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異世界最速の英雄 ~転生5秒で魔王を撃破した最強幼女の冒険物語~ 20~29

20. 輝く天声の羅針盤

「はい! 無駄話はおしまい。魔導書はもってけ!」

 老婆はそそくさと深緑に輝く魔石をふところにしまうと、引き出しから古びた紙を巻いたスクロールを取り出した。

「これはオマケじゃ。ほい、お嬢ちゃんどうぞ」

 ニコッと嬉しそうにスクロールを蒼に差し出した。

 蒼はけげんそうな顔で受け取ると鑑定をかけてみる。

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マジックスクロール【沈黙の時サイレンスジャマー
ランク:★☆☆☆☆

効果:対象のスキル効果を一秒間止める
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「相手のスキルを一瞬止められる魔法が込められたスクロールじゃ」

「一瞬止めてどうするんです?」

 ムーシュは不思議そうに聞いた。

「知らんよ、誰かがスクロールづくりの練習にでも作ったんじゃろ。ずっと売れ残っておったからオマケにあげよう」

 ムーシュは蒼と顔を見合わせる。たった一秒止められることに何の意味があるのかさっぱりわからなかったのだ。

      ◇

 ギルドに紹介してもらった宿にやってきた二人は小さな部屋を借り、ベッドの上で早速魔導書を取り出した。

「うわー、これは凄い本だねぇ」

 蒼は恐る恐る表紙の金の文字をなでてみる。すると、パリパリッと軽いスパークが走り閃光を放つ。

「わぁ! まだ魔力があふれ出してますよ」

 仰天するムーシュ。

「よし、これで僕も魔法使いになるぞ!」

 蒼はその高いレベルとは裏腹に、魔法はまだ使えなかった。ムーシュに基礎から教えてもらえばよかったのだが、面倒くさくて先送りして今まで来てしまっていた。もっともムーシュも目くらましの魔法くらいしかまともに使えないのだが。

「き、緊張するな……。どれどれ……」

 蒼は震える手でそっと表紙を開く。そこには古びた羊皮紙の上にルーン文字がずらりと並んでいた。文字のインクには魔力が込められているようで、黄金色に静かに煌めきを放っている。

 ページをめくるとそのたびに黄金色に煌めく微粒子がふわっと舞う。

「なんて書いてあるのかなぁ……」

 何やら凄いことが書いてあるのは分かるのだが、蒼にはルーン文字など読めなかった。ページをめくりながら蒼は眉をひそめる。

 その時だった。横で眺めていたムーシュの身体がいきなりぼうっと光を放った。

「へ?」「はぁっ!?」

 直後、魔導書は激しい光を放ちながら黄金色に輝くルーン文字の群れを吹きだす。

「な、なんだこりゃぁ!?」

 いやぁぁぁ!

 ルーン文字の群れは黄金色の光の奔流となってムーシュの眉間みけんを貫いた。

 きゃぁっ!

 あまりのことに倒れ込むムーシュ。

「お、おい! 大丈夫か!?」

 蒼は慌ててムーシュの手を握り、顔をのぞきこむ。

 あ……、あ……。

 ムーシュは口をパクパクさせながらうつろな目で宙を見上げている。

「お、おい、ムーシュぅ!!」

 蒼がどうしたらいいか分からずオロオロとしていると、やがてムーシュに顔色が戻ってくる。

 はぁっ……はぁっ……。

 大きく息をつくムーシュ。

「ど、どうなったんだ?」

「ご、ごめんなさい、主様……。私、天声の羅針盤ホーリーコンパスを覚えちゃった」

 申し訳なさそうに目を伏せるムーシュ。

「マジで!?」

 蒼は唖然とする。

 魔導書は蒼ではなくムーシュを選んだという事になる。レベルは蒼の方が上だが、魔法はムーシュの方が得意なので、それが影響したのだろう。索敵の魔法を使いたかった蒼はがっくりと肩を落とした。

「え? あれ? これは……」

 ムーシュが混乱している。

「どうしたの?」

「何だか敵がすぐ上にいるって感じるんですよね……」

 ムーシュは天井を指さして見上げた。板が張られた古びた天井には木目が美しく流れている。

 蒼はピョンと跳び上がり、天井をガンガンと叩いてみた。

 しかし、物音一つせず、静まり返っている。

「はっはっは、ムーシュの天声の羅針盤ホーリーコンパスは壊れているんじゃ?」

 笑う蒼にムーシュはムッとしてにらむ。

「そんなことないです! なんかいます!」

 直後、バリバリっと音がして天井が割れ、黒装束の男が落ちてくる。

「うわぁ! 何者Deathデス!?」

 とっさにスキルで殺してしまう蒼。

「あっ、やっちゃった……」

 男はムーシュに刃物を振りかざしたものの紫色の光に包まれ、床に崩れ落ちた。やがて消えて魔石となって転がっていく。

「うっひょぉ! ほ~ら、天声の羅針盤ホーリーコンパス役に立ってますよ!」

 ムーシュは溢れる喜びで蒼を軽々と抱き上げ、熱くプニプニの頬に感激のキスを落とした。

「わかった、わかったから……」

 ムーシュが正しかったことに蒼は渋い顔をしながら、ムーシュの顔を引きはがす。

「うーん、ムーシュは有能ですよぉ!」

 かつては「無能」と蔑まれた彼女だが、今、最上級の魔法でその価値を示したのだ。これでもうムーシュを役立たず呼ばわりする者はいなくなるだろう。

 蒼はそんなキラキラとしたムーシュの顔を見つめながら、ため息を漏らす。

「なんか、魔人に狙われてるんだけど僕ら……」

「大丈夫ですって! ムーシュが天声の羅針盤ホーリーコンパスで全部見つけちゃうんですから」

 ムーシュは鼻高々に胸を張る。

「なんか面倒な事になっちゃったなぁ……」

 蒼は宙を仰ぎ、頭を抱えた。

21. 湧き上がる死の囁き

 翌朝――――。

 ムーシュの荒々しい寝返りに何度もたたかれて寝不足気味の蒼は、大あくびをしながら食堂に降りてきた。

「おまえさぁ、明日は床で寝ろよ。ふぁーあ」

「え――――っ! 主様、そりゃないですよぉ……」

「じゃあ、手を縛っとけ!」

「あら、主様、そんな趣味が……、くふふふ。はい、お椅子に乗りましょうね」

 ムーシュは蒼をひょいと持ち上げた。

「幼女に趣味も何もないわ!」

 ムッとする蒼だったが、ムーシュは首をかしげながら蒼を空中で揺り動かしている。

「な、なんだよ……?」

「主様……、軽くなってません?」

 蒼の心臓が一瞬、跳ね上がる。彼の頭に浮かんだのは、忌々しい呪い【原点回帰】だった。

「いいから! 朝食にするよ!」

 蒼は早鐘を打つ鼓動を感じながら強引に席に着くと、気持ちを落ち着けようとパンをかじる。しかし、固いパンをうまく噛めないことに気がついた。

 えっ……?

