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ROOTS OF "D" 第4回 BUCK-TICK『memento mori』(2009)

今や新譜がリリースされれば必ずチェックしツアーが開催されれば最低1ヶ所は公演へ脚を運ぶほどフェイバリットアーティストのBUCK-TICKだが、その音楽との本格的な出逢いは成人になるかならないかという時期だったので、これまで紹介した氷室京介やPENICILLINと並べてルーツと言い切ってしまえるかは怪しい。

またB-Tの特異な点はコンスタントに新作を発表していて、その度にそれまで自分がベストだと思っていた作品が更新&改変されていってしまうことにもある。

したがってB-Tを取り上げるにも紹介する音源に当然悩みに悩んだが、ここは30年以上におよぶB-Tの歴史の中で、ロックのアルバムとして非常にバランスの取れた仕上がりになっていて、自分自身もリリースされてからの2009年はほぼ毎日聴いたといっても過言ではない16枚目のオリジナルアルバム『memento mori』を紹介したいと思う。

作品を紹介する前にかなり長くなってしまうが、例によって自分とBUCK-TICKの出逢いやハマるに至った経緯を説明させてもらいたい。

そもそも『BUCK-TICK』という名前はしばしば姉の口か、見ている音楽番組で耳にして認識してはいたが、彼らのビジュアルや作品について初めて眼にしたのは小学6年生当時に氷室京介のシングル『STAY』リリースに関連する記事を目当てで読んでいた雑誌『CDでーた』と『what's in』だったと記憶している。

ちょうどシングル『キャンディ』とアルバム『COSMOS』がリリースされた時期で、メディアの注目も高く両誌とも大々的なレビューやインタビューを掲載していたのだが、そこに登場しているBUCK-TICKのビジュアルはややラフなアメカジ風なスタイルで、特に今井氏が半ズボンを履いていたのと、ヤガミ兄ぃが髪の毛こそ逆立っているものの髭を生やしていることが、『ロックバンドはスーツや衣装でバチッと決めて薄ら化粧をしているのが正しい姿』と思い込んでいた当時の自分には受け入れ難く、またシングルのタイトルが『キャンディ』おまけにカップリングが『チョコレート』だということも相まって、完全に『ああ、BUCK-TICKは元々キメキメのバンドだったのが、格好つけるのに飽きて筋肉少女帯みたいなコミックバンドになったんだな』という歪んだ思い込みと決めつけをしてしまい、BUCK-TICK=苦手なタイプの音楽という刷り込みがなされてしまったのた。

程なくして哲朗少年(DEATHRO)にBUCK-TICK=苦手をさらに決定付ける出来事が起きる。

当時学習塾が一緒で良く遊んでいた大規模家具屋の息子であるOくんがいたのだが、小室ファミリーのミリオン量産による折からのCDバブルを受けてOくんの自宅の家具屋も音楽CDを取り扱いを始めていた。
ある日Oくんの部屋に行くとお店で取り寄せたであろう1枚のサンプルCDを持ってきて『哲ちゃん、氷室京介とかBOØWY好きだったら、これも好きかもよ』と言いプレイヤーにディスクを入れ再生したのだが、そのCDこそ前年にリリースされたBUCK-TICKのアルバム『six/nine』だったのだ。

この初期B-Tの大作『six/nine』を聴いたことがある方はおわかりいただけると思うが、その内容をBOØWYや氷室京介が奏でていた8ビートでメロディアスであることがロックの正しい姿と考える(思い込む)11歳の少年には冒頭の長い長い櫻井氏のモノローグ、それが終わるとほとんどキャッチーなメロの無い重苦しい全英語詞のナンバーが始まり、ギターのノイズが全面にでてボーカルがリバーヴで埋もれているナンバーetc...全てが理解の範囲外、またブックレットに眼をやるとメンバーの美麗でクールなフォトなどほとんど無しで謎のCGがフューチャーされ、曲名も『君のヴァニラ』『デタラメ野郎』『限りなく鼠』etc...こちらも、横文字の曲名至上主義だった自分には限りなく受け入れ難く、Oくんに『ごめん、これちょっと違うわ』と言ってCDを返してしまった。

