破した最強幼女の冒険物語~ 5~9

5. 暴走する煩悩

「だったらのど乾いたんだけど、なんかちょうだい」

 蒼は頬ずりするムーシュを引きはがし、可愛いモミジのような手を差し出した。転生早々怒涛の展開でのどがカラカラだったのだ。

「えっ!?」

 ムーシュは突然、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 蒼が不思議に思っていると、ムーシュは蒼を下ろして豊満な胸を押さえ、恥ずかしそうにつぶやいた。

「申し訳ありません。この胸は見てくれだけは立派……なのですが……、おっぱいは出ないのです……」

 蒼はボッと顔を赤くする。

「な、何を言ってんだ! 母乳じゃないよ! 水だよ水! 水くらい持ってるだろ!」

 そう叫んで蒼はムーシュのお尻をペシペシ叩いた。

「あぁっ! ごめんなさい! 水ですね、すぐにお持ちしますぅぅぅ」

 蒼はふんと鼻を鳴らすと腕を組み、荷物を漁るムーシュをにらんだ。いくら幼女姿とは言え母乳はひどい。もし母乳が出る身体だったら吸わせるつもりだったのだろうか?

 ここで蒼の妄想が暴走してしまう。

『えっ……? 吸わせる? 確かに奴隷だったら……』

 蒼は変なことを想像して再度顔を赤くする。

 いかんいかん!

 蒼は首を振って煩悩を振り払った。

         ◇

『そもそもこいつはどんな奴なんだ……?』

 蒼はムーシュを鑑定にかける。

ーーーーーーーーーーーーーー
Lv.9 ムーシュ 18歳 女性
種族 :魔族
職業 :奴隷(所有者:アオ)
スキル:きずなのヴェール
    仲間との絆のエネルギーで結界を張ります
称号 :堕天使の理解者
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 防御系のスキル持ちではあるが、レベルはたったの9。何を頼んだらいいか……。蒼は腕を組んで首をかしげる。

 最優先なのは原点回帰という【若返りの呪い】の解除である。これは急がないと赤ちゃんになって受精卵になって死んでしまうに違いない。この全くもって忌々しい呪いを何とかしないとせっかくの異世界ライフが台無しである。

「はい、お水をどうぞ―」

 ムーシュはニコニコしながら、細かい彫刻と宝石がちりばめられた壮麗なカップとクッキーを差し出す。

「おぉ、サンキュー。何だか準備いいね」

「ふふっ、これでもルシファー様の秘書でしたからね。まぁ、面倒なオッサンでしたが……」

 ムーシュは少し先に転がっている、紫に輝く大きな魔石を見ながらため息をつく。その魔石はまるで深淵からの呼び声のように神秘的な輝きを放っていた。

「秘書かぁ……。ムーシュの事もっと教えてよ」

 蒼はクッキーを頬張りながらムーシュの生い立ちから魔王軍の実情、水を取り出した四次元ポケットのようなマジックバッグの話を聞いていった。

「これからは主様の奴隷として、頑張りますよぉ!」

 ムーシュはこぶしを握り、嬉しそうにガッツポーズを見せる。

「まずは呪いの解除をしたいんだけど、どうしたらいいかな?」

「の、呪い……ですか……? うーん。そんな魔道具があるというのは聞いたことありますよ。やはり魔王城に乗り込んでいって宝物庫を……」

 さりげなく魔王にさせようと誘導するムーシュ。

「ストップ! ストップ! そう簡単に宝物庫なんて入れないだろ?」

「大丈夫ですよ! 主様なら邪魔する奴ら全員殺しちゃえるんですから!」

 ムーシュは真紅の瞳をキラキラとさせながら物騒なことを言う。

「もう……。それは最後の手段! まずは人間界から探すよ」

「えーー……。わかりましたぁ……」

 隙あらば物騒な手段を取らせようとするムーシュに一抹の不安を感じながら蒼はコップの水を飲みほした。

       ◇

 魔石はお金になるそうなので、ムーシュと一緒に魔石を拾い集める。しかし、さすがに五千個もの魔石を全部集めるのは無理だった。幹部を中心に大きくて輝きの良い物を中心に集め、マジックバッグに詰め込んでいく。

