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僕の宝。TABIPPOで大地。

今回初めてnoteを書きます。

内容はTABIPPOでの1年間の議事録です。日記みたいなもの。
自分のきっかけとなったものをメインに書いてみました。
合計1万文字以上なのでかなり長いです。でも読んでみてください。

TABIPPO
株式会社TABIPPO。今年で10周年のベンチャー会社です。

VISION
「旅で世界を、もっと素敵に。」
 http://inc.tabippo.net/
↑ ここに会社に説明が詳しく書いてあります。
自分の言葉で伝えるよりも読んでみてほしいので書きません。

そんな会社の学生スタッフとして1年間活動してきました。

学生スタッフは北海道から沖縄まで日本全国に9つの支部があります。
自分はその中の東京支部に所属していました。

学生スタッフはインターン生ではないです。
会社があって社員さんやインターン生がいる。そのインターン生が各都市の代表や副代表を務めて、その下に学生スタッフがいるという形。

学生スタッフの仕事は、イベント運営やSNS管理やBackpackFESTA運営などすべて学生だけで行っています。

もちろん年間を通してお金は発生しません。
学生スタッフの活動を1年間やったから何かあるというわけでもない。
完全にボランティア活動です。でも1年間東京支部の学生スタッフとして活動しました。たくさんの出会いや苦しみや楽しみなどがあった。それらをまとめてみました。

TABIPPOとの出会い

一緒に活動した多くの仲間はBackpackFESTAや旅大学のイベントに参加したなど何かしらTABIPPOに関わっている人がほとんどだった。

でも自分はまったく違った出会いをした。

大学1年生の夏休みに参加した短期海外研修で出会った友達数人がBackpackFESTA2019 東京に参加していた。

そこに参加した1人の友達から
「2020年度のtabippo学生スタッフを一緒にやらない?」
と誘いを受けたのだ。この一言からすべては始まった。

何も知らずにTABIPPOと出会ったのだ。

だから自分はまず4/14のtabippoのオフィスでの説明会に参加した。

この日のことはすごく覚えている。理由は後日診断したら急性胃腸炎だったらしくかなり体調を崩していた。もう1つは誕生日前日だったから。笑

この説明会で隣で喋ったのはキムだった。
まだ高校生っぽくて、博多弁が普通に出ていたのが懐かしい。

約束された3つの事
1. かけがえのない一生の仲間
2. 圧倒的な成長
3. 最高の活動体験と一生の思い出

東京支部代表の文ちゃんから説明を受けた。学生スタッフを通しての約束を言われたが、僕自身あまり信じていなかった。活動がはじまってもないのになんで1年間活動すればこれが達成できるのかわからなかった。

でも今はこれが納得できる。本当に約束したようになっている。


1年間の振り返り

2019年5月後半にスタートしてから2020年2月までの活動。
この1年をふりかえってみるとあっという間の1年間だった。

「辞めよう」「辞めたい」「距離を置こう」何度もそう思った。

でも東京支部のみんなと最後まで力を合わせてBPF東京をつくった。
東京が終わっても、BPF大阪・福岡にも参加して運営を手伝った。

そんなTABIPPOとしての1年間の記録です。
たくさんのことに悩み・苦しんで、良いことばかりではなかったけどすごく大切な1年間を過ごした記録。

活動前半

5月25日についに2020年度TABIPPOのキックオフ。

懐かしい。色んな人と話したけど名前を覚えるのが苦手で苦労した。

文ちゃんと目が合った時に
「体でかいね。ラグビーやってた??」と聞かれたのも今でも覚えている。

それ以降毎週月・木にMTGが開催された。普通なら参加するけど僕は、
MTGに全然参加しなかった。しようとしなかったのが合っているのかも。

 1. ゼミも活動していて両立がうまくできていなかった。
 2. 初対面の人と喋るのが苦手でうまくなじめなかったから。

1つ目:ゼミも活動していて両立がうまくできていなかった。

これがほとんどの割合を占めている。
今年は大学のゼミでフェアトレードをしている団体に入った。そこでの活動とTABIPPOを両立できなかった。いわば言い訳みたいなものです。

この時は本当に未熟だった。

担当したイベントのタスクをすべて自分でもって、片っ端からやっていた。常に100%を求めていた。物の位置やお客さんの流れやテレビの位置などまで完璧に考えつくしていた。もちろんそれをする理由までも考えていた。人の手を借りないでやろうとしていて、うまくできない自分・やっている意味がわからなくなって辛くなっていった。逃げ出すこともできずに夜中に1人でお酒を飲んで苦しさを紛らわせていた。