 蒼は慌てて奥歯を触ってみる。しかし、昨日まであった奥歯がそこにはなかった。

 蒼は目の前が真っ暗になる。若返りの呪縛が予想をはるかに超える速さで身体を蝕んでいたのだ。このままでは、季節が変わる前に終わりを迎えるかもしれない。

「ぬ、主様……。だ、大丈夫……ですか?」

 顔をのぞきこんでくるムーシュのまなざしには、言葉にできないほどの心配が浮かんでいる。

 蒼はパンをテーブルに放り出し、冷たく固まった表情で首を振った。

「ムーシュ……。僕が死んだらお前はどうなる?」

「えっえっ!? そんなこと言わないでくださいよぉ。主様死んだら奴隷も死にます。ムーシュも終わりです……」

 悲しみの重さに耐えかねて、ムーシュの頭は自然と下がった。

「なら、解呪を急げ。残された時間は多くはなさそうだ……」

 蒼はモミジのような手で静かに頭を抱え、まぶたを重く閉じる。心の闇から湧き上がる死のささやきに耳をふさぎながら、繰り返し深呼吸を重ね、ギリギリのところで自分を保っていた。

       ◇ 

 昼過ぎに馬車で迎えが来て、二人はギルドマスターとともに王国の宮殿におもむいた。

 Sランク冒険者のお祝いに国からもらえる報奨で、何としてでも解呪の魔道具を手に入れねばならない。蒼はキュッと口を結んだ。

 やがて宮殿が見えてくる。街の中心にひときわ高くそびえる大理石造りの豪奢なバロック建築には、城門と同じように魔法仕掛けの動く彫刻が施されていた。勇者が高々と剣を掲げ辺りを睥睨へいげいしている。

「見事なものだねぇ……」

 ムーシュに抱きかかえられながら馬車を降りた蒼は、その勇壮な彫刻に見入った。

「魔王城の方が立派ですよ!」

 ムーシュは少し不機嫌にキュッと蒼を抱きしめた。

       ◇

「新Sランク冒険者とはお主か?」

 宮殿の壮麗な謁見室、金と宝石で飾られた玉座に座る国王は、ブラウンの見事なあごひげをなでながら、食い入るようにムーシュを見つめていた。

 ムーシュはギルドから借りた白いジャケット、蒼は青いワンピースで正装している。

 十数年ぶりに現れた街の英雄、Sランク冒険者の姿を見ようと謁見室には貴族をはじめ多くの関係者が詰めかけ、期待と興奮が渦巻いていた。

「偉大なる太陽にご挨拶申し上げます。この度、Sランクと評価いただきました」

 ムーシュは蒼を脇に置き、大勢の視線が集まる中うやうやしく挨拶をした。しかし、魔人のムーシュにとって、宿敵である人間界の中枢で注目を浴びることは心中穏やかでない。魔人だとバレれば次の瞬間弓で射殺されていてもおかしくないのだ。

 集まった貴族たちはどう見ても強そうには見えない小娘の登場にどよめく。ムーシュには強者の持つオーラも気迫も何も無かったのだ。

「上級魔人を瞬殺した……と、聞いたが……。その割にはなんかこう……」

 国王はただの町娘にしか見えないムーシュに困惑する。

「陛下、こんな小娘にSランクとは何かの間違いでしょう!」

 横に控えていた騎士団長がたまらず声を上げた。

「うーむ、これはどうしたことじゃ?」

 国王はけげんそうな顔で推薦者のギルドマスターの方を向く。

「失礼ながら申し上げます。私も彼女がSランクだなんてとても信じられませんでした。しかし、私の目の前でSランクの魔人を瞬殺したのです。Sランクを瞬殺できるのはSSランク、実力的にはSSランクと言えます」

 ギルドマスターは胸に手を当て、まっすぐな目で国王に訴えた。

「はっ! それは見間違いでしょう?」

 騎士団長は鼻で笑う。

「失礼な! 現に魔人の攻撃で屋敷が吹き飛んだことは騎士の皆さんも確認済みでしょう? 魔人襲来という街の危機を救ったのは彼女ですよ? 愚弄ぐろうするのは止めなさい!」

 騎士団長とギルドマスターはお互い譲らず、にらみ合って火花を飛ばす。

「なら今、模擬試合をすればよいじゃろ? ムーシュとやら、それでいいな?」

 国王は有無を言わせぬ迫力で、ムーシュの顔をのぞきこむように言った。

22. 恐るべき文官

 ムーシュは焦って蒼を抱きあげ、テレパシーで聞く。

『ご、ご主人様どうしましょう?』

『どうしようも何も、解呪の魔道具をもらわないとだから断るわけにはイカンよね。困ったなぁ……』

 蒼は頭を抱える。

『サクッと殺しちゃいましょう!』

 ムーシュは悪い顔で笑みを浮かべるが、模擬試合で殺すのも気が進まない蒼であった。

「ムーシュさん、お願いしますよ! ガツンと一発お願いしますよ!」

 渋ってるムーシュにギルドマスターは懇願こんがんする。ギルドの威信をかけてムーシュには頑張ってもらわねばならなかった。

「わ、わかりました……。でも、私、手加減できないので、相手を死なせちゃっても罪には問わないとお約束ください」

 ムーシュは顔を上げ、国王にお願いする。

 どよめきが部屋に広がった。ひ弱な小娘が殺されるのではなく、殺す心配をしている。それは異様な事態だった。

「こ、こう言ってるがどうじゃ?」

 国王はムーシュの言葉の真意をはかりかね、騎士団長に振る。

「こ、殺すだと……? お前が……?」

 騎士団長は、動揺を隠せなかった。ただのブラフだと思いたいが、ムーシュの口ぶりにはそんな駆け引きではなく素で心配して言っているニュアンスが感じられたのだ。

「魔人も殺すつもりはなかったんですが、なんだか死んじゃったんです。今回もそんなことになったら嫌だなって……」

 切々と語るムーシュ。皆、一体どういうことか分かりかね、部屋には静けさが広がった。

 蒼は騎士団長のステータスを表示させてみたが、レベルは253、ムーシュでは到底かなわない。蒼がひそかに手助けしたいところだったが、こんな衆人環視の下ではさすがに難しい。とは言え、即死スキルで殺すのは避けたかった。

 蒼はこの場をどう切り抜けたらいいか、キョロキョロと辺りを見回す。すると、後ろに控えていた文官が一人だけ落ち着きのない様子をしているのが目についた。試しに鑑定をかけてみるとステータスがとんでもない事になっている。

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Lv.323 マグヌス・シュペルバー 48歳 男性
種族 :魔族(人間に偽装中)
職業 :黒魔術師
スキル:多重展開
    魔法を一気に同時に多数展開できます
称号 :魔法に愛されし者
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『おいおい、上級魔人がなぜこんなところに……』

