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#2右足複雑骨折による3ヶ月入院日記一日目その②

病院に着いて、レントゲンやCTで確認してもらった結果、右足は骨折していることが分かった。
この時の私は、それが単なる骨折ではなくて、複雑骨折というとても酷い骨折だということにはまだ気付いていなかった。

自分の右足で立つことは全くできなかった。
右足の怪我だったので、自分で車を運転して病院に行けないから…と単純に考えて救急車を呼んだのだったが、今から考えたら当然救急車を呼ぶレベルの大怪我だったのだ。

救急隊員の方に救急車に乗せてもらう際、また担架に乗せてもらう際、さらに担架からベッドに移してもらう際、全てが神経に響く激痛だった。
ベッドに乗せてもらって移動する際、病院の廊下の継ぎ目を通過する時のほんの微々たる振動でも足に激痛が走って、その都度悲鳴をあげていた。

その時に思い出したのが子ども達3人を出産した時の痛みだった。
出産と同じくらい痛いなぁ…なんて。
3人子どもを産んで、4人目はもう絶対ないと思っていた私は、まさかまたこの痛みは味わうことになるとは…と病院の天井を見ながら思っていた。
足が痛過ぎて寝ていることしかできなかったので、とにかく天井を見続けることしか出来ない一日だった。
こんなに天井を見続けた日は今までの人生で無かったなぁ…なんて考えたり。
移動する時も全てベッドで移動していたので、天井を見ながら、病院がどういう間取りになっているのかな?と想像したりしていた。

右足が痛いなりにも右足以外の頭や体はどこも問題無かったので、ベッド上で携帯は自由に触れた。
そのため、MRIやCT、血液検査など数々こなしていく検査の合間に、旦那さんに連絡を取ったり、近所のママ友さんに子ども達のことをお願いできるように連絡を取ったり、いろんな約束のキャンセルをしたりなど、頭の中は段取りの事でいっぱいだった。
家の近くに親戚がいない私は、3人のまだ幼い子ども達を留守番させていることがずっと気にかかっていた。

怪我の状態を見た医師はすぐに、「2回手術することになる」と告げた。
私は手術という言葉だけでもう十分ショックを受けていたのに、しかも「2回も⁈」と頭の中では大声で叫んでいた。
そんなショックを受けている私にさらに追い討ちをかけるように、医師は続けて「最悪の場合は切断になる。」と告げた。
切断というワードが強烈過ぎて、「切断」が頭の中で何回もこだまする。
完全にパニックになりそうになる自分と、子ども達もいる身だし冷静にならなくてはと思う自分、なんでこんな大事になってしまったんだろう…と現実をまだ受け入れられない自分とが頭の中をぐるぐる巡っていた。

そして、その日のうちに切断の事態を避けるべく、一回目の手術をすることになったのだった。

一日目その③につづく…


現在は退院して、リハビリに通いながら、日常生活を目指して筋力アップに日々取り組んでいます。
あと一年はかかると言われていますが、趣味だった子ども達との山登りも再開したい!
この日記は、実際に3ヶ月の入院期間中に毎日その日に私が記していた日記を退院後に少し加筆して、まとめたものです。

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