 やはり、ルシファーの魔石が一番大きく、アメジストのように紫色にキラキラと美しく輝いて辺りを圧倒していた。

 蒼はその魔石をしばらく眺め、ふぅとため息をつく。あの恐ろしげな堕天使が死ぬとこんなになってしまう。蒼はその美しさに心を奪われつつ、この不可解な世界の謎に思いを馳せた。

 即死スキルにしても、若返りの呪いにしても、まるでゲームの舞台を彷彿とさせるこの世界に蒼は暗い気分に沈む。一体女神たちは自分をこんなところに送り込んで何をさせたいのか……。蒼は深く目を閉じ、静かに首を横に振った。

「主様! もうこれくらいにしましょうよぉ」

 ムーシュが腕一杯に煌めく魔石を集めてくる。

「そうだね、それじゃ近くの街まで案内してよ」

 蒼はルシファーの魔石をマジックバッグにしまう。

「えっ!? 人間の街ですか?」

「そこで魔石換金して美味しいものでも食べようよ」

「いいですけど……、私、人間の街なんて行ったことないから分からないですよ?」

 ムーシュは山盛りの魔石をザラザラとマジックバッグに流し込みながら言った。

「かーーっ! 役に立たんなぁ……」

 蒼は思わず宙を仰ぐ。

「だから魔王城にしましょうって!」

「それだけはヤダ!」

 蒼は腕を組んでキッとムーシュをにらんだ。

「むぅ……。しょうがないですねぇ。確か南の方に街があったから、ひとっ飛び行ってみますか」

 ムーシュはそう言うと蒼をひょいと抱き上げて両腕で抱きしめた。豊満なふくらみに包まれてしまう蒼。

「お、おい、ちょ、ちょっと!」

 柔らかな温かさに蒼は真っ赤になってもがく。

 ムーシュはコウモリを思わせる漆黒の巨大な翼を青空めがけてピンと広げ、南の空をキッとにらんだ。

「危ないですよ! しっかりつかまってて!」

 ムーシュはその翼を力強く羽ばたかせ、その壮大な翼で風を捉えると一気に大空へと舞い上がる。その動きは、まるで運命を自らの手で掴み取ろうとするように、決然としていた。

6. 小悪魔のいたずら

「うわぁ!」

 蒼は視界の端でどんどんと小さくなっていく草原を見つめ、青ざめた。この高さから落ちれば命はない。

「いっきますよぉ!」

 ムーシュは楽しそうに、翼にきらめく魔法の光を込めながら、空の彼方へとぐんぐんと高く昇っていった。

 ひぃ! と小さく声を上げながら、蒼は恥ずかしさを忘れ、ムーシュの豊満な胸にしがみついた。

「あらあら、主様、大丈夫ですよぉ。ほらほら~」

 ムーシュはニヤッと笑うとくるりくるりとアクロバット飛行を始める。

「ちょっ! お前! 止めろーー!」

 蒼は目を強く閉じ、ムーシュの乱暴な飛行に必死に耐えていた。しかしムーシュは、逆に楽しそうにジェットコースターのような飛行を続ける。

「くふふふ。たーのしーー!」

「お前! 今すぐ止めろ! 止めないとひどい目にあわすぞ!」

「え? いいですよぉ。殺してみますかぁ? そうなったら主様も……。くふふふ……」

 ムーシュはそのいたずらな笑顔で蒼をからかいながら、楽しそうに返す。

「こ、この野郎……」

 蒼は怒りで体を震わせたが、こんな上空ではムーシュには逆らえない。

「あっ! 主様、鳥ですよ鳥!」

 ムーシュは興奮して蒼を抱いていた手をほどき、空に舞う渡り鳥を指さした。

「うわぁぁぁ! なにすんだよぉ!」

「ほら見て! かーわいぃ!」

 頑張って翼をはばたかせながら新天地を目指す鳥の群れに、ムーシュはくぎ付けとなる。

「ちょっともう!」

 蒼は必死にしがみつきながらムーシュの視線の先を追う。

 えっ……?

