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ロールプレイという遥か頂の麓で

ここは

定期ゲー AdventCalendar 樅 の 2020 12/1 のエントリになるはず。

今年の定期ゲーアドカレは 松・竹・梅・樅 の四種類と szst さん企画のものがあり、樅はまだまだ空いているのでこれから書こうって人の滑り込み大歓迎です。

ていうか、書け。書いて俺のこの黒歴史確定エントリを水洗トイレのジェット水流の如く跡形もなく流してくれ。頼む。何故 12/1 にしたかというと、フルに流してもらえるからに決まってるじゃねーか!

明日ゆふが登録してるから、圧倒的火力で流してくれると思ってたのに、いつの間にかいなくなってるし、やべっすよ……

<ヘッダ画像。イバラシティのツクナミ~マシカ方面>

♦︎

俺は創作がまるで書けない人間だった。定期ゲーはそんな自分を変えた。今回はそこに至るまでの話をしようと思う。

と、その前に。去年のアドカレの記事はこれ。
Google ドキュメントから移設しといた。

正直な、これ以上のものは書ける気がしない。定期ゲーにおいて他者に強く伝えたいことってあのくらいなんだよな…… なんてこった。最初に全部書いてしまったとは。それ以外となると、俺にとってはわざわざ書くまでもないことに感じる。

去年のあのテンション、人生で何回出せるかってクリティカルだったんじゃないか?

あれが光なら今年は闇。はっ、バランスがいいな。闇の俺はあんたを気分悪くさせるようなことも平気で言うし、聞かれてもいねぇ自分語りも延々とする。

これは、お約束だから言っておく。戻るなら今のうちだ。この先に進むなら、そのつもりで頼む。

はぁ、なんかいい具合に、かっこいい理由思いつかねぇもんかな

この界隈にきてからというもの、多くの人が幼い頃から文学や創作に親しんでいるのに驚く。

まぁ、多くの……なんてのは根拠のない俺一人の偏見に満ちた印象だ。サンプルは無いが、実際には一人一人に俺の知らないそいつなりの普通があるはずだ。

私達が他者の普通を知らず、知る必要もないと考えるのは何もおかしくはない。リソースは有限でそれは好奇心や扱える情報量にしても同じだ。となれば、一人の持てるリソースに対して人間の数はあまりにも多すぎる。確率から考えれば、人は殆どの他人に対してそいつがどう育ってきたかなんてのはいちいち興味がない。

華やかな体験談や逆に困難な環境にあってそれを克服した人間の体験談ならともかく、俺がどのような経緯で文章を書けなかったかなんて、まず需要があるとは思えない。いいか、これは俺だからじゃない…… いや俺だからってのもあるが。それ以前にだ。人間の多さと確率から考えれば、人は殆どの他人に対していちいち興味がないんだ。

自己に巣食う悪意と劣等感を自覚して言おう。創作界隈においては言葉を扱うスキルが高く豊かな文を書ける人はありふれている。ここでの “普通” は暗黙的に高く見積もられている…… と、俺は偏見と分かっていながらも考えるかもしれない。そうすれば自分の能力の低さに理由をつけ、一時的には気が楽になるからだ。

早い話がこれから書くことは、俺にその気がなくとも所謂 “お気持ち” の塊になる可能性さえあるということだ。お気持ちへの答えはシンプルだ。「ぐだぐた言う前に書けるようになれ」全くだ。反論の余地もない。

ここまでわかっておきながら。
わかっておきながら。
何故こんなものを書くのか。
正気じゃねぇ……

書いていいものか、捨てるべきか。
もっといい話題があったんじゃないか?
散々考えた。

実際の所、俺はしょうもない人間なので「はぁ、なんかいい具合に、かっこいい理由思いつかねぇもんかな」なんて考えてたが。

ねぇよ。そんなものはない。崇高な理由や論理的な裏付け、いい感じの担保なんてのはなくて、ただ書きたいから書く。それだけだ。それが、誰にも求められず、例え人を傷つける可能性があっても。

