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#1右足複雑骨折による3ヶ月入院日記一日目その①

家の中の階段を数段踏み外した怪我が、まさかこんなに大事になるとは…
本当に思ってもいなかった。
ほんのふとした不注意がこんなことになるなんて、全く想像もしていない世界だった。
何度、時間を巻き戻せたら良いのに…と思ったことか。
でも、もうそんなふうに終わってしまったことの後悔を並べてたてて考えるのはやめようと、ベッドで横たわることしかできなかった初日の私は、病室の天井を見ながら決意した。

ここにnoteに日記として毎日記録を残すことで、自分自身の毎日の励みになるように、またどなたかの参考になればと思い、ベッドの上で寝たきりの状態で、日記を書き始めた。


入院一日目
年末でバタバタしていた昨日、急いでいたために家の中で階段を3段ほど踏み外して、手すりを持ったものの着地に失敗してしまった。
私は軽い骨折はもちろん、捻挫や突き指もしたことがないタイプ。
つまり、子どもの頃から転ける経験も少なく、ほとんど怪我などしてこなかった。
普段は用心深く行動していて、子ども達にも「気を付けて!」とよく注意していた。
そんな私が、まさか自分が初めての骨折でこんな大怪我をするなんて…
その瞬間、自分で自分が信じられかった。
怪我の瞬間、一瞬何が起こったのか受け入れられない自分がいた。

年末の12月26日で、土日を挟んで今日から本格的に冬休みが始まるという日だった。
小学4年長男と小学2年の次男、3歳の娘の子ども達が一緒に家にいたので、子ども達の前で、パニックを起こしてはいけないとその時の私は必死だった。
でも、内心は「やってはいけないことをやってしまった…」という気持ちだった。
子ども達が3人いて、楽しみにしている冬休みが始まるというタイミングなのに。
明日からは帰省のためのホテルも予約していたし、お出掛けのプランもいろいろと考えていた。
それに、私が入院するようなことになれば、近くに親族がいない我が家は子ども達のことを誰に頼めばいいのだろう…。
そんないろんなことが頭の中をグルグル巡っていた。

ただ、その時はまだ気付いていなかったのだが、後に落ち着いて思い返してみれば、もしあの時に子ども達がいない状態で、完全な1人で転倒していたら、私は携帯を取りに行くこともできず、救急車を呼ぶこともできず、そこにただただうずくまることしかできなかっただろう…と想像するだけで恐ろしくなってくる。
子ども達には本当に感謝しかない。

右足が床に付けることのできないグラグラの状態だったので、素人ながらもなんとなくこれは手術しないと治らない大怪我で、すぐには家に帰れないんじゃないかと悟った私は、長男に携帯を取ってきてもらって、とっさに必要な連絡先に緊急の連絡。

そして、長男に昼ご飯晩ご飯をどうやって食べるかを指示して、雨戸を閉めさせ、長男には下の子2人のことを守ること。
夜には旦那さんが仕事から帰ってくるから、これ以上怪我人が出ないように安全に留守番して過ごすことを言い渡して、救急車を呼んだ。

子ども達3人を呼び寄せ、「すぐにはママは家に帰って来られないかもしれないけど、治して帰ってくるからね。待っててね。」と努めて落ち着きを意識しながら伝えて、3人それぞれとぎゅうをして別れた。
その時の私の頭では確かに少しの間子ども達と会えなくなるとは覚悟していたが、それは2週間くらいのことを想定しており、まさかそれが3ヶ月の長期治療期間になるとは全く想定していなかった。

救急車を呼ぶのも初めてのことだったが、救急隊員の方が来られた時にはもうある意味冷静で、私の頭は冴え渡っていた。

一日目その②につづく…


現在は退院して、リハビリに通いながら、日常生活を目指して筋力アップに日々取り組んでいます。
あと一年はかかると言われていますが、趣味だった子ども達との山登りも再開したい!
この日記は、実際に3ヶ月の入院期間中に毎日その日に私が記していた日記を退院後に少し加筆して、まとめたものです。

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