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つながりですね

人間は分かりあえないから、社会システムがあるという。

その社会のシステムというのは、まったくのっぺらぼうで、責任の所在はない。

責任の所在が無いところが、もどかしくもあり、しかし何も考えなくともそのシステムに従えば、自動的に社会生活の多くの問題がなくなるという、私たち全体にとっては大変有効にできている。

他者を思いやり考えて行動する大多数など、人類史上の歴史には刻まれていない。

思いやれる人間の文明社会がもし実現した歴史があれば、その生き方では『遺跡』は残らないはずだ、というような事も聞いた。
(縄文時代はそういうことで都市遺跡がないのではないかとおもう)

のっぺらぼうといえば、千と千尋の神隠しのカオナシを思い出す。
砂金をちらつかせれば、湯屋の住民は上へ下への大騒ぎだ。あの温泉宿は資本主義社会を現している。

私たちの資本主義とは、欲望が蔓延している社会だし

共産主義社会には怒りが蔓延しているのだろう。

ちなみに社会主義社会にあるのは傲慢さ、というイメージだ。

どんなに素晴らしい人が政治をしたとしても、大衆が変わらなければ変わらない。市民のレベルが政治のレベルを決めていることは明らかだ。

私の円と、娘の円は重なる。
私の円と重なる円というのは、家族だけではない。沢山の人間関係で重なっている。

円とは、無数の多角の集合体だ。

私と重なっている円も、また、ものすごく沢山の円と重なっている。
円は円と重なり、私の円と重なる誰かの円とまた重なる円とは無関係ではいられない。

じつは、みんなが繋がっているのだけれど(円を球体にしてみるともう重なり具合がヤバい感じ)

視野の中に入っているはずの自分の鼻が見えないように、私の円と重なり続ける無数の円も見えないようになっている。
まるで、我々は一個の独立した円だとおもってしまう。

ひとつの円が、青色から紫に変化したとしたら、どれぼどの円がその色の変化の影響を受けるだろうか。

重なる円の隣へ隣へとグラデーションのようににじみ、色の変化は広がっていくだろう。


何のために頑張るのか
競争に勝つこと
権威を得ることがこれまでの価値観だった。
暮らしを良くする、影響力を増やす

いい人になることさえも、人気競争で
願望実現も幸せ競争だった。

すべては社会に認められるために、ハムスターの回し車よろしく、幸せをいくら浴びてもまだ滑車をぐるぐるまわす。

けれど、私が滑車に疑問をもつように

きっとあなたも
ちょっと滑車のなかで足を止めているのだろう。

私たちは
足らないとか
より良くなりたいとか
そういう耳元の囁きから
のっぺらぼうの生きるルールから
この回し車から
『あれ?』という小さな違和感をもちつつある。

そういうグラデーションが広がっている。

ひとつひとつはずす
思い込み、正義

感情を現す。
感情に寄り添うことで気づく。

自分のやり方でやること
自分のペースをもつこと
責任感や競争意識を手放すこと

なにも奪われない
恐くない
だから、与えれる
与え合うことができる。

そういう未来を見てるでしょ。
そういうこと、感じているんじゃないですか。

これを読んでいるあなたは、私の円と重なっているはず。そういう色のグラデーションを私に流しているのは、繋がっているあなたでしょ。

私のような大衆オブ大衆の
ひとり
またひとりの意識が変わりつつあって、価値観の変革がおきて、それは社会の変化に繋がるんだなあ、と思っています。
欲望でも怒りでも傲慢でもない社会に。

うえーい( ´ ▽ ` )ノ

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