まぁ、アドカレの初っ端からこれってのは気分を害したなら申し訳なく思うが。

文盲ではない、というだけのこと

実家に本棚はなかった。漫画もゲーム機もなく、今のようにネットも普及していない。「本がないなら図書館にいけば?」と思うだろうか。しかし俺にはそんな知識も発想も、その必要性を感じる感覚もなかった。

あの時代あの土地、就学前に文字を学んでない子供はありふれていた。幼稚園に通ったこともない。学校教育の無意味さを訴える連中も世の中にはいるが、自分の知る世界においては文盲にならないために義務教育は真に必要だった。

読むものといえば学校で必要なものと新聞とチラシを多少、留守の間に盗み見る親の雑誌くらい。友人宅で読むメストとベーマガ。あとは歌の歌詞か。書くものと言えばくだらないことや落書きを書き綴ったクラスメイトとのルーズリーフのやりとり。そしてゲーセンのノート。

文学と違ってあまり取り沙汰されないし、ともすれば内容が薄いと馬鹿にされがちだが。文学に縁の無い層にこそ歌詞の語彙が与える影響って結構あるんじゃねぇかなぁ…… 詩的なものに触れた原点って何か考えるとさ、この辺な気がするんだよな。歌、何気に身近な詩的な存在だろ?

初めて読んだ小説らしい小説は中学の時に友人が押し付けてきた銀英伝だ。話が逸れるので詳しくは語らないが、この友人の行いには感謝している。およそ文化的に豊かとは言えない環境で、俺にあれを楽しめる国語力がついていたのは、なんだかんだで教育ってすげぇなって思うよ。

ま、環境だけを理由にするつもりはない。俺は文化と学びを軽視していた。バイトをして自由な金が手元に残っても、その殆どを対戦格闘に費やしていた。

ただ、あの環境で得た縁と経験は今なお俺にとってはかけがえの無いものだ。社会的に俺らのような連中がどう見られていたか薄々知ってはいるが、俺の経験の価値は俺が決めることだ。

俺はろくな作文ができないことに気づくこともなく、ゲーセンの大会の打ち上げ後に皆で天の川を見に行って朝帰りしたり、山に肝試しに行って犬に追われて坂を転げ落ちたり、雪深い田んぼの畦で投げっぱなしジャーマンして人型をつけたりしながら、受験戦争など無い適当な日々をのうのうと過ごしていた。

何被 何kill とか書いてた日々

そんな俺にも、ネットの存在と共に変化は訪れる。

実家には未だにネット環境がねぇし、それどころか俺が中学生になるまで電話も風呂もなく、最近やっと親がガラケーを持つようになったレベルだ。

ゲーセンの連中がそういうのに敏感だったお陰で、幸運なことに俺はデジタルディバイドから免れた。高校卒業後、田舎の連中の多くがそうするように地元を飛び出ると、俺が PC を手に入れネットの契約をするのは自然な流れだった。

ゲーセン友達と始めた Ultima Online。それは紛れもない人生だった。これについて語るのは、あまりにも時間と俺の気力が足りない。あまりにも、あまりにも、だ…… こんな一人の思い出に付き合わせる気はない。ただ、俺のこの気持ちだけを知っていてくれればいい。

MMORPG の黎明期、動画もまだ一般的ではない頃。人々はその日の戦闘の行いや検討を日記に残していた。

何回殺して何回死んだ。綴られるのは淡々とした記録。それだけのことなのに、これは人に見られる文章で公開するのだと思えば恥ずかしさを感じた。義務に近かったし、強い奴もそうしていたから、何とかやっていたようなものだ。

書いて残すという習慣をろくに持たなかった俺に、それは何かを書く理由を与えてくれた。

都会の人々との接触

当時のネトゲを通して得た縁には、今で言うクリエイターに近い連中も多かった。初期の MMO は日本語非対応だったり、そもそもあの時点で高速回線や PC を所持しているというのは、なんだかんだでイノベーターやアーリーアダプター気質があったから、と考えることはできる。

