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200年でここまできた

YouTube大学でオリラジの中田さんが『ヴィーガン』の回で伝えてくれていたけれど
日本人はもともとベジタリアンで

明治に肉食が入って上流階級から始め、大正時代には年間1人300グラム肉を消費する計算になった。

それが戦後の1960年代には年間1人30キログラムの消費量になり、今では年間1人300キログラムになったという。

私は添加物や畜産業の闇みたいなことを知って、なんとなく嫌になって徐々に肉食と離れていき、今では野菜の方に食指が動くようになっているけれど、そうやって肉食から離れられたのは、もともとが、肉食ではない日本人だからかも知れない。

世界中で農業(畜産)が工業化されて自然も動物も傷ついてメチャクチャだ。

調味料や油が200円程度で買えたり
肉がグラム100円で買えたりするのは、とんでもなくおかしくて

油を取るのも大変だし
ソースやマヨネーズを作のも大変で

もし工業製品ではなくて、卵や肉は自然からの贈り物であったなら、なかなか手に入らないと思う。

たんまに、知り合いの知り合いからジビエを頂く経験があるが、それくらいの頻度の有難いことなのだと思う。

まだ手作りする家庭が多い味噌作りは、完成までに一年かかるけど、あれが調味料を作るという当たり前の過程なのだろう。

すべてが早すぎて安すぎて感覚がおかしくなる。

私は、テレビをずっと楽しんで見ていた時期があり、その後ピタリとテレビは見なくなった。

パン食にはまる時とか、コロッケばっかり食べたくなるときとかある。

情報セミナーにばかり行ってけれど止まった。

秋分の日に泊まったホテルが良かったので、5日しかたってないけどまた今日も一人でヒルトンホテルに泊まりに行く。そうやってとにかく反復するのだ。

なんか繰り返してみて、やっと気がすむ。

だから、人間が自然を満足するまで傷つけるのも、なんか分かるのだ。

悪さをとことんしつくして
ヤンチャと極道を経験して、そして止まる。
そうじゃないと止まらないのじゃないか。

やってみたい、追いかけてみたい、欲望のままに

思うままに経験したい。そうじゃないと、なんか生きてる気がしない。

それを大きな愛で受け止めてくれているんだなあ~と地球から、自然から、無償の愛をバンバン感じる。

この身体が地球の一部なんだと、地球に帰属意識があって、そう思うと安心してしまう。

冒頭の『日本人は』というのは、日本の土地は最後まで守られていたのだと思ったから載せた。

アメリカも16世紀まで守られていて、そこから地獄になったけど、また振り子の原理で良くなるんじゃないのかな、と思う。

日本は明治維新の19世紀まで守られてて、急速に物質主義社会が到来したけれど、それはなんか、最後の仕上げというか、最後に来てくれて一気に整ったって感じがするのだ。

整ったというのは、環境のこと。
道路や鉄道、電気水道、社会や法律のシステム、インフラが整って安全が確保され、新生児の生存率が上がって、わたしたちは清潔と安全と安心を確保できた。この200年で。

それが、必要だったんだろう。
まずは、そのハード面の環境を整える必要があり、大正生まれ昭和生まれの人が、がむしゃらに頑張ってくれた。

そして肉の消費が1人300グラムから300キログラムに跳ね上がったけれど、かけた200年より急速に、きっとまた変わっていくだろう。

平成生まれ令和生まれの人たちは、ソフト面、精神面を上昇させていくと思う。

まずはハード面だった。お父さんたちが頑張ってくれた。最終的に目に見えないネットワークを構築して、物質ではない価値をみつける、そこまでいく必要があった。

これからは更にそれを駆使してよりよい社会になるんだろう。

こういう環境とか人間のしてきたこと、向かう先とかの情報を、登録者数300万人の中田さんが発信してくれるのも、凄い時代の後押しを感じる。

ではまた!(あっちゃん風)

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