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再録「あのときアレは神だった」〜仮面の忍者 赤影

テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。実在の人物から架空のものまで、昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。

(2015年より、夕刊フジにて掲載)

「カチッとした(七三の)横分け」。

それは、いわば「まじめ」の象徴だった。

『仮面の忍者 赤影』は、それはそれは見事な「横分け」であった。

放送開始当時(1967=昭和42年)、うちのお父さんも横分けであった時代に、なぜかその横分けは一段格が上だった。

剪定(せんてい)がいいというか、手入れの行き届いた感じというか、赤い妖艶な仮面とあいまって、とにかくとても生理に訴えかけるような「横分け」だったような気がする。

わりと近いその時代の「横分け」としては、その年に放映を開始した川崎のぼる作画の『スカイヤーズ5』(67年にアニメ化)の主人公・隼太郎や昭和ムード歌謡の大物、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「ひさし頭」(フロントマン、三条正人)などがあげられるが、子どもの生理の奥に潜む「ムズムズ感」を惜しみなく刺激したという意味では、赤影に勝るものはない。

なぜ、それほどまでに赤影は「横分け」であったのか。

原作漫画(横山光輝作)に準じている部分もあるが、オリジナルはあそこまでの横分け感はない。

アクション系の話なので、もう少しラフな感じの髪形でもいいような気がするが、江戸時代の設定なのでアフロやボサボサでは単にだらしない奴に見えてしまう。

かといって、原作から冒険し、ちょんまげに仮面では、やや変態っぽい。いわば妥協の産物のようにも見えるが、かくしてこの色艶薫る「神」的横分けが出来上がった。

赤影を演じた俳優の坂口祐三郎は、あまりにもその役のイメージが強すぎて、放映後もしばらく他の役作りの現場で苦労したらしい。まさに伝説の「横分け」であった。 (中丸謙一朗)


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