UO プレイヤーが集った IRC チャンネルの一つで、俺は様々な人間と知り合った。今となってはかつての繁栄も衰えたブログが漸く増え始め、個人ホームページと混沌としていた時代。ネットの持つアングラの空気が消えかけていた時代だ。

彼らの持つ、都会の人間の空気つうのかな。自分と異なる文化圏の人間みてぇな、なんか、そういう刺激がそこにはあった。

程なくして、個々が情報を気軽に発信する時代が来る。

連中は新しいものに飛びついていたから、なんかみんなドメイン取ってブログやってて、Twitter なんか ASCII 文字とマルチバイト文字の間に半角スペース入れないと崩れる時代から広まっていて。

そんな奴らに囲まれていれば否応にも、見えるところに文章を書くって事に慣れていく。その出来はおそらく、見れたものじゃなかったと思うが。

伝わる文章を初めて意識する

有志による Wiki が気軽に立ち上げられる頃になると、俺はいくつかのネットゲームの攻略 Wiki の編集に関わり始めた。そこでは出来る限り誤解なく伝わる文章が求められた。テクニカルライティングに少し近いかもしれない。当時はそんな言葉、知らなかったが。

難しいギミックや複雑な条件をシンプルにかつ正確に伝える技術。特定の思想を押し付けることなく幅広いスタイルのプレイヤーに受け入れられる配慮の行き届いた言葉選び。膨大な情報量を読む人の理解の流れを予測して構造化する構成力。

不特定多数の編集者がそれを目指して、推敲に次ぐ推敲が相互に行われる環境。

多くの縁と機会に恵まれて、程よい刺激に揉まれながら。俺は文を書く試行錯誤を楽しいと感じ始めていた。

増田であそぶ

増田って何?って人は検索したら多分上の方に出てくるのでわかる。

Wiki 編集で推敲するのが面白いと調子に乗った俺はそれを試せる場所を欲していて、ちょうどよかったのが増田だった。匿名なので仕事の話を書きやすかったし、書き手のネームバリュー関係なく伸びるかどうか決まるのが良かったんだよな。

技術系、ゲームの話、色んなの書いて、相当ブクマ稼いだやつもいくつかある。

自分の楽しさ優先だったし、ブクマ取るために狙って書いてた訳じゃないが、今思えば結構ためになったかもしれない。

伸びるのは仕事関係みたいな実体験に基づいた話で、増田の客層と技術系の相性が良かったのはあるだろう。逆に概念的な議論で読み手をうならせるのは難しい気がした。

増田、まだあるんだよな。

今でも時々とんでもない真偽不明の暴露話とか野生の文豪出てくるから面白い存在だよ。真偽いうか、その辺関係なく全てフィクションとして読んでも面白い文章がたまにあるんだよね。

そういやクソデカ羅生門も増田じゃねーの。

けれど、創作は

そうして書くことに慣れてきたと自分では思い始めた頃、一度だけストーリーを書くのに挑戦したことがある。ネットで小説を読んで「こんな話が読みたいなぁ、書くか」となったのだ。初心者ありがちパターン。

結果は惨敗。たった一つの思い浮かんだシーンをとっても「これで伝わるんか? 語順は正しいのか? 人称おかしくね?」なにもかもわからなくて書きたいものを書くどころではない。

表現の受け取り方は人それぞれ。その多様性こそに面白さがあると俺は思っている。だとしても最低限リンゴがミカンで伝わっては困る、くらいのラインは確保したい。

「ちゃんとリンゴに書けてるのか?」

確かめる術がまるでなく行き詰まり、たかだか五百字かそのくらい書くのに何日も費やして何も残せなかった。

無理だ。こりごりだ。
そんな気分だった。
正直、絵やゲームでは経験したことのない挫折感を味わった。

何てことなく書かれているような無数にありそうな文章でさえ、今の俺には手の届かない未知の技術レベルで作られているのだと気づいてしまった。鍛錬していないのだから全く当たり前だが、そんなこともわからないほど当時の俺は人の積み重ねたものを舐めていた。

