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号泣

一年半ぶりに落ちた。泣いた。一年半まえに子宮を全摘出すると言われたときより、よっぽど泣いた。

気が沈み、ネガティブな思いに覆われて
排泄は滞り、眠れず、体がだるくなった。

そうやってちゃんと
ストレスによる変化は現れるけれど
私たちは忙しさや情報の乱入に惑わされて、自分の気持ちをスルーすることも容易い。

どこに落ちているのか
なんでおちているのか
ほんとは
どうしたいのか

思いに覆われているときには見えてこない。

見えなくとも
ただ普通に生活する。普通に生きている状態。
慣性で仕事もできる。
だから
皮膚の内側で、一部がスッポリ落ちているなんて誰も気が付かない。
違和感をどう取り扱うかは自分次第。


落ちているのは、その傷ついた理由を自分の中に認められていないということ。

外の誰かや、状況や環境に理由があると感じている。
外に向かって怒っている。
あの人がこうだから
状況がこうだから
自分でそれを変えられるようには思えない。

ムカついたり悲しんだりやるせなかったり切なかったり
自分以外のものから、私は影響を受けている
そう思いたいあいだは、浮上しない。

浮上しないので、いっそなかった事にしたくなる。
抹殺。

思い違い。
仕方ない。
忘れる。
離れる。
そういう衝動にかられる。

外に自分の思い通りにいかない原因がある。だから、そこから離れようとするんだ。

けれども
落ちるくらいに大きな感情がやってくるのは、まさにそれをめがけて
超えるためにピンポイントでダイレクトに
意味があって必要だからやってくるので

逃げてもしょうがない。
一旦逃げても、また来るんだ。
忘れた頃にもういいかいと、そろそろどうだいと
やってくる


思い返すと、わたしはずっと同じ感情を味わっている。何度も何度も。
ああここ20年同じ
いやもっと前からだ。
おんなじこと繰り返している。

繰り返すのは、潜在意識でなにか「信念」を持っているから。

わたしの場合は「結局わたしは後回し」「尊重されない」という信念

インナーチャイルドなのか遺伝子記憶なのか前世のカルマなのか
言い方は色々あると思うが、問題を捉えている自分の奥の感情
そんなのを掘り起こして見つけ出す。

現実で

すごーく嫌な気持ちになって
悔しいとか、腹が立つとか
もんどりかえって(実際はうずくまってることが多かったけど)

あー、これまるごと自分だと
こんな自分なんだ、と
今まで何度もやってきたこの感情こそ私なんだと

投げ出して逃げたいところを自分の中に認めて

掘り下げていったとき

「かまってもらえない」という感情が出できた。

その小さな小石のような感情を見つけたとき、思わずつまんで

「いらない」と潰してしまおうとした。

あっと思い直して
小石をヨシヨシと大事に撫でるようにして「ごめんね許して大好きだよ愛してる」とホ・オポノポノした。

段階を踏んでちょっとずつ浮上する。

起きた現実を体験することで
ぐわわんと嵐に見舞われたように『欠乏感』を味わった。

足りない!誰にも与えて貰えない!
と、自分の『無価値感』を味わった。

かなしい。かなしい。
そう思ったとき、号泣した。

沼から顔をあげる。

自分は、どう感じたいんだったっけ
私はどういう人生を生きたいんだったっけ?

『気がつく』
そして
正気にもどる。

以前、私の波動(万物にある周波数のこと)を測定してもらったら、細胞に『号泣』というのが多く出ていて

(人は沢山のモノを身体から発しています。130年前に発見されたこの周波数を、大戦を越えて世界中の学者さんが研究しており、今はずいぶん高度な測定器が出回っています)

昨日泣いたので、号泣というフレーズを思い出したのだけども


そういえば幼い頃は、泣くことが駄目と思い込んで、家の外、特に人前で私は『泣かない』と決めていた。

周りの女の子が小学校や中学校のあいだ、誰もが一度は涙を流しているのを私はひとり、『あの子泣いた』と確認しては
周りを見渡して
私だけは学校で一度も泣いていないぞ、と強く思っていた。

私の細胞から、脳神経背面から、下垂体前葉から、『号泣』がでていた。
測定器でそういう結果がでていたのを思い出した。

昨日はわあーんと声をあげて泣いたので、幼少期に解消されなかった感情も落とせたのかも知れない。

私の『かまってもらえない』と『泣いたら駄目』は繋がっている気もした。

お正月があけてから
やがて嵐となる欠乏感が、じわじわと身体を覆っていくのを感じていたなあ。

今朝は私は久しぶりに気分が良かったけれど
現実をみると
窓の外は嵐。

西から雪混じりの寒風が、横殴りに吹き荒れてていた。

はー。キレイ。
珍しい景色だと
私は気分よく眺めていた。

雲間からの日光にあたって、ホンワカして
出勤の道中も、何日かここにあらずだったご機嫌を、取り戻していた。

寒いのイヤとか
今日は長距離を自転車移動だとか
そんなことも思わなかった。

私のネガティブは去ったのだ。

無価値感や、欠乏感は
それでもまた形を変えてやって来るかもしれないけれど

ネガティブの嵐を、ずっぽりと浸かる沼を
私は解消することができる。
どんどんうまくなる。

計算だって山登りだって褒め言葉だって
何回もやればうまくなるのと一緒だ。

このような気温の低さ(大阪でも0℃)は身体をこわばらせてしまう。固くなった身体をまとうと、気持ちも自然に重くなる。

食べ過ぎとかアルコールもてきめんに影響する(気がする!)

身体を柔らかく温めていたいと思う。
寒いときこそリラックスして過ごそう。

冬本番がやってきた。

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