 蒼は思わず息をのんだ。魔王軍のスパイであり、王国を滅ぼす策略の中心的存在であるのだろう。

 期せずして魔王軍の策略を知ってしまった蒼は、一計を案じる。ムーシュに指示を出し、文官との対戦を希望させた。

『あ、あのオッサン知ってる! セクハラしてくる嫌な奴!』

 ムーシュは魔王城でマグヌスに意地悪されたことを思い出す。裏でも相当に悪いことをやっていたと聞いたことがあったのだ。

『あいつを退治しよう』

『オッケー!』

 ニヤリと笑ったムーシュは、マグヌスを指さしながらにこやかに言った。

「対戦相手は、あなた。そちらのローブをまとってる文官の方にお願いしますわ」

 マグヌスはいきなりの指名に焦り、露骨に嫌そうな表情でムーシュをにらんだ。

 一瞬の静寂の後、室内はどよめきに包まれ、皆互いの顔を探りながら驚きの色を浮かべた。

「おいおい、彼は戦闘要員じゃない。彼に勝っても認められんぞ!」

 騎士団長が気色ばんで叫ぶ。

「この中で一番強いのは彼……。それに……、彼には私を倒さねばならない理由があるはずですわ」

 ムーシュはニヤリと笑いながら鋭い視線でマグヌスを貫いた。

 マグヌスはハッとして、ものすごい形相でムーシュをにらみ返しながら前に出る。どうやら彼もムーシュのことを思いだしたようだった。ムーシュに彼が魔人であることをばらされたら彼の計略は全てが水の泡である。もはや戦ってムーシュを抹殺するより他なかった。

「希望……とあらば私が出ざるをえませんね」

 マグヌスは前に歩み出ると全身から不穏な紫の輝きを放つオーラが浮き上がった。

 その異様な姿に室内は静まり返った。

「殺してしまうかもしれませんが、それはご了承ください。演舞場はこちらです……」

 ツカツカと靴音をたてながらマグヌスは中庭の演舞場にムーシュをいざなった。

「くふふっ! 死ぬのはお前だっつーの」

 ムーシュは小声で笑いながら、ぴょこぴょことマグヌスについていく。

「お、おい……」

 騎士団長はなぜ文官がムーシュを殺せるのか理解が及ばなかったが、彼の放つ異様なオーラに気おされ、力なく手を伸ばすことしかできなかった。

23. クモだけはダメなの

 演舞場のステージに登り、にらみ合う両者。

 文官の中年男と、Sランクの少女冒険者の対戦。こんな前代未聞の戦いを、宮殿の者たちが見逃すはずがない。演舞場には大勢の観客が詰めかけ、その結末に心を躍らせていた。

 演舞場のそばの椅子にちょこんと座らされた蒼は、テレパシーでムーシュに指示を出す。

『開始早々決めるからすごい魔法を打つポーズを見せろよ』

『合点なのです! ちゃちゃっと殺しちゃってください!』

 ムーシュは蒼に向かって手を振り、嬉しそうにパチッとウインクをする。

 そのあまりにお気楽な様子に、蒼の脳裏には嫌な予感がよぎった。

 大丈夫かな……。

 マグヌスは自分を引きずりだした少女のことを忌々いまいまし気ににらんでいた。苦労して手に入れた宮殿内での地位をこんな小娘の気まぐれで台無しにされてはたまったものではない。全力で口封じをして黙らせる以外なかった。

 両者がにらみ合いながらツカツカとお互い距離を詰めた時だった。

「もし、生き残っても、後でグチャグチャに犯しぬいてぶち殺してやるから楽しみにしておけよ」

 マグヌスはいやらしい笑みを浮かべながらささやく。

「あら? 最期の言葉がそれ? 遺族に伝えておくわ」

 ニヤッと笑うムーシュ。

 マグヌスは明らかに格下なムーシュの余裕に違和感を感じた。数年前魔王城で見たときはペーペーの下っ端の小娘だったはずである。上級魔人としての自分の実力だって知ってるはずだ。しかし、ムーシュは勝つ気でいるのだ。

 自分の知らない罠か魔導具を仕込んでいるのでは? と、ムーシュの身体を凝視してみても、ただの正装のジャケットを羽織っているだけで、武器一つ持っていない。そもそも試合になるのもさっき国王が決めた事。準備しているとも思えなかった。

『何だ? 何をやるつもりだ!?』

 マグヌスはギリッと奥歯を鳴らし、最初から全力で叩き潰す方針に変える。違和感を大切にしてきたから今まで生き残ってきたのだ。ムーシュには手を抜いてはならないと本能が告げている。

「はい! 両者位置について!」

 レフェリー役の男が声をかける。

 ムーシュは首を回し、バレリーナのようにすっと片足を前に伸ばすと、凛とした姿勢でぐっと背筋を張る。そして、まぶたを閉じて深く息を吸うと、マグヌスに向かって挑戦的な笑みを投げかけた。

「レディーーーー……」

  レフェリーの声が中庭に響き渡り、観衆は固唾を飲んで二人を食い入るように見つめている。

「GO!!」

 腕を振り下ろすレフェリーの叫び声と同時に、マグヌスは目にもとまらぬ速さで右手でシュッと小さな円を描いた。

 直後、目の前に紫色に輝く禍々しい魔法陣が浮き上がる。それと同時に無数の魔法陣がムーシュを囲むように出現し、激しい紫色のオーラを噴き上げた。

 その圧倒的な魔力と技に観衆は気おされ、みな表情をこわばらせる。

 へ?

 いきなりのことにムーシュは反応が遅れた。

 すると、魔法陣からは次々と大きなクモの魔物がゾロゾロと出てくる。

「ひ、ひぃぃぃぃ! いやぁぁぁ!」

 クモが大嫌いなムーシュは無数のクモに囲まれて半狂乱に陥る。

『バカ! 早く魔法打つポーズだ!』

 蒼は焦ってテレパシーを送ってみるが、ムーシュはもう言葉が通じる状態ではなかった。

『うぎゃぁぁぁぁ!』

 無様にクモから逃げ回るムーシュ。

『馬鹿野郎が!』

 蒼はギリッと歯を鳴らした。

「かははは! 死ねい!」

 勝ちを確信したマグヌスは両手を振り下ろし、無数のクモに攻撃の指令を送る。

 クモたちはムーシュに向かって目を激しくピカッと光らせた。

 うわぁ! ひぃ!

 観衆はあまりのまぶしさに目を覆う。

 ドサッ……。

 直後、演舞場で何かが倒れる音が響いた。

 観衆が恐る恐る目を開くと、そこにはなんとマグヌスが横たわっている。そして、無数のクモたちもすぅっと消えていった。

 舞台にはただひとり、放心状態のムーシュが固まったように立っている。

 え? はぁっ?

 観衆がポカンとしているとレフェリーが走り寄り、マグヌスの様子を見る。

 しかし、腕でバッテンを作ると叫んだ。

「担架だ! 急いで!」

 蒼は呆然と突っ立っているムーシュに念話で叫ぶ。

『バカ! 何やってんだ! 勝利のポーズだ、勝ち名乗りを上げろ!』

 ムーシュはハッとすると、慌ててピョンと跳び上がり、観客に向かって笑顔で手を振った。

「イェーイ! 私の勝ちよっ!」

 しかし、そのとってつけたかのようなパフォーマンスに観客全員、疑問の視線を浴びせかける。確かに勝利は手中に収めたかもしれないが、その戦いが伝説とされるSランクに相応しいとは誰も思わなかった。

 シーンと静まり返る会場。

「あ、あれ……?」

 ノリの悪い会場に、さすがに違和感を感じたムーシュは固まってしまう。

 と、その時だった。マグヌスの身体がすうっと消えると、後に紫色に輝く魔石がころりと転がっていく。

 えっ!? な、何ぃ!?