今も舐めた気があると言えばまぁ、否定はできないが。多少の自信過剰と愚かさが無ければ、新しい挑戦も生まれにくい訳で。勝手に一人でコケる分には誰かに被害が及ぶでもなし。おおらかになっとこうや、と思わんでもない。

ま、とにかくだ。俺に強く表現したいものがあったなら、挫折は当たり前の認識の一つでしかなく、より先に進んでいた筈だ。実際は大して表現したいものなんてなかったんだろうな。

そうして、ふとした縁から定期ゲーを知るまで。俺は創作といえる文章を書くことはなかった。

——一度だけの例外を除いて。

時に強い想いは空想と衝動を生んだ

尊敬だった。同じ戦場で過ごした刃を交えた俺たちという連帯感があって。俺のことを友人だと言ってくれる、そんな強い奴がネトゲにいた。

俺はそいつのキャラクターの出てくる脳内 PV を想像して文章に書き起こすという壮絶に恥ずかしくなるような行為を……

想いが強すぎたんだ。
仕方、なかったんだ……

けれど ”自分に見えている想像” を文章にしたいと伝えたいと、あれほど明確に意識したのは恐らくその時が初めてだ。

稚拙なものだっただろう。挫折した時からさして変わってなかっただろう。想いの強さはそんなものを全て吹き飛ばしてしまった。

ああ、クソッ、思い出すだけで恥ずかしい。ああ…… っつ… クッソ……

けどな、書けるものを自覚して、今やっとわかるんだ。この甘酸っぱい経験は一つの原点で。この時拙い文で描かれた海のイメージは、天呼での情景描写のアーキタイプとなったのだと。

この衝動がなければ、天呼での始まりはもっと遅れて。あの物語は生まれなかったかもしれないのだと。

点と点を結べば物語は生み出せる。塔は俺に力を与えた

世界の木

<世界の木。天呼のロールの為に書かれたイメージ。この最後のシーンから遡るように物語は生まれた>

今の俺が「ロールできねぇ」と言うと「天呼のときはしてたじゃないですか」と言われるかもしれない。

ま、確かにしていた。けれどあれは、一つ一つの文や背景について DM でやりとりしながらという、相手に支えられてのものだ。

天呼まで定期ゲーの存在もロールプレイも知らずに生きてきた無知ゆえの無謀さ、よく言えば奔放さも俺を後押ししていた。 色々突っ込まれると、痛い所でもある。

……思い出してまでアラ、探さんでいいから。な?

文章にする力がない。
——なら、絵に描けばいい。

想像したシーンを絵に描いて、ストーリーボードとしてやり取りする。互いにそんなことをやっていた。

“まずは思いついたシーンから”

このやり方は心震える体験を俺にもたらしてくれた。ストーリーは順を追って作らなくても点と点があればあとの事実は自然に湧いてくる、時に作者の想像さえ上回って一つの物語を生むということ。

0 を 1 にする。
種を蒔く。
物語ができるのはそれからでもいい。

塔が俺に与えた力は文章力ではない。
おそらく、もっとプリミティブなものだ。

「思い浮かべるものがある」「描きたいものがある」と自覚すること。一時の衝動で発現したあの時の手触りを、より持続的で確かなものとして得られるように。

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<もりのこ>

塔での日々はそれまで別世界の手の届かない存在であった創作という文化を、少なくとも指の先が触れるくらいには手触りを得られるくらいには手繰り寄せてくれた。

皆が、俺をそこまで誘ってくれたんだ。

そこに立ってやっと見えてきた他者の文章の凄さ

無名

<無名の機体。彼に関する情報は、結果の他にはこれだけだった>

絵に終わりはない。

描けるようになればなるほどものを見る力は成長し、人のうまさも魅力も世界もより高い解像度でわかるようになる。刺激を受けて自分も変化したくなる。

文章も同じはずだ。

正直、天呼の後半くらいまで俺は他人のロールに然程興味がなく「この人の文章が好き」とか「このロールやべぇ」みたいな気持ちも抱いてなかった。文章に対する解像度が低すぎて、雑に言えばどれも似たり寄ったりに見えていた。

