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静かな森の中にある革工房と木の香り

12月4日(月)

通勤電車のお供にし、週末も読んでいた荻原浩『コールドゲーム』(新潮文庫)を読み終えた。

あらすじは《高3の夏、かつての同級生が1人ずつ順番に危害を加えられるが、それは中2のときにクラス中からいじめの標的にされていたトロ吉による復讐だった。次の被害を食い止めるため、主人公たち同級生は4年ぶりに集まって対策をとる中、また次の事件が起きる…》というもの。

サスペンスとしてしっかり怖く、いじめを題材にしてるけど説教臭くなく、高校時代特有の焦りも描写されている夏休み小説(※)でもあり、やっぱり面白かった。
荻原浩の主人公ってみんなかわいいから好きになっちゃう。

※夏休み小説…主に夏休みが舞台の、高校生が坂道を自転車で疾走し、真っ白なシャツが風を孕んでいるような小説。を勝手にそう読んでいる。
例)関口尚『プリズムの夏』、貴志祐介『青の炎』など。あと広義では宗田理の「ぼくらのシリーズ」も。

ところでこの『コールドゲーム』は、2010年にすでに1度読んだことがあった。
でも「読んだことがある記憶」だけがあり、物語の内容は全く覚えていなかった。
なのになぜ「2010年」と断定しているかというと、当時これを読んでいるときに「石巻3人殺傷事件」がニュースで報道されていたから。

以下、事件の概要。

「石巻3人殺傷事件」は、2010年2月、少年C・Y(当時18歳の解体工)が、元交際相手X1の家に押し入り、女性X2(X1の姉)と女性Y(X1の友人)を18cmの牛刀で複数回刺して殺害し、男性Z(X2の友人)にも重傷を負わせた事件。(のちにC・Yは死刑が確定)

当時のテレビでは少年C・Yの「前略プロフ」を積極的に取り上げていた。
その「前略プロフ」の内容というのが、〈【性格】以外ママと寂しがりや(笑)〉とか〈【自慢なこと】二人の愛の結晶がお腹に居ること〉とか〈俺の奥さん 男絡むなよ〉とか、生々しいくらいにリアルな10代の言葉づかいで強烈だった。

この事件自体は『コールドゲーム』とは全く関係ないけど、少年C・Yは、小説の主人公の幼馴染である亮太を彷彿とさせた。
亮太は高校中退し、ヤクザになりそこない、工務店で働く17歳で、中学時代からの同級生・美咲との間に子供ができ、彼女との結婚を考えている、という人物。小説の中の彼の状況が、連日のテレビ報道で垣間見る少年C・Yに重なった。
にもかかわらず、「小説では殺人犯に果敢に立ち向かう少年なのに、現実では殺人犯になる方か…」とショックだったことを覚えている。

12月5日(火)

僕ばかりが職場のエレベーターのボタン押し係をやらされている気がする。
廊下を歩いていても、みんなわざと僕にぶつかるように歩いている気がする。ていうか会社の廊下で歩きスマホするな。
「仲間」には親しげに振る舞って、それ以外の人はたとえ同じ課であろうと全くの無愛想で対応する人間しかいないうちの会社がほとほと嫌になった。何?部活?野球部?
(野球部は、教室や学校外では傍若無人で失礼だし率先してイジメをするし、全校集会の校歌斉唱の時間には誰も歌わず私語ばかりなのに、先輩や顧問にはハキハキ挨拶して礼儀正しく振る舞い、甲子園では涙ぐみながら校歌を歌うから)

高校生のときに読んだ佐藤雅彦『プチ哲学』に上の図のようなものが載っていた。
佐藤雅彦はピタゴラスイッチの監修やポリンキーのCMやだんご3兄弟でおなじみのあの人なので、本当はもっとかわいい分かりやすい絵だったはず。
イラストの意味するところは〈エレベーターに最後に乗ると…

最初に降りられる〉。
つまり残り物には福があるではないけど、急がば回れでもないけど、視点を変えたら最後だと思ってたものは最初だよね、とかそういう話だったと思う。
高校生の僕は「はあ〜…なるほどね〜」と感心した。感激すらした。目から鱗が落ちるとはこれを言うんだねと思った。

でも社会に出て、エレベーターを日常的に使うようになると、これは嘘だと思い知らされた。

エレベーターに最後に乗ると、階数ボタンの前しか空いてないからそこに立たされ、みんなが降りるまで開閉ボタンの係をやらされて、結局最後に降りるはめになる。

ごく稀に僕より先に乗り込んだ人がボタン係をやってくれることもあるけど、おっさんはまずやらないね。おっさんがボタンの前に立ったとしても、他人のために開ボタンを押すのを司る脳がぶっ壊れてるのか、阿呆みたいにずっと突っ立ってるね。
「おっさん」とは、年齢関係なく、エレベーターのボタンを押さない人のことである。
(というようなこと前になすなかにしのラジオに投稿したら、中西さんは「ちゃうねん、おじさんはな、何するにしても周りが見えへんねん。視野狭(せま)なってんねん。エレベーターも、意地悪しよ思て押さないわけとちゃうねん」と弁明していた。なすなかにしにそう言われちゃあ仕方ない)

12月6日(水)

姉には子供(すなわち僕にとっての甥)が2人いる。甥(10歳)の方は2回、甥(5歳)の方は1回だけ、夏休みに一緒に遊んだことがある。
そんな姉一家が次のお正月に名古屋に旅行にくるそうで、会うことになった。
つまりそれが何を意味するかというと、お年玉を渡さなければならないということである!ああ、人生初のあげる側のお年玉!
大人になんかなりたくない、と毎朝太陽に向かって礼拝しながら唱えているのに、そんなのお構いなしに僕は大人になっていく。
姉弟の関係だし、地域最安値を誇る安月給だし、最悪あげなくても誰も文句は言わないだろうけど、大人になりたくない以上に、ダサい叔父さんにはなりたくない。(子どもの頃の親戚の評価基準はお年玉が全てだったので)

というわけでお年玉を入れるポチ袋をLOFTに買いに行った。
これまでクリスマスカードは甥たちに送っていたのでクリスマスの売り場があることは把握していたし、その近くに年賀状売り場もあった気がするけど、そこにポチ袋も一緒に売っていたのか、