見出し画像

アンゴルモア

「想像と違った未来」ってあるあるじゃないですか。自分がどうこうじゃなくて、世界の流れ的な話で。
バックトゥザ・フューチャーなら今頃我々はホバーボードで闊歩し、車は空を飛び、時空を越えられていたはずだった。全然できてない。でも1980年代の人たちはみんな夢見て予測したと思うの。思ったより車はまだ空を飛ばない。

子供の頃は未来の想像なんて全然できなかったから、なんとなしに続いていく未来をなんとなしに想像してたけど、18歳の頃にiPhoneを知って当時の僕は衝撃を受けた。「こうなるだろう」の予想として『僕より下の世代はプログラミング的な考えが当たり前となり、誰でもなんでもクリエイティブにモノや技術を作り出していくのだろう』と本気で思った。けど少し違った。
短い動画は数多くが簡易的に作られるようになったが、動画の編集を苦とする人が多い事を知った。音楽はそもそも音楽にまつわる事前の知識が必要で、作る人口は横ばいな気がした。なんならデジタルに苦手意識を持っている人が参入しなくなり、減ってる気もする。
クリエイターは爆発的に増えたが、簡単なモノを作る一般人が増えただけだった。もちろんそこから光る原石も発掘されていっているのだが。そもそも僕より下の世代はPCを扱わない。スマホで事足りてしまうから必要がないらしい。「スマホが登場してから人の知能が緩やかに低下していっている」と言ってる先生がいた。ちょっとだけ納得した。

そもそも人間は『継続』が苦手なのだ。人と話していてつくづく思う。ジムトレ続いてる人が仲の良い友達でも数人しかいない。そしてこいつらは学生時代に一緒に延々とスマブラしたり朝まで将棋指してたり、いわゆる熱中癖がある人たちばかりであった。ひとつの事に熱中することは恐らく選択肢に溢れた現代では類い稀なる才能なのだ。
人間は『自分の知らない情報を受け入れる』ことも苦手らしい。未知の情報に対し、ヒトは一旦否定するか無かった事にする選択を取るのが本能なんだって言ってる人いた。歳を取ると新しい事を覚えたがらなくなるのはこういう事なんだ。新しいものに対してナメてかかるのはこの本能のせい。だから受け入れられない人がいても何らおかしな事ではない。生存に忠実なだけ。ただそれだと緊急の危難が襲ってきた時に淘汰の対象となる。生存競争するならやはり思考し、多くの選択肢がある状態にしておくなど、柔軟さが必要だなとしみじみ思った。生き物の進化ってずっとそうだったしね。

なのでおれは「ひとつのことを継続し続ける人」と「新しい事を吸収し続けられる人」をとても尊敬しているし、自分もそうでありたいと常々思う。憶測で否定し出したら終わりだ。僕がそうなってたら誰か僕を山に捨ててくださいませ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?