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清志郎と今いないはずの人が濃くなるのは シのせいか

…過日。
恵比寿であった写真展。
清志郎の写真とことばにフォーカスした  #魂の言葉展 に行った際に、展示に漏れた言葉の紙屑がテイクフリーになっていたので、一枚いただいたものをアリクの壁に貼っている。
こう書かれている(画像のテキストをスキャンする機能。めちゃ便利。優秀)

『昔から結構目立つ声でね。みんなで騒いでいても俺だけ怒られたりとかね。よくしてた。それが悔しくて、なんか未だにそれは残ってますけどね。その侮しさは。みんな騒いでるのになんで俺だけって。で、まぁそれは普段のことなんですけど、でも、やっぱり音楽となるといくら目立つ声でもですね、ちゃんと歌わないと、かき消されちゃうじゃないですか、そこでやっぱり勉強したと言うか、しましたね。ズルズル喋る奴が多いですよね。ああいうのっていくらいい事言っていても、まったく説得力がない。』
以上。
古い友人との再会が、縁が交わり叶ったやはり過日のアリク。来店した氏が、先の展示があり、ガチャでキーホルダーゲットしたからあげる。
とあったのと、アリク初期メンバー 勲武くんが、足利よりそのために来訪していた旨聞いていたのと、なんとなくSNS上で流れてきた情報が曖昧に重なり、誘導されるように行ってみた。いまアリクの店頭には、ビッグなポスターでバーンと清志郎がいる。 @itaru_hirama 店内にも #降臨 というタイトルの編み物作品があり。それは清志郎。 @203gow 氏の葬式や墓参りにも足を運ぶ後期のファンで、詳しさとか、なんで好きかと問われても、彼を愛するコミュニティの中に入れば、カスのような思い入れかもしれない。
東京に来て間もなく(20年ほど前)、友人の友人が何故か風呂場にチャリを放置していて、その貰い手を探している。が、処分も売ることも誰にでもくれてしまえば良いというものでもなく、困っていたのだそうだ。それが清志郎から貰ったチャリだったのだ。そしてわたしはそれに乗っている。
※気になるでしょ?オーダーしてくれたら話すよ。お店でね

清志郎の歌をときどき唄う。わたしの知らない景色や逸話のような出来事が、口にする都度沁みてくる。スピーカーから聴こえてくるのとは、異なる浸透圧だ。最近 場に合うと思い選曲した  #よそ者 という曲。なんかすごいアリクぽいなぁ て思ったんだよ、そして少し泣けた(落涙はしないよ)。

清志郎のことツラツラ書いたけど、誰かを介して知らされる影響を受けた人のこと。それは有名無名問わずあり。この歳になればまあまあ人がこの世からいなくなる事を経験する。月に何度かは聞くようになる。

気づきと学びの詰まる死。終わり。しかし、こうして余韻(サスティーン。サスティーナブルでない)がそれぞれの中にあるのは、音や写真・我々で言えば味などもそうか。そんな要素が記憶の架け橋となり、喝を入れられたり、励まされた気になったり、寂しくてガッカリして…死んでるのに。
いつか会おう…いつか会えるなんて思って叶わなくなることが続く昨今(自分のこと)。あらゆる終わるのはじまりに立ち会い、向かおうとする自らに、生き抜く強さと脱力をくれる、キラキラした星屑キッカケたち多謝。
わたしも自らが煌めくことのできる恒星であれたらと、自覚なくあなたの光を反射する。
………アリクで待つ。#日日是硴と酒

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