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ごはんでハッピーになる

今年は、しっかり味のついたお節を作る。

10年以上前にある主婦さんから、お節料理って糖分と塩分が多すぎるから作らない、という話を聞いて

私はお節料理をつくるのだけど、大人になった自分は不健康なものに拒否感があって
過多な砂糖を入れるのをモノスゴクためらってしまい

結局、まいど遠慮の味付けとなった。

せっかくのお節で不味いのも悲しいので、砂糖と醤油をやっぱり足すものの
『もうこんくらいで充分かな』と後ろめたさを肩にしょいながら味付けして、一向に味が定まらない。

お母さんって、料理が好きでなくっても
外食が多いおうちだとしても
お弁当とか、夏休みとか
家族の食事を作る。

食べ物の好みっていろいろで
味とか栄養とか
見えないけど、作り手の気遣いって重い。

私も結婚しているとき、四人家族それぞれの好みが(当たり前だけど)違っていた。

こちらの舌に合わすとかあちらの好みに合わすとか
パパはこれなら食べるだろうとか
今日は妥協してもらってとか
私の分は別にしようとか
これはあの子用、こっちはこの子用と

調理するたび知らぬ間に
あちらを立てればこちらが立たずという
後ろめたさをしょいこむ。

かといって、あっちとこっちと好みの忖度をやり過ぎると自分が疲れる。

いー!っとなって
もう、私の食べたい物しか作らないぞ!むん!
とかなる。

そうは言ってもお母さんなので
自分は食べないけど、お腹すいたときにストックがいるだろうとか
自分は使わないけど調味料を補充しとこうとか、朝ごはんにないと困るだろうとか

で、誰も食べなかったら結局自分が消費するとか
奥さん、お母さんのあるあるだと思う。

そういう気遣いや忖度が好物で、やりたくて堪らない人も沢山いると思うけど

私は20年やったらもうお腹いっぱいだ。

たまにならとかく
誰かと一緒に暮らして、またご飯の忖度をするのは嫌だなと思う。

いまひとりで食べたいものを食べたい時に食べることだけをするのは至福だから。

独りになってから、自分の好きなものだけ毎日食べていたら
食におおらかになったのか、お節に糖分とかナンとか言わずにもうガッツリ味をつけよう、と思った。

べつに濃くするんじゃなくて
制限をはずすだけで
好きなように味をつけよーと思っている。

食事の健康制限に飽きたのかもしれない。

健康への不安が以前よりも解けたのかもしれない。

たまにでも
テレビもスマホも何も見ず、音楽も何も聞かず
ただ食べる、ということをすると
もー、なんて幸せなんだ!と食にハッピーを感じて
『死ぬまであと何回この食べる幸せが味わえるんだろう』と死ぬのが勿体なくなる。

幸せだからなに食べてもいいや!とおもう。

今年も、お節と日本酒で昼からぐーぐー寝るのが今から楽しみだ。

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