だから朝から寝るまでずっと考えていたのはゼミのことばかり。
TABIPPOなんか考える余裕は頭にはなかったし、考えることをやめていた。

2つ目:初対面の人と喋るのが苦手でうまくなじめなかったから。

自分は初対面の人とうまく打ち解けられなかった。
話すのも話しかけるのも苦手。だからtabippoの大人数のMTGに行くときは勇気がいたし、行ってもはじめましてが多くて毎回緊張していた。

だから次第にMTGにも行かなくなっていった。
それと同時に行くのが嫌だ、TABIPPOが嫌だと感情が変化していった。

でもそんな自分を変えるきっかけになったできごとがある。

前期お疲れ様会

大輔に誘われて運営メンバーに入ることになった。
開催日直前までテスト期間中だったからあまりコミットはできなかったけれども、ここで運営メンバーに入ったことで多くの変化や気づきがあった。

純粋に楽しかった。初めてちゃんとオールしたかもしれない。笑
初めて会った人もたくさんいる中で色んな話をして、また違う人が来て違う話をしてとすごく楽しかった。TABIPPOって楽し場所だなって思えた瞬間だった。


初めてのタスク
お疲れ様会の次のMTGで僕は初めてタスクをお願いされた。
MTGの議事録を書く。ただそれだけ。でもすごく嬉しかった。

誘われたのはひろ子とかだった気がするけどあまり覚えていない。
そこから毎回ではないが議事録を書く役割が自分にできた。

夏休みは家族旅行・インターンが2つあったりして多忙だった。
だからMTGにはほとんど参加できなかった。だから夏休み終了後から少しずつMTGに参加するようにした。そうすると話せる人も知っている人も増えてMTGに行くことが楽しくなっていった。

なんとか日程調整をして週1回は行くようにしていた。もちろん行けない週もある。けど週1回を目標にしてできるだけ行くようにしていた。

多忙すぎた10月

夏休みが終わると、僕の中で人生の一大イベントがスタートしていた。

ラグビーW杯の日本開催だ。

9/19開幕戦や11/2決勝はもちろん激戦の試合チケットを何枚か持っていたので多くの試合を現地に見に行った。素晴らしい経験だった。今でも信じがたい日本がアイルランドに勝った瞬間などすごい瞬間に立ち会えた。でもやることはたくさんあった。だから毎日の睡眠を削って、日々生きていた。あんな生活はもうしたくない。笑

10月7日 第1回旅大学合宿。

その日はMTGに参加できなかったけど、合宿から参加した。
人数は多くいるけどMTGに来る人が少ない旅大学メンバーがはじめてこんなに揃った日だった。笑

懐かしい。特にタスクをめっちゃしたわけでもない。
みんなのTABIPPOに入るきっかけやなんで旅大学を選んだのかなど普段はしないような話をして、すごく楽しかった。


10月10日 MTG直前に僕はリリからLINEをもらった。

この会のMTGの議事録を任された。実はこの会はかなり大変だった。
文ちゃんのSNS講座があって議事録を取っている暇なく話は進んでいった。だから徹夜してインスタライブを聞いて必死に書いた。言葉だと伝わりにくいから写真もいつもよりも多めに入れて議事録を完成させた。

そしたら文ちゃんから、
「今までの5本の指に入る議事録!」と言われた。素直に嬉しかった。

これがきっかけで僕は''旅する議事録''というチームに入って、MTG時の議事録担当やBPFカウントダウン担当など組織のためにやる仕事を少しだけもらえるようになった。大変だけどやりがいがすごくある仕事だった。

10月17日 後期キックオフ

僕はこの日TABIPPOでのコミット量を増やすと決めた。

組織統括、代表陣の話を聞いて僕はあまりコミットできていない自分が悔しかった。その一方で組織統括は優秀で自分とは違うと思っていた。だけど、同じ様に悩みを抱えていると知れた。泣きながら最後にみんなで最高の景色を見たいと言ってやる気になった。仲間をさらに知れた日だった。

あらためて組織として強くなるきっかけになれた日だと思う。

そんな思いを抱いて頑張ろうと決めたのに1週間後にはそれどころではなくなってしまった。ここからまたコミット量が減っていってしまった。

増やすはずが減っていくコミット量
ゼミの活動で文化祭を控えた状態で大失敗をしてしまう。僕だけの失敗ではない。班としての失敗。だけど動けるメンバーが僕しかいなかった。だからひたすら動いて頑張った。細かく話し合いをして共有。問題点を見つけて対応を考えて期日を決めてとひたすら見直し。正直きついし逃げたかった。
増えていくはずがどんどんとTABIPPOのコミット量や考える時間が減った。