この時点でBUCK-TICKはおちゃらけたコミックバンドという偏見は改まったが、新たに理解不能の難解な音楽をやるグループという刷り込みがなされて、以降中学に上がりVISUAL ROCKを聴くようになってからも『FOOLS MATE』『ロッキンf』などの雑誌でアルバム『SEXY STREAM LINER』(1997)リリースの記事や、毎週楽しみにしていたテレビ番組『BREAKOUT』内のCMで『ヒロイン』や『月世界』のMVを眼にすればするほど、『BUCK-TICKは難解な音楽をやるJ-ROCKやVISUAL ROCKとは違う所に存在するバンド』というイメージは更新され、
実際『ヒロイン』や『月世界』はシングル曲でもかなり攻めた選曲だが、氷室京介の『URBAN DANCE』では騒いでいたくせに、当時の自分はその凄みに気がつく事が出来ずスルーしてしまい、また自分のVISUAL ROCK観も『X』と『COLOR』また『D'ERLANGER』のファミリーツリーに関わりあるものという固定観念が固まり、BUCK-TICKはそれ以前の音楽で非VISUAL ROCKという風潮がメディアでもまかり通り、彼らの音楽にマトモに触れる機会もないまま月日は流れ哲朗少年はパンク/ハードコアと出会い、高校を卒業して自らもバンドのボーカルとしてプレイするようになっていた。

2003年当時在籍していたバンドのリハーサルは相模大野にあったajaでだいたい金曜日の21~23時で入ることが多かったのだが、とある日何故か無性にBUCK-TICKの『悪の華』を聴きいてみたくなり、リハーサルの帰りに深夜1時まで開いていたTSUTAYA併設のBOOK・OFF相模大野店に立ち寄り¥500以下コーナーを探した。

その前の週末に当時神奈川の"目に見えない系筆頭"のパンクバンド『ECHO』でベースをプレイしていた斧寺カズトシ兄ぃ(現THE LORD RUNNERS)の逗子にあった自宅に行った時に、斧寺兄ぃが『殺シノ調べ』版『悪の華』を部屋で流していて、それを聴いて単純にBUCK-TICKは昔はシンプルでかっこいいJ-ROCKをやっていた事を知り、中学時代に読んでいたロッキンf誌を読み返し見つけたディスコグラフィー紹介でも、『3rd ALBUM "TABOO"でそれまでのBOØWYフォロワー的な側面をかなぐり捨て』と説明されていて、最悪『悪の華』でなくても『TABOO』以前の作品ならなんでもいいと思いBOOK・OFFの棚を漁ったが、果たして『悪の華』は愚か¥500以下のコーナーにはBUCK-TICKは1枚もなく、後は近年リリースされたと思わしきアルバムが¥1250以上のコーナーに並んでいて到底持ち合わせた¥500強では入手出来ないのだが、またしても『何にが何でも今日BUCK-TICKのCDを買う』という意地が発動し、シングルのコーナーに移動して1枚だけ、それも¥100のコーナーにあったのが、その前年にリリースされたシングル『極東より愛をこめて』だった。

近年の作品だったので自分の苦手意識として刷り込まれている難解な楽曲が飛び出してくるかも知れないが、もはやBUCK-TICKを予算内で買う事が目的にすりかわっていたので背に腹はかえられぬし、どうせ¥100だから試聴程度にとレジへと持っていったのだが、聴いてみると中高とパンクやアバンギャルドな音楽で鍛えられたのもあるが、シングル『極東より愛をこめて』は音像こそノイジーであるものの、比較的シンプルなロックナンバーで、逆にそのギャップにやられてしまった。

そして、BUCK-TICKは現役でかっこいい事をやっているという事を確信したDEATHRO(当時既に名乗っていた)は翌週には『CATALOGUE87-95』を、翌々週には少年時代あれほど避けていたアルバム『COSMOS』『SEXY STREAM LINER』とシングル『Bran-New Lover』『ミウ』『GLAMOROUS』を淵野辺ディスクユニオンの中古コーナーで次々と集め、果たして『HURRY UP MODE』~当時の最新アルバム『Mona-Lisa OVERDRIVE』までをコンプリートするに至った。

