聴覚障害者は手話通訳を用意すればいいわけではない

こんにちは。ミナヅキです。雨が続いていて、引きこもりがちな日々です。はい。都内に住んでいます。

さて、聴覚障害者=手話を使う人と思う人がいるかもしれません。実際のところ、聞こえないんです。と示すと手話で対応してきたりしますしね。手話拾得者はあくまでも一部の人間なのです。手話を使わない、または習得していない聴覚障害者とはだれなのか?

・ろう者

・難聴者

・高齢化による難聴

・その他

なんです。ろう者ってあれ?となりますが、ここではろう学校に通っていないけど聴覚障害があまりにも重い人間のことを指します(アイデンティティでは手話を主にコミュニケーションとする人間のことを指すので混乱しがちです)。アイデンティティとの違いは別の機会に説明したいと思います。

上記のような人たちは、手話を使う機会がない。手話を使って話す人がいない。そういった環境で過ごすと、手話が読み取れないんです。手話通訳者がいたとしても、半分以上も分からなかったりします。

または、何らかの理由で聴覚障害者になった人たち。彼らは今まで手話を使わない生活をしてきたわけですから、もちろん手話は使えません。

聴覚障害者に対しての配慮を設けることを情報保障と言いますが、手話通訳のみオンリーではありません。筆談、字幕、スピーカー、要約筆記などいろいろ手段があり、要するに大きく分けて3つあります。

・音を聴覚障害者の耳に伝わりやすくする

・言葉を文字にして見せる

・言葉を手話にして見せる

その3つの配慮は、個人によって大きく異なります。僕の場合は全ての情報を文字にしてほしい。手話もできるのですが、手話のデメリットが僕に合わないのです。

もし、身近に聴覚障害者がいたとして、その人のために用意しようと思うかもしれません。そうなったときは、その人に聞いてから用意しましょう。もしかしたら手話が読めませんとか、手話のほうがいいですとか、あれがあれば聞こえますとか配慮が異なる人間だったら、後の祭りなのです。

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