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同じ気持ちを何度も経験してススムすごろく

明日仕事に来たらすぐに取りかかれるように、今日のやり残しをデスクに準備をしておき、明日もあるからもう今日は早めに帰ってゆっくりしよう、と事務所を後にした。

にもかかわらず、翌朝は起きてもリビングの絨毯の上でゴロゴロとしてあっというまに数時間が過ぎ

仕事に行くどころか、なにもする気にならない。

日は昇りきって植木に水をやるのもためらわれる(水やりは暑くない朝か夕方にやるのが良いときく)

ゴロゴロしながらストレッチをして、正午前にようやく洗濯しだして、お腹が空いたのでサラダとパスタを作る。
土曜出勤をあきらめた。

こうなってしまうと、どうしても『仕事すると思っていたくせに行けない自分』を100%中のいくらかは責めるような情けない気持ちになってしまう。

そこをこらえて
『ゆっくりできてエライ』と自分を誉める。
元気なのに怠けているとは捉えないで、何もしない時間を必要としたのだと、動かなかった身体を信じる。

現在の私では、精神よりも身体のほうがレベルが高い。
精神的に行き詰まったときは行動するしかない。もしくは行動しないでいるしかない。

精神は曖昧で、身体は正直だ。
身体の行動は結果をだす。

花が綺麗なことに感謝の気持ちで眺めているよりも、さっさと水かえをしてあげたほうが花はもつだろう。

愛を念じているより、伝えたほうがいいに決まっている。精神よりも身体で行動するほうが目の前の現実が変わるのは間違いない。

いつか、精神がもっとレベルアップしたら、身体のほうが幻想となり、心こそが真実となるだろうけれど、まだまだ私には身体の仕組みたちの方がはるかに私の事をよく『わかっている』

精神(思考)と心を、つなぐもの(橋渡しするもの)が身体なので、心が知りたいなら身体で行動に移すほうが悩むよりも早いことをジワジワ学習している。

また、思考で気持ちをおさえつけて身体にいうことをきかせたりると、反動がすごい。
身体の逆襲だ。

『ほんとうはこうしたい』と感じているのに他のことに気を使ってしまって自分の思いではない行動をすると、そのあとの自己の回復にえらく時間がかかる。

そして結局リセットするためには『こうしたい』と思っていたことを
また時間や機会を作り直して、反省しつつ説明したり根回ししたり、気合いを入れたりと余計な労力をかけて
実現しなおす羽目になったりする。

あー、あの時さっさとー
したいと思った時にしとけば良かった!
とおもう。

思考をぐだぐた挟まないで行動しないと、すごろくのようにまた3マス戻ってサイコロを振る羽目になるのだ。

お金とか時間とかメンツとか恥とか意地とか、そういう余計なことに気をとられては率直に行動できない。

何度もなんども同じことを繰り返している。
螺旋のように繰り返しぐるぐるまわり
この感じ、知っています…といいながら繰り返す。

と、いうことは
私はこの位置が好きなんだなあ、と思う。

なかなか離れられない。

すぐに戻ってきて同じ体験をして、馴染みの気持ちを味わう。

現実は、私の内面を変えるために起こるので内面を変えるまですごろくは続く。

内面を変えるとは『自分の中の観念をこわす』ことだと思う。
思い込みを外して、新たな価値観を受け入れること、多種多様な考え方を経験することが、現実を変えて進むという事かなとおもう。

なかなか難しく、反芻するほどにこの性格と経験に愛着をもっているらしいなと苦笑する。
私にはもう必要がないと決めればいいだけだとおもうけれども。

楽しんで変わりたい。
もう9月だ。

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