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安心の、その先

You Tubeで、高齢になった建築家が自宅を公開している映像をみた。

一人暮らしのおじいさん。

私はその自宅のつくりに心を奪われてしまった。

壁のコーナーに作ったソファーはクッションがこんもり置かれていた。
クッションに埋もれて、ぼふんぼふんとくつろげる大きな巣のよう。

テラスの前には、外気の風を感じてゆらゆら揺れる椅子がひとつ。

二階の窓の前の椅子に座ると、窓辺に置かれた不思議な振り子のおもちゃがあり、振り子の下の面にある砂に弧を描く規則的な動きをボンヤリ眺めて時間を忘れられる。

抵抗というものは落とされ
努力からかけ離れ
ただ何かに身を任せて
自然な状態でいられるような・・

すごくいい場所だとおもった。

そのおじいさんの積極的なくつろぎへの欲求に感化された。
おじいさんはひとりで住んでいるけれど、あちこちに座る場所があるんだ。

気分によって違う場所で
それぞれ魅力的なくつろぎスペースで

いつでも過ごすんだ。


私も自宅で過ごすことが好きで
ただ、幸せでいたくてリラックスしていたくて
どうしたら自分が気分よくいられるのか追い求めている。

うちのこっちの窓辺でゆったり過ごすにはどうしたらいいかな?
と思い始めた。わたしも巣をつくりたい。
ソファーよりも大きな
ベッドを置くことにした。


とにかく、やりたいことしかやらないぞと意気込む。

生活は
いかに自分が気分よくいられるのか
が中心だ。

リラックスする時間をどんどん増やす。
思考を選ぶ。
行動を断捨離する。


わたしは一日の中で何もしない時間が増えた。
飽きるまで休む。

休みの日にすることといえば眠ってばかりで、食べては寝る。

努力した甲斐あって、ぼーっとすることも慣れてきた。

ウキウキしたりきゃっきゃっウフフと喜んでいることもあるけれど、それは時々の甘いおやつで
大概はリラックスを求めている。

ヨガか瞑想か散歩やアプリをみる
(You TubeかKindleかPinterest)
くらいで、生産性もなにもない。

気分よくいられるような環境づくり(家事)だけに動く。


安全だよと自分に言う。
しなければならないことなんて何も無い。

何をしなくても、私は私であるだけで
それだけで最高。満足。
ありがとう。
まいにち、小さなことに感謝する。

それでも
思考のなかには恐怖や不安が

しれっと
そっと
にょろりと顔をだす。

ネガティブというのは所かまわずしょっちゅう思考を覆ってくる。いや常に私と共にある。

ネガティブに気づくたびに、よいしょ!と持ち上げて脇にどける。

いまはいらないよ。
この反復しか、打つ手が無い。

よいしょ!と道を歩きながら、瞑想しながらよいしょとどける。

私は、自分が傷つくことに本当に恐れていて
嫌な気分になりたくなくて

ふとすると、現実の出来事に反応して怖がってしまう。
目の前に現れることに直下型に反応して

ネガティブに、またポジティブに自分が反応すること

現実を見て自分の気分が翻弄されること
それ自体を恐れている。

何が現実に起ころうとも、反射での応酬をしたくないんだ。

私は怖がりなのに
怖がる気持ちも嫌いで
自分の思考をニュートラルにするために
朝はたっぷり時間をかけている。

朝のゴールデンタイムをそれに費やしている。

あの手この手で思考をゼロにして
波を穏やかにして
何があっても大丈夫だと安心するように
出来ることをぜんぶして、家を出るんだ。

だから、なにも現実には起こらない。

起きても問題はない。

毎日が70点だ。

夜にはまた、一旦ゼロにするように波をしずめて
このまま死んでも大丈夫だと自分を安心させて、一日を終わる。

怖がりで几帳面だから、これを一生懸命して自分を守っているんだけれど

今朝、もう十分かもと思えた。

いつも、大丈夫だし
いつも、願いは叶うようだ。
窓辺にくつろげる巣作りもできた。

安全だと思い知っただろう。
できる。気分は自分で良くできる。

恐怖に襲われてなお大丈夫だと、悪魔と仲良くできると
じつは
もうわかっているんじゃないか、と自分に言う。

及び腰で、おそるおそる毎日を現実創造している。

気分よく過ごすんだと努力している。
平凡で平和な現実を創造している。

環境は、人間関係は、世界平和は
創造可能だ。

私だけが主体のこの世界で
私の主観しか反映されないこの世界で

安心のこだわりは
リラックスの努力は
必要無いと気づいたか。

恐怖への抵抗を手放すか。

突っ込んでみたら?
嫌な気持ちの中へ
傷つく恐怖の中へ
そうか『あそび』だと
楽しんで入る自分を見た。


幸せになるには
なにかを手に入れるでもなく
愛されるのでもなく
理解されるのでもなく

外から与えられるものでは幸せになれなくて

自分には自分の人生をコントロールできる
と思えるように

だから現実は厳しい。

現実は思い通りにいかない。

厳しいけれど、けれども
できるんだ
と思えるように、そのようになっている。

自分自身を信用できるまで
現実はコントロール不可能に見える

自分の思いは叶う世界に生きていると知る

そのことを知っているということ自体が幸せの正体で

その存在状態を理解すれば、ネガティブの中でも満足や幸福を味わえるのだろう。

そういうことさ
と、自分に言われた。

これを書いている夕方


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