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年末年始は、普通なら楽しいイベントなのに、うちは年越しと正月三が日の夜を過ごす祖父母の家で、父が祖父母と口論をするイベントとなっていて、私はどうすればいいか考えていた。

私が結婚して家を出る前年の元旦、例年通りそれは始まった。
私たちは先に帰宅していれば聞かずには居られるけれど、母は父が帰宅するまで起きていて、たとえ深夜だとしても、どんな内容だったかから、どれだけ父が可哀想か頑張っているか、まで聞かないと寝かせて貰えない。寝ようものなら怒鳴られる。
それはいつも、2階に居る私たちにも当然聞こえる。

父と祖父母は昔から不仲で、母によれば父は祖父母から愛されていない。
父には妹が居て、妹ばかり良い目を見ている。

それは孫にも影響していて、私たちはいとこたちと差別されて来た。毎日祖父母の手伝いをしていた母は、よく私たちの悪口と、いとこたちがどれだけ優れていて、お前の娘たちがどれだけ悪いかを聞かされていた様で、今も恨み浸透である。

実際、私、姉、母から祖父母への贈り物はよく1週間以内に捨てられている。なぜ分かるかと言うと、隠す事もなくゴミ箱からこんにちは、をしているのを、手伝いに行く母が見付けるからである。
要らないからお前たちが使えと返された事もある。一方いとこからの贈り物は、今も大事に飾られている。
他にも、姉の成績の良さを性格が悪いからだと言ったり、私の結婚式には2人ともボサボサ髪で、髭も剃らずに来て、後日悪口を言っていたり、子どもの祝いごとの金額が違ったりする。
それでもなぜ物をあげていたかと言うと、父からの命令である。
いい加減、愛されていない事を諦めて欲しいけれど、無理だろうから、せめてこちらを巻き込まないで欲しい。

さて始まった例年の口論、私はなんとかしたい一心で口を挟んだ。そもそも起こらないようにみんなの好物を買い揃えたり、話題を作ったりと色々と心を砕いたけれど、父は意に介さず、とにかくいつも自分の追及から逃げる祖父母と同席出来る正月という機会を逃したくないらしく、無駄に終わった。

母が私が口論に口を挟むのを嫌がるのは分かっていたけれど、毎年同じ内容、結論に達する話を聞くに耐えなかったし、私が聞き手になれば、母の負担がなくなるのではと期待した。

結局、話は決着が付かず翌日に持ち越した。
いつものパターンで、父は翌朝また話に行き、また母はそれを聞かなければならないだろう。
私も祖父母の、こちらの話から脱線する、訳の分からない自慢と苦労話にかなり疲弊した。何も出来なかった無力感を抱えて帰宅すると、母が物凄い形相で私を睨んで、何もかもアンタのせいだと告げた。

久々のパンチ、母の為にとした事だったのにと、その言葉のパンチはかなり堪えた。

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