 そこには純白のハクチョウたちが、まるで天国から舞い降りた使者のように翼を広げている。雪の残る山脈の稜線を背景に雄大な森を行く渡り鳥の一行、それは綺麗なV字編隊の偉大な大自然の営みだった。

 渡り鳥と共に飛ぶことができるなんてファンタジーな展開に、蒼はただ息を呑むばかりである。

 彼らは蒼たちのことなど気にせずに一心不乱に飛んでいく。

 ムーシュはハクチョウの編隊に混じって一緒に飛び、先頭の一羽に声をかける。

「ねぇ、お前たち、人間の街ってどっちか分かる?」

「グワッ! グッ、グワッ!」

 ハクチョウが何かを答える。

「おぅ! サンキュー! またねー!」

 ムーシュはバサバサッっと翼に力を込めると進路を変え、加速していった。

「す、すごい! 鳥の言葉が分かるんだね!」

 蒼は感動に打ち震え、目をキラキラと輝かせる。

「分かる訳ないじゃないですか。きゃははは!」

 ムーシュは楽しげに笑った。

 からかわれたことを悟った蒼は、ムッとしてムーシュのわき腹をキュッとつねる。

「痛てててて! や、やめてぇ!」

 身をよじって痛がるムーシュ。

「幼女だと思ってからかっちゃダメ!」

「主様ごめんなさいぃぃ」

 ムーシュはベソをかきながらギュッと蒼を抱きしめた。

       ◇

 魔王城は混乱に包まれていた。魔王が暗殺されたこと自体、大きなショックだったが、それを上回る事態が起こっていた。ルシファー率いる魔王軍の精鋭部隊が、まるで霧の中に消えるように連絡不能となってしまったのだ。この部隊に何かがあれば魔王軍存亡にかかわる重大な事態である。

「おい! まだ連絡は取れんのか!」

 四天王の一角、筋骨隆々とした武闘派の大男グリムソウルは、指令室の古びたオーク材のテーブルに巨大な拳をガン! と打ちつけ、怒りに燃える瞳で、制服姿の若き悪魔を威圧的に怒鳴りつけた。

「現在、全力を尽くしておるのですが、魔力反応は喪失、同行してるはずの偵察班に呼びかけても反応がありません」

「くぅぅぅ。一体何が起こってるんだ……」

「まぁ、全滅させられたって事じゃないの?」

 四天王の一員、謎めいた闇の女王アビスクィーンは、艶のある黒いビキニアーマーをまとい、古代の呪文を刻んだ大麻のパイプをくゆらせながら、ぶっきらぼうに言葉を紡いだ。

「ぜ、全滅!? 数千もの軍隊をどうやって一瞬で全滅に?」

「そんなの知らないわよ。数多あまたの結界を貫通して魔王様を殺せる敵なんでしょ? ルシファーの部隊を瞬殺することもできるんじゃないの?」

「くっ! そんな敵が攻めてきたら……」

 グリムソウルは深い苦悩を隠せず、顔を曇らせ、冷たい汗が頬を伝う。

「あたしらも全滅だろうね」

 アビスクィーンはゆっくりと頭を振り、肩をすくめた。

「な、何とかいい方法はないか?」

 グリムソウルは大きな身体を縮こまらせ、頭を抱える。

「トール……ハンマー……」

 四天王最後の一人、骸骨姿の魔導士シャドウスカルはローブで隠した骸骨の目の奥を光らせながらつぶやく。彼は王国の大賢者だったが、禁断の魔法で死後リッチとなって復活し、魔王軍に与するようになった最強の魔導士である。

「ト、トールハンマー!? 森ごと吹き飛ばすつもりか!?」

 グリムソウルは目を真ん丸に見開いて絶句する。

 トールハンマーというのはシャドウスカルが編み出した最強にして最悪な攻撃魔法だった。数万人もの命と引き換えに壮絶な火球を放つその異次元の攻撃は、核爆弾をしのぐ圧倒的なエネルギーで大地を焼き払う。