 会場が一瞬の静寂に包まれた後、驚きのどよめきが波のように広がった。

 宮殿の中枢の文官がなんと魔人だったのだ。それもあんな超ド級の攻撃を展開できるほどの手練れが中枢に食い込んでいたということであり、それは国家の存亡にかかわる危機だったということを意味する。

「こ、これはどういう事じゃ! 緊急会議じゃ! 宰相、今すぐ会議室にメンバーを集めよ!」

 国王は叫び、もはやSランク任命式など吹き飛んでしまった。

「あ、あれ……。褒章の話は?」

 ステージ上でムーシュはほったらかしにされ、ただ、所在なくオロオロするばかりだった。

24. 心臓を撃て

『何やってんだ! 国王捕まえて褒章をもぎ取れ!』

 蒼は真っ赤になってげきを飛ばす。

『えーー……。でも、何だか忙しそうですよ?』

『バッカモーン! 解呪の魔道具がもらえなきゃ僕らは死んじゃうんだぞ! 死ぬ気でゲットだ!』

 蒼は自分のひざをピシピシ叩きながらムーシュを指さした。

『アイアイサー!』

 皆がバタバタと走り回る中、ムーシュは人をかき分け頑張って国王に駆け寄る。

「お、王様! 王国の敵を倒しました! ほ、褒章はいただけるんですよね?」

 しかし、国王は面倒くさそうにあしらう。

「今はそれどころじゃないじゃろ!」

 ムーシュは焦った。このままうやむやにされてしまったら自分も死んでしまうのだ。

『何やってんだ! 脅せ! 王国を救った英雄を邪険にするのか? 他国に行くぞ! とか何とか喚いて褒章をもぎ取れ!』

 蒼は椅子の上でピョンピョン飛びながら怒った。

『くぅ……。そうですよね……』

 ムーシュは何度か深呼吸をすると小悪魔の笑みを浮かべ、再度国王に絡む。

「ちょっとお待ちください……。王国の危機を救ったSランク冒険者を……邪険にしていいんですの?」

「じゃ、邪険になど扱って……」

「魔人から王国を救ったSランク冒険者……、他国から引く手あまたですのよ? ふふっ」

 ムーシュは王様に迫ると上目遣いで脅す。

「くぅ……。な、何が欲しいんじゃ?」

 ムーシュには怪しい点も多いが、魔人の文官を見つけ出して倒した功績は大きい。他国にとられるのは安全保障上避けたかった。

「うふっ、ありがとうございます。解呪の魔道具が欲しいのです」

 ムーシュは王様の手を取ると前かがみになって胸の谷間を強調する。こうすると男はどうしても谷間を見てしまう生き物なのだ。

 国王もつい見てしまい、視線が泳いでしまう。

「か、解呪……? あれは初代国王のたまわった国宝……。うー、まぁいいじゃろ。おい、宝物管理官! ちょっと来い!」

 国王は顔をしかめながら担当者を呼んだ。

 ムーシュはグッとガッツポーズして蒼にウインクを飛ばす。

 蒼は安堵のため息を漏らしながらペタリと椅子に座り込むと、サムアップで応えた。

 こうして蒼はついに待望の解呪の魔道具を手に入れることに成功したのだった。

        ◇

 手の込んだ装飾が美しい骨董品の木箱を蒼はゆっくりと開けた――――。

「こ、これが解呪の魔道具……?」

 中に横たわっていたのは、闇夜の星の如く微かに輝く、いぶし銀の拳銃だった。その表面には、極めて精緻に施された彫刻があり、一瞬で蒼の目を奪った。月桂樹の葉に囲まれた中に生命力に満ちた幻獣が仁王立ちになっている彫刻で、その瞳は、何世紀もの時間を超え、今にも動き出しそうな強烈な力を宿している。

 おぉぉぉぉ……。

 蒼は拳銃を取り出し、そのずっしりとした重みに頼もしさを感じた。銀製であろう銃身はひんやりとして、それでいて心の奥底をたぎらせる不思議な力を感じさせる。

 箱には別にクリスタルの弾が一発入っていて、これで呪われた人を撃てということらしい。

「これ、どう使うんですか?」

 拳銃を見たことの無いムーシュは首をかしげる。そう、魔法の発達したこの世界には火薬がないので拳銃もない。だから、拳銃の形をしている時点で女神の関わった品というのは間違いなかった。

「弾を撃つ道具なんだよ」

 蒼は古びた説明書きを広げる。紙片は時の重みでボロボロとなり、文字は風化していたが、何とかぎりぎり読めなくもない。

「えーと……『心の臓に月の力を得た弾を射つれば、呪いは解かれん』……。えっ、心臓を撃てって事!? マジかよ……」

 蒼は宙を仰いだ。この言葉通りであれば心臓を撃ってもらわないといけないわけだが、失敗したら死んでしまうのではないだろうか?

 ムーシュは拳銃の表面の彫刻をのぞきこみ、その精巧さに目を奪われる。

「うわぁ、綺麗ですねぇ……」

 蒼はそんなキラキラした瞳のムーシュをジト目で見る。これで撃たれる者の気持ちを少しは分かってもらいたかったのだ。

 ふぅと大きくため息をついた蒼はムーシュの顔を押しやり、

「ちょっと試すからどいて……」

 そう言って弾を込めてみる。

 モミジのような蒼の手では引き金に指は届かないので、両手を使ってベッドに向けて引き金を引いた――――。

 カチ……。

 かすかに金属音が響いたが何も起こらなかった。月光を浴びないと弾も出ないらしい。

 やはり夜を待たねばならない。幸い今日は天気もいいし、満月も近くてコンディションとしては最高である。

 夜になったらこれでムーシュに心臓を撃ち抜いてもらう……。蒼はそのシーンを想像してゾクッとした。

「はぁ……、これ本当に大丈夫かな?」

「大丈夫ですよ、初代国王が女神から下賜かしされた魔道具の中の一つらしいですよ。女神が創ったのだからバッチリですよ!」

 ムーシュはグッとこぶしを握り、純真無垢な笑みを浮かべた。

「女神製ねぇ……」

 蒼は渋い顔で銃身の彫刻をじっと見入る。幻獣の目はただ静かに煌めきを浮かべていた。

25. イケメンは敵だ!