10月後半の土曜日から滋賀に行く予定だった。けどそれどころではないからひたすら寝ずに修正をした。結局1時間しか寝ないで滋賀に向かった。

滋賀ではゼミとTABIPPOのことを忘れて体を休めることに集中した。

湖の見えるカフェや美味しいご飯屋さんに行って忙しかった生活から離れた。久しぶりに楽しい会話をしながらご飯を食べた。違う日には自分の知らなかった滋賀のオススメの場所にも連れて行ってもらい、いろあわせでおいしいカレーをみんなと食べたり楽しかった。色んな人にゼミの事などを相談したし、いろあわせで語ったら止まらなくなって朝5時になっていたりした。とにかくインターン以来会える仲間と語りまくった。青春だったな。

でも、滋賀で楽しんでいる僕を違う悲劇が襲う。

日を超える少し前に母親から電話が来た。
お酒がはいっていて楽しい途中だったけど電話にでた。

「おじいちゃんが亡くなった。」と言われた。
初めて頭が真っ白になった。言葉が出なかった。

帰ってくる必要はないと言われた。でも僕は中山家の長男でもある。
親にあと1日だけ滋賀に滞在すると連絡して翌朝に急いで帰ると報告した。

残り1日はみんなとドライブに行って楽しんだ。新たな滋賀の魅力や楽しいドライブをしていたけど、どこか罪悪感があった。

4月にもおばあちゃんを亡くしている。亡くなる前日に会えたけどその時にはもう話せる状況ではなかった。だからもっと早く会えば良かった、最後ぐらい一緒にいれば良かったとすごく後悔した。

それ以降僕は遠出する時にはお墓に行っていた。今回も滋賀に行く前に行っていた。罪滅ぼしではないけどなぜかその行動をとっていた。

だからなおさら「帰らずに楽しんでいていいのか??」「急いで帰るべきだったんじゃないか??」と自分でもわからなくなっていつの間にか泣いていた。

そんな僕を見て行先も決めずにドライブに誘ってくれる子がいた。車内でもひたすら泣いてた。でも話を聞いてくれて落ち着いた。

翌朝急いで地元に帰った。夕方には終わり家に帰った。
長い時間じゃなかったけど、久しぶりに全員揃ってご飯を食べて雑談をして家族の時間を過ごした。改めて家族の大切さや存在の大きさを再認識できた。

その時のことをfacebookに投稿しているので読んでみてください。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=2299430743681361&id=100008433728637

帰ってきてからゼミを辞めたいやいろんな感情があったけどなんとか踏みとどまって文化祭が終了した。学ぶことが多くあってすごく成長できた。

11.12月 TABIPPOに対する愛が溢れた2カ月

10月ほどの忙しさはなくなったけど、ほどほどに忙しかった。
文化祭終了後の11月初めから中旬は何に対しても熱が入らなかった。
多分停滞期だったのかな。それとも疲れていたのか。
どっちにしろ中途半端な生活を何日も送っていた。

11月中旬からは旅大学としてもイベント開催などで更に動き始めた。統括ではないけど頻繁にLINEに出るようにしていたし、積極的に参加していた。

11月20日 ザキ1 on 1MTGをした。

MTG前にザキと旅大学の個人面談。話した内容はあまり覚えていないけど、今のチームからチーム変えをして次の旅大学が最後の予定だと言われた。

そこで「チームリーダーをやりたい!」と言った。
チームリーダーがだれと決まっているわけではないが、チームを引っ張る役目をやりたいと自分から志願した。いつもは他の人が引っ張っていてくれたけど、俺がやりたい。最後に爪痕を残したいし、積極的に参加したいと思っていたからやらせてほしいと言った。

自分でもびっくりだった。もちろん想像以上に大変だった。グループでやるはずなのに1人でやっているみたいに感じることもあって、寂しかった。けど今思えばあの時に言って良かった。最終的にはラスト旅大学を成功させられてよかった


12月1日 第2回旅大学合宿

MTG同様に人が集まらない。もちろん開始時間も遅い。
そんな感じらしさが、旅大学チームらしかった。笑

深夜にラーメンを食べて、グダグダしてタスクはあまりやらない。
けーやはみんなからタスクして!と言われて、ゆかが旅大学とクリエイティブのタスクをして統括並みに動いて。といつも通り。すごくゆるい。笑

