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再録「あのときアレは高かった」〜スカイセンサーの巻

「あれ、欲しい!」

そう思うが月々のお小遣いでは到底手が出ない。恐る恐るおかんに相談してみたら、「そんなのおとうさんに言いなさい!」とピシャリ。
そりゃ、直接言えるのなら、おかんに相談しませんわな……。
と、そんなわけで、クラスの中の金持ちのボンだけが持っているのを横目に見ながら、泣く泣くあきらめたあの日の思い出。
そう、あの時あれは高かったのだ。

昭和の、子供には「ちょっと手の出しにくい」ベストセラー商品。
当時の価格や時代背景を探りながら、その魅力を語る。

     ◇

1975年当時、横浜に住む中学生にとって「スカセン」とはふたつの意味があった。ひとつは当時、日本最高の乗車率(約300%)を誇っていたJR横須賀線のこと。もうひとつが、このソニーの高性能ラジオ「スカイセンサー」のことだった。

何が高性能かというと、それは、野球中継や小島一慶さんや『欽ドン』やビバヤング(オールナイトニッポン)などのAM放送だけでなく、地球の反対側、オーストラリアのワライカワセミの声を聞くことができたのだ。そんな「近未来的」な高性能ラジオなのであった。

当時、「BCL」と呼ばれる国際短波放送を受信する趣味が、なぜか日本の中高生の間で大ブームとなっていた。そこに登場してきたのが、このスカセンである。何代かに渡って発売された人気機種だが、たとえば1975年発売の機種の値段は2万7800円。当時の消費者物価指数をもとに現代の価格に直してみると、約5万円である。

現代のように安売り店でラジカセが1万円以下で買える時代ではないが、それにしても中学生の「おもちゃ」にこの金額は高い。力道山見たさに集まった街頭テレビではないけれど、買えない連中が持っている友達の家にひっそりと集まり、夜な夜な怪しい電波を「傍受」。いま考えると、とってもキュートで奇妙な電波系物語がそこにはあった。

私は買えなかったし、海外のラジオ局が発行するベリーカード(受信証明書)も持っていなかったけれど、ネット時代にはない、当時の「目に見えない空間」への憧れの気持ちは、こそばゆくもしっかりと覚えている。


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