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あれもこれも気のせいです

お金がたくさんあっても満たされることはないし
賞をとって満たされることはないし

誰かに愛されて満たされることもないし
夢を叶えて満たされることも

ない。

どうやったら満たされる?

というのは、問いにミスがある。

間違った設問に対して
答えを求めて人生をかけてしまう。

しかし
それは落とし穴です。


満たされるべきもの自体が、もともとないんだから。
満たせない。
その器がない。

みたすような、満たさなければいけないような器がない。
だから、ずっと満たされないのは当然なのだ。

信頼、愛、安心、お金、それらでは満たされない…
…のではなくて

なにをもってしても
どんな素晴らしいものでも
「満たす」「満足する」ようなものは、どこにもありえない。

そうしなければならないものが存在しないからだ。

満たすことができないのではなくて

満たしたい
その感覚があるだけだ。

感覚だってうつろいゆく。
満たしたい、も
満たされた、も
10分後にはどうなっているか、わからない。

ただ、満たされたと思えば、それはなくなる。

欲すると満たされず
充足すると、必要でなくなる。

それだけ。

人のために良いことをし続ける人に対して
私は「自分を満たしたい人」かなと思っていた。

けれども、ああそうか、満たすべき器なんてものが無いということを知っている人なのかと思う。

黙って何かを淡々とする人というのは

それをする理由を持たないのではないか?と思った。

何かで満たすことも
自分を満たす必要もない、と知っているから出来るんだな、と思う。


何をしても特別なことでなくなる。
良いことも悪いことも

良いなにかや悪いなにかで「満たそう」として「する」ことがなくなる。

ならば、もう

誰のためでもなく
ましてや自分のためでもなく

ただ、そうしようと思ったことをするだけだ。
良いも悪いもない。


いつまでとか
どこまでとか

関係なくなる。

大変だとか、感謝だとか

そんなことはどうでもいいことになる。
それをする理由は、もはや無いんだから。


受け入れることや拒否することにも意味はない。どっちだっていい。

どっちだっていいとしても、嫌われたらやだなあとか怒られたらやだなあとか
そういう自分の気性には抗えない。それは自然と沸いてくる自分の感情だ。

でも、それさえも気のせいのように思う。
どうせ、自分にはなにも分からないんだから。

あれも、これも
気のせいだ。


なにをどうしようと
私が生きていることは、一緒だし。


おはようございます。ガストでモーニング食べました。これから仕事行ってきます

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