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床を肯定する

私は朝シャッキリとは起きれずに、すぐに重力に負けて床にへたりこんでしまう。

頭を天井に向けることはあきらめ、重力に逆らわず寝たまま体操をして、ゆっくりと血を巡らす。

ヨガや瞑想、入浴が欠かせない朝のルーティンで、自分のコンディションを整えるために毎日かなり時間をとっている。

けれど時間をかけたとしても、その後もふとするとへたりこんでしまうんだ。

重力のままに、どべっと寝っ転がった私は思う。

動かないことがいいんだ。

脳はほんの少ししか働かないからこそ、機能している。ほとんどの動いてない部分によって、その力を発揮できる。

地球だってほんの少しの場所にしか人間が住まない方が健やかだ。人間の住んでいない部分が大部分でないと資源は人間の生活を支えられない。地球の循環は機能しないんだから。

その法則で、自分の身体が芋虫のように動かなくても、だからこそ私は機能するのよ、と思う。

余力があればあるほど健やかだと、自分に言う。人生の多くでサボることを肯定する。

無理に動きたくないんだ。
自分は自由でいたい。
動きたくない自由を尊重したい。

私が床に吸着しているとき、役目や時間に自分が制約を受けたくないんだなと思う。

けれども、他人の自由はなかなか許容しがたい。
タクシーは真っ直ぐに目的地に行ってほしいし、ランチを注文してから40分も待つのは嫌だ。

私たちは一人で生きておらず、社会的に生きているもんだから、他人の自由は許せない。
それで
自分の自由をも無意識に束縛してしまう。
つまり、頑張らなくてはと無理を課す。


結婚というのは、一人の相手としか子作りをしてはいけないという、生物としてキッツイ束縛だ。
結婚して20年も経つと、それがどんなに不自然な制約か身に染みる人も多かろう!

統計のある国のなかでは、明治の半ばまでは日本が最も離婚の多い国だったとのこと。

離婚が多いというよりも、結婚への考え方が違った。

全体のなかの数%の武家を除いて
多くの庶民の結婚は夫婦別姓であり、またほとんどの夫婦が共働きで(銘々稼ぎ)夫婦別財だった。
精神的にも経済的にも自立した個人がパートナーシップを結び、共同体を形作っていた。

家督を継ぐ武家においても『江戸の備忘録』によると、ある藩の藩士32人のうち、2度以上結婚した者が6割、3回以上結婚する者も2割いた。
離婚して再婚するのは男性だけではなく、離婚した女性もすぐ再婚する。

そもそもこの国は、結婚したら一生添い遂げるという概念自体が希薄だったのだ。

いつから、離婚することが人生の「失敗」と言われるようになったのか?

現在のような結婚の価値観になったのは富国強兵を目指した明治民法による。

列強の外国に追いつくために、人権無視さながらに強硬策を行うのは、近隣国だけではない。

明治31年から50年続いた差別的な家長制度において女性は結婚前は父親に従い、結婚後は夫に従うようにしておいて、からの~
国民皆婚を制度として進め
驚異の結婚率98%を叩き出した(ほんまかいな)

「女は,婚姻によって無能力者となる。たとえ,女が婚姻前は成年として能力者であっても,妻となると,無能力者となってしまい,重要な法律行為をするには,常に夫の同意を得なければならない(旧14条~18条)」

これらの規定によって女性の社会参画が徹底的に阻害された。だから、女性は結婚するしかなかった。
結婚すると、家事、育児に従事することしか許されないために、離婚後も自立して生活することが困難だ。
子供についても、父親方にとられてしまうことになるので、離婚をできなくさせた。

ちなみに当時はまだ妾も珍しくなかったので国民の理解を得るために「妻妾二親等」とはしたものの、しかし庶子は差別されたため、女性にとっては自分の子供のために、良夫の妾よりも愚夫と結婚して正妻を選ぶようになったのではないか。
ここから妾(不倫)への蔑視が始まったのではないだろうか。

このような50年にわたる法律での人権侵害のおかげで国民人口はみるみる一億を突破し、経済は目覚ましく成長した。

渦中においては見えないけれど、社会はそうやって発展するんだ。
抑圧と解放。エネルギーの収縮と弛緩。

抑圧されたから、望みがうまれて伸びる!
そうやってした成長を土台にして
少しずつ、着実に
私たちは自由で居ることが出来るようになる。



私は朝から保育園に行きたくなかったから泣きわめいたし
小学校に行きたくなかったから頭痛や腹痛を訴えた。
中学校には無言で行かなかった。

自分の気がのらないことをしなければならない状況にずいぶん抵抗していた。
出来ない自分はどうしようもない落ちこぼれだと思い込んだ。

社会の教育や価値観で「頑張る」「やる」「できるようになる」方がえらいし、そのように成長するべきだと無意識に染み込んでいた。

でも、それはただの空気だ。
幻想だ。
なにが立派かなんて時代で変わる。

もう、世界はそんな幻想でもって
成長しなくてもいい時代となった。

サンデル教授も言っている。
能力主義はバカバカしいと。

男に生まれるか、女に生まれるか
金持ちの国に生まれるか、貧しい国に生まれるか
LGBTQか、ノーマルか
それらと同じように
頑張る能力があるか、ないか

個人の実力というものは、ただの運であると。

能力が無いことを「劣っている」と見ることは立派な差別なのだ。

いままでは、環境をととのえるために
政治やルールでもって締め付けていたし

急速に世界が成長を遂げるために
努力や頑張りが出来ることこそが大きな価値だったけれど

もう、技術は確保できた。
ネットワークが世界中に広がったのだ。

世界を豊かに出来る技術は得られた。
まだそうできないのは、思想によるものだ。
だから、これから思想が変化していく。

抑圧による解放だ。
抑えられたバネは伸びる。
豊かになったからには、時代の価値観が変わる。
思想が変わり、行動が変わり、習慣が変わるだろう。

日本においても、世間に認められるような努力や頑張りをしようがしまいが、結婚して生殖をしようがしまいが「個人の当たり前の自由」となってきている。

そう安心して、動きたくなるまで床にゴロゴロしている。
いまも!床より。

このまえ思い立って、雨降ってたけど犬鳴山に行ってきた。緑は美しいけど、まとわりつく羽虫がすごかった…

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