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形のないものになまえをつけよう

ずいぶん更新が開いてしまいました。
今日は少し書き留めておきたいことがあるので、久しぶりにPCに向かっています。

以前の記事から少しずつADHDについて書いていました。その投薬治療で効果のバランスが崩れてしまい、家事の優先順位が立てられなくなったりとやや不調気味でした。戻っては崩し、また戻っては崩しで、ちょっと疲れちゃったんですね。不眠も再発してしまいました。
家にいるとどこか落ち着かなくて、でも出かけるとつい散財してしまうし、かといって散歩などすれば頭の連想ゲームが止まらず、誰かに助けを求めたくなるというか、ほんの少し立ち止まっておしゃべりをしてくれるだけでどんなに心が安らぐだろうと考えたり。次第に寂しいような苦しいような、いろんな気持ちが混ざって境目のない霧になっていきました。
なので一度仕事を本格的に探してみようと面接をいくつか受けたのですが、これが全滅。それは落ち込みました。
制作がしたいから仕事を辞めてるわけで、これには解決が見えないどころか本末転倒です。私はいったい何から逃げようとしているのか?そう思うほどにモヤモヤや寂しさから一刻も早く離れたかったのでした。

考えなくても、自分が何かに蓋をしたまま過ごしていることはわかっていました。でも蓋を開けてみたところでそれが何かわからなったのです。なにかとても簡単なものではないことだけはわかっていて・・・。
不思議なもので体はとても正直で、モヤモヤを放置すればするほど調子が悪くなっていくもので、とくに私自身はその特性があるほうかと自分でも感じます。
ある時に主人と買い物がてらドライブしていた時に
「最近、家に一人でいると孤独感がすごい。とにかく寂しい」
と、気づいたら言葉にしていました。
そんなことを言ったことがなかったので、主人もそうなの?と運転中なのに首をこちらに向けるほど驚いていました。
アラサー終盤にもなって孤独感という言葉を使うのは、自分がとても子供っぽく感じて言えなかったことでした。
「だから働いたら人と話す時間が増えたりして、ちょっと世界が変わるかなって。」
そう自信なさげにいう私に主人は、
「働いたら孤独感っていうのはなくなるの?前に働いていた場所はその孤独感っていうのは本当になかった?」
と聞きました。
そうなのです。働いていたって何かしらの孤独感はありました。だって仕事をしながらの制作を楽しむ自分に、共感できる同僚が身近にいなかったし、搬入搬出で気持ちよく休めるような環境もなかったから。
なら、制作できる今なぜまた孤独感ってやつを感じているのか。
結局不満をいっているだけ?
孤独感だけが自分を苦しめているの?違う、ただ寂しいんじゃない。
私は何かを怖がっている。その何かは・・・何?
この形のない感情の名前はどこにあるの?

そうしていくと、自ずと過去を遡っていくようにいくようになりました。
診断を受けた日、母が旅立った日、父を見送った日、受験に失敗した日、高校でうまく授業を受けられなくて保健室でよく休んでいた日、友達に傷つけられた中学の時、いじめにあった小学校のとき。
人生がもっと順調と言えたなら、この孤独感は生まれなかった?

本当に?

おそらく人生で一番古い記憶があります。目の前がピンク色で、私は寝そべっています。重い体と頭をよいしょと動かすと、目の前に真っ黒い髪がはえた丸い顔の子供が隣で寝ています。誰に言われたわけでもなく、その子と私は同じ存在だと感じていました。私はとにかくその時間が幸せで、安心して再び眠っていました。
ふと目を開けると、隣にいた子がいなくなっていました。
良くなじんだいつもの甘いにおいもなくて、私はその瞬間にとてつもない怖さを感じて、思わず叫び声をあげました。すると不思議なことに、あとからあとからどうしようもなく悲しくなっていくのです。冷たい雫が目からこぼれ、視界がまだらになっていくころ、急いで誰かがガラガラっと扉を開けて入って来ました。近寄ってくるその存在が自分より何もかも大きい人で、力強く私を抱き上げ背中を叩くのですが、私がいま包んでほしいのはその人ではなかったので余計に悲しくなり、ああ、私がいて欲しい人はここに誰もいない・・・はっきりとそう感じたことがあります。
後の思い出で、それは赤ん坊のころの自分で、私が一時的に預けられた乳児施設のベビーベッドからの風景でした。

目を開けた時に、気づいたらたった独りぼっち。
それが私にとっての最初の孤独感を味わった時でした。

2歳くらいまでは施設にいたらしいのですが、次に覚えているのはおもちゃで一人遊んでいる時でした。周りには同じくらいの子供や保育さんがいますが、なぜかその記憶では誰も隣にいません。
遊びたいのにおもちゃの使い方が分からず、教えてほしくて大人を呼びますが、忙しそうで微笑みかけながらすぐ向こうへ走っていきます。
そうやって時間をもてあます日々が続き、仕事帰りに顔を見せに来た父がおもちゃの使い方を初めて教えてくれたのでした。