そんな旅大学だけどすごく居心地がよかったし、自分大好きだった。


12月10日 文ちゃんと1 on1 MTG

新宿のスタバで待ち合わせした。話すことも少し考えていった。久しぶりに文ちゃんとゆっくり話したし、親身になって相談にのってくれた。

たしかこの時に相談した内容は
・TABIPPOの人と仲良くなれていない気がする

たしかこれ。あと1つぐらいあったけど忘れてしまった。メモを取ったのに消してしまった。残しておけばよかった。

ここから変えた行動は「細かい行動を大切にする。」だった。

例えば誰かLINEで連絡が来たら反応する。終わったら「だん!」を言うなど本当に細かい行動を意識した。特に東京全体LINEなどでの行動を変えた。
もちろん旅大学でも頻繁にLINEに出るようにしたし、参加するようにした。

ちょうどゼミでのラオス渡航前だったタイミングだったけどこのタイミングで文ちゃんに相談できたことで、新年からTABIPPOにすごく参加しやすかった。

12月12日 初めてで急遽決まった旅大学飲み

「1月の開催予定の旅大学をつめるよ!」とMTG後に集まった。

最初は話していた。少し方向性が見えたりやる事もでてきた。
これが最初で最後の旅大学飲み。いつもおなじみのメンバー。

それにしても旅大学でも写真が少ない。今見て思った。

12月13日 Twitterの投稿

飲み会に行った帰り道に少しTABIPPMOのことを考えていた。
最近愛が溢れていると感じていたし、MTGが楽しかった。そしてそれをTwitterに投稿した。特にいい内容でもないけど、思ったことをそのまま書いて投稿した。

12月17日 自分にとっての年内LAST MTG

このころからTwitterを頻繁に使って発信するようになった。
#東京支部のつぶやき でつぶやくことも多くなっていった。

12月20日からゼミの活動でラオスに行くため年内最後のTABIPPOだった。
もちろんBPF仙台・札幌にも参加できない。悔しかったけど仕方ない。

11.12月はTABIPPOばっかりだった。
もちろんゼミでの渡航に向けての準備もたくさんあった。普通はゼミを優先すると思う。でもいつの間にか優先順位が逆になっていた。TABIPPOのMTGに行く頻度も増えたし、色んな人と話せるようになってきたからMTGに行くことが楽しかった。

旅大学もなんとか企画が通って、準備を着々と進めていった。普段全員が集まることがない為、電話MTGがメイン。中々思うようには進まなかった。目標は12月18日リリース。イベント1カ月前かつ自分が渡航する前にリリース予定だった。でも間に合わなかった。

でも自分が抜けた後でもみんなが動いてくれたり、修正したり統括が引っ張ってくれて無事にラストの旅大学をリリースできた。記念に貼っておく。笑

楽しいことばかりではなった。辛いこともあったし、時間がなかったり、うまくいかないこともたくさん。でもそれを経験したからこそ上手くいった。

ここがあったからこそ最後まで走り抜けれたと思う。
この時の自分の選択は合っていた。正解の道にすることができた。

https://twitter.com/DaichiRugby5111/status/1206837104988188673?s=20

https://twitter.com/DaichiRugby5111/status/1206837537387339776?s=20

https://twitter.com/DaichiRugby5111/status/1206838387224657922?s=20


10月よりも多忙の1月

・1月5日 名古屋BPF
・1月11~12日 全都市合宿
・1月13日 成人式
・1月17日 ゼミのプレゼン
・1月18日 ムービーウォーク旅大学
・1月25~27日 滋賀で旅

(これに+でテストも含むから多忙すぎた。笑)

1月5日 名古屋BPF
2020年になりBPF東京まで少しずつだけど近づいて来た。
僕は6都市の中で日程的に名古屋だけ参加することができた。
名古屋に参加することで新年から多忙にはなってしまった。でも考えてみたらBPF名古屋に参加できた経験は本当に大きかった。

自分はBackpackFESTAに一度も参加したことがなかった。
参加者でも運営側でも一度も参加したことがなかった。
だから具体的にどんなものかわからなかった。イメージもはっきりとわかなかったし、どういうものかわからなかった。
だから名古屋での実際に自分の目で見たBPFの経験は良かった。