創作に触れられる位置に立ってから、見え方が少しずつ変わっていった。

そうと気づいてからも、いや、気づいたからこそ尚のこと人々は高みにいた。距離感は中々消えることがなく、霧四期には複雑な思いを抱えながら参加した。無名という PC 名からもわかる通り、初めは投げやりさもあったのだ。

自分がここにいていいのかわからない。
自分のキャラクターがこの世界に存在するのかわからない。
だとしても、だとしてもだ。

外側から眺めるのではなく彼らと同じ戦場にいなければ、かつてのネトゲや塔で感じたあの感触を味わうことは難しいに違いない——

ただの一兵卒でいい。
モブでいい。
無能でも有能でもなく目立たず生きる。

俺は、ただ、彼らと同じ時間を過ごしたい……

歪な感情が本当にギリギリの所で、俺にあの世界へ降り立つ決断をさせた。

しかしどうだろう。彼らと共に過ごしたあの鮮烈な時間は、目の曇った俺にロールプレイの力をわからせるには十分過ぎた。

<この一瞬を忘れない>

相変わらず、定期ゲーや創作界隈では自分は外来者だという距離感は抜けなかったし、一度も日誌を書くことはなかったが。それでも、霧と電子に塗れた熱気に焼かれて、俺の中で何かが燻り始めていた。

これは日記じゃない、レポートだから恥ずかしくない(謎理論)

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<Izzet Evren —— 珍しくフルネームを持つ PC。目的と行動理念は極めてシンプルで強くなること。しかしそこには彼なりのこだわりがあった>

霧はゲームしてるだけで生きてる感がやばくて、戦場に居るだけでドラマに生きることができて、それだけに日記とかロールとか皆無でも不足を感じないまま終わってしまった感がある。

まぁ、実際の所書こうとしても何も書けなかったんだけどな……

LOA でも俺は好戦度 5 で開拓してるだけで生きてる!戦ってる!を満喫していた。そんな自 PC にアルカナナイツの縁で団長にレポートを提出して欲しいという知らせがあったのだ。ああ、ナイツってのは LOA 内で組んだ団体の設定合わせみたいなやつな。

あのレポート要求にはめちゃくちゃ感謝している。おかげで、俺は定期ゲーで初めて日記を書けたのだから。何もなかったら日記も書かずに終わって、ラストの焼肉会もなかったに違いない。続く茨の日記も書かれたのか怪しいものだ。

「創作長文とか無理。無理無理。霧でも結局一文字もかけなかったし…… それに自分の文章見るの恥ずかしくて死ぬ」レベルの俺が「やばい 500字も書けたぞやばくね?!」ではしゃぐくらいの変化があのときあった。

レポートという大義名分から筆を動かす勇気を得て恥ずかしさを若干克服した俺は、最終回の一回前でも日記を一度書いている。自分一人で自発的に書いたものでは恐らくこれが初めての、ある程度の長さを持つ創作文章だろう。

 見上げた空には雲一つなく。
 星々は大きく緩やかな弧を辿りながら銀の穂をなびかせる。

 銀の穂 ——この星の属する銀河は無数の星の光を集めて、地に柔らかな影を描く。

天の中ほどにぼんやりと白く見えるのは外の銀河だ。数百万光年の先にあるそれは、数十億年の長い時をかけてこの星の属する銀河と引き合い混ざり合うという。
 その時にまだこの星があれば、ここから見える夜空はまるで違うものになるだろう。それ程の激しい変化の果てに今ある星々が残っているのか ——この夜空からは想像しにくいが、星というやつは大抵がその大きさに対し無視できるほどに離れていて、銀河と銀河をぶつけてかき混ぜたとしても衝突することはほぼないのだ。空が変わったとしても、世界が変わったとしても。

