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欲求の先に見えるもの

離婚して引っ越したのは公園のある公団だった。
桜の木が多い団地だった。

子供の進学に合わせて、違う街の公団にまた引っ越した。
そこに決めたのも、大きな公園や図書館がすぐそばにあったからだ。

離婚する前に住んでいた所が大阪のはしっこの方で、森のような敷地に入り口の門扉があるおうちがあった。
神社のちかくの方の『森のおうち』は、低い梅の木ばかりで隙間から奥に建つ家や車が見えたため、なんとなく暮らしの想像がついた。
教会のちかくの方の『森のおうち』はうっそうと繁った森しか見えず、なかにはどんな家が建っているんだろう、とワクワクした。

小さな門扉を開け森を抜けて家にたどり着くなんて、絵本のようだ。
もちろん『ターシャの庭』ほどの夢は見ていないけれど、森で囲まれているというだけで、塀もないおうちと云うだけで、ファンタジックだ。

公団に住んでいるとき、緑に囲まれた家に住んでみたいと憧れた。


中古住宅販売のネット情報でみた、大阪のこれまた片田舎にある素敵なおうちが気になって仕方がない。

色々な情報サイトを見比べて、その家の写真を総合して暮らしを想像しウットリする。

その家の正面は大きなバルコニールーフつきガレージと、緑のアプローチ。
鳥の止まり木や小さな鳥小屋が据えられて、野鳥の来訪を歓迎していた。

二階にあるバルコニーは道路に面しておらず庭の緑をじっくり眺められる。広くてガーデンテーブルに6つのチェアが置かれている。
水道も完備され、さもバーベキューをしましょうと言っているようなものだ。

リビングからも、半地下のお部屋からもガラス越しに緑の庭が望める。
とくに半地下の部屋から目の高さに眺める庭の小路が印象的で、木陰に置かれたベンチが映える。

独立した洗面所とトイレをそなえてある寝室にも小さなバルコニーとガーデンテーブルセットがあり、裏庭の森林を見ながら朝食がとれそう。

さらに、家の裏手の敷地が遊歩道になっており、ゆるやかにカーブする木の階段を下りると桟橋があって、裏の池に直接つながっている。
小さいながらもプライベート船着き場だ。
池は人工ため池で、ここの住宅分譲地が売り出された当時、池沿いに家を建てた住人は、よく釣りを楽しんだりやボートを浮かべて水遊びをしていたのだそうだ。

そう、私は勢いあまってその家を見に行った。
あまりに気になって、購入しないけど購入するかもという気になったのだ。

ガレージから、池の桟橋まで存分にこの目で見てきた。
裏庭から望む木々は見上げるほど高かった。
手入れ方法を聞いたら、ご主人がされるとのこと。趣味で造園グッズは一揃え、自作の倉庫に並んでいた。

古いけれど大きくて素敵なおうちだった。

離婚して子供ふたり抱えた介護職の私が、頭金でさえも払えないに決まっているそのお家を、ただ『見たい』という気持ちだけで、マジのお客さんになって色々尋ねていた。(地盤のことや台風で池は大丈夫かとか蚊は多いのかとか、どうしてこの家を売って次は何処へ行くのかとか!みんな答えてもらった)

そんな豪邸、部屋数は、まったく必要ない。
車が無いのにガレージも必要ない。
バーベキューやパーティーをする性格でもない。

けれど、見たかったのだ。

森のなかで生活する様子を。
そして、見て本当に良かった。
納得した。

素敵と夢と暮らしとがごっちゃになっていたから、好きと必要とが分別できた。



そこは大阪とはいえ、交通の便が非常に悪かったし、その町に暮らすのは不便を覚悟しなければならない土地で、そんな気持ちは更々なかった。

けれど、とても良い庭だった。

私の力では庭を維持することは100%出来ないことが分かった。
大きな木々を見上げて、そしてお隣さんとの境をみて、こりゃーー大変だわ!と笑った。

道具の問題ではない。
やれるかやれないか。

やれません!!
森の中には住めません!

見て、満足した。

そして私が購入したのは、ショッピングセンターに徒歩5分の、便利な古い小さな分譲マンションだった。
頭金も手数料もぜんぶローンにして毎月払えるちょうどいい額だ。

緑に囲まれているが、それらはマンションの管理組合と自治体が季節ごとに伐採してくれる。
私は気分よく眺めているだけでいい。

駅まで森林のなかを毎日散歩することができる。
階段が多いのもあって皆、駅まではショッピングセンターの方を歩くので、そこは庭のようにほとんど1人占めで歩ける。そして遊歩道の先には渡り鳥が来る池が広がる。

街灯の電気代も路の整備も、自治体がおこなう。落ち葉を掃いたりもしなくていい。池は季節ごとの景色を私に与えてくれる。

お金もなくて買えるはずもない大きな家を見に行くなんて馬鹿げているけれど、自分の欲求はどれも聞いてあげていい。

そんなん絶対無理とかオカシイとかで要求をたしなめなくて良かった。
森の中の家を夢みて恋し続けるよりよっぽど良かった。

たとえタワーマンションだって観に行ってるかもしれないし、興味があるなら東大のキャンパスだって行っていい。なんだったらオートクチュールコレクションの場だって感じに行くんじゃないか(興味があれば)

なにしろ、欲求はそれが何かの入り口になる。ひとつ叶えると、また次が現れる。
叶えた欲求の先に、なにかが見える。

見えた道を進んでいくと、自分なりのパラダイスにつながるんじゃないか。

成功したい!と欲求をもって頑張ってお金持ちになって成功したら、『欲しいものは成功じゃなかった』と自分の道が見えてボランティアに生きるかも知れない。

ボランティアで奉仕活動を極めていたら、『本当は人助けをしたかったんじゃない、自分を大事にしてあげたかったんだ』と自分のために生きる道を見つけるかも知れない。

欲求の先へ

やりたいと思うことをやっていってあげることで、自分の中の本当に欲しいものをひとつずつ発見していく

そういうことが、人生なのかも知れない。

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