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マリア様はご機嫌ナナメ 13 海水浴にて

 若葉の季節は去り、嫌な梅雨も終わり、いつも通り赤点に怯えながら僕の高校二年の一学期が終わった。
 夏休みになった。去年と同じようなパターンで、本屋のバイトと家庭教師のバイトの繰り返しが始まった。
 家庭教師の時間は午前中なので、マリアも参加出来るようになった。
「カイ、あんたこの頃張り切ってるね。何かに向って走ってるって感じ」
ヒナコがからかうように僕に言った。

 マリアはスッとぼけた顔で夏休みの宿題をやってる。
「んん~~ようわからん」
マリアが髪の毛をかき乱しながら吠えた。
「物理と数学が急に難しくなった」
彼女が訴えるのはもっともだ。物理は運動、特に加速度が難しい。数学は指数関数や対数関数が難しい。これらには僕も手を焼いている。
「午後からのピアノと午前中の物理、数学、使ってる脳が違うんだよな」
マリアはそう言い訳する。
「マリア。ピアノのほうは大丈夫なんだよな」
僕は意地悪な質問をした。
「ピアノも最近は難しい曲になってきた。もうあかんわ」
彼女には珍しく弱気な言葉を口にした。

 お盆が来る前、僕ら三人は海水浴に行くことになった。渋る僕にヒナコは言った。
「私のナイスボディー見たくないの」
最近彼女はふっくらしてきた、というか太ってきた。特に胸のふくらみが大きくなった。彼女はそれを意識してるのか胸を殊更強調するような服を好むようになった。一方、マリアは相変わらず細そりしている。胸はペチャパイでは無いが小さい。
 「わかったよ、行くよ」
僕は答えた。
ヒナコはウフフと言って両腕を胸の下で組んで胸を持ち上げた。マリアは下を向いたままだ。彼女もあまり乗り気では無いようだ。

 僕たちはビーチボール、浮き輪、小さなパラソルを持って南海電車の二色浜の駅で降りた。そこは大阪近郊では有名な海水浴場で白い砂浜が広がり、海岸には松林があった。遠浅の海は大阪湾とは思えないような透明な海だった。海岸沿いに休憩所があり、僕たちはそこを借りて着替をした。
 ヒナコは最近流行りだしたピンクのセパレート型水着、ビキニを着ていた。びっくりするほど胸が成長していて、とても眩しかった。セクシーなヒナコとは対照的に、マリアはいつものように黒色だった。黒いワンピース水着で、上に黒のヨット・パーカーを羽織っていた。胸は残念ながら小さかったが、ウエストはくびれて、それはそれでなかなか色っぽかった。

ヒナコは準備運動も無しに、白い砂浜を駆けていきいきなり海に飛び込んだ。危なっかしいな、きっと押さえきれないくらい嬉しいのだろう。空は気持ちがいいほど晴れて夏の太陽がギラギラ照りつけている。
 二色の浜は遠浅の海で三十メートルくらい沖にいってもまだ膝の深さだ。本格的に泳ぐにはもっと沖に出なければならない。
 マリアは砂浜にパラソルを立てて、その下で浮き輪を一生懸命にふくらましている。ほっぺを膨らませて、時折上目遣いで恨めしそうに僕を見る。
 僕はしっかり泳ぎたいのでかなり沖まで出た。小学校の頃から水泳は得意だった。特にどこかで習ったことは無かったけれど、先生の言う通りにすれば、自然と泳げるようになった。小学六年生の夏の臨海学校の一キロの遠泳も泳ぎ切った。 その時の海は若狭湾で今泳いでいる二色の浜より水が冷たかったように思えた。学校は漁船をチャーターして漁師さんと一緒に乗り込んだ先生がメガホンで僕らに声をかけ鼓舞した。僕らは漁船と並行して泳いだ。腰に白い木綿布を巻いて、一キロを泳ぎ切った時は、さすがにくたびれ果てた。僕たち生徒は漁師さんに船にその木綿の布で引っ張り上げられた。まるで釣られた魚のようだった。

