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エピソードEX-2:「気」を感ずるというけれど/神経堤細胞、後根神経節と感覚神経

「感じる」とは?

「気」という言葉は、医学の世界では使いにくい言葉である。
漠然と「何か」を感じる?「気」?それはどう定義できるか?
(筆者は否定論者でなく、実際に「何か」を感じ対応するが、その実態が全く分からない)

医学的には「何を(例えば光のような電磁波から、身体の炎症反応、外気の温度など)」という媒体の問題と、「感じる(受容体の変化を脳へ伝達、感覚細胞の各種受容体のシグナルを統合する)」という受容体の問題となる。

もちろん旧くより五感という言葉がある。
般若心経の中にも「目耳鼻舌身意/色声香味触法」と示されている。

このうちの四つの感覚(眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚))では通常は「気」というより、はっきりした媒体である光(電磁波)、音(空気振動)、香(空気中の化合物)、味(味蕾が感知する化合物)を感じて、イオンチャネルにより細胞膜に活動電位が起こり、そのシグナルは神経細胞が中継しながら、多様な情報の一つとなって脳に送られる。脳の中でも素感覚が、神経細胞核間のネットワークを経て次々と、冷たい、熱い、ヒリヒリする等の感覚、さらには感情へ統合されてゆく。

これら四感の受容体は動物進化での獲得の進化史もあり、生存のための情報収集として、動物の運動(体幹locomotion)方向の最先端、すなわち頭部に分布している。

一方、残りのもう一つの五感、「触覚」の受容体は全身の皮膚に分布している。
そっと触れるような軽いタッチから、押されているような感覚まで、皮膚の中の受容体(Meissner小体、Pacinian小体、Ruffini小体、Merkel細胞・神経突起複合体等:図1)がこの変化を活動電位に変え、中枢に伝える。

図1:皮膚に存在する触覚受容体の各種.出典:Handler A et al, Nat Rev Neurosci, 2021.

加えてもう一つ別に重要な感覚が存在する。「固有受容感覚proprioception」である。
多くの人は聞いたこともない、分かりにくい言葉だ。
これらは筋肉の中の筋群の伸展に反応する筋紡錘の細胞とか、筋肉の端、骨に付着する腱の部分のゴルジ腱器官(Golgi tendon organ:GTO)である(図2(出典:Marasco PD et al, Ann Rev Physiol, 2023))。これらは、般若心経にも載っていない(?)、「第6の感覚」と呼ばれている(もちろんいわゆる第六感ではない)。これらの受容体は運動に関するサーボ機構、自己運動感覚として重要である。

図2:筋紡錘(muscle spindle: MS)とゴルジ腱器官(Golgi tendon organ: GTO).
関節やその近傍には皮膚と同様の触覚受容体も存在する.
出典:Marasco PD et al, Ann Rev Physiol, 2023


神経堤細胞、後根神経節と感覚神経

さてさて、これら重要な感覚細胞は、身体が受精卵から形成されるときに、一体どの部分から出現したのだろうか?
これも20世紀の末に、分子生物学による遺伝子マーカーを用いて判明した「神経堤細胞(neural crest cell)」、人呼んで「第四の胚葉(外胚葉、中胚葉、内胚葉に次ぐ)」といわれる発生学の新知見である。

その存在は、19世紀から議論はあったが、実態として把握可能になったのは遺伝子マーカーの同定ができた20世紀末である。
まず「神経堤細胞」とは何か(さすがにnote記事を検索しても4件のみ、一般にはほとんど知られていない)。少し箇条書き的に簡潔に記す。

・そもそも脊椎動物進化上の特異的胚システムである(脊索動物にも同系遺伝子群は存在)。

・発生学的にはヒトでは受精後約第3週、神経管(neural tube)が閉じる頃、体軸に沿って存在する神経堤細胞が剥離、遊走し、身体中に広く移動してゆく(図3、神経堤細胞(緑色))。

図3:神経堤細胞。緑で示される細胞群が神経管が閉じる頃、体軸に沿って全身に広く移動、分布する。出典:Martik et al, Nat Rev Neurosci, 2021