「城下の兵士たちをすぐにスタジアムに……」

「ま、まさか残りの兵士を全部爆弾に変えるつもり? ハハッ! そりゃあ思い切ったね」

 アビスクィーンは自嘲気味に笑う。

「他に手は……、あるのか……?」

 シャドウスカルがカタカタと鳴らす骨の音が静かな部屋に響く。

「くぅ……。それしか……ないか……」

 グリムソウルは大きく息をつくとうなずいた。

 こうして魔王軍は捨て身の攻撃に出ることになる。

 ほどなく緊急招集され、スタジアムに集められた兵士たちは何も知らされぬまま、まばゆい青白い光の中へと溶けていく。スタジアムには数万人の断末魔の悲鳴が地響きをたてながら響き渡った。

7. トールハンマーの猛威

「ねぇ、本当にこっちでいいの?」

 蒼はしがみついている腕がだんだんとしびれてきて、眉をひそめながら聞いた。

「うーん、何も見えてきませんねぇ……」

 ムーシュはバサッバサッとはばたきながら辺りを見回すが、どこまでも続くうっそうとした原生林に青々とした湖が見えるばかりだった。

 と、その時、いきなり空が掻き曇る。それはルシファーが現れた時と同じ不吉な暗雲だった。

「ヒェッ! またなんか来るよ!」

 蒼は真っ青な顔で、不気味な暗雲が渦巻く空を見上げる。それはまたろくでもない試練の始まりに違いなかった。

「えっ!? こ、これは……?」

 禍々まがまがしい紫に輝く巨大な輪が現れた瞬間、空気そのものが震える。それはルシファーが現われた時よりも遥かに壮大で、二人は恐ろしい予感に息をのんだ。

「な、何が来るの?」

「わ、わからない。こんなバカでかい魔法陣なんて見たこともないわ」

 空間そのものが歪むような超巨大な魔法陣の中心には、幾何学的な美しさを持つ六芒星が浮かび上がる。続いてその隙間を埋めるように新たな小さな魔法陣が次々と浮かび上がり、一つ一つが陣の力を増幅させていく。その圧倒的な禍々しいエネルギーに二人は戦慄した。

「に、逃げよう! 全力で!」

「ひぃぃぃ!」

 ムーシュはあらん限りの力を振り絞り、翼をバサバサとはばたかせる。しかし、空を覆いつくす魔法陣の圏外には到底届きそうになかった。

「湖だ! 湖に飛び込もう!」

「えっ!? と、飛び込むと濡れちゃいますよ?」

「何言ってんだ! 攻撃食らうよりマシだって!」

「わっかりましたーー!」

 ムーシュは湖めがけて必死に羽ばたいた。

 そうこうしている間にも魔法陣の隙間にはルーン文字がどんどんと書き足され、完成が近づいている。

「くぅ! ダメだ、間に合わないよぉ!」

「じゃあ、きずなのヴェールを張りますよ! 主様、気持ちをあたしに合わせてください」

「き、気持ちを合わせるって?」

 この緊急事態に難しいことを言うムーシュに、蒼は泣きべそをかきながら答える。

「『ムーシュは素晴らしい』、『ムーシュは素敵だって』思ってください」

「マ、マジかよ!?」

「いいから早く!」

 蒼は頑張って復唱してみる。

「ム、ムーシュは素晴らしい?」

「なんで疑問形ですか!」

 全然絆のパワーが立ち上がらないことにムーシュは怒る。

「いや、いきなり心にもないこと言わされる身になってみろっての!」

「思ってください!! 結界が張れないじゃないですか!」

 その時、頭上を覆っていた魔法陣が不気味にヴォンとまたたいた。

 へ?