 沖から戻ってきた僕はマリアのいるパラソルの近くに座った。
 「あ~~気持ちよかった」
「マリアは泳がへんの?」
僕は気軽に彼女に訊いた。
「私、あんまり泳ぐの好きやないねん」
彼女は遠くの方を見ながら小さな声でそう言った。
「はは~~ん、ひょっとして泳がれへんの違う?」
僕はワザと意地悪く尋ねた。
「もし、泳がれへんのやったら、教えたるで。金魚すくいみたいに」
「泳げるわ!余計なお世話や」
そう言って、羽織っていた黒のヨット・パーカーを脱ぎ捨てて海に向って走っていった。

 遠浅だし溺れることはないと思って、その姿を見送った。
十メートル、二十メートル、三十メートル、どんどん沖へ歩いていく。そのあたりまでは膝までしか水深がないので、大丈夫だと思って見ていた。
 マリアはヒナコが声を掛けたのにも応えず、まだどんどん沖へ歩いていく。
 腰ほどの深さになった時だ。急にマリアの姿が海に消えた。バタバタと手でしぶきを上げることもなくマリアの姿全体がすっぽり海の中に消えた。
 
「ヤバイ!」

 僕は海に向かって駆けだした、マリアが消えた辺りに見当をつけて海に潜ってみた。そこはちょうど「駆けあがり」といって急に海底が深くなる場所だった。 
 普通、息を止めていれば肺に入った空気で人は浮き上がるものだが、浮き上がって来ないとなると、これはびっくりして水を飲んだなと思った。僕は一度、海面に顔を出して、大きく息を吸ってそれを止めて潜り直した。
 海水は塩辛い、目が痛いけど開けないとマリアを探せない。
「何処だ、何処だ、何処だ」
息が続かない。もう一度、海面に出て息を継いだ。
 やっと見つけたマリアを引っ張って、砂浜にたどり着いた。ヒナコは引きつった顔で目を大きく開けてそれを見ていた。
僕はヒナコに向って、
「何をやってるねん!早く救護所へ行って人を呼んできて」
 
 僕はマリアの両脇を抱えて上向きに彼女を寝かせた。
「これは水を飲んでるな」
僕はそう思った。マリアの小さな胸に両手を当て体重をかけて人工呼吸をやってみた。
 彼女は何度かうめいたが、まだ水を吐き出さない。
「しかたない」
僕は高校で習ったばかりの口移し法を必死でやってみた。

 ゆっくり、ゆっくり、僕は彼女の鼻をつまんで口から息を吹き込んだ。彼女の胸が少し膨らんだ。その時、
「ゲボ!」と彼女は海水を吐き出して目を醒ました。吐き出した海水は僕の口の中に広がった。正直に言おう、生暖かった。
 マリアは僕の首に両手を回して僕に抱きついて泣きじゃくった。
僕は左手で優しく彼女の頭を撫でて、
「ヨシヨシ」と言った。

 救護所から人が来たが、水を吐いて無事そうだと見ると引き返して行った。ヒナコはマリアのヨット・パーカーを持ってきて優しく彼女の肩に掛けた。
 三人はパラソルをたたみ、浮き輪とビーチ・ボールの空気を抜いて一旦、休憩所へ引き上げた。升席のように仕切られた畳敷きの休憩所に座った。ヒナコはマリアに熱いスープ、自分と僕にはコーラを買っていた。ヒナコもなかなか気がきくなと思った。
 「良かった、良かった」
僕はマリアの頭を、ポンポンと軽く叩いた。ヒナコは笑って、
「マリア、命の恩人様にお礼は」
「いいよ」
僕は手を振って言った。
「ありがとう」
意外と素直にマリアは言った。

 しかし、お淑やかなマリア様はここまでだった。
「あのさ~誰が私に人工呼吸をしてくれたの?」
「カイよ」
ヒナコは答えた。
「と言うことは、カイ! 私の胸を触ったの!!」
「ああ、触ったよ。ちょっとだけ」
ヒナコが横入りしてきた、
「それだけじゃ無いのよ、カイったら口移しでマリアに息を吹き込んでくれたのよ。それであなたは飲んでた海水を吐き出して助かったのよ」
あああ、言ってしまった。

 マリアはしばらくの沈黙の後、
「カイ、あんた私の胸を揉んだうえに、私のファースト・キスまで奪ったの!」
 僕は胸を「揉んで」はいないし・・・
しかし、僕が言い訳する時間は無かった。
マリアは休憩所の畳の上にあった座布団を僕めがけて何枚も投げ続けた。
やっぱり彼女は悪魔だ。

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