その後も、2004年の各メンバーのソロ活動を挟み、翌2005年にはレトロゴシック調のコンセプトと重厚なサウンドプロダクションに振り切った『十三階は月光』、その反動かのようにデビュー20周年を迎えた2007年には、あえて空間に隙間を配置したバンドサウンドを展開した『天使のリボルバー』をリリースし、作品ごとに目まぐるしくサウンドやコンセプトを変化させても、軸のブレることのないBUCK-TICKという存在に更に魅了されていくことになる。

そして2009年2月にリリースされたのが今回紹介する16枚目のアルバム『memento mori』だ。
アルバムの予告となった2008年末リリースのシングル『HEAVEN』と翌月リリースのシングル『GALAXY』と表題曲は、それぞれ前作『天使のリボルバー』で展開した初期B-Tにも通じるキラメキとポップセンスあふれるバンドサウンドを更に発展~磨き上げたB-T流パワーポップに仕上がっていたし、アルバムにも収録予定のカップリング曲はスカ風な裏打ちも飛び出す8ビートのシンプル&ハードなロックナンバー『真っ赤な夜』とスイング調の極甘なポップソング『セレナーデ』とリリースが予告されている『memento mori』とタイトルされた新しいアルバムがバンドサウンドを基調としながら、前作以上にバラエティーに富んだ作品であることを予感させた。

その予感は的中し、収められた15曲はシングル『HEAVEN』のカップリングとは異なるmixの『真っ赤な夜-bloody-』から『Les enfants terribles』のアッパーなロックチューンで幕を明け、個人的にB-T流パワーポップの最高峰に位置する『GALAXY』のキラメキで完全に聴くものを虜にし、スカ調の『アンブレラ』と、ヒデ作の60~70年代歌謡曲の『勝手にしやがれ』へと続き、ユータのアップライトベースとアコースティックギターによる隠れた名曲『Coyote』と、亡くなった恋人への想いを馳せるバラード『message』のスローパートを挟み、表題曲であり10年代のB-Tの代表曲といっても過言ではない沖縄民謡の音階を取り入れたアッパーなダンスナンバー『memento mori』から、再び攻撃的なロックチューンに載せて初期衝動全開のリリックが炸裂する『Jonathan Jet Coaster』になだれ込み、後半もグラムロックや彼らのルーツであるLOVE AND ROCKETSを想起させる『スズメバチ』10年代以降B-Tの作品内で顕著なラテン調の雰囲気を感じさる楽曲のはしりとなったであろう『Lullaby3』再びグルービーなロックチューン『MOTEL13』と目まぐるしく表情を変え、こちらもアルバムmixの『セレナーデ』で甘い今生の別離を唄い、これ以降ライブではアンコールの起爆剤となる機会も多い裏打ちのブチ上がりナンバー『天使は誰だ?』でクライマックスを迎え、たどり着いた『HEAVEN』で有終の美を飾る素晴らしい内容に仕上がっていた。

アルバムリリースのタイミングで当時NHK-BSで放送されていた寺岡呼人(JUN SKY WALKER(S))がMCを務める番組『wednesday j-pop』にメンバー全員がゲスト出演した生公開収録を渋谷のNHKスタジオに見に行ったのだが、その番組内で『前向きに生きてみてはいかがでしょうか』という本作のコンセプトを今井氏が語っていた通り、自分が原体験した『six/nine』の頃に渦巻いていた被害者意識満載の自己否定感溢れる破滅主義からは考えられない進化を果たしたB-Tなりの決して、空虚な励ましや押し付けのない前向きさを持つ本作はデビュー以来あらゆる変遷を経てB-Tがたどり着いた一つの総決算だと思う。

個人的にはB-T未体験の方にはこの『memento mori』か『狂った太陽』を必ずレコメンドしてきたが、長く愛聴している方にも再び聴き返してもらえたら嬉しい。

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