 蒼が空を見上げると、魔法陣は音もなく収縮しはじめ、紡いだエネルギーを一点に収縮していく。

「や、ヤバい! くるぞ!」

 刹那、目もくらむような閃光が世界を覆い、激烈な熱線が数十キロメートルにわたる範囲を灼熱地獄へと変えた。森は一斉に燃え上がり、元いたあたりは大地が溶け、オレンジに輝く溶岩と化していく。

「ぎゃぁぁぁ!」「くわぁ!」

 熱線はムーシュの背中をも直撃し、翼も服も燃え上がり、肌は一瞬で焼けただれた。

 あまりのことに意識を持っていかれるムーシュ。森の上空で二人は飛ぶ手段を失ってしまい、真っ逆さまに落ちていく――――。

「うわぁぁぁ! ムーシュ、ムーシュぅ!!」

 蒼は慌ててムーシュの頬を叩いてみるが、何の反応もない。

 それにもし気がついても燃えた翼ではもう飛べないのだ。蒼は絶体絶命のピンチに気が遠くなる。

 いやだよぉーーーー!

 蒼は真っ逆さまに落ちながら爆心地の方をにらんだ。すると、燃え盛る森の向こうで何やら白いまゆのようなものがどんどんと大きく膨らんでいるのが見える。

「な、なんだ……?」

 嫌な予感がして繭を見つめていると、それはどんどんと膨らんで蒼たちの方に迫ってくる。

「お、おい……。まさか……」

 直後、繭の白い表面が蒼たちに到達し、激烈な衝撃が二人をはじき飛ばした。それは爆発の衝撃波だったのだ。

 ぐはぁ!

 吹き飛ばされながらグルグルと宙を舞う蒼。キーン! という甲高い音が脳に響き渡り、鼻の奥から血の匂いが広がった。

 次の瞬間、激しい衝撃とともにジュボッという音が響き、身体の自由が奪われる。

 ぐ、ぐぉぉぉ……。

 容赦なく鼻から入ってくる水。そう、そこは湖水の中だった。

 必死にもがく蒼。

 透明度高く青く澄み渡る水に幾千もの泡が舞い、渦を巻きながらゆったりと水面目指して浮き上がっていく。

 混乱してバタバタしていた蒼だったが、何とか状況を理解すると立ち直り、水面へと目を定めた。可愛いもみじのような手を使って水をかいていく……。

 ぷはー! ゲホッゲホッ!

 顔を出した蒼は思いっきり息を吸い込み、せき込んでしまう。

 何とか生き延びたことに安堵した蒼だったが、ムーシュが見当たらないことに気づいた。

「あ、あれ? ム、ムーシューー!」

 大やけどをして気を失っていたムーシュ。一緒に湖に落ちてきたとしたらまだ湖の中だ。ヤバい……。

 蒼は大きく息を吸うと急いで顔を沈め、水中をうかがう……。

 透明度は高いが、それでも見える範囲は限られている。いくら探してもムーシュらしき姿は見えない。

 くっ!

 蒼は乳歯をギリッと鳴らす。ムーシュがいなければ自分は即死だった。ムーシュは命の恩人である。例え言うこと聞かないおチャラけた悪魔でも、今では失いたくないたった一人の仲間だった。

「いやだよぉ! ムーシュぅぅぅぅ!!」

 炎が破滅的に舞い踊る森の中で静かに碧い水をたたえた神秘の湖。蒼の悲痛な叫びは燃え上がる木々の森に響き渡り、湖面にさざ波を立てた。

8. かけがえのない仲間

 涙は勝手にあふれるが、今は泣いている場合ではない。ムーシュの命がかかっているのだ。

 涙でぼやける視界を押しのけ、蒼は思考を巡らせた。きっとムーシュは遠くへはいっていないはずだ。であれば……。

 蒼は大きく息を吸うと水中へと潜り、鑑定スキルをあちこちに乱発してみる。水中に揺らめく微かな濃淡すべてに執念深く鑑定をかけていった。

 しかし表示されるのは倒木や水草ばかり。ムーシュの反応はなかった。

 一旦水面に戻る蒼。

「チクショー!」

 悪態をつくと再度深呼吸をして平泳ぎをしながら探索範囲を広げていく。

『早く見つけないと……』

 早鐘を打つ鼓動を感じながら蒼は目を凝らして探し回る。

 すると水底で一瞬何かがキラリと輝きを放った――――。

『ん? なんだあれ……?』

 蒼は急いで鑑定をかけ、結果に呆然と凍りついた。

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Lv.25 アビス・ピラニア
種族 :魚類魔物
性質 :どう猛な肉食
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 なんと、ここには危険な魔物が潜んでいたのだ。よく見ればさらに奥の方にもキラキラと無数のピラニアのウロコが煌めいているのが見えた。

