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旧脳とは何のこと?なぜ呼吸運動に関係するの?-重要な「皮質下構造」(爬虫類脳 vs Splatter super cluster)-

このnoteでは、しばしば「旧脳」という言葉が出てくる。なぜでしょう?
それは、呼吸というシステムが生命基盤的で、進化的にも旧い神経機構であるからです。
もう一点は、今後の解明待ちですが、呼吸運動を基礎とする身体機能(体幹系)である「対気」稽古にみられる現象、あるいはその気持ちよさが、やはり旧い神経システムが関与すると予想されるからです。

問題は誤解を受けやすい「旧脳」という言葉です。
脊椎動物の脳の基本構成は祖型であるヤツメウナギから大きな変化はないという。
色々な種の進化に応じて、特徴的な部分の機能拡張が見られると考えられている。
この意味では現生哺乳類は終脳の一部である大脳皮質の拡張が特徴的である。
今回紹介する論文は、まさにこの点、大脳皮質に特徴的神経細胞のクラスターを示します。
そうすると、旧脳とは大脳皮質以外の基本構造といえるかもしれない。

この大脳皮質以外の構造は「皮質下構造(Subcortical structure)」と呼ばれている。
この部分には、大脳基底核、視床、視床下部、海馬、大脳辺縁系(扁桃体も含む)、嗅覚経路など進化的にも旧い重要な脳機能がある。
(こうした用語の問題は、この領域がいかに研究未開拓であるかを示すのか?)

我々の身体の中の脳を考えてみよう。
その進化の時間経過は数億年に及ぶが、初めから複雑な脳が生まれたわけではない。
地球上の多細胞生物は大きく動物と植物に分かれる。
動物は身体を動かす機構として、神経細胞系(情報伝達に特化した細胞群:広くは神経線維による伝達だけでなく、神経ペプチドによる伝達も含む)を進化させてきた。
したがって、神経系機構は動物種の分類数と同じ程度の脳システムが存在するという。
例えば扁形動物のプラナリアは、単純ながら集積回路様の中枢神経系を頭部に持ち、左右相称性構造で後方まで神経節が対になり繋がっている。

我々ヒトの身体の理解のためには、脊椎動物の系統樹を逆にたどって後口動物(Wikipediaリンク後口動物Wikipedia)である原索動物(ホヤなど)から、脊椎動物祖型である約5億年前のヤツメウナギにまで戻る。
多細胞動物の誕生から、エディアカラ化石群をへて、カンブリア爆発と呼ばれる多様性進化の時代へ、この間2~3億年の時間経過で脊椎動物祖型にいたる。

こうした進化論的視点で脳を考えるとどう理解できるのか?
脳の構造中にはヤツメウナギ的反射的機構が主である進化の旧い領域、一方、鳥類や哺乳類に見られる育児などの感情・社会的反応に対応した脳領域、さらに哺乳類で大きく発展した大脳・小脳などの演算脳が存在する。

この旧い構造を大脳辺縁系(limbic system)として1952年に最初に取り上げたのが米国のMacLean PDである。彼は20世紀後半、「三位一体脳」という考え方を示した(図A)。しかし現実の脳はこの図のように明確な区画化ではなく、進化を取り組みつつこれらの機能は相互に連携している。この三位一体脳説は大きな批判に晒された。

その後21世紀に入る頃より、脳・神経研究に分子生物学的解析が導入され、脳のこうした部位に特徴的な領域の発生に、進化で相同的な遺伝子群が関与することが明らかになった(図B)。


概念図で示すヒト脳理解の進歩:A. 形態学領域的理解、B. 関与遺伝子発生学的・脊椎動物比較による理解、C. 神経細胞遺伝子発現による機能学的理解


今回紹介する研究は、これら脳部位をその部位の神経細胞レベルの遺伝子発現解析で分類する、機能的理解までもたらすものである(図C)。

以上の前置きでもわかるように、脳は動物を理解する臓器として最重要な研究領域であることは疑いもない事実である。
2013年、オバマ大統領の時代、米国ではアポロ計画に匹敵する大型研究プロジェクトとして、BRAIN(The Brain Research Through Advancing Innovative Neurotechnologies) Initiativeが開始された(Wikipediaリンクブレイン・イニシアチブ)。

ほぼ同時期、分子生物学的技術として、一つの細胞内で約2万種類ある遺伝子がどう発現しているかを数理統計的に処理することが可能になった。
身体を構成する細胞群が現実にいかに役割分担(細胞を構成する蛋白質の特徴的全体像)しているのかを調べる画期的な方法論(barcoding法)が開発されたのである。
これを略してscRNAseq(single cell RNA sequencing、単細胞発現RNA塩基配列解析、Wikipedia英語版リンク、自動翻訳も可能:https://en.wikipedia.org/wiki/Single-cell_sequencing)と呼ぶ。