 その晩、ギルドでのお祝いを断って二人は夜を待った。

「なぁ、上手く解呪できるかなぁ……?」

 蒼はベッドに身を横たえ、窓から見える夕暮れの空を静かに見つめた。星々が徐々に現れ、一つ一つが静かに輝きを放ち始める。

「きっと上手くいきますよ! なんて言ったって女神の魔道具ですからね! くふふふ」

 ムーシュは蒼の隣に静かに身を横たえ、楽しそうに笑うと、その深く紅い瞳で蒼のブロンドを愛おしそうになでた。

「だといいんだけど……」

 海より深いため息をついて蒼は目をつぶった。生きるか死ぬか、運命の時が近づいていることに蒼は落ち着かない心を持て余す。

「上手くいったら主様はどうするんですか?」

「ん……? まぁ……、田舎の村でのんびり暮らそうかな」

「はぁ!? 何ですかその老人みたいな暮らし。主様は世界一強いお方。もっと表舞台で活躍していただかないと!」

 ムーシュはガバっと起き上がるとこぶしを握り力説した。

 蒼はチラッとムーシュを見ると鼻で笑う。

「活躍したら何が嬉しいんだ?」

「お金ガッポガッポで、毎日おいしいもの食べてイケメンはべらせられますよ!」

 はぁ~……。

 蒼は首を振り、深いため息をついた。

「あのなぁ。金なら魔石換金したら不自由しないし、僕はイケメン嫌いなの!」

「イ、イケメン嫌い……。それはまだ主様が小さいからですよ! 大きくなればイケメンの良さも……」

「歳は関係ないの! イケメンは敵だ!!」

 八割の男子が抱えているであろう本音を蒼は爆発させる。

 前世、女の子たちのキラキラと輝く瞳がイケメンに向けられていたのを、モテない自分がどれだけ恨めしく思っていたことか。ちょっと容姿がいいだけで特別扱いされるその理不尽さに、激しい怒りを覚えていたことがフラッシュバックしてしまう。しかしそれは所詮ひがみだし、幼女となった自分にはもう関係ない話だった。

 蒼は自分でも情けないことを言っていることに嫌気がさして、毛布に潜り込んだ。

「もしかして……。女の子の方が好きとか……」

 ムーシュは恐る恐る聞いてくる。

 うるさい!

 蒼は毛布から手だけ出してパシパシとムーシュをはたいた。

「痛い痛い……。わかりましたよぉ、主様ぁ」

 ムーシュはたまらず逃げだしていく。

 蒼はもう一度銃身の模様を眺め、ふぅと深くため息をついた。

       ◇

 やがて暗がりが徐々に王都を覆いつくし、星々が空にきらめきを散らばらせた。赤い月が石畳の道の先から、静かにその顔を現し、いよいよその時がやってくる。

 蒼は銃を取り出すとそっと窓辺に置いた。

「これで……いいのかな?」

 ほのかな月明かりに照らされて、心なしか拳銃も光を纏って見える。

「うーん、もうちょっと昇って来ないと月光が弱いかもですね……」

 ムーシュはワクワクした瞳でじっと拳銃を見つめた。

       ◇

 しばらくすると月も青く輝き始め、拳銃も光の微粒子を辺りに放ち始めた。

「おぉぉぉ……」「綺麗ですねぇ……」

 月の明かりを浴びて徐々に輝きを増す拳銃。幻獣の彫り物も今にも飛びかかってきそうな迫力を帯びてきた。

「ではムーシュ、一発……頼むよ」

 蒼は何度か大きく深呼吸をするとそっと拳銃を持ち上げる。そして、先の方をつかんでムーシュに差し出した。その碧い瞳には今にも泣きだしそうな悲痛な覚悟が浮かんでいる。

「わ、私が撃つんですか?」

「自分じゃ上手く撃てないじゃないか」

「……。わかりましたよぉ……」

 ムーシュはおっかなびっくり銃を受け取ると、そっと光り輝く銃身をなでてみる。なでるたびに光の微粒子がパァっと散って部屋が明るくなった。

「引き金を引けば……いいんですね?」

 ムーシュはベッドに腰かける蒼の心臓を、素人丸出しのフォームで狙った。

「そう、引くだけ。ちゃんと心臓を狙えよ?」

 蒼はまるで予防注射を受ける保育園児のように、苦々しい顔をしながら顔をそらす。

「い、いきますよぉ……」

「外すなよ!」

 ムーシュは大きく息をつくと、目をギュッとつぶって引き金を引いた――――。

 キュイィィィィン……。

 拳銃は甲高い音を立てながら激しい閃光を放ち、直後パン! という破裂音を立てた。

 刹那、キン! という金属音が部屋に響き、蒼の胸の前には水面のように青く輝く波紋が広がっていった。

 カン! コロコロコロ……。

 床にはクリスタルの銃弾が転がっていく。

 は……? あれ……?

 呆然とする二人。

 心臓に当たらなければならないはずの弾丸が足元を転がっている。それはあってはならない事態だった。

「な、なんだよこれぇ!」

 蒼は頭を抱えた。女神製の魔道具ははじき返されてしまったのだ。つまり、天使のかけた呪いの方が魔道具より強かったということだろう。

「チクショー! もう一度だ!」

 その後二人は何度も試したが、何度やっても弾ははじき返され、心臓に届くことはなかった。

26. 隕石の贈り物

「主様、元気出してください……」

 毛布に潜り込んで動かなくなった蒼をムーシュはそっとなでた。

 しかし、ピクリとも動かない。

 女神の解呪の魔道具が効かなかったということは、もはや解呪は不可能だということ。それはつまり近いうちに受精卵にまで若返って死んでしまうことを意味していた。

 希望に満ちたはずの異世界転生。だが、現実は残酷で、何も始まらぬまま全てが蒼の手を滑り抜けていく。無念の涙が頬を伝い、蒼はただ、静かな絶望の中で無気力に転がっていた。

「でもその……天使でしたっけ? なんかちょっとおかしいですよね?」

 ムーシュは蒼をさすりながら首をひねる。

「何か目的があってこんなことしてるんでしょ? 一体それって何を狙っているんでしょう? まさか単なる嫌がらせってわけじゃないと思うし……」

 蒼はムーシュの言葉にピクッと反応した。

 確かにそうだった。天使だって暇じゃない。単に蒼をイジメてそれを嗤うためにこんなことまでしないだろう。きっと何か考えがあってやっているはずだった。

「きっと【即死】で誰かを殺してほしいんじゃないかしら?」

 蒼はガバっと毛布を跳ね飛ばし、起き上がった。

「誰かって……誰?」

 真っ赤に泣きはらした目でムーシュに食って掛かる蒼。

「わ、分かりませんよぉ。でも、そんな気しません?」

 蒼は深く眉を寄せ、心の中で渦巻く謎に向き合う。即死、その名の通り運命を一瞬で断ち切る異質なスキル。そして追い込むような若返りの呪い。何か深い策略、隠された意図を感じながらも、その目的が読み取れない。もし、本当に何かを成し遂げてほしいのなら、なぜ暗示すらも与えられなかったのか?

