お手紙
バンダナの我王さんへ
わたしがおさないころ思い描いていた「おとな」が日本にいたんだ、
そしてそのひとと出会えたんだという
安堵の気持ち
それはわたしのなかに
たしかにあたたかく生まれた
「おのれ」という魔物と
ほんとうの意味で対峙してきた
それでいて硬くない、やわらかな
うでのなかの、胸の前あたりの
きっとふところという名前の
そのひろいかんじ
まだまだこれからも
この世に創作物を
生み出しつづける
そういうお方
わたしにとって
「師」とは だれか?
手塚治虫作品の主人公なのだろう。
そしてそれを師として、ほんとうに生きた
その人なのだろう。
サン=テグジュペリは、
著作「人間の大地」で
子どものころの無限の精神世界の感覚を
美しい庭園として表現していた。
大人にとってその庭園は、狭くてただの庭であって、そう捉えていると気がついたときに、子どもの頃の感覚的豊かさや、後悔に似たノスタルジーを感じるのではないか。
でもそれだけじゃなくて
著者は
「子どもとは世界とつながった存在である。
おとなが忘れている、この世界で重要なこと、
それを知っている存在である。」
このことを、伝えたかったのではないか。
こどものおとな。
おとなのこども。
そんなことを素直に考えられる
ようになれましたよ。
わたしより
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