日陰 ぽかぽか もくようび


すきなこと、すきなもの、それに忠実に生きようとするあまり見失うものが多くて。それに従って生きる度、私は普通から逸れて戻されていく。心のなか、どこも普通の部分がないような気さえしてくる。たまに、私が普通で、私をおかしいと言ってきた人間が変だったことを教えてくれる人は大切だな。もちろん7割は私が変で悪い。

私って、人生の優先順位がめちゃくちゃだから、進学、就職とかで病むことあんまりない。なんか、そのへんってどうでもいい。就職活動という、自分の意思に反することするのは嫌いだけど、変なところ自己肯定感高くて、なんかどんな会社でも上手く鈍感に生きていける気がする。昇進とか興味無い。お給料はください。でももっとね、私は時間が大事だから週休5日制とかだと嬉しい。でも、自分の中の目標を壊しも近づけもしないこの『大人』とやらになる儀式は別にどうってことがない。どんな企業に就職することになっても、全部落ちても、心の底からどうでもいい。

私はもっとなんか、毎日陽の当たる白い壁のお家に住んで、ふてぶてしい猫を飼って、好きな家具でいっぱいの部屋で、ひとりきままに料理したりお菓子作ったり詩や本を読んで、たまに大好きな友達とご飯を食べたりして、オタ活とかいう今となっては「好きな人を好きでいる」ことよりも「承認欲求を満たすこと」が優先になってしまった気味の悪い行為からは、いつか離れた人生を生きることが最終目標。自然と朝は7時に目が覚めて、夜は9時に眠りたい。その家が日本じゃないどこかにあるともっといい。壁が朽ちたっていいから綺麗な海が見えるといいな。生きてるのか死んでるのか分からないような、世の中から隔離された生活。今いるともだちをとても愛してるけど、別の場所でいつか1人になっても構わない。ちなみに、ここで35歳じゃなきゃいけない。プチ目標は世界一周である。

そう。無理なのだ。私の人生の目標は恐らく達成されない。それならせめて、ひとりで暮らしてやるし、世界中の国ひとつでも多く愛してやるよ。そんな気持ち。昔私が鬱だったころ(今も鬱ですが、マシです。)、頭掻き毟って泣き喚いてどこか遠くに行きたかった。私を想いもしないのに私の傷跡を見て泣く人の反吐が出るような偽善の横で私は私で居られなかった。好きなように生きるから程遠かったあの頃。好きを全部否定されてきたあの頃のわたし、見えてますか。

大学生になるまで、好きなものを好きという勇気すらなかった私。嫌いな物も言えなかった。嫌いです。ナスとキノコとフルーツと自由を縛る何かとあなたが。よし。言えた。

私は、なんか綺麗な生き方がしたい。ほわんとしたい。せかせかしたこの世が向いてなかったみたいだ。あと五年ぐらいしたら私はきっと余裕が無い中突然、結婚出産してゆく友人を横目に猫ちゃんを飼って、その猫ちゃんが死んじゃったら一緒に天国に行きたい。地獄かもしれないけどそんなのどうでもいい。途中の検問ぐらいまで一緒に行こうね、まだ見ぬ猫ちゃん。

その猫ちゃんに、私があの母親に生まれなければきっと何かに、誰かに注いでいたはずのありったけの、下手くそな「好き」を全部あげよう。少しばかり太ったって猫ちゃんは愛おしいので、好きなだけたべてほしい。健康の範囲内で。などというのは人間のエゴであり、死の苦しみが遅かれ早かれ来るのなら、私は今美味いもん食ってコロッと死んだって悪くない人生って言えるじゃんと思う。ちなみにこれも人間のエゴ。エゴで出来た人間だから、えらそうなこといわないで。たべて、のんで、寝ればいいじゃない。だめですか。


あの頃ほど切羽詰まった死にたいではないけど、私はいまキラキラした希死念慮で、たまに苦しくて、たまに希望が持てる。上手くいかなかったら明後日とかに死ねばいいんじゃんね。じゃあ別に今日死んだって変わらないけれど、そのくらいの人生なら推しが愛おしいからって理由で生きててもいい気がする。もしかしたら彼が彼の想い人と結ばれるかもしれないし、思うままに生きるために自分の内側を我々に開示してくれる日が来るかもしれない。そしたら私もあなたに何かを伝えたい を理由にまたそこから数年を生き延びよう。

最低限、エチケットとして40歳までの人生としていきたいけど、私の人生、鬱でも不眠でもADHDでも、境界性人格障害でも愛着障害でもない名前をつけて、可哀想じゃなくて、よかったね と言われて死のうと思う。これを見てる人、いつか私が薬物練炭自殺を行ったとしても悲しまずに夢が叶っておめでとうと言ってね。ずるいよ、仮面ライダーになりたい人と同じように、私の将来の夢が叶っただけ。

いい夢なんて見ないで、私の夢を見てね。
おやすみなさい。

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