 ピラニアが興奮しながら何かを襲っている……。ムーシュだ。ムーシュが襲われているに違いない。

 ムーシュが食べられている悲惨な瞬間をイメージしてしまった蒼は、骨の髄まで冷える恐怖に押しつぶされそうになりながら、あわててスキルを放った。

「ピラニア死ねDeathデス!」

 直後、紫色の光が湖底に無数に煌めき、やがて静かに水の色に溶けていった。

 ムーシュは無事だろうか? 蒼ははやる気持ちを押さえながら一旦息を吸いに水面に戻る。

 大きく息を吸って、覚悟を決め、ピラニアが群れていたところへと一気に潜っていった。

『今行くよ! ムーシュぅ!』

 ルシファーの部隊を倒した蒼のスキルはすでに二百を超えており、幼女の身体でも苦も無く潜っていけるようになっていたのだ。

 どんどんと深く潜っていくと、奥の方でピンク色の髪の毛がユラリと揺れた。

『ム、ムーシュぅ……』

 消えていないということはまだ生きている証拠。蒼はホッとしつつも、予断を許さない状況に震える手で必死に水をかいた。

 見ると翼がほとんど食いちぎられてなくなっていたが、身体は無事のようだった。

 蒼はムーシュの腕をつかむと一気に水面まで引き上げる――――。

 しかし、水上に顔を上げてもムーシュはピクリとも動かず、美しい顔立ちは死神が触れたかのように白く霞み、まるで命の炎が消えたかのようだった。

「マズい……マズいぞ……」

 焦る蒼。悪魔と言えど呼吸しなければ死んでしまうだろう。となると人工呼吸だが……。

「うぅっ、ファーストキスが人命救助……」

 テンパる心を抑えるべく、蒼はあえて冗談めいた言葉を放つと、大きく息を吸った。そして覚悟を決めるとムーシュの甘美な唇に自分の唇を重ねた。その柔らかな触感につい赤くなってしまう蒼であったが、雑念を振り払い、唇の間から息を注いでいく――――。

 ゲホッゲホッ!

 何度かの人工呼吸で、息を吹き返すムーシュ。しかし、やけどの方は重傷で、うつろな目で苦しそうにあえぐばかりだった。

 蒼は湖畔までムーシュを運ぶと小石の浜にムーシュを横たえる。何か治療に使えそうなものがないかとマジックバッグの中を漁ったが、雑貨や衣服ばかりで役に立ちそうになかった。

「くぅ! どうしたら……」

 マジックバックを叩きつけ、頭を抱える蒼。

「ぬ、主様……」

 ムーシュの声がして振り返ると、弱り切ったムーシュが苦しそうに蒼に手を伸ばしている。蒼はその痛々しい姿に涙ぐみながらその手を取った。

 刹那、虹色の光がふわっと二人をつつみこむ。

 えっ!?

 驚く間にもキラキラとした黄金の微粒子が体にまとわりついてきて、まるで天使の羽に触れているかのような心地よさをもたらした。

 見ればムーシュのやけどにも黄金の微粒子が集まってきて、徐々に良くなっていっている。きっとこれがムーシュのスキル【きずなのヴェール】なのだろう。結界の中では癒しの効果が効いていて、ケガなども治療されていくみたいだった。

 恍惚な表情を浮かべながら癒されていくムーシュを見て、蒼はホッとする。この危険で不確かな世界における唯一の仲間ムーシュ。失いかけた彼女を救えた喜びに、蒼は思わず涙がこぼれ、ムーシュの手を熱く強く握り締めた。

