愛を語りたい時の場所

自分を救ってくれたのは三枝だった。
こう書いてしまうと大袈裟に感じるが、本当に三枝のおかげで救われたのだ。
生身の人間をこういった方向から好きになるのは初めてだった。そりゃ好きな歌手がいたり、好きな漫画家がいたりは人並みにある。ただアイドルや歌い手を推したことがない自分にとっての初の生きた推しとは、三枝しかいない。

初ノートなのでいい文章やら何やらが書けるわけではないが、Xで暴れ回らないようここに書いて放流すれば少しマシになるかと思ってアカウントを取った。Twitterでは制限をかけられる文字数でもここなら余裕だ!自由のある投稿スペースだ!

自己紹介
自己紹介というには弱いし全く紹介ではないが、にじさんじにハマった経緯でも書いておこうか。
今後はここにしこたま愛を書き殴っても誰にも叱られない、と思いたい。
Vtuberに苦手意識のあった2022年11月頭、全く関連のない2人の友人から同時にVの布教を受ける。それまでの私はよく見る意見のように、「顔がいいといったとて所詮絵じゃないか」「声がいい人が顔の可愛いアバターを動かせばそりゃ可愛いよな」程度の認識で、その価値が一切わかっていなかった。
まず私のVtuberへの苦手意識を知っていた当時の友人が勧めてきたのは、刀ピークリスマス2021までの4作。そこで初めて目にしたのが剣持とピーナッツ君であり、その音楽性とやらせホモのようなやりとりを見て「あれ…?Vっておもろいやん」とごく普通の感想を抱いた。この一ヶ月後には新作が出るからね、と念を押され、頭の片隅に剣持の存在が残る。
別口の友人からは卯月コウをお薦めされた。かつてより捻くれ気味の仲の良い男子で、そいつの勧めてきたコウは、当時発売が決定したポケモンSVのナンジャモの存在を褒め称えていた。某有名切り抜き師の手腕で切り出された卯月コウはものすごい熱量でオタクをやり倒していた。自身がこういったインターネット性の高いオモシロを好む傾向にあるため、卯月コウは抜群にハマった。にじさんじには、卯月コウのような、折角可愛い見た目をしているのに変な顔をして、ゲラゲラ笑いながら永遠にアホくさい笑える話をする奴が存在するのかと、初見の印象はこれだった。ふむ、Vtuber、面白いじゃないか。
卯月コウの切り抜きから次第に彼のコンテンツ性を理解し、オタク臭いコメント欄に歓喜し、自身もキモオタでいようと感じた。次に手を伸ばしたのは刀ピーだ。一ヶ月経つ前に履修しておこうと、剣持とピーナッツ君をそれぞれ試聴した。初見では2人でひと組のVtuberだと思ったので、別々だと知って驚いた。のちに知ることになるが、いまやVtuber界の超大手企業のにじさんじのライバーとその他企業・個人のVtuberが定期的に絡んでいることが凄いことのようだ。今じゃ有名ストリーマーや芸能人とも絡みのある箱だもの、そりゃ有名だよなあと。黎明期にはみな同じ、その頃絡みのあった関係は箱が大きくなっても途絶えない。そんな姿をデフォルトとしてまず認識したのはなかなかにイレギュラーだったのかもしれない。Vtuberの入りが卯月コウであることも、全く無知な状態から「常識」として卯月コウを取り込んだことも、私の在り方に大きな影響を与えている。

あまり女性ライバーには興味はなかった。ただ卯月コウとセットのように扱われていたりりむのことは割と早い段階で認知したし、友人から周央サンゴのことを布教されたこともあったので、そのピンク2人は早々に知っていた。ただ見るのは基本男性Vtuber。私は「顔がいい、声がいいだけのアイドル」を否定したかった。なので面白いと感じた存在は力一や舞元、チャイカのあたりだった。すごく変な感じがした。イケメンにもなれるVtuberで、面白枠のガワを纏って面白いことをする。捻ねた見方しかできない私はここで一気にVtuberへの認識を改めた。おいおいにじさんじ、面白えじゃねえか。しかも今まではゲームのテキストや漫画からしか読み取れなかった表情が、配信を見にいった自分だけが直接見て聞けて感じられるリアルな感情を感じ取れる。メンバー限定制度もそれを助長した。アイドルじゃねえか、Vtuberって。別にそれで良くなった。その時点で大きな改革が起きているのに私はまだ気づかない。そのうち流れてきたおすすめが、三枝と不破のポケモンSVの切り抜きだった。2人の絶妙な掛け合い、2人の間の身内ノリが妙にハマって、しかも2人とも訳わからないことしか言わないのにゲラゲラ笑い合ってて、私は一気に2人が好きになった。こんなことあるかと思うほど爆速な沼落ちだ。それからはリアルタイムで三枝が配信をするようになると覗きに行き、卯月コウのコメント欄で得た知識のみで好き勝手コメントをするようになっていった。

三枝は信用度の高い存在だ。
というのも、私が初めてハマった卯月コウの元視聴者であり、現役で結構重たい感情を抱く陰キャであるからだ。三枝は未だ卯月の話をするときは、大切そうに、自分でもう一度咀嚼し直すようにして話す。同じく葛葉のファンでもあった話などは過去の動画や切り抜きからも確認できる。三枝への好感度が高まってきた頃にやってきたのが、三枝の四周年記念ライブだった。浅いオタクだった私が初めて浴びた、幸せも幸せすぎる体験だ。ステージの上の三枝は輝いていて、私の好きな卯月コウと一緒に歌っていた。メンバーシップに加入して初めての熱い体験が四周年ライブだった。三枝はその後も卯月と公式番組に出演する度に、その限界ぶりのわかる仕草で卯月を褒めたり、フォローしたりしていた。その限界オタクぶりが信用できるのだ。自称陰キャなのもわかる。見た目にしたって大声での叫びだったなんだって、彼は陽キャにしか見えないが、その秘めた繊細さや精神性は陰のそれを大いに感じる。三枝がこちらに向けてくれる言葉はそういった優しさを孕んでいる。弱者の気持ちがわかる彼だからこその言葉だ。俺たちもお前が苦しい時に寄り添って肩叩いてやれるようなオタクでいるからよ。見てるから、見ててくれよ。オタクはお前が好きだ。

救われたと書いておきながら一切説明がなかったので話を冒頭に戻す。かといってそんなに深々と書くつもりはない。
私はこういうと大袈裟だが、かなり苦渋を舐めて育ってきた。いざ放たれた社会でもいつも汚い雑巾のような扱いを受けていた。自らそっちに転ぶように振る舞ってきたこともあったかもしれない。精神的に弱すぎるので、何かがあるたびウジウジと落ち込み、目も当てられない状態だったと思う。
そんな時に知り合った三枝の優しいこと優しいこと!決してこちらに媚びるわけでも必要以上に甘やかすわけでもない。前述した彼の繊細さと人間性から出る言葉が私を救った。歌に感情を込め、どんな歌でも丁寧に歌い上げるその姿からも救われた。歌の上手い人間が好きなわりに歌を聴いて泣くことはなかったが、三枝の歌では泣けたのだ。自分でも驚いた。そんな三枝のいいところの全てがどん底だった私を救ってくれた。彼にそんなつもりは一切なくとも私は救われたのだ。感謝してもしきれない。

思うままに書き連ねたので文章はぐちゃぐちゃだしキレが悪いし最悪だし何かの火種になったら嫌だが、今後はツイートに連動せずこういったツールに思うままに長文を書き出してツイートでもして気を紛らわそうと思う。問題があったら消すのでお伝え頂ければと思う。

ではの


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