舞台誘導チームに入って開場と同時に席が埋まっていくのを見てワクワクした。時間が経つに連れてさらに埋まっていく客席。名古屋の会場規模数は800人ほど。だけど東京は2400人。3倍もある。その会場でお客さんが埋まったらもっと楽しいだろうな。最高のものが作れる!と思った。

それにBPF名古屋に参加して初めて他都市との交流ができた。
Aブロック合宿、全都市合宿、peace dayなどに参加しなかったから、交流する機会がなかった。でもBPFに参加して初めて他都市の友達ができた。

ここで他都市の友達ができたのがBPF東京にすごく生かされた。

BPFに対しての思いが少しずつ出てきた。BPF東京まで残り1カ月半。

(大好きな東京支部とBackpackFESTA名古屋で集合写真)

第3回全都市合宿

初めての全都市合宿参加。この時かなり緊張していた。初めての参加だし、他都市に友達と呼べる人が少なかった。だから不安や緊張でいっぱいになりながら合宿スタート。なんだかんだ他都市の人と多く話せた。

結果は全都市合宿に参加して良かった。

特に友達がたくさんできたわけでもない。みんなに自分を知ってもらえたわけでもない。ならなぜ参加して良かったのか。

BPFに対して意識が変わった。180度変わったから。

今までの僕はBPFに対してとくにやる気があったわけではない。
集客も数値はかなり低いし、そこまで熱があったわけではない。

でも参加して変わった。
宴会での6都市代表陣が泣きながら話しているのを聞いた。
それを聞いて泣いている3都市の代表陣たち。

6都市の代表陣たちの言葉、
満席にできなくて泣いている代表陣、
代表陣たちの言葉を聞いて泣いている6都市スタッフ、

多くの人の言葉を聞いて意識が変わった。変えなきゃって思った。

それだけではなくて、合宿に参加して仙台支部のうっちーと仲良くなった。

合宿後に一緒にご飯を食べたが、
「満席にできなくて悔しい。」「もっとやれることがあった。」と
ずっと後悔を口にしていた。そんな言葉を聞いて、

「まだ自分には努力できる時間が残されている。」
「満席にできる時間も、最高の景色を見せられる時間も残っている」
早くやらなきゃ、後悔したくない。と感じた。

他にはたまたま同じ部屋だった福岡支部副代表のしょーごに、
「BPF福岡来ないの??」と聞かれ行くつもりはなかったが、行こうかな!とノリで言ったつもりだったが色んな人に福岡行く?とLINEで聞いていて、合宿後のpeachのセールで大阪→福岡の航空券を購入していた。笑

この合宿に参加したからこそBPFに対してのモチベーションが上がったし、BPF福岡への参加を決めていなかったと思う。

全都市合宿に参加して、自分を変えられた。参加して良かった。

(第3回全都市合宿に参加した東京支部で3150。)


多忙で死にかけた1週間

全都市合宿から帰って来て次の日は成人式に参加。
全都市合宿に成人式と楽しいことばかりが続いた。
でもやることはたまるばかり。これ以降は本当に寝てなかったなと思う。

ちょうどこの週はテスト期間中だったからテスト勉強をしないといけない、
その週の金曜日にあるゼミのプレゼン資料を作らないといけない、
次の日の土曜日には企画しているムービーウォーク旅大学、
次の日の日曜日にはでオフィスで集客、

自分でもわからないくらいやる事があった。でも逃げ出したくなかった。

次の日にプレゼンがあったけどMTGは休みたくないから参加して、
何をプレゼンしたらいいのかわからずオールでプレゼンを考えて、
プレゼンが終わったら速攻平井に電話してタスクの確認、
飲み会が終わって家に帰ってきてからすぐに運営の準備と確認、
当日は雨が降ってたから朝早くから平井と一緒に渋谷を下見して、

やれることはやった。全部に全力を出し切った。諦めなかった。
初めてもう限界で無理というギリギリまで踏みとどまって頑張った。

けどうまくいかないことばかり。うまくチームを動かせなかったし、
個人としてもうまくできなかったことが多かった。

まとめ

〇TABIPPOでの1年間
ここまで読んだ人はどれくらいいるのだろうか。笑
書いたことはとくに大したことではない。それでも書くことに意味がある。

僕はこの1年間本当に素晴らしい経験をした。
去年の今頃は想像もできないくらい幸せな20歳を過ごすことができた。

大学1年生の時は、バイト・大学・家の行き来だけで何も変化のない平凡な人生を送っていた。特に刺激もないし、熱をもってやっていることもない。

ただただ普通の人生を過ごしていた。でもどこか足りなかった。

6年間ラグビー部で辛い練習にも逃げずに取り組んで、怪我が多かった僕はコツコツとリハビリしてなおしてひたすら努力をしていた。そんな僕からすると何か足りなくて、つまらない時間を過ごしていた。