 やがてヴェールは薄れて消えていき、ムーシュはぱたりと浜に倒れ、寝入っていく。

 背中を見ると真っ赤に焼けただれていた肌はかなり改善し、少なくとも命にかかわる状態は脱したようだった。

 蒼は布を張って簡易なテントを作ると自分もムーシュの隣に横たわる。

 スースーと寝息を立てるムーシュの寝顔を眺めながら、こんなひどい目に遭わせた魔王軍の容赦ない仕打ちに蒼はだんだん腹が立ってきた。

 自分一人を殺すため、森全体を焼き払おうとした頭オカシイ魔王軍。放っておいたらまた同じ攻撃をしてこないとも限らないし、なんとしてもやり返さないと気が済まなかった。

 であればどうする……?

 ここで蒼はふと、悪魔的な手段を思いつく。

『【あの攻撃をした奴をDeath】って効くのだろうか?』

 名前も分からない、どこにいるかもわからない、でももしかしたら一意に特定できる相手なら殺せるのかもしれない?

 蒼は目を細め、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。

9. 揺れる魔王城

 蒼は大きく息を吸い、覚悟を決めると煤に煙る空めがけて両手を広げた。

「大爆発で僕らを殺そうとした魔王軍のバカ者には天誅Deathデス!」

 蒼の声が山火事の森に響く――――。

 果たしてどうなるか……、蒼は固唾を飲んで反応を待つ。

 ビュゥと煙臭い風が吹き、テントがバタバタと音を立てた。

「そろそろ……、じゃないか……?」

 蒼が小首をかしげた時、頭の中に電子音が鳴り響く。

 ピロローン! ピロローン! ピロローン! ピロローン! 

『レベルアップしました』『レベルアップしました』『レベルアップしました』『レベルアップしました』

「キターーーー! はーっはっはっは!」

 蒼は思わず手を叩いて笑ってしまった。女神がくれたこのとんでもないスキルは、相手が分からなくても殺せてしまうのだ。

「なんだこりゃ! ヤバすぎでしょ、女神様!」

 ムーシュも見たことの無い超巨大魔法を繰り出したそいつは、きっと名のある奴だろう。ルシファーと同じくらい凄い奴に違いない。でも、そんなとんでもない奴でも一言で消せるのだ。なんと痛快だろうか。

「ざまぁみろ! 誰だか知らんが馬鹿野郎め! はっはっはー!」

 蒼はひざをパンパンと叩き、ゲラゲラと笑った。ムーシュを瀕死の重傷に陥れたにっくき敵をたった一言で葬り去ったのだ。まさに『ざまぁ』である。

「あー、可笑おかしい……」

 ひとしきり笑った蒼だったが、どうにもぬぐえない違和感がドロリと心の奥にうごめくのを感じた。

「はぁ……。俺って……、これでいいのかな……?」

 真顔になった蒼はつぶやく。

 一言で誰でも殺すことができるという力を手にした蒼は、その圧倒的な力の誘惑と恐怖に同時に襲われる。気に入らない者を容易く消し去る能力は、果たして自分にとっていい事なのだろうか? むしろ呪いではないのか?

 殺すのに相手のことを知る必要すらないし、自分のせいだとはバレない。ムカついただけで殺すということが一言でできてしまう、言うならば自分はとてつもない完全犯罪殺人マシーンなのだ。

 おいおいおいおい……。

 蒼は背中に寒気が走り、その冷たさが骨まで染み渡るのを感じた。

 自分の心の弱さがふとしたきっかけで暴走したら、無尽蔵な殺傷力で世界を破滅させる死神に変貌するかもしれない。心のバランス一つで世界を滅ぼしかねない、それはすでに【魔王】なのではないか? そんなとんでもない力を持ってしまったことに蒼は押しつぶされそうになる。

 もちろん、自分はそんなことなどしない。しないと思っているが、先ほどの即死攻撃が決まった瞬間、アドレナリンがドバっと出て甘美な快感が心を躍らせていたのは事実だった。