 天使が殺したくても殺せない相手がいて、それを自然に殺すように呪いをかけて蒼を仕向けていると考えると確かに辻褄つじつまは合う。だとするならば、そいつを殺せば天使は呪いを解いてくれるに違いない。

 問題はそれが誰かが全く分からないことなのだ。

 そもそもなぜ天使はそいつを殺せないのか? 女神にバレると困るから? でも、女神にバレずに自分に殺させたりできるものだろうか? だとすれば女神ですら殺せない相手がいて、それを自分が殺す……。いやそんな馬鹿な……。

 蒼は必死に天使の意図を探ったが、天界の事情など知りようもない蒼にはただの憶測の域を出ない。

 ただ、ムーシュのおかげでまだ希望が残っていることを確認できたのだ。

 ふぅと大きく息をつくと、蒼はムーシュの柔らかで温かな手を取った。

「ありがとう、ムーシュ……」

 蒼は涙にぬれた碧い瞳でムーシュを見上げる。

「た、ただの思い付きですけどね。元気になって良かったですぅ」

 ムーシュは蒼を抱き寄せて、プニプニのほっぺに嬉しそうにスリスリと頬ずりをした。

 その時だった。夜空が黄金に輝く壮絶な閃光を放ち、窓の向こうから絢爛とした光の洪水が部屋を吞み込むように流れ込んでくる。

 うわぁ! ひゃぁ!

 驚き抱き合う二人――――。

 直後、何かがカツン、カラカラと床で音を立てながら転がった。

 恐る恐る床を見下ろすと、そこには黄金色に輝く星の形をしたものが揺れている。

「な、なに……これ?」

「さ、さぁ……。空から落ちてきた星……ですかね?」

「隕石? こんなきれいな隕石ってある?」

 蒼はけげんそうな顔でヒョイっとベッドから降りると、ツンツンと指先で星をつついた。

 星はつつかれるたびにブワッと黄金の輝きの微粒子を吹きだしてくる。それは拳銃の魔道具をほうふつとさせる美しさだった。

「何かの魔道具ですかねぇ……?」

 ムーシュは恐る恐る星を拾い上げる。その刹那、鮮烈な光が爆ぜ、彼女はそのまばゆい光に完全に包まれてしまう。

 ひぃ! うわぁぁぁ!

 やがて光の中から黒い翼がゆっくりと現れ、その翼が開かれると、ピンクの髪の悪魔ムーシュが優雅に浮かび上がった。彼女の顔には夢を見ているかのような恍惚の表情があり、幸せそうにふわふわと空中を漂っている。

「あれ、お、お前……翼は治ったのか?」

 ムーシュはうつろな瞳で振り向き、手をのばして翼を確認する……。

「えっ!? ほ、本当だ……。や、やったぁ! 主様、ムーシュは完全復活ですよぉ!」

 ムーシュは蒼を抱き上げるとバサバサっと翼をはばたかせ、部屋をぐるりと一周飛んで見せた。

「よ、良かった……」「これでどこへでも行けますよぉ」

 二人はフワフワと空中を飛びながら笑顔で抱き合った。

「あれ……? これは誰かがくれた贈り物……ってこと?」

 蒼はあまりに都合の良い星の出現に眉をひそめた。

「ありがたいお話ですねぇ」

 ムーシュはニコニコとほほ笑むが、蒼は途端に険しい表情になった。

「天使だ……」

 えっ……?

「天使がムーシュの翼を治したんだ! あいつめ……」

 蒼はギリッと歯を鳴らした。

「ど、どういうことですか?」

「僕らが解呪に失敗して落胆したのを見て、道を示すように星を送り込んできやがった。要はムーシュの翼で飛び立てってことだよ。あいつは今も僕らを見ているんだ!」

 そう叫ぶと蒼はムーシュの手をほどき、窓辺までダッシュして夜空を見上げた。

 しかし、夜空には星が瞬き、月が輝くばかりで不審な物は何も見えない。

「なんでこんな手の込んだことするんだよ! 今すぐ出てこい!」

 蒼は夜空に向けて叫ぶ。

 しかし、ただ静かに星が瞬くばかりである。

 くぅ……。

 蒼は夜空をものすごい形相でにらみつけると中指を立てた。

 やり返さねば気が済まない。だが、相手はどこにも見えない。

 ちくしょう……。

 目的があるならなぜ言わないのか? こんな影からサポートするような事して一体何がやりたいのか? 天使にいいように弄ばれている気がした蒼は、ベッドにポスっとその身を投げた。

 

27. 大天使の碧い瞳

 翌朝、蒼は黙々と朝食を口に運びながら、思索に沈んでいた――――。

「ぬ、主様……、お茶要ります?」

 ムーシュが恐る恐る声をかけると、蒼は覚悟を決めた目でムーシュを見あげた。

「おい、魔王城へ行くぞ」

「えっ! ついに魔王になられるんですか?」

 ムーシュは真紅の目をキラキラと輝かせる。

「違う違う、情報収集だ。天使がムーシュの翼を治したってことは『どこかへ飛んで行け』ってことだろ? ムーシュが飛んでいけるところで一番怪しいのは魔王城じゃないか」

「まぁ……、そうですね? でも、せっかく行くなら魔王になりましょうよぉ」

 ムーシュは蒼の手を取って説得にかかる。

「あのな? 僕らには時間が無いの! 日々小さくなってるんだぞ。そんなことやってる時間なんてある訳ないだろ!」

「そ、そうでしたね……」

「食べ終わったらすぐに発つぞ」

「えっ! そんなにすぐ?」

「何か問題でも? あっ、お前魔人に追われているんだっけ?」

 蒼がお茶を飲みながら聞くと、ムーシュはもじもじしながら上目づかいで蒼を見る。

「あ、えーと……。こういうとアレなんですけど、あたしは魔王城だと無能の落ちこぼれ。誰も上級魔人を殺せるなんて思ってないので、すぐに潔白だと分かっちゃうんです……。だからそれは大丈夫」

「じゃあ何だ?」

「人気のお店のアップルパイをまだ食べてなかったので……」

 ムーシュはペロッと舌を出した。

「……。即時出発! いいね?」

 蒼はムーシュをビシッと指さし、鋭い眼差しでやいばのように彼女を貫いた。

「アイアイサー!」

 ムーシュはブルっと震えると焦って敬礼した。

      ◇

 魔物狩りを装って荷馬車で近くの森まで乗せてもらった二人は、鬱蒼とした森の中へと入っていく。静寂が二人をやさしく包み込み、蒼は両手を広げると胸いっぱいに森の空気を吸い込んだ。

「ふぅ……。じゃあひとっ飛びヨロシク!」

 蒼はムーシュに両手を伸ばした。

「はいはい、ムーシュは頑張りますよぉ……」

 ムーシュは気乗りのしない声で蒼を抱き上げる。

「なんだ? 魔王城に帰りたくないのか?」

「……。せっかくSランク冒険者になったのに、魔王城に戻ったら無能の役立たず扱いなんですよねぇ」

天声の羅針盤ホーリーコンパス覚えたじゃないか」

「いつどうやって覚えたのかとか、また面倒くさいんですよぉ。しばらくは秘密にしておかないと……。はぁ……」

 ムーシュは、翼を広げ、一瞬の静寂の後、力強いはばたきで森の静寂を切り裂く。次の瞬間、ふわっと舞い上がると、森の密集した木々の間を縫うように天へと飛びぬけていった。

 まぶしい青空には美味しそうな白い雲が浮かび、その影が美しいパッチワークを森に描き出す。爽快な風が軽やかに駆け抜け、鳥たちの優雅な舞と共に、自然の調べを奏でている。