・この部分は体軸に沿って頭部(cranial)神経堤細胞、迷走(vagal)神経堤細胞、体幹(trunk)神経堤細胞、仙腸部(sacral)神経堤細胞に別れ、驚くほど多様な全身の重要な細胞群に分化してゆく(第四の胚葉の所以)。

・体幹部では「後根神経節(dorsal root ganglia:DRG)」という特殊な神経細胞(形態的にpseudo unipolar neuronといわれる)の集まりが形成される(タイトル図参照:この後根神経節の感覚細胞は一方で末梢、手などの情報を集め、もう一方は神経細胞に中継されながら、その情報を脳へ伝える)

実はDRGを形成する感覚細胞群が、皮膚の触覚に関する受容体と、筋・腱・皮膚の固有受容体に関与する細胞群である。
すなわち我々が普通に「感じる」というとき、そよ風にしても、熱風にしても、あるいは身体をぶつけて痛い時も、末梢の受容体情報がDRGの感覚細胞から、神経細胞に中継されながら脊髄を上行して脳に伝わり、統合されて、生存のための環境情報として知覚される(図4、出典:Craig AD、How do you feel?)。

「気」とは、これら感覚細胞が感じる対象なのだろうか?

図4:後根神経節を経由して、身体の情報は脊髄を上行し、脳に伝達され統合される.
出典:Craig AD、How do you feel? 2015, Princeton University Press.


感覚神経細胞には重要な各種受容体が発現している

「こういう話は聞いたことがない?」
それはこれらの内容が最近の医学情報でもあるからである。NHK「ヒューマニエンス、神経」で紹介された「神経堤細胞」の説明で、出席者が「不思議、神秘的」と述べている。

実はこれら受容体遺伝子が発見、同定されたのは21世紀への移行期である。
少し後で触れるPiezo2受容体遺伝子は圧受容体であるが、2010年に発見、2021年ノーベル医学生理学賞受賞である。
(筆者が以前Piezo2に関して記載した「呼吸臨床」の記事のPDFは以下:https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokyurinsho/4/3/4_e00124/_pdf/-char/ja

また温度感受性受容体(カプサイシン受容体)TRPV1は1997年にクローニングされ、同じく2021年ノーベル医学生理学賞である。
今後、こうした感覚に関連する知見はさらに進むことが予想される。

奥深い「対気」現象の科学

このnote記事では、エピソードとして、我々が当然と思っている「感じる」という現象に関与する感覚細胞、その発生学上の由来に関して簡潔に述べて来た。

西野流呼吸法には、我々の身体を認識する本質的な「対気」という稽古がある。
呼吸イメージで全身を認識bodyawarenessする「足芯呼吸」基礎稽古や、体軸回旋・体幹感覚基礎稽古華輪」で目覚めた身体を、二個体間でnon verbal communicationする。そしてDeepBodyが覚醒する。
しかし、そこでは創始当時のブームでもあり、「気」という言葉が使われた。「気で人が飛ぶ」とセンセーショナルに週刊誌で喧伝された。

考えてみると、不思議といわれる東洋系のBodyworkは、「呼吸」運動を基盤として、実際に我々の身体の本来の姿(例えば1万年前の祖先たちの生きた野生的な身体感覚)を取り戻すBodyworkである。

一方で医学は、16世紀ルネサンス期に始まる肉眼的解剖学から、19世紀顕微鏡下の細胞の病態、20世紀に入ってその物質論である生化学、20世紀の後半には遺伝子にまで研究領域が広がり、我々の身体を構成する基本的要素が明らかになってきた。21世紀に入ると、それら技術がさらに進歩し、コンピューターを実測連携データ・サーバーとして、発現遺伝子情報をクラスタ解析する数理学的な理解もなされるようになっている。

今回紹介してきたように、ようやく「不可思議」と、半ば理解努力が放置されてきた東洋系Bodywork現象を、考える端緒が見つかるようになってきた。
「対気」という相互Signalingでは、身体の構造の何が、どんなシグナルを相手に伝え、それによって相手の身体はどう反応するのか?

「気」を感じるというけれど、我々は何を媒体に身体communicationをしているのか?
医師としては、これを医学としての実態を記述することなく、「気」という言葉では世界には通じないと考える。

これら神経堤細胞や感覚神経に関して、より詳細な内容も、本noteのマガジン「DeepBody:新規論文から考える」でも紹介してゆく。

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