「これは……、マジでヤバい……」

 即死スキルの蠱惑こわく的な魅力、それに抗いがたい中毒性があることは認めざるを得ない。

 蒼はガバっと立ち上がると頭を抱え、ウロウロしながら必死に考える。即死スキルの持つ甘美なる誘惑にどう対抗して行ったらいいだろうか……。一度でも心の闇の誘惑に負けて命を奪ったら、もはや歯止めが効かなくなってしまうだろう。だからこそ、「生命を軽々しく奪わない」という原則を揺るぎないものにしなければならなかった。

 ふぅと大きく息をついた蒼は、拳を強く握りしめる。

「私利私欲に使うのはダメだ」

 誰もがうなずける状況でなければこのスキルは絶対に使わないと、堅く心に誓ったのだった。 

        ◇

 時は少しさかのぼり、トールハンマーを放った直後の魔王城――――。

「おい! 魔法は成功したのか?」

 四天王グリムソウルは、制服姿の若い悪魔にぶっきらぼうに聞いた。

「えーと、現在観測魔法で着弾点のエネルギー反応を見ていますが……」

 悪魔は大きな水晶玉をじっと見入る……。

 すると、水晶玉はいきなり激しい閃光を放った。

 うわぁ!

 予想外のことに悪魔は目をやられ、あとずさる。

 パン!

 水晶玉は破裂音と共に砕け散り、バラバラと破片を床にまき散らした。

「お、おい、どうなったんだよ!」

 グリムソウルは悪魔を気遣いもせず、怒鳴りつける。

「わ、分かりません! こんなこと初めてなので……」

「カーッ! 使えんなぁ!」

 グリムソウルは肩をすくめ、まだ目が良く見えない悪魔の頭をパシッとはたいた。

 その時だった、カタカタカタとテーブルが揺れる。

「な、なんだ……?」

 グリムソウルが見上げると、上から吊り下げられた魔法ランプがゆらゆらと揺れている。

「地震かしらね? 魔王城で地震なんて聞いたことないけど?」

 アビスクィーンは大麻のパイプをカンカンと灰皿に叩きつけながら、けげんそうに辺りを見回した。

 直後、ズン! という下から突き上げる激しい揺れが魔王城を襲う。

 うわぁぁぁ! 何だこりゃぁ! くぁぁぁ!

 キャビネットは倒れ、窓ガラスは吹き飛び、まるで天罰の嵐に翻弄される船のように魔王城は激しく揺れ動き、調度品は次々と吹っ飛んだ。

 グリムソウルは倒れ込んできた本棚を拳で吹き飛ばし、落ちてきた魔王の肖像画を叩き割りながら叫んだ。

「敵襲か!? 一体誰が?」

「これ、トールハンマーじゃないの?」

 アビスクィーンは空中にフワフワと浮きながらウンザリとした表情で肩をすくめた。

「ト、トールハンマー!? 誤爆って事か?」

「違うわ、トールハンマーのエネルギーで地震が起こったのよ」

「ま、まさか……」

「揺れが来た方向が爆心地なのよね……」

 アビスクィーンはウンザリとした表情で指さした。

「な、なら攻撃は大成功って事……だな?」

「これだけのエネルギー、誰も生き残れないでしょうね」

 アビスクィーンは葛藤を微かに表情に浮かべながら、気重なため息を一つ落とす。

 グォォォォォォォ!

 グリムソウルは大きく胸を張り、天に響くような雄叫びを上げた。ついに魔王軍は壊滅的な危機をくぐり抜けたのだ。その喜悦は言葉では表せなかった。

「ヨシ! 宴だ宴! 宴席の準備をしろー!」

 喜色満面で絶好調にグリムソウルは言い放った。

「恐れながら、こんな地震の後じゃ準備は無理です!」

 制服の悪魔があわてて反論する。

「馬鹿が、今飲まなくていつ飲むんだ!? 酒ぐらい用意できるだろ? 気を利かせろ!」

 グリムソウルはバシッと悪魔の頭をはたいた。

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