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笑い男 コピペメモ保存


実際SAC 1st GIGの作品中で解説もされてるけど、この笑い男のマークに書かれている文章、”I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes…or should I?”はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』で出てくる一節を一部修正したもの。原文はこれ。

I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes. That way I wouldn’t have to have any goddam stupid useless conversations with anybody. If anybody wanted to tell me something, they’d have to write it on a piece of paper and shove it over to me. They’d get bored as hell doing that after a while, and then I’d be through with having conversations for the rest of my life. Everybody’d think I was just a poor deaf-mute bastard and they’d leave me alone. They’d let me put gas and oil in their stupid cars, and they’d pay me a salary and all for it, and I’d build me a little cabin somewhere with the dough I made and live there for the rest of my life. I’d build it right near the woods, but not right in them, because I’d want it to be sunny as hell all the time. I’d cook all my own food, and later on, if I wanted to get married or something, I’d meet this beautiful girl that was also a deaf-mute and we’d get married. She’d come and live in my cabin with me, and if she wanted to say anything to me, she’d have to write it on a goddam piece of paper, like anybody else. If we had any children, we’d hide them somewhere. We could buy them a lot of books and teach them how to read and write by ourselves.(The Catcher in the Rye)

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で、面白いのは、この原文には”or should I?”の部分は無い。ではなぜSACではここにこの追記を入れたのか。原著の村上春樹訳を前の段落の部分も含めて以下に抜き書き。太字の部分が”I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes.”の訳文。

そうだな、一時間くらいそこに座っていたかな。それからやっとこさ僕は決心したんだ。このままどっか遠くに行ってしまおうって。うちになんか戻らないし、ほかの学校に行くのもお断りだ。ただフィービーにだけは会わなくては。彼女に会ってさよならみたいなのを言って、クリスマスのお小遣いを返して、そのあとでヒッチハイクで西部に向かうんだ。どうするかっていうと、ホランド・トンネルの方まで歩いていって、そこで車に乗っけてもらう。それから次の車、また次の車、また次の車という具合に乗り継いで、数日後には西部のどっかにいるっていうわけだ。すごく感じよくて、太陽がさんさんと照っていて、僕のことを知っている人間なんて誰ひとりいない場所に行って、そこで仕事をみつけるんだ。ガソリン・スタンドの仕事ならでぎるんじゃないかと思った。みんなの車にガソリンやらオイルやらを入れたりするわけだよ。でもべつにどんな仕事だってかまわないんだ。そこが誰ひとり僕のことを知らず、僕の方も誰のことも知らない場所であるならね。

そこで何をするつもりだったかっていうとさ、聾唖者のふりをしようと思ったんだ。そうすれば誰とも、意味のない愚かしい会話をかわす必要がなくなるじゃないか。誰かが僕に何か言いたいと思ったら、いちいちそれを紙に書いて手渡さなくちゃならないわけだ。しばらくそんなことを続けたら、みんなけっこううんざりしちゃうだろうし、あとはもう一生誰ともしゃべらなくていいってことになっちゃうはずだ。みんなは僕のことを気の毒な聾唖者だと思って相手にもせず、放っておいてくれるだろう。僕はみんなの間抜けな車にガソリンやらオイルを黙々と入れ続ける。僕は給料をもらい、その給料を貯めてどっかに小さな自分の小屋を建て、そこで一生を終えるんだ。森のすぐわぎに小屋を建てよう。森の中に建てるんじゃないよ。なぜかっていうとその家はいつもぎんぎんに日が当たってなくちゃならないからだ。食事はぜんぶ自分で作る。それからいつか、もし結婚しようというような気になったらっていうことだけど、美しい聾唖者の娘とめぐりあって結婚するんだ。彼女はその小屋で僕と一緒に暮らすわけ。そしてもし僕に何かを言いたいと思ったら、彼女もやはりろくでもない紙にいちいち書かなくちゃならない。ほかのみんなと同じようにね。もし子どもたちが生まれたら、僕らは子どもたちを世間から隠しちゃうんだ。そして山ほど本を買い与えて、自分たちで読み書きを教える。(キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション) p336-337)

SACで”… or should I?”が継ぎ足されたのは、端的に書いてしまうと、「引き籠るか否か」という選択肢を作ることにあったのではないかと思う。あるいは、社会に対して自分がコミットするか否か、と言い換えてもいい。そういう決断が、あの笑い男のマークにある文章「I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes…or should I?」にはある。そして、『ライ麦畑でつかまえて』の原作者であるサリンジャーは、ここにある文章を実践するかのように、その後俗世とは離れた世界で生活することになる。この部分の文章は原作者であるサリンジャー自身の独白、という見解もあるくらい。

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