そんな大学1年生の時からすると、TABIPPOでの生活は180度違った。

毎日が刺激だった。毎日やることがあった。
みんな違う大学で違う所に住んでいるけど毎日つながっていた。

もちろん楽しいばかりではない。辛いこともたくさんあった。
辛いことの方がたくさんあったと思う。

TABIPPO以外のことでも悲しくて1人で泣くこともたくさんあった。
悩みは増えていくばかり。減っても新たな悩みが出てきて毎日悩んでいた。

任されたことが終わらなくて、授業中にひたすらパソコンと向き合う生活ばかりしていた。土日関係なく作業していたし、どこ行っても作業ばかり。

大学の子とも遊ばなくなり付き合いが悪くなっていくことは日常だった。

それでもTABIPPOでの時間を作っていた。
でも間違いなくTABIPPOを経験したことで僕は変わった。言い切れる。

具体的にどこが変わったのかははっきりとはわからない。
でも初対面でも固まることはなくなったし、話すことが好きになった。

人と人という関係は難しい。でもそこの部分が好きになった。
もちろんお互いに意見がかみ合わないこともたくさんある。でもそんなの当たり前。その意見からどう学ぶか、相手を知るかが大事だなって学んだ。

たくさんの人と話して人として変われた。考えが豊かになった。

僕はいつも組織の中で自分の存在意義を求めてしまう。

「本当に組織に必要だったか?」「組織の中で必要な人間になれたのか?」とかどうしても求めてしまう。

今年活動していたゼミの報告書でも最後にこんな一言を書いている。

ゼミではわからないまま終わってしまった。
みんなというよりも1人という感じが強く残って終わってしまったからかもしれない。今でも曖昧なままだ。

でもTABIPPOでは違った。
うまくいかない、うまくできないこともたくさんあった。
もちろん自分はそこまで組織のためになるタスクをこなしていたわけではない。重要な役割が特にあったわけでもない。でもTABIPPOで存在していた。

TABIPPO2020スタッフとして活動できたと思っている。

代表の文ちゃんからたくさんのいい言葉をもらった。
数えきれないくらいある中で一番記憶に残っている言葉がある。

「選んだ道を正解にする。」

間違いなく僕が進んだ道は正解だった。自信をもって言い切れる。


石川文太・西脇謙志・細井大輝

この代表陣3人の下でやれてよかった。本当に感謝。

〇旅大学

旅大学に入っていなかったら自分はどうなっていたんだろうか。

旅大学は人が来ないからタスクを頻繁に託された。
「それやっといて。」「もう終わった?」とか個人で作業が多かった。

自分のチームに投げても全然反応が良くないし、返信も来ないこともある。
進めたいのに反応がないから進まない。みんなで集まりたいけどみんな来ない。結局電話MTGで進めても、中々進まない。でも期日は待ってくれない。
そんなことばかりだった。

チームとして動く大変さをすごく学んだ。勉強になった。
そんな中いつも引っ張ってくれていた統括陣には感謝しかない。

自分は特に優秀だったわけでもない。タスクのスピードが速いわけでもない
けどたくさんのタスクを任せてくれた。もちろんうまくできない時もたくさんあった。

だけどタスクを任されることが嬉しかった。旅大学に入ったからこそ人として成長できたと思っている。そろそろ旅大学の打ち上げしたいね。

僕を成長させてくれた旅大学統括陣。
ザキ・けーや・ゆうきの下でやれて本当に良かった。ありがとう。


〇最後に

最後まで読んでくれてありがとう!
書いてても長いと思うし、読んでみたらかなり長かった。

BackpackFESTAについては次のnoteに書こうと思っています。

来年度についてはきめていません。
何をやりたい、どうなりたいなどはたくさんあるけど決めきれてないです。

あせらずゆっくりとやろうと思ってはいるけれど、でもそろそろ決めないとなとは思っています。

3月は予定をあまり入れていないのでたくさん相談にのってください。
特にTABIPPOのいろんな人と飲みに行きたいです。1年間の振り返りもしたいし、思い出共有もしたいです。お誘い待ってます。

ありがとうございました。
僕の人生まだまだこれからです。何事も挑戦。  中山大地

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