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さいごのおわかれ

ばあちゃんが亡くなった。

結構、急だった。
信頼してるお寺の若い住職さんが
「会えるときに会っておいた方がいいよ」
と言ってくれて
母と会いに行ったのが最後だった。

なんとなく、前日の夜、遠くにいってしまうような気がしてたけど、やっぱ分かるんだな。

朝5時にかかってきた電話、
少し肌寒い病室、
そっとふれた額に残る微かなぬくもり、
急いで帰ってお座敷を片付けて、
久しぶりに祖母が
家に帰ってきた。

脳出血で倒れて
認知症を発症して施設にお世話になり
別人のようになってしまっていた祖母が
落ち着いて家で寝ている。
それは素直に嬉しい。

今日は、近くにいられるね。


ばあちゃんは、死ぬときにこれを着せてと、
ばあちゃんのお母さん、
つまりわたしののひいばあちゃんの形見の着物をリメイクして
一着の洋服を作っていた。

それを見つけるために
あれでもないこれでもないと
ばあちゃんの部屋の引き出しをいくつも
引っ張り出して

見つかった後は
家に来てくれた親戚に見てもらうために
これがいいかあれがいいかと
アルバムを引っ張り出した


次の日体を綺麗にしたばあちゃん。
足を洗ってもらう姿を見たときは
なんだか気持ちよさそうで
さすがに泣きそうになってしまった

わたしは小さいころから呪縛みたいに
人前で泣かない、というか泣けなくて
家族の前なんて言語道断で
このことを言葉にすることすら、少し怖いくらいだけど

だけど、こんなにも大切なひとの死を目の前に
そんな長年のしこりも無いようなものだった


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ばあちゃんが、3年前にわたしを忘れてから
わたしの中でばあちゃんとの別れはすでに半分終わっていた。


この記事を書いたとき
わたしはばあちゃんと、すでに
「さよならのない別れ」を済ませていた

それは言葉にならないくらい悲しくて、
ずっと悲しい気持ちがが続いて
車を遠くまで運転することで
それから逃げようとしたけど
それでも苦しくて
運転しながら泣いたりした。


だから、
今回のばあちゃんの死は2度目のお別れのような感じで
幼いころに想像していたよりも、もがき苦しむことはなかったように思う




ばあちゃんの自慢の庭から
紅葉や花を切ってきて
顔の隣に飾ったこと


浄土真宗東本願寺派は
西の方角に行けば
故人といつでも会えると
考えること


ばあちゃんが葬儀代を
自分で用意していたこと


納棺師さんのヘアセットが気に入らず
親戚の了解をもらって
ひいばあちゃんの形見の櫛で
髪の毛を整えたこと


葬儀の後も続くキリがない作業の中の
両親の喧嘩と
それでも絶やせない
線香の香り


愛するひとが一人
遠くに行ってしまったけれど



これからは
ばあちゃんの好きだった花が咲くたびに
写真の隣に飾ってあげるよ。


ばあちゃんが大切にしてた
仏壇にお参りして
線香も絶やさないようにする。


だから…


もう一回だけ、名前を呼んでほしい。

わたしも
ばあちゃんが好きだった花の名前を
忘れずにいるからさ。

いつか、会いに行くから
そのときにまた、名前を呼んでね
ばあちゃん


スピーチでは、泣いてしまいそうで言えなかったけど。


大好きだよ。

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