雪が積もる音と運命が近づいてくる音って同じらしいな
昨日友達に会いに下北まで行った。俺の知ってる下北沢は10〜20代が歩き回ってる印象だったが、今はどうなのだろうか。夢とか希望とかあるのかな。
話の中で一人暮らし?と聞いて前置きした後に、笑いながら「1人で死にたい時どうしてんの〜?」って聞いた。その場にいた2人に聞いた。そしたら「そういうの全くならないですよ〜!」「わたしもです」という返答をいただき、「(エッッッッッ!?!?!?)」と内心で超大声出した。1人に聞いて返ってきたのならまだしも、2人に聞いて、みんな似たような趣味のところで、似たような年代で、まさかそんな回答が来るとは。俺だけが成長していない、昔のままの同じ景色を見ているんじゃないか、という疎外感さえ覚えた。
みんな死にたいなんて思わないんだ。そうか。まあそりゃそうだよな。仕事で忙しいとか、趣味で忙しいとか。仕事で平日を終え、趣味で休日を終える。より良い人生ではないか。いや、俺もそうですが。俺も仕事と趣味に明け暮れておりますが。絶対に平均より趣味に没頭し、仕事もそこそこ頑張っておりますが。おりますが、死にたい日がある。光を失った家々の窓の光の如く、無意味な虚無と共に朝を迎えてもう嫌になったり、しないんだ。みんな。無意味な虚無と仲良くするために音楽を作ったりしているというのに。みんなが音楽を作らないのは無意味な虚無と仲良くしていないからか?
寂しさとか空虚とかがあるなら恋人でも、という話にもなりそうだが、そうじゃない。恋人がいたって結局は1人なんですから。夫婦になったって、子供がいたって、それぞれ別個体で、個別の命なんですから。「自分に○○さえあれば…」みたいな考え好きじゃない。なろう系の考え、好きじゃない。同じ理由で「来世は…」って言ってる人も好きじゃない。現世でやらない奴が来世でできるわけないだろ。今やらない奴は来世でもやらねえよ。まったく同じ命を繰り返すだけ。一生そうしてろ。
帰り、代々木上原で人身事故があって電車が止まってたから下北から代々木上原まで歩いた。代々木上原からなら電車出てるかな、と思ったけど全然作業中で、駅が血だらけだった。人それぞれ、色んな因縁や憧れ、思考できないくらいの状態になってたりするだろうが、どうせ死ぬくらいなら俺にその人生くれよと駅の血痕に出くわすたびに思う。自殺はエコじゃねえな。
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