白洋舎の「洗濯資料館」って知ってる?
旅先でTシャツが足りなくなった時、なんだかコインランドリーに行くのも面倒なので、試しに洗面所で洗ってみた。意外に簡単で目からウロコが落ちた。逆に言えば、わたしたちは「洗濯とは洗濯機でするもの」と思い込んでしまっているとも言えるのかもしれない。
いま、洗濯機は家のなかで乾燥機と一緒になった立派な風情で、わたしたちの生活を支えている。洗濯槽の蓋を開け「うわー、こんなに汚れているんだ」なんて思いながら、ぐるぐる回る渦を眺めることを、私は密かな楽しみにしていたが、いまは乾燥まで全自動で、そんな「酔狂」さえも許されない事態にある。だが、そんなことも思い起こせば、わりと最近のこと。「おばあさんは川へ洗濯に」のフレーズでもお馴染みのように、ずっと昔は手洗いだったし、使う器具と言えばせいぜいが、タライと洗濯板。私たちの日常にこれほど便利なマシンとして洗濯機が存在するようになったのは、せいぜいが、昭和の中期ぐらいからなのだ。
洗濯機は、1908年にアメリカで発明された。洗濯槽にハンドルなどで力を加え回転させ、洗濯物を水と一緒に攪拌させることによって汚れを落とすという基本的な構造が、この頃から立ち上がってきた。日本では1928年(昭和3年)に、「Thor」(ソアー)というアメリカの撹拌式洗濯機が、現・東芝の前身である東京電気によって輸入販売された。
その後、国内でも研究開発が進み、1930年に、これも東芝の前身である芝浦製作所から国産第一号の攪拌式洗濯機が販売された。
1953年(昭和28年)には、三洋電機から現在の洗濯機の原点とも言える「噴流式洗濯機」(洗濯槽側面に取り付けられた回転翼で水流を起こす)が発売され、各家庭に普及することとなる。1950年代後半には、高度経済成長が本格化し、「三種の神器」(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)の言葉とともに、洗濯機が各家庭に普及していった。
1970年代(昭和40年代)には、洗濯機は「二層式」全盛の時代を迎える。これは、「洗い・すすぎ」を行う槽と「脱水」を行う槽が分離しているタイプで、洗濯物を移し替える作業が必要だ。冷たいすすぎ水に手をツッコミ、脱水槽に移し替える作業をこども時代に手伝わされた記憶がある人も多いことだろう。
その後、「洗い」「すすぎ」「脱水」をすべてひとつの洗濯槽で行い、すべてを自動で行う「全自動洗濯機」が開発、発売された(第一号は現パナソニックから1965年に発売)。当初は使用する水の量の多さなどの問題もあり、普及に時間がかかったが、改良が重ねられ1980年以降、現在までの主流となっている。
時代はさらに進化し、「洗濯乾燥機」と呼ばれるタイプが登場した。全自動機能に乾燥機能がついたもので、ドラム式洗濯機として知られるようになり、一度洗濯物を放り込んだら、泥水を眺める余興などもなく、「洗い」「すすぎ」「脱水」「乾燥」まで、ひとつの槽で全自動完了、という時代に相成ったのである。なお、最近では、これに「洗濯物たたみ機能」も付加するという話がささやかれているが、その普及への速度は予測できない。
衣服を身につけて、それが汚れたら水で洗浄し、また大量の衣類や特殊な衣類はクリーニング業者などに頼み、その専門的な技術力できれいにする。衣服を着る限り洗濯に終わりはないし、身だしなみという意味ではけっして無視できるものではない。
洗濯機とは、わたしたちの人生におけるなんなのか。その付き合い方は複雑で、バラエティに富むもののような気がしている。
〜2017年3月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂
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