「うーん、気持ちいいね」

 蒼はブロンドをキラキラと陽の光に輝かせながら、久しぶりの空を舞う感触を全身で味わう。

「あのー、なんか軽々と飛べちゃうんですケド?」

 ムーシュは翼を元気にはばたかせながら首を傾げる。

「だってお前、かなりレベルあがってるんだよ。FランクがCランクくらいまでには成長してる」

「えっ! そんなに!? じゃあ、どこまで速く飛べるか試してみますね」

 ムーシュは力強く羽ばたき、グッと高度を上げていく。

「うわぁ、長旅なんだから無理しちゃダメだって!」

「大丈夫ですって! いっきますよぉ!」

 ムーシュはキュッと口を結ぶと翼にグッと魔力を込める。直後、翼は紫色の輝きに包まれ速度が一気に上がっていく。

「そいやーっ!」

「うわぁぁぁ!」

 こうして、二人は新しい希望を胸に秘め、一路、霞む地平線の先、魔王城目がけて翼を広げ、飛んでいった。残された時間はもう残り少ない。果たして天使の目論見通り蒼は世界を救えるのだろうか? はるかかなた上空の水瓶宮アクエリアスでは碧い髪の大天使シアンがそんな二人の様子を追いかけていた。彼女の碧い瞳は神秘と知恵に満ち、その切なくも力強い眼差しは、地上の二人に寄り添うように静かに注がれていた。

28. 漆黒の溶岩ドーム

 森で野宿をした翌日、ムーシュは力強く羽ばたきながら嬉しそうに地平線を指差した。

「主様、見えてきましたよぉ~」

 指の先には荒涼とした岩山の連なる中、ひときわ異彩を放つ漆黒の溶岩ドームが陰鬱な気配を漂わせている。どこか死を連想させるこの暗黒の巨大建造物こそ、多くの者が恐れをなす魔王城だった。

「初代の魔王様が地面を割ったらマグマが噴き出して巨大なドームができたんです。そこをくりぬいてお城にしたんですね」

「マジかよ……」

「伝説ですから盛ってあるんでしょ? きゃははは! で、ドームの地下にはアリの巣みたいに多くの通路と部屋があるんですよ。うちの家もそこにありマース!」

「え~っ、地下……? ダンジョンみたいなの? それはちょっと……」

「何言ってるんですか! 夏は涼しく、冬は暖かく、全館セントラル空調でめちゃくちゃ快適なんですよ?」

 ムーシュはほっぺたを膨らませて怒る。郷土愛は相当なものだった。

「そ、そうか、それは凄いな……」

「中には数万人収容のスタジアムまであるんですから! エヘン!」

「ス、スタジアム!? 地下に?」

「そうですよ! 魔王城をなめてもらっちゃ困るですよ? うふふ。あ、そうだ。これ着けなきゃ……」

 ムーシュはバッグからカチューシャを取り出すと、蒼のブロンドヘアに滑らかにセットした。カチューシャには可愛いつのがついており、これで蒼も魔人に見えるということらしい。

「ふふっ、主様もこれで魔人ですよ」

「いや、ちょっと、さすがにこれはバレるでしょ!」

 蒼はカチューシャを指先で確認しながら、不安になって叫んだ。

「大丈夫、大丈夫、バレたら殺しちゃってください。くふふふ」

「お、お前……」

 ムーシュの無邪気な笑いが空に溶けていく中、蒼は空を仰ぐことしかできなかった。

        ◇

 さらに近づいて行くと、溶岩ドームの全貌が見えてきた。高さは二キロ近くあり、太さは一キロ弱くらいだろうか? 岩山たちの中にあって、漆黒のドームは異様な雰囲気を醸し出している。ドームの表面には多くの穴がのぞいており、ガラス窓がはめられている。最上階には巨大な窓が開き、中には魔法のランプが並んで見えた。魔王の部屋だろうか?

 下の方にぽっかりと大きな穴が開いていて、そこから多くの人が出入りしているのが見えてきた。言わば空港なのだろう。飛び立って行く人が優先のようで、降りる人は飛び立つ人を避け、空いているところに着陸していく。中にはワイバーンのような巨大な魔物に乗って飛び立っていく人たちもいるが、そういう大きな魔物の場合は脇に専用の離発着場があるようだった。

「いやぁ、凄いなぁ……」

 蒼が圧倒されていると、ムーシュは嬉しそうにスリスリと頬ずりをする。

「でしょぉ? うふふっ」

 王都も見事だったが、この巨大な溶岩ドームを見てしまうと色あせてしまう。こんなの前世の地球だって見たことが無かったのだ。

「着陸しますよぉ……」

 ムーシュはバサバサッと力強く羽ばたきながら、空港のステップめがけて高度を下げていく。

 どんどん近づいてくる地面。

 ムーシュは最後にバサバサバサッと激しく羽ばたき、一瞬空中で止まるとそのまますっと地面に降り立った。

「お疲れ様!」

 蒼はトントンとムーシュの腕をタップして長旅をねぎらった。

「ようこそ魔王城へ!」

 ムーシュは蒼を高々と持ち上げると、空へとはるか高くそびえる魔王城を見せた。

「うはぁ……」

 見上げてみるとその漆黒の魔王城の迫力は圧倒的だった。巨大な壁面は二キロ近くも垂直に立ち上がっており、距離感がバグってくるレベルである。超高層ビルだって数百メートルなのだ。こんな高い建物などどう表現していいかもわからない。

「とりあえず、おうちへ行きましょ?」

 ムーシュは蒼のカチューシャを整えるとキュッと抱きしめ、魔王城の中へ駆け出した。

        ◇

「お疲れ様でーす!」

 入ってすぐのところの検問で、ムーシュは衛兵にブレスレットを見せてにこやかに通過する。

 その先にはまるで大型ショッピングモールを思わせる吹き抜けの回廊がずっと遠くまで続いていた。ずらりと並ぶ魔法ランプが明るく照らし出す中を、多くの魔人が翼をはばたかせ、飛び交っている。

「うわぁ! 何これ、すごい……」

 蒼はその活気あふれるファンタジーな世界に圧倒された。

「ふふーん、魔王城の方が断然進んでるのよ?」

 ムーシュはドヤ顔で嬉しそうにそう言うと、蒼を抱き上げて回廊にピョンとダイブして、ツーっと飛んでいく。

 うわぁ……。

 両脇には飲食店やら雑貨屋、食料品店などがずらりと並び、どこもにぎわっている。地下だと聞いていたのでかび臭くじめじめしている洞窟のような世界を想像していたがとんでもない、それは前世でも見たことの無いほど魅力的なジオフロントだった。原始的で野蛮な暮らしを想像していた蒼はその高度な生活水準に衝撃を受ける。

 回廊は枝分かれし、また、枝分かれのところには下の階層へとつながっている巨大な穴があり、立体的に高度に設計されていた。

「これは圧倒的だね……。でもなんで地下なの?」

「それはここが城塞都市、戦争に特化した街だからですよ」

「防衛に徹した街……ってことかな?」

「そうですよ。ここには目に見えない結界が無数張り巡らされていて、いまだかつて一度も攻め落とされたことがないんです。あ、主様に魔王様倒されてましたね、うふふ……」

 ムーシュは楽しそうに笑った。

 ここまで徹底した守りの拠点に居て、長きにわたり一度も倒されたことがない魔王が蒼の一言で消されてしまっていたのだ。改めて蒼は自分のスキルの異常なチート性能にクラクラしてしまう。

「さて、そろそろおうちですよぉ。パパもママも元気かな~? ムーシュは帰ってきましたよぉ~♪」

 ムーシュは吹き抜けの二階層部分にシュタッと着地すると、枝分かれしている細い小路へと元気に駆けていった。

29. 魔王の執務室

「ただいまぁ!」

 嬉しそうに元気よくドアを開けるムーシュ。

 テーブルに座っていたムーシュの母親は、一瞬、時が止まったかのような驚きを抱き、瞳を急に広げる。

「あら! ムーシュ! ムーシュぅぅぅ!」

 顔を歪めながら駆け寄ってくる母親の迫力に気おされ、蒼は飛び降り、母親はムーシュにがっしりと抱き着いた。

「うぉぉぉぉ……。死んだとばっかり思ってたじゃないのさぁ」

「ゴメン、ゴメン、こっちも大変だったのよぉ」

 ムーシュは母親の背中をトントンと叩く。

 しばらく室内には母親の嗚咽が響き、ムーシュは幸せそうに温かな体温を感じていた。

「ルシファー様の部隊が全滅って聞いて、毎日泣きはらしてたのよ? ほら、祭壇にまで飾っちゃったんだから」

 母親の指さす先には祭壇があり、魔法のランプがゆらゆらと揺れている。たくさんの土人形が飾ってある中で、新しいピンク頭の人形がムーシュの位牌いはいなのだろう。

「でも、本当に無事でよかった……」

 母親はうれし涙をポタポタとこぼした。

 蒼は悪魔の世界の親子愛を見て、ホロリとしながらも悪魔とはどういう存在なのか不思議に思う。

「ところで……。この子は何なんだい?」

 母親は蒼を指さして不思議そうに聞く。

「あっ、こ、この子は知り合いの子で、預かってるのよ」

 ムーシュは適当にごまかす。

「あら、今晩のごちそう……じゃないのかい?」

 蒼を見る目が食べ物を見る目に変わり、母親はペロッと舌なめずりをした。

「た、食べ物じゃないよぉ」

 蒼はいきなりの展開に圧倒され、青い顔で後ずさりした。やはり悪魔は悪魔だったのだ。

「あらそう、こんなに美味しそうなのにねぇ……」

 母親は未練がましい目で蒼を見つめながら蒼のプニプニのほっぺをなでる。その野蛮な瞳に蒼はブルっと身震いした。

「あれ? パパは?」

「それがねぇ、緊急の招集で北のとりでに動員されちゃったのよ……」

「北の砦!? ま、まさか赫焔王かくえんおう?」

「そうなんだよ、あの伝説の暴れ龍が出てきちゃったらしくて……。一体どこのバカだろうね、魔王様を倒しちゃったりする奴は!」

 蒼はドキッとして顔を歪め、思わず胸を押さえる。

「ホ、ホント困るわよね……」

 ムーシュは調子を合わせながらチラッと蒼を見た。

「無事に帰って来れるといいんだけど……」

 母親はがっくりと肩を落とし、うつむく。その眼には悲しみが静かに溢れた。

 蒼は苦々しい表情で腕を組んで首をひねる。かつての軽はずみな一言が今、重くのしかかってきていた。

「私が何とかしてみせるわ! ねっ! 蒼ちゃん!」

 ムーシュは蒼をひょいと抱き上げる。

「何とかって……。一体何をするつもりだい、止めておくれよ軽はずみなことは。悪魔にはというものがある。背伸びしたら必ずやけどするんだよ?」

「大丈夫だって、ママ。この子と一緒ならムーシュは無敵なのよ」

 ムーシュは蒼のプニプニのほっぺにチュッとキスをする。

「この子はまたそんな馬鹿な事言って! パパもお前も居なくなったら私はどう生きていけばいいのよ!」

 母親は怒る。その痛いまでの心の叫びに蒼はたまらなくなって口を開いた。

「お母さん、安心してください。赫焔王かくえんおうは僕が何とかします」

「は……? 何だい、この子しゃべれるのかい? 何とかって……お前みたいな赤ん坊が一体何を……?」

 その時だった。三度の激しくドアを打つ音が室内を揺るがせる。

「親衛隊だ! 開けろ! ムーシュはいるか!?」

「あらやだ! ムーシュ、お前何かやらかしたのかい!?」

 母親の顔が震えながら青ざめていく。親衛隊は、魔王直轄の精鋭が集う特殊治安維持部隊だった。ムーシュはただの下っ端、彼女がそのターゲットになるなど、普通はありえないことである。

「あー、ただの事情聴取だと思うから心配しないで大丈夫よ」

 ムーシュは面倒くさそうにふぅとため息をつくとドアを開けた。

      ◇

 親衛隊に連行されてやってきたのは魔王城の最上階だった。

 溶岩をくりぬいて作られた廊下をしばらく歩き、連れてこられたのは魔王の執務室。その意外な連行先にムーシュの鼓動は早鐘を打ち、強く蒼を抱きしめた。

 親衛隊の神経質そうな男はノックをして返事を得ると、ムーシュに向かって不愉快を隠さずに言った。

「入れ!」

 ムーシュは蒼にほほ寄せると大きく息をつき、顔を歪めながらドアを恐る恐る開く――――。

「失礼しまーす……」

 果たして重厚な革張りの魔王の椅子に座っていたのは、金髪のいけ好かない若い男だった。

「えっ!? ゲルフリック……先輩? なぜ魔王様の椅子に……?」

「はぁ!? 俺が魔王だからに決まってんだろ!」

「えっ、えっ、な、なんで……ですか?」

 ムーシュはその驚くべき展開に唖然とする。ゲルフリックは家柄こそ悪くはなかったものの、女癖悪くケンカばかりで、アカデミー在籍時には数えきれないほどの停学処分を受けていた不良だった。

「はっ! みんな腰抜けだからさ! 【蒼き死神】にビビっちまって誰もなろうとしないから俺がなってやったのさ!」

「あ、蒼き死神……?」

「あ、お前いなかったから知らないんだな。先代魔王を倒した謎の暗殺者のことを【蒼き死神】ってコードネームで呼んでんだよ」

 なぜ【蒼】なのか不安になり、ムーシュは蒼と顔を見合わせる。

「あ、【蒼き】って、蒼いんですか?」

「馬鹿! 色なんか分かんねーよ。『稀で神秘的な』ってニュアンスのこと。これだから教養のない奴は……」

「す、すみません……」

 まさかゲルフリックに教養を説かれると思ってなかったムーシュは小さくなる。

「だがな、【蒼き死神】の正体もほぼ特定できてるんだ」

 ゲルフリックは冷たい瞳をキラリと光らせながら、闇のような微笑みを浮かべた。

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