一日50本25年タバコを吸い続けていた男が、ジッポーライターを海に投げ捨てた話
約10年前にタバコを止めた。かなりのヘビースモーカーだったので(一日50本25年)、もちろん禁煙はたいへんな騒ぎだったが、何よりもたいへんだったのは、愛用のジッポーライターとのお別れであった。
わたしは、四六時中、ジッポーを携帯していた。蓋を開け締めするあの「シャリ〜ん」という音が、隣の部屋に聞こえるらしく、スタッフたちにとっての「恐怖の調べ」のようなものになっていたらしい。
けっきょく、このライターへの執着を捨てない限り、いくら禁煙してもいずれまた吸うようになると悟ったわたしは、海沿いの公園のベンチで最後の一服を吸った後、手にしていたジッポーを、海に向かって投げ捨てた。
もちろん、泣いた。
ジッポーライターは、男の思いを吸っている。
真鍮やアルミなどのシンプルなボディフレームのなかに着火部があり、その下にあるコットンに燃料用オイルを吸わせる構造は有名だ。
一部、「ジッポー持ち」の嗜みとして、フレーム下部のコットンをギュウギュウになるまで増量し、さらに補充用の(着火用の)石を備え付けることによって、燃料オイルの「もち」やライター全体の重量感(持った時の感触に繋がる)をアップさせるなどのカスタマイズを行うが、そんな手間の分だけ、男の思いをジッポーにギュウギュウと吸わせている。
ライターという民具の歴史はまた別の経過をたどるが、ここではあえて、ジッポーライターとしての存在を取り上げる。
ジッポーは、1932年、アメリカ・ペンシルベニア州のブラッドフォードという街で誕生したライターのブランドである。
「耐久性があり、よく機能する」ライターを目指した。「It Works!」をスローガンに、まったく新しいタイプのライター製作がはじまった。
またたくまに人気となり、人々に愛されたジッポーは、製作者の思いを超え、使用する側の知恵から、多くの機能や物語を生んだ。
強風でも消えない「火」がランタン代わりとして「信頼」され、頑丈なボディは、緊急時の金槌に使われ、また、胸のポケットに入れていた戦場の兵士の「弾丸よけ」となり、幾多の命を救った。
ジッポーは、その品質を永久保証してくれることで有名である。ジッポーは、企業にとって、一生持ち続けてくれる広告である。その信頼感のおかげで、アメリカでは早くから、ロゴマーク入りのノベルティとして注目され、そのおかげでさまざまな絵柄が楽しめるバラエティ豊かな「キャンバス」となった。
ジッポーの種類や希少価値、個々人の熱き思い入れなど、とてもじゃないが、そう簡単には語り尽くせない。ジッポーを愛する人々のファンクラブも、世界各地に存在する。都営新宿線「菊川駅」(または都営大江戸線「森下」)にある「ブラッドフォード東京」は、そんなジッポー愛好家の聖地的ショップである。
店主である安藤さんは、ジッポーの輸入代理店に長年勤務し、商品開発やジッポー関連イベントの主催に携わってきた、いわば日本におけるジッポーのスペシャリストである。レアアイテムを含む、約5000点の品揃えは、日本有数。あまり広くはない店内だが、ショッピングだけでなく、まるで博物館のように訪れる人を楽しませてくれる。
静かな佇まいにもかかわらず、テレビの散歩番組や雑誌などでも頻繁に取り上げられる。好奇心をくすぐられるおもしろい店。タバコに火をつける。これだけには収まらないスーパー民具「ジッポーライター」の世界を、東京の下町で覗くことができる。
〜2019年1月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂
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