コメントを見て帰りの電車で一気に書きました
こちらは、はてなさんのコメントに対する返信となります。
いつもありがとうございます。
コメント返して下さるなと云うことでしたが、またもや記事にしてしまい申し訳ありません。
前回のコメント欄で、長文はアップロードできないと何度もnoteサイトから駄目出しをくらって、はてなさんへの返信コメントをザクザク削ったこともあり、こちらに記載させて頂きます。
と言いますのも、私のなるほどなあ~といった思いが、記事にしうる(長さの)感情と判断したからです。
『自己完結型』ということを仰って頂いて
あ、そうなんだ
へえー
なるほど
そうかも
と思いました。
自己完結に『寄せている』感が、ある気がします。
私の美学というか好みというか理想が、『投げ掛けや問いかけ』のスタイルではないもんな、と思い当たりました。
結果、問いかけになったとしても
それ(読んでくれている期待)を表に出したくない!と思っているなと。
読者に投げ掛けたり問いかけたりしたい衝動があったとしても、抑えているのです。
自分の考え方に不安があって
誰となく同意を求めたい気持ちはあるものの
出さないように踏ん張っています。
ここが、プライドの高さとして鼻持ちならない文章になっているのではないかと恐れつつ、自分のスタイルを崩すことができません。
私は、岡田斗司夫提唱の『4タイプ分類』でいう理想型でして
他人の目から見ても分からないような基準や理想像が自分の中にあって、 自らがそれに近づくことが喜びとなる、と説明されています。
で、
同時に『他人の目から見ても』
どうせ私なんて解ってもらえないんだ
と常にひがんで拗ねている、ということです。
自分の独走に『なんかわかる』と理解されたら
えええ~!!!
わ、わかってくれる?
と内心じんわり肩を震わせて喜んでいます。
喜ぶのが下手な職人気質なのですが
人が自分を分かってくれたとき
自分のこだわりを認めてもらったときには、心の中では、人生の達成感を味わえています。
記事にいいねボタンがひとつつけば、もうそれでいいと安堵しますし
めっちゃ喜んでいるのです。
と同時に、やっぱり解ってくれる人なんてそうそう居ない、とひがみます。
自分と同じ価値観を持っている
などとは
そんな実感なんて、なかなか本当にできないのですが(人と交わることが苦手なので)
でもちょっとでも、もし、私のことを分かってくれているとか、理解してくれたとか、私が思い込んだときには
もう、愛さずにはいられないってくらい、心をオープンにしちゃう系やと思います。
最近ブログを書いている最中
あ、また漢字を多用し始めたな
と自分で思いました。
漢字の熟語とかは普通に会話では使わないので、熟語を使いたいときには、その類することばを選ぶようにしていたのですが、もう、いいや、と。
理想型らしく
なんかようわからんかも知らんけど
これが自分の表現したいことや
分かる人だけ解ってくれたらいい
と
メンドクサイオジサンと化しても
もーいいや。と
好きにしよう。と。
ますます、自分のことなんて解ってもらえやしないと拗ねながら、自分らしさを突っ走ろうと思っています。
なにが言いたいかというと
コメントもうしないなんて言わないで
ときどき、励ましてください、と言いたいのです。
私が勝手気ままに書きつらねるように
はてなさんも勝手気ままにコメントしてくださいますよう、お願い致しましてこちらの記事をアップいたします。
草々
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