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ROOTS OF "D "第1回 氷室京介 『SINGLES』(1995)

"DEATHRO"としてJ-ROCKのソロボーカリスト活動を開始をして5年のタイミングで自らの音楽ルーツを"J-ROCK/V-ROCK"に対象を絞って音源を紹介するレビューを始めます。
レビューというよりは音源にまつわる自分自身のエピソードや思い入れがメインになるとは思いますが、どうぞお付き合いください。

第1回で紹介する音源は、自分と実兄の幽閉が初めて自らの意思で購入したロックアーティストのアルバム=氷室京介の東芝EMI時代のシングル全曲と一部カップリング曲を網羅した初のベストアルバム『SINGLES』です。


1988年BOØWYのボーカリストを経て唯一無二のソロアーティストとなり、小学生時代から今日まで自分に『ROCKのボーカルとはこうあるべき』という多大な影響を及ぼした氷室京介との出会いは1992年末、小学2年生の冬休みに当時TBSにて土曜20時~放送されていた現在の『COUNTDOWN TV』の前身番組『突然バラエティー・COUNTDOWN 100』にて流れた『KISS ME』のビデオクリップだと記憶している。

当時TUBEファンだった4つ上の姉はほとんどの歌番組や音楽番組を視聴&録画しており、まだテレビが居間に1台しかなかったため自分と幽閉も自然と一緒に見るのが習慣になっていて、そのうちの一つ『COUNTDOWN100』では11月末から数週間にわたり稲垣潤一の『クリスマスキャロルが流れる頃には』がTOP1の座を独占し続けていたが、実際にクリスマスキャロルが流れる頃に一番近い番組放送日を迎えて稲垣潤一はTOP2へとランクダウンし、代わってTOP1を飾ったのは、姉が見ているミュージックステーションや他の歌番組では全く観たことのない氷室京介という歌手の『KISS ME』という曲だった。

この日は小学校の終業式で冬休みに入った当日で、12月頭に建て替えが完成した新居に越してきたばかりという様々な要因もあり気分が異常に興奮していたということを抜きにしても、番組で流された本人はカーテンや壁に投影された姿かシルエットしか出てこないビデオグリップのシュールな世界観は、もうすぐ8歳を迎える哲朗少年(DEATHRO)に強烈なインパクトを与えた。

それと前後して93年のお正月に親戚の集まりで父方の実家を訪ねた時に、従姉妹の部屋で『KISS ME』の一つ前のシングル『Good Luck My Love』を聴かせてもらったことも重なり、"氷室京介"という存在は完全に哲朗少年の頭にインサートされることとなったが、その後は学校生活や少年剣道を始めたりして、しばらく氷室京介の事は忘れていた。

2年の月日が経ち、小4と小5の間の春休みに群馬県利根村(現沼田市)にある母方の実家に向かう道中、未明深夜1時くらいに県央を出発した車内で自分は早々に眠りにつき、車は朝6時過ぎに中禅寺湖に立ち寄るため停車した、そこで眼を醒ました自分は起きぬけに助手席に座る姉がかけているであろうカセットから流れてくる『Baby~抱き合えるなら~』という歌に耳を奪われ、僕と幽閉が姉に『これ誰?』と訪ねるとBOØWY"という氷室京介がかつて在籍していたバンドのオススメ楽曲を中学のクラスメイトにダビングして貰ったもカセットということを教えて貰った。

それから姉から借りたそのテープを聴き漁る日々が半年ほど続き、95年9月に兄が当時通っていた学習塾のポイントで、リリースされたばかりの氷室京介のシングル『魂を抱いてくれ』を引き換えてきた。

『魂を抱いてくれ』にしても、C/Wの『Midnight Eve』にしても、いま考えると小6と小5の2人にはシブすぎるAOR路線だったけど、このシングルで完全に氷室京介の音楽にノックアウトされ、引き込まれた。

果たしてシングル1枚では飽き足らず、姉の購読していた『CDデータ』誌のバックナンバーを頼りに、その少し前にリリースされたベストアルバム『SINGLES』をお小遣いを出しあい、地元の千葉電気にて購入した。

前置きがかなり長くなってしまったが、『SINGLES』には1st SINGLE『ANGEL』から10th SINGLE『VIRGIN BEAT』までのシングル曲と一部のカップリング曲が収録されていて、パッケージには、歌詞カードとは別に収録されているブックレットにはライター紺待人氏による10枚のシングルに纏わるストーリーと、88年の『KING OF ROCK SHOW "Don't Knock The Rock"』から94年の『SHAKE THE FAKE TOUR』までのツアーデータ、シングル&アルバムのディスコグラフィーが掲載されていて、このあと氷室京介のディスコグラフィーを集めることの参考になったし、それぞれの楽曲やアルバムが制作された背景やエピソードも一気に知ることが出来て、氷室京介がメディアに全く露出しないこの時期では僕たちにとって貴重なアーカイブ資料となった。

内容の方も氷室京介のパブリックイメージである王道の8ビートロック『ANGEL』『SUMMER GAME』『JEALOUSY』『KISS ME』『VIRGIN BEAT』から、氷室京介のもう一つの代名詞であるバラードナンバー『DEAR ALGERNON』『LOVERS DAY』『MOON』、そして自分が最も衝撃を受けた『MISTY』『CRIME OF LOVE』『URBAN DANCE』などのシングルながらもマニアックなサウンドアプローチで攻めたナンバーまで、氷室京介の音楽が持つ様々な側面が簡潔にパッケージされている。

前述したように『"ドラマ主題歌にしてはマニアックで難解過ぎる"という音楽評をよそにチャートを上昇した』という紺待人氏の記したエピソードと共に、哲朗少年に多大な衝撃を与えた7枚目のシングル『URBAN DANCE』だが、ただマニアックで難解だけでない、その本当の凄みに気がつくのはもう少し大人になってからのことだが、もし氷室京介に対してBOØWYや8ビートの王道ナンバーのイメージしかない方にこそ、昨今ではサブスクなどで容易に聴くことができるので是非聴いてみてほしい。

またオリジナルでは2ndALBUM『NEO FASCIO』に収録されていた『SUMMER GAME』『MISTY』の項で記述されているエピソードで初めて『ファシズム(独裁主義)』という言葉や、戦時中のドイツでナチスによる独裁政権があった史実、氷室京介が単なるポップミュージックにはなりたくない決意でそれらのテーマと向きあい紺待人氏いわく"逆説的愛の表現"として『NEO FASCIO』を制作した経緯を知り、そのファシズムがヒューマニズムの対極にある思想という事を子供心ながらも理解することができたし、『KISS ME』の項で引用された『痛みを感じない人間を信用していない』といった後に聴き衝撃を受けることになるBOØWYの1stALUBM『MORAL』の歌詞から一貫している、いわゆる"世間一般"と謂われる物に対してのミスフィットな感覚を肯定する発言も、その後の人生の一つの指針となった。

そう考えると、音源とともにアーティストがどういう経緯で作品を創っているかや、作品やライヴのアーカイブがCDという一つの音源フォーマットを手にすることでざっとではあるが網羅できるのは2020年の現在では逆にある意味画期的なのではないかとこの投稿を書きながら思ったりもした。
いずれにしても氷室京介のCDでは最大の売上枚数を誇っただけあって、BOOKOFFの280円コーナーには必ずといっていいほど見かけるので、もし見かけた際には哲朗少年をその後20数年にわたり氷室京介というアーティストに心酔させ続けるきっかけとなったブックレットの為だけにでも手にして欲しい。

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