はじめに

 最後にまとまった文章を書いたのはいつだろうか。すくなくとも学生のころは何かしらの課題で文章を書いていたと思う。ではそれ以降はどうだろうか。うまく思い出せない。社会に出てからそれなりに長い時間が経った。はたして社会人になってから、どれくらいの文章を書いただろうか。書くことを仕事としない場合には、多くの人はまとまった文章を書くことから離れてしまうだろう。少なくとも私は日常的にまとまった文章を書いてはいない。

 いま、ここで初めてnoteというもので文章を書いてみようかと思い、ぎこちなく書き進めている。なぜ文章を書こうと思ったのか。色々な理由があるが、一つには自分が考えたことをうまく文章に書き留めてみたいと思ったからである。文章を書くことの難しさを、会話の中で言語化することとはまた別の困難さを体験し、文章にまとめることを通じて考えたことを整理し次の思考に繋げる、そうした一連の循環的な活動に繋げてみたいと思ったからだ。

 数年前から「コバナシ」という活動に参加している。現在はサクヤマ、クロマル、カンタ、そして私という4名を基本的なメンバーとして、毎週金曜日の19時から岩手県滝沢市にある倉庫(サクヤマの家族が所有している)に集まり、深夜近くになるまで延々と話すだけの集まりだ。

 「コバナシ」の原型は、その名称を持つ前から始まっていた。主に私とサクヤマ、クロマルは特に理由もなく集まって、映画や時事問題など話すのが好きだった。何度か繰り返すうちに、ただのおしゃべりのはずが思いがけず深まり、議論が生まれることが増えた。そこでは何の専門的な予備知識もなく、ただ無責任に無邪気に言いたいことを言っていた。話は脱線に脱線を重ね、結局何の話をしていたのか分からなくなった。しかし終わった後には何かしらの満足感と快感があった。

 そこで、この名前のない集まりに、名前を付け定期的に開催することにした。名称は「倉庫」の「コ」と「ハナシ」で「コバナシ」とし、ロゴは「コ」の文字の形を採用し、閉じられた倉庫という空間の一辺が開いていることで完全に閉じることなく、外に向けられていることを表現した(サクヤマ発案)。

 コバナシにはテーマも付けた。テーマは「日常に考える時間を作る」。現代は多くの人が時間に追われ、考える時間を作れていない。そこで考える時間を作る場をもうけることで、少しでもみんなで話し合うことを楽しみたいと思ったからだ。

 「コバナシ」の活動は既に3年ほど続いている。これまで様々なことを話し合ってきた。時間にすれば相当長い時間を話し合いに充てている。私を含め、メンバーのみながそれぞれに考えること、言語化することを少しずつであるが確実に習得している。

 この活動を通じて、私は「考えること」と「話すこと」から、「書くこと」に範囲を広げてみたいと感じた。コバナシで培ってきた思考する習慣と言語化の訓練、それを次の段階へとつなげる挑戦をしてみたい、そのように感じたのである。

 コバナシのメンバーからも文章を読んでみたいという声をもらった。とても励みになる、ありがたい言葉である。正直、文章を書くことは恥ずかしいし、恐れがある。うまく書けないことの苦悩、間違うことの恐れ、羞恥。しかし、これはコバナシを通じて私が行きついた、次なる楽しみの一つとなることを願い、ここにはじめての文章の一歩を踏み出す。

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