 そんな星々の一つ一つにいて、生命は他の生命と出会うことができる。
 未知に興味を抱き、まだ見ぬ何処かへ、まだ見ぬ果てへ。
 紡がれた技術と知識と想い、ときに生存本能が、酷く孤独な星々の間を彼らに越えさせる。

 この地に様々な生命が集ったように。
 幾つもの物語が生まれたように。

 俺はそんな連中の生きる様が好きなのだ。
 有限の生、有限の能力の中で、伝えてきたものを技とし自らも紡いで未だ知らぬ何処かへと繋ぐ。

 BUGがなんであれ、おまえがなんであれ、そこに何の違いがあろう。
 おまえが紡いだものがあるのなら、俺が受け継ごう。

 俺はそのために全てを、できる限りの全てを見せてきた。
 ああ、どんな形になっていてもかまいやしない。

 俺の意思がおまえの強さとなるなら、迷うことなどない。

なんで唐突に銀河の話をしだすのかとか恥ずかしさもある。一応、LOA の世界に宇宙や星が出てくるとか、現在地が星の彼方とか背景は無くもない。

ツッコミ所は多々あるだろうが、この文章は今読んでも嫌いになれない。

天文学的スケールから人々へ。
自己と BUG との対比、己の意思へ。

特に『酷く孤独な星々の間を彼らに越えさせる』というくだりは宇宙の広さと繊細さが混沌とした中に彼の信じる人の強さが一筋貫いてゆくようで、正直言って気に入っている。

PC が見ている光景から語らせるという流れの片鱗は天呼時代のロールにもあった。それをより自然に書けるようになった実感を、俺はこのとき得ることができた。

LOA 最終回での焼肉パーティーは素晴らしい思い出となり、この熱は星を超えて茨街へと繋がってゆく。

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<焼き肉会場。これを実現するために広域ミッションの仕様を拡張してくれた GM には感謝しかない。もちろん団長にも>

やべぇ、文章書くの楽しいーー!!

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<ハザマで同行している八人>

ネトゲ時代、良き縁と機会に恵まれて学んだ基礎的な文章力。塔では描きたいものを抱く感触と点と点を繋げれば物語は生まれるという経験を経て。霧の中で見た人々の生き様からロールプレイの力を俺は知る。辺境の星で手にした筆を動かす勇気。生まれた微かな灯火は、けれど消えることなく時を待ち続ける。

——書きたいものを書けるかもしれない。

その可能性は茨街の開始と共に漸く形になろうとしていた。

俺は天呼でそうしたように、一つのシーンを脳内で何度も再生し続けた。それが初めの “点” となる。

迷うことは無い。
あとはこれを文章に書き起こせばいい。

『イツがアンジニティに落ちるより前。高い塔の上。女性に作った細工を手渡し、それに魔力を込めると無数の光の鳥達が飛び立つ』という光景だ。このシーンは美しいだけであまり意味がない。強いメッセージ性も持たない。

初めはイツのことを全然わかっていなかった。ただ、この光景だけがあった。思い浮かべ、書き取るうちにこの美しさは彼にとって大事なものではないかと俺は感じ初めていた。繰り返して、聞こえる言葉に耳を傾ける。

きっと彼はそんなものでは世の流れと闘うことはできないと知っている。ましてや、裏切り殺され覚悟と強さが飛び交うアンジニティやハザマで、それが何の役に立つのか。

愚かさか、諦観か。その両方か。
飛び立つ光のゆく先を見る。
空の高さは、雲は。
街が見える。ここは高台にある塔で、緩やかな湾が見渡せる。ここは港町だ。日差しは暖かく、風は高さもあって少し涼しい。二人の髪が靡く。