隣に誰もいない、呼んでも何故か皆が忙しなく過ぎていきます。
それは幼稚園でも、小学校でも。その理由は様々でしたが、私にとっての事実はただ寂しいという、たった一つの気持ちでした。

走馬灯のように記憶が行き渡ったその瞬間、ハッとしました。
私は理由がごまんとあるかも知れない事実を、全部まぜこぜにしていたのです。私はひとりぼっちなのかもしれない・・・あるいは、またひとりぼっちになるのかもしれない。ただそれが怖くて、自分が一人だった理由を一つにして逃げようとしていました。
私が施設にいたのは最初の母が生まれてすぐ亡くなってしまったからで、幼稚園に一人になりやすかったのは引っ越しが繰り返されたからで、小学校は周りに合わせられず孤立化したからで、それ以降は自分から周りを拒絶したからでした。両親を見送ってからは、今の大切な人たちを失うのがもっと怖くなり、人に幻滅されたり離れられるのが怖くてより距離を保ってたからでした。それも、とくに難聴やADHDの診断後は。
全部全部、すべての出来事を混ぜていました。そして理由を勝手にすり替え、一つに束ねていました。私の価値が低いからだと。

最初の母が亡くなったのも、両親が早くに病気をしたことも・・・何より。

私が本当に現在も苦しかったのは、いじめられることで感じた当時の孤独感と、それが今もなおフラッシュバックすることで続く現在の孤独感でした。
当時のいじめの張本人には、もう恨みとかなく、気持ちの整理がついています。つまりこのモヤモヤは、私が同じ目にあいたくなくてお守りのように持っていた寂しさでした。ずっとそれをもっていれば、突然寂しくなってもダメージが少ないから。すると目の前で起きている人の好意や記憶が全く違う事実になっていくのです。
あの人は私に合わせてくれてるだけ、楽しいのはきっと私だけ・・・。
まあなんとも見事な拗らせっぷりです。そこにADHDのおまけがつくわけですから頭の中の被害妄想は見事なまでに積み上がります。

一人でいることが本当に怖いことなのか。
それは違います。

特にコロナ以降、たくさんの人がその疑問を持ち始めてると思います。
打ち込むものや癒しになるものを求める人も増えたように思います。

私は一人で過ごしていたころ、絵を描いたり本を読んだり、それなりに楽しく過ごしていました。そしてそれがどんなに日々を鮮やかにしてくれるかも知っています。それが今できないのは、好きなことをして家族に呆れられないか、下手なものを描いて幻滅されないか怖かったのです。
そうやってまた気づいたら一人、それが何よりも怖い。

それならば。
私がその怖さに名前を付け、毎日向きあったらどうだろう。
誰にも見せずに形を描き、色をつけ、気に入ったなら飾ればいい。
綺麗なものを描くだけがアートではない。
ずっと遠くに追い払っているから、それは後から後から追いかけてくる。
ちゃんと向かい合えば、それはいつしか、私のなりたいものに姿を変えてくれる。

そう考えた時、もう一つのことに気づきました。
私が好きな作家さんたちの作品。どうしてそれに惹きつけられてきたのか。
その魅力は、ただ私が好きなものを形にしただけではなく、私が寂しかった子供の頃に癒してくれた様々な世界を表現してくれていたのでした。
それは私が自分に与えられなかった代わりに、作家さんの多くが私に示してくれたものでした。

人は本当は、誰もが幸せを感じられるようにほんの小さな隙間が胸にあるのだと思います。好きな食べ物を食べた時、行きたいところに行けた時。欲しかったものが買えた時、会いたい人に会えた時。
身近なもので満たされるようにだからこそ、その隙間は小さく作られていて、見過ごしがちです。知らぬ間に、私は傷つかないように過去の記憶でそこを塞いで、それが何かを見えなくしていたのでした。
これからはその隙間に、怖いと感じたり寂しいと感じたことを好きな形にして色を付けて埋めてみようと思うのです。

これまではそこに、作家さんの作品を買うことで綺麗な世界を埋めてきましたが、この先は自分の中で生まれ行く形を自分で埋めていかなければなりません。そう思うと同時に、同じように考えている人がいるなら、きっと自分は孤独ではないのだと考えるようになりました。一人と孤独はちょっと違うかなと。

とはいえ、やっぱり展示で素敵だなって思った作品には手が伸びてしまうと思うんですけどね(笑)
少なくともその意味合いも、そして日常を共にした時の感想は変わっていくように思います。

この気づきがあった時、ずっとずっと胸の奥のつかえが取れずに苦しかったものがスッと抜けたように思います。喉に刺さったままの魚の骨のような、時には背中の真ん中に刺さったままの釘ような、痛みは様々な形でしたが、とても苦しかったのでした。

これからの人生の感覚が、とても大きく変わりそうです。好きなものに出会ったとき、作家さんに作品の素晴らしさを伝えるとき、私はもう自分の何がその作品に救われたかを隠さずに伝えたいと思います。もちろん私が描きたい時につい隠したくなる思い出も、隠さずに向き合えるような、そんな制作をしていきたいと。

ちょっと大げさな文章になってしまいましたが…
とても大切な一瞬としてずっと残せたらいいな。

それではまた。



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