ゾーマ
今日色んなことが手に取るようにわかった。寛解の日だ。このあと全部忘れて全部わかんなくなるかも。
人の行動や考え方にはほぼ必ず理由や因果がある。これは別に本人に聞かなくていい。観察してればわかるから。「この人は絶対こっちを選択した方が数年後のこの人が喜ぶのになんで今この選択をしたんだ?」と思うことがよくあるが、そういう場合は大抵皆己を優先した目先の快楽に囚われている。本人が選んだんだからそれでいい。俺は関係無いし。俺の魂でもガワでもない。好きに生きてほしい。君が幸せなら俺もハッピーだからね。観察してても永遠にわからない事があると嬉しくなる。主に競馬だが。馬は天真爛漫に生きている。蜘蛛もそうだ。本能の強い生き物は何をするかわからない。力のある生き物だったら、もしかしたら俺は殺されるかもしれない。無垢とはそういうものである。無垢ゆえに命を奪うのだ。
未来を覗く力なんか誰にも無いのに皆未来を覗こうと必死である。知識や経験から推定するので精一杯なのに、あたかも未来が見えているかのように振る舞う人間がいるが、それは願望を発しているだけということがしばしばある。なんでそんなことするんだ。
他者に何かを期待する行為は愚かである。所詮他者は他者である。受け取ろうとするのが愚かであって、与えるのは己の裁量でいいわけであるから、与える行為は意義がある。己の満足のための行動として選択肢になる。誰かを頼る事が社会にとって必要な能力である、ということをよく見かけるが、それは社会に出て生活していける人間に必要な能力であって、我々のような社会不適合者には必要の無い能力である。我々に必要なのは1人で全てどうにかできる力と、物事を最後までやり抜く力である。知識も経験も蓄積した上で人間が出来上がっていくものだと思うのだが、時代はまさにその権化といえよう。薄っぺらい人間が淘汰されていく日がもうそこまできている。俺が音楽作らないで誰が退屈してる音楽好きを救うというのだ。俺に任せろ、永遠に作れるからなこんなの。なぜなら1人でなんでもやり切れるからだ。嫌になったら自害する。俺と同じ時代を生きれる人間どもありがたく思え。
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