そんなものでは闘うことはできない。
彼はそうとわかっていて、けれど生きる為にその価値を自分だけでも認めていなければ危ういのだ——

意味なく煌めくだけの光景は、広がり続け、やがて俺に始まりをもたらす。それが彼の在り方の象徴であるかのように。

このシーンは様々な変化を経て茨街第三回の日記の原型となる。

次に生まれた “点” はイツが追われ焼かれてアンジニティに落とされるシーンだ。

二つの点を結んでゆく。茨街の開始までのイツの過去を、彼と彼の生きた世界を眺める。初めは数百字のメモ程度だったそれを、見えてくるままに間を繋いでゆく。

ここに来ても俺は、キャラクターの設定をろくに作ったこともなく、作れる気もしなかった。それはいつだって生きるキャラクターを眺めるうちに後から自分の前に現れた。同じだった。ただ一つ異なるのは、定期ゲーの更新や参加者による情報の変化を待たずに、キャラクターが生きた過去が “存在していた” ことだ。

不思議な感覚だった。
彼らの過去は初めからそこにあった。
彼らの生きた街はそこにあった。
窓から時々見えるそれを眺めて。
その光景を俺は書き起こしている。

そしてひとたび更新が始まれば、結果という世界の現れからこれまでと同じように、また一層の存在感を持って彼らを感じられるかもしれない——

なびき2

<ハザマのイツ>

気がつけば俺は物心ついてからこの方、書いたこともない量の文を重ねていた。

驚きしかなかった。
たった数百字を書くのに挫折していた俺が、何万字も湧き出るように書けたことに。

「文字数は問題じゃない。書ければ幾らでも水増しできる」今ならこの意味もわかる。確かにそうかもしれない。それでも、そんなこともできなかった俺には本当にこれは衝撃だった。

なにより、楽しかった。文が湧き出て窓から覗ける光景が一つまた一つと増えていくのが、そして時には俺自身がそこに降り立って広がりを感じることが。楽しくて楽しくて仕方なかったのだ。文章の出来不出来が二の次になる程に。

この楽しさってやつは強くて「下手でもクソでも何が悪い。少なくとも日記なら俺が楽しいことやって自由だろう。やったー! 楽しい!」くらいの根拠のない自信を与えてくれる。

そうして俺は定期ゲーの日記を書けるようになった。

ロールプレイという遥か頂の麓で

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<2020 ハロハナ。くさが種になった島から対岸を望む>

たくさん書けるようになった!
文章かくのたのしーー!
よかったね。
やったね。

と、そこで世の中は終わらない。
忘れたか?
去年の俺が光なら、今年の俺は闇。
闇の俺はあんたを気分悪くさせるようなことも平気で言うし、聞かれてもいねぇ自分語りもする。

自分語りはここまで一万字くらい散々したが。まさか全部読んだのか? は……暇な奴もいたものだな。だったらこの続きは予想できるんじゃないか?

文章書くの楽しい!で回転するニンジャみたいに心がくるくる踊る俺。くるくるくるくる。その勢いで周囲が見えないままロールプレイの場に突っ込んでやらかして落ち込んだこともある。

<回転するニンジャ。ニンジャは通称。
2020 ハロハナで活躍したキラーの一人。
筆者のお気に入りデザイン。原案は @ayautaginrei さん>

あーあ。
回転するニンジャが……

他者と表現を紡いでいく。そこには何人もの深く繊細な思考、観察力に知識や経験がもうわけわからねぇレベルで渦巻いてる。ちょっと手を出したらズタズタに瞬殺されて生きて帰って来れないレベルで、あの華麗な文章の応酬の裏でサバンナの動物もびっくりな容赦のない血肉を削る精神の戦いが休むことなく超高速で繰り広げられてるのを俺は知っているんだ…… パンチ一回打ったと思ったら本当は十回撃ってる、しかも相手の秘孔を見つけて、みたいなやつ。いや、そこまで丁寧に技を尽くして瞬殺されるのは有り難く素晴らしいことだ。実際はどうだ。俺には食べられる肉もない。そんな俺を覇者たる獣達は視界の端にも入れないだろう。石ころだ石ころ。俺は石ころだ。

