構成存在ぜんぶで
右手はよく動く。
細かいことができる。
とっさに反応して俊敏だ。
理解も早く、模倣が得意だ。
働き者だ。
左手はどんくさい。遅いし、1日のほとんどを休んでいる。
働きづめの右手と、怠け者の左手。
頑張れ左手!甘えるな!
努力しろ。大丈夫、出来るようになる!
お箸も持てるようになるし、スマホも打てるようになる!
右手は、自分が動いては左手のためにならないと思い、意を決して数日間動かないようにすると言う。これは左手のためなんだ。
右手は言う。左手もコックリ頷く。
価値観を共有している右手と左手は、耳と鼻のことは全く理解できない。
何をしてるのか?
なんにもしていない。
存在価値がわからない。
どうやら人種が違うようだ。
働かずにじっとして、しかし偉そうにしている。
これが、全体を生きていないように思っている幻想。
お尻はなんのためにあるのか?
全体を知っている私は、お尻というものは存在しているだけで有難いと知っている。
お尻がなければ座れないからだ。
そこにあるだけで尊い。
爪がなければ物を摘まむことはできない。
鼻くそも痰も必要で
出なくなったら大変だ。
手やお尻のために、血液や細胞がどれだけ大切か知っている。
全体のなかで、無駄なものは何一つない。
価値は、それぞれにはわからない。
けれど、絶対に必要で
どれもが生きていることで全体も生きることができる。
私もあなたも、あの木も石も
すべて必要で、全体を構成しているものに無駄なものは何一つない。同じように全体を生きている。
それを、愛としか表現できないんだろう。
お昼までパジャマでゴロゴロして
スマホでこれ打って
散歩行って選挙にいってくるかなあ
われわれ存在そのものが全体の愛ですな。
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