その成果は現在、生物学で広く展開しているが、脳科学領域としては、まずマウス脳研究に応用され、次いで2017年、Cell Census Network(CCN)(リンクhttps://biccn.org/)として新たにヒトも含む類人猿などの研究にも広められた。
2023年10月には、ヒトなど類人猿を含む脳の解析として、Science誌系雑誌に21報の論文として研究成果が報告された。

以下に説明する論文が、この2015年前後からの方法論により、ヒトの全脳の3D神経細胞機能地図がようやく出来上がりつつあるいう内容である。

論文は「Transcriptomic diversity of cell types across the adult human brain(成人の脳全体にわたる細胞型のトランスクリプトームの多様性)」というタイトルで2023年10月半ば学術雑誌Scienceに掲載された。
詳細は別のサイトの貫和のScience論文紹介を参照(リンクhttps://kokyurinsho.com/topjournal/20231115/)。

概略は、3名のヒト脳より、脳アトラスに従って100カ所から検体を収集し保存、その一部から細胞核を分けて遺伝子発現解析により、類似の細胞種をクラスター(正規分布のような統計学的概念、類似機能の神経細胞は遺伝子発現も類似するとして、遺伝子発現の二次元的分布としてクラスター(グループ)を求める)として分類したものである。
まず全脳では31種のsuper clusterを認め、それが脳の解剖学的部位でどう分布しているかを見たものが原論文の図(図2.a)である(上記拙文リンク参照)。

ここに再掲した論文中の図Cでは縦軸に各super clusterを示し、横軸は脳の解剖学的部位別(図右上の色分け参照)での当該clusterの分布を示してある。左端上部が哺乳類で進化した大脳皮質、右へ向かうといわゆる皮質下構造の部分(より進化の旧い部分)が示してある。

この図で驚くのは、進化の新しい大脳皮質には特異な遺伝子発現をする神経細胞クラスターが集まる。昨今のChatGPT、LLM機構で関心が持たれる。
一方、右下、すなわち「皮質下構造領域(海馬、大脳基底核、視床下部、視床等)」では、全く別のクラスターが見られる点である。

注目すべきは、この進化的に旧い皮質下構造に相当する部分に見られる多様なSplatter super clusterで、いかにも進化で永く保存されてきた細胞群の印象を与える。

今後、これらのクラスターを形成する神経細胞が脳のどこに位置し、いかなる機能を担っているか、遺伝子発現情報を使って順次解析されることが期待される。いわばDeepBody研究のスタート地点ともいえる。

実際にScience誌(タイトル図左、2023年10月)で発表されたヒト脳機能Mapに続き、Nature誌(タイトル図右、2023年12月、Open access、https://www.nature.com/articles/s41586-023-06808-9)には先行するマウスのより精密な脳Map解析が報告された(リンク;Nature論文Fig.1.)。ヒトに関しても数年でさらなる報告が予想される。

図Aと図Cを見比べていただきたい。
約40年の違いであるが、単なる解剖学的部位の差ではなく、細胞種の違いとして捉えたのが図Cである。
もちろん直感的な形態としての表現ではないので、恐らく馴染みは薄いが、そのそれぞれの細胞クラスターがいかなる機能かワクワクする図である。

今後、進化の旧い脊椎動物の脳の遺伝子発現解析で、類似遺伝子を通して、これら細胞クラスターの機能や類似性が検討され、複雑なヒト脳の理解が進むことになるだろう。マクリーンの新旧脳の提示は、ようやく実際の脳神経細胞機能として理解される。

こうした「皮質下構造(旧脳)」と呼ばれる、進化で保存された諸々の機能の中に、実は西野流呼吸法でアクセスする旧い身体(ヤツメウナギから継続する体幹筋肉群)、そして反応としての爽快感の生理学(ドーパミン等の分泌とその効果)等、実践的な面白さが解明されることになる。

注目すべきは、東洋では健康、武道として伝承されてきたこの旧いDeepBodyは、西欧医学が20世紀まで認識しなかった身体である。
その医学生理と臨床応用性、さらには一般健康上の意味などが、今後解明されていくことになると期待される。
ひとたび医学理論としてDeepBodyが理解されれば、世界80億人に新たな身体理解が広がる。医師としてはまさにワクワクする展開である。

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