石ころになってしまった。

ロールプレイ恐ろしい。どうやってこの先この過酷な世界で生きていけるというのだ。いやビビり過ぎて舞台に上がってさえいないんですがね。強くなるしかねぇ、クソッ、強くなるしかねぇよ……

怖さのあまり少しびびっちまったが、一人で好き勝手楽しい!してても問題になりにくい日記とロールじゃ全然違う。

他者の琴線のありかを見つける嗅覚と観察力。人が返せる、返して楽しい苦しい痺れるボールを投げる的なやつ。そのために自己中心的にならず全体を俯瞰すること。ダメだ。全然できてねぇ。

けれど、そんなダメさ加減がわかったのもこの山の麓に来たからこそだ。これまでは山の存在さえ認識していなかった。

文章が書けるようになって、人の凄さの片鱗に触れて。今やっと、遥か頂を抱くロールプレイの険しい連峰が薄らぼんやりと見えたに過ぎない。

俺の終わりなき戦いは、まだ始まったばかりである。

♦︎

灯台夜2

<イバラシティのイツ>

「俺の終わりなき戦いは、まだ始まったばかりである」と…… ヨシ!
こう書いとけばうまく締めたみたいに見えるやろ。

……見えねぇよ。
おぃ、ふざけてんのか?

大体ダラダラ長いだけで面白い訳でもなし、冗長罪で裁かれるぞ。「今やっと、遥か頂を抱くロールプレイの険しい連峰が薄らぼんやりと見えたに過ぎない」ってなんだよ。特に意味のない毒にも薬にもならん比喩で文章引き伸ばしてるだけじゃねぇか。つーか、全文そうだよな。内容箇条書きにしたら五百字もねぇだろ。自分の書きたい事把握してるか? 読み手のこと考えてるか? ぬるま湯で伸ばしまくったお茶みたいな文章出しやがって。「文字数は問題じゃない。書ければいくらでも水増しできる」ああ!まさしくその通りだな。この記事全体がブラックジョークのつもりなら大したセンスの悪さだよ。


……っああ、あああー!!
っく…はっ、はぁ……

クソッ、そんなことはわかってんだよ。
去年がいきなりとっておきのネタ書いたからもう後がねぇんだ……
出涸らしだ出涸らし。俺は出涸らしだ。

本当にこれ世に出して良かったのか。
正気じゃねーよ。
何もわからねぇ。


ちょっとその気になってただけで
書けるようになったなんて気のせいで
本当は俺は大して変わっていなくて
ただただ、虚無を書き連ねている。

そうではないと、”確かめる” 方法など……
“ここ” には、何もない!

他人の強さも比較も気休めにもならない、自分が強くなるしかねぇ、この己の中で。


誰もが闘っている、この暗闇の中で——

灯台夜4

<マシカの夜明け>

ああ、でも。

書くのは楽しかったんだ。
それだけは本当なんだ。
書くの……楽しくなっちまったんだ。
今は、ただ書いてるだけの事が面白くて。
多分、俺はそれを伝えたかったのかな。
出来不出来は二の次、ほんとにな……

なぁ、ここまで読んでくれたんだろ?
ありがとな。
俺の身勝手な楽しさに付き合わせて済まなかった。

はぁ、そうだよな。
文章で自分以外も楽しませられるように、か……
ああ、遥か頂だ。

いつか、俺もそこに至れたら。
わかってる。
そこに至ってまた、見えるものがあるんだろう?
どこまでも、果てはない。

ここで一年前、俺が刻んだことだ。
そうだ。

——掌握しきることができるなら、俺はきっとこれほどこの世界ってやつに焦がれてはいない。

強く、なりてぇ。

待っていてくれとは言わない。
いつかあの頂で相まみえたら、その時は。
戦いたいと思われるくらいには、強くなりてぇ。

まぁ、なんとかやってみる。

いつになるか、わかったものではないが。
何処かで会える日を楽しみにしている。

<口直しに、こめたそを置いておくのでかわいがってね>

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