父からのバトン

父は時々、自分の考え方と違いがあると私を否定したけれど、一応最後まで意見を聞いてくれた大人でした。そして、初めての挑戦に失敗があっても、貶さなかった。その挑戦は『料理』でした。

子供の頃、母が家を留守にするときには、父方の祖母が手伝いに来てくれた事が数回ありました。中学生になっていた私は、祖母に相談して、私が祖母の手伝いを借りずに料理することを許してくれました。材料を買いに行くときだけ、手伝ってもらったくらいでした。(本当は買い物も、自分一人でやってみたかったです。)

当時、家には購入したばかりのオーブンレンジがありました。温め直すだけでなく、グリル機能やオーブン機能も付いていました。それを使って料理してみたかったのですが、母が私が台所に立つのをとても嫌がったのです。コンロに付いているグリルは、ガス火だったから使うのが怖かったけれど、レシピ本を見ながらオーブンレンジで魚を焼いたり、ガスコンロで野菜を煮たり炒めたりして、全部出来上がるのは2~3時間後。それでも根気よく祖母と父は出来上がるまで、きょうだいを宥めながら待っててくれました。

慣れない料理は失敗が当たり前。きょうだいは口にしなくても、祖母も父も嬉しそうに食べていました。

そして父は「これはヒット。一塁打くらいやな。こっちのは三塁打。なかなか上手いこと出来てる。これは…うーん、残念やけどファウルかな。焼き直ししてみてみ?」そんな風に、私が傷付かない言い方で、味を評価してくれました。きょうだいが言ったように「美味しくない」「食べられへん」とは言わないで、「焼き直ししてみ?」とやり直しのチャンスをくれたのも、私には助かりました。

それにしても、祖母は主婦の先輩として同じくダメ出しをせずに、味の調整や評価を父に任せてくれていたのも有難いことでした。私は割りとよく祖母から叱られがちな子どもでしたが、思春期時代の扱いの難しさを理解してくれていたのかも知れません。

父も祖母も、私が難聴だからといって、特別視することが殆どありませんでした。思春期でちょっと接し方が、小さいときより難しい。それだけ分かってくれてたように思います。

父が元気だったときに、同じ職場の同僚の人達と一緒に飲みながら、こう話していたことがありました。

「俺には夢があってな。こいつ(私)にカウンターのある居酒屋をやらせたいねん。ほんで、俺はカウンターの一番端に座って、こいつが切り盛りしてるところを、チビチビ飲んでアテを摘まみながら見てたいねん。」

その話を聞いたとき、確信に似た気持ちになったのを覚えています。叶えてあげよう!でもなく、やらなきゃ!でもない。いずれそうなるだろうな、という気持ち。

父は他界していますが、思う存分に調理出来る仕事場を得られるようになろう、と決めています。


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