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言葉をもたない神

ハニワが土偶と戦う漫画があって
ハニワマン?ハニワッチ?なんだったかな?

設定が面白くて感心したんだけど

主題に「神様」を扱ってる漫画で

敵である土偶は、街を壊滅する怪物でありながらも、その正体は神様。(だろう)
山とか自然とか、そういう畏れを具現化したもの。
神様と戦う人類、という設定。
ハニワマンが人類ね。

神とはなんだ?という問いは私も好き。

ダサイヒーローアクション
無慈悲に人間を殺す悪者のあらわれが土偶で
それが神様なことに
縄文の土偶かあ、なるほど面白いなあと思った。

「ゴールデンゴールド」という漫画も神様を扱っているけど、無慈悲で酷い(やっぱり見た目が変な)ように描かれてる。
神様というよりも、怖い化け物だよ。

実はわたしもその神様像に賛成。
純粋って、ひどい。残酷だ。

日本の神様って、アマテラス以前と以降とで、違うじゃないですか。
神武天皇以降っていうのかな?

勢力図が出来上がったというか。
国作りと一緒で、統制されて。
物語が敷かれて。

以降の神様は、神社で祀られて願いをきいてくれるような「みこと」「ひめ」「公」とか光の使者みたいなイメージだけど

天津神(あまつかみ)に国を譲った、国津神(くにつかみ)。
これが、日本の土着の神々で
漫画で土偶として現されている神様だと思う。

(マンガ四巻までしか読んでないし、何処にもそんなことは書いてないので勝手に言ってますよ~そしてここから書くことも、デタラメですよ~)

天津神に国を譲った国津神さんらは、ジブリでいうと、もののけ姫のオオカミ(大神)のモロだし、イノシシのオコトヌシだし、デイダラボッチのシシガミだ。
千と千尋の神隠しのダイコンの神さんとか、トトロとかね。

化け物の類友。個性の塊。

何でもできるのが神様というのではなくて
ただ個性抜群なだけ。
ぜんぜん万能じゃない。

文字を持たない頃の人間と近かった、個性豊かな有象無象の神々。

天から降臨してきたアマテラス隊に、ハイどーぞと戦わずして国を譲り(統治に興味なかったんだろーなー)

北は蝦夷方面へ、南は琉球方面へと引っ込んだ(忘れ去られた)。

ちなみに征夷大将軍とは、蝦夷の土着の神々を信仰する民びとの統一、つまり天皇家の信仰統治を目指した役職名。

岩手や青森や秋田が縄文の痕跡が強いのは、土着信仰が根強くあったからだろう。

縄文時代は争いがなかったと言われる。
遠距離貿易の痕跡はあっても、戦争の痕跡がない。
矢じりでさえもあれは「矢に使用したものではない。現代人が勝手にそうだろうと解釈しているだけ」という人もいるくらいだ。

日本では水稲の農耕が始まる前は、土地を所有する必要性がなかったから。

生命に必要な食べ物は、全て豊かな自然から貰えるものであって、人が作るものではなかったから。

生きるのに争いは非合理的だし、無駄が多くて解決の糸口の見つかりにくい厄介事だから、する意味がないよね。

縄文のひと、国津神たちは
自由で
好きなことして
めっちゃ怒ったり
ボンヤリしてたり
遊んでたり
集中したり

ただ生きているだけのものだったんだろう。

だから、ハニワマンの漫画でも
怪獣のよう現れて、ただ動いては自然災害さながらに街を破壊して人を殺す土偶の神さんが、無慈悲にどれだけ無茶苦茶にしようとも

神さんがする「自然のあらわれ」だから
人間の手には負えないし
人間が怒って止めたり戦ったりするのではなくて
心を静かに集中して神に向き合い「おもてなし(お相撲とか)」をしてなんとか満足していただこう、おおさめ頂こう、とする。
(ヒーローアクションで戦闘ものだから、ガチで土偶と戦ってるけど!)

手に負えない無邪気で残酷な神様が闊歩する。

それが、この世界の現実で
怖い恐ろしい、思い通りにいかない
コントロールできない
訳がわからない
理不尽、不条理
それが自然で、動物で
それが人間。
この世界なんだ。

そういうことを、本当に腑におとしたいと思っている。仕事でも、生活でも。



言葉を持つ前の人間は神に近かったんだろう。

いまや、私たちの精神というものは
生理科学的な作用といわれ
私たちの精神、つまり意思さえも
ほかの万物同様に
宇宙の物理法則に支配されているという研究結果だ。

この宇宙では、全てが物理法則によって決定されているというわけだ。

自由意思を信じなかったアインシュタインが言うように、私たちは自分の行動は自分で采配をふるっているように「思い込んでいる」だけなんだってさ。

自分の決定が意識的で意図的だと思っている。まるで脳には自分を動かす中枢があるのだと信じていて、それを「私」と言っている。

けれど実際の脳には
決定力ある「私」もしくは「何か」が存在するわけではなくて

野放しの自主管理システムが脳内に無数に存在しているらしい。
高度な専門システムが何百万と無意識のうちに重要な決定を下している。

そこにはボスも司令官も、私も誰もいない。

私たちの意思は脳の活動からわずかに遅れているのに、まるで自分が「そうしている」感覚をもつ。

それは人間の言葉の取得と関係していると聞いた。つまり、概念の取得だ。

あれが花だと認識する。そこからストーリーが生まれる。
言葉によって認識が複雑になり思い込める。

ほんとうは空(くう)だ。
空(くう)を色(しき)にするもの
「それ」に意味を持たせているのは、言葉なのか。

言葉をもたなかったとき

ただ目の前に
それはあったのだろう。
意味もなく、あるがままに。

ある。

それしか、ない。

ただただ、圧倒的に
いまこの現実があるだけ

それが、国津神の世界だ。
感覚の世界。感覚が中心で巨大で重要で
意味付けをせずに捉える世界。

食べたい!
でも添加物はダメ、油、砂糖、塩分…
口に運びながら、食べ終わってから
あーあ、憎らしいと後悔する。

そんな矛盾は生きるのに大変な負担だ。
脳も身体も疲れてしまう。
私たちの力を発揮できない。

「食べるのが大好き!嬉しい!」
これだけでいい。
感覚に任せると、生きるのが楽になる。

葛藤は人間を渦に巻き込む。

やる!
やらない!
ねる!
ねない!

なにを考えても
どーせ私の言うことを脳は聞かないんだ。

このままずっと寝ていようと思っても、ずっと起きていようと思っても、そうはいかない。
勝手にお腹がすくし、トイレに行きたくなる。
感覚ってそういうことなんだ。

脳内では、細分化された恐ろしく出来のいい部隊が独自の統率で、私を動かす。
想像を絶する細胞たちの技に、ただ、お任せして、沸いてくる感覚に従えばいい。

言ってしまったこと
思ってしまったこと
やってしまったこと

後悔しなくていい。自分には理解できないだけ。すべてイイコト。宇宙の物理法則にのっかってる。大丈夫。それしかないんだから。

私たちの身体の優秀なネットワークは、24時間365日、毎日の行動や認知を仕切っている。

そこに、稚拙な非難なんて、必要ないんだ。

それは、まるで不条理
コントロールできない
訳がわからない
意識したら、恐ろしく怖い。

神とおなじ。
それが自然で、動物で
それが人間。

この世界なんだ。


ところで、わたしは
電話をかけようかーかけまいかー
行こうかー行くまいかー
今日も無駄に悩みながら
けれども
そのうち体が勝手に動くだろうとおもって、お風呂入ったりブログ書いたりしている。

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