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ニッポンのロボット便器のエルサレム〜小倉TOTOミュージアムを往く


便器はどこまで進化するのか。館内にあるバイクと便器のコラボ・オブジェ。



実家のある駅に降り立つといつも思い出すことがある。それは、トイレの汚さである。その駅は、1980年代に毎日通った通学路で、トイレもなにかとお世話になった。当時の駅のトイレと言えば、それはそれは阿鼻叫喚の光景で、腹を壊したり鼻血を出したりして駆け込んだ、二度と後戻りしたくない臭い青春の思い出である。

時代は進んだ。いま、その駅のトイレはピカピカだ。日本のトイレは格段に進化した。なかでも特筆すべきは「便器」である。近年は中国からわざわざその「便器」(ウォシュレット)を求めて爆買いツアーにやってくる。日本はいまや世界に冠たる「便器大国」なのである。

革新的便器「ウォシュレット」(TOTOの商標登録)が誕生したのは1980年のことである。

おしりを水で洗う。この発想は驚きを持って迎え入れられた。当初は不審がる反応も見られていた「お節介」商品であった。発売当初のウォシュレットは、飲食店やデパート、ホテルや公共施設などに納入され、利用者の拡大を図っていた。

最初は体験者の口コミだけの静かな広がりだった。その認知度が一気に上がったのがあのCMである。

「おしりだって、洗ってほしい。」

タレントの戸川純さんを起用した1982年のテレビCMである。名コピーは、80年代に一世を風靡したコピーライターの仲畑貴志氏の手による。

CMは評判になり、「おしりの気持ちも、わかってほしい。」「人の、おしりを洗いたい」など、続編も次々と制作された。

その後、ウォシュレットは、1980年代後半ら1990年前半にかけてのバブル景気に支えられ、次々と多機能化していった。オゾン脱臭、便座の自動開閉、抗菌や洗浄機能、節水機能など、その進化はいまも続いている。

少し時代を前に戻そう。

日本では江戸末期から明治初期にかけて、(非水洗の)木製便器や、装飾性の高い陶製の便器などが作られていた。その後、大正期に入り、東京の下水道も少しずつ整備され始めた。関東大震災での大幅な復興というきっかけもあり、その頃から、しゃがみ込み式の和式便器ではなく、水洗式の腰掛け便器(衛生陶器)が製造されるようになった。それを手がけたのが、現在のTOTOの前身、大倉和親社長率いる東洋陶器株式会社(日本陶器合名会社=のちのノリタケカンパニーリミテド、から独立)である。

北九州市小倉北区にTOTOミュージアムという施設がある。館内には、大正時代から連なるさまざまな便器が展示され、その歴史や存在意義などが解説されている。

便器に関する日本人の革新性はとどまるところを知らない。そのハイテク技術から「ロボットトイレ」と一部の外国人に称されるまでになったウォシュレットは、現在、「健康チェック端末」としての役割が研究されている。糖尿病の発見、女性の生理周期の管理などのための「尿の採取システム」など、いくつかの健康に関する機能が開発され実験的に商品化されている。

たかがトイレ、されどトイレである。

人間は一生のうちにどれだけの時間、トイレに入っているのだろうか。排泄のために仕方なく入るトイレから、健康チェック、気分転換、癒やしの空間としてのトイレへ。便器という民具が人間の未来をとてつもなくおもしろくしていく。

〜2018年9月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


便器の普及のために用意されたサンプル模型。いわば立体カタログである。


【TOTOミュージアム】開放的で心地よいスペースに、トイレ、洗面など、水回りの文化や歴史、TOTOのものづくりに対する想いや製品の進化などが展示されている。北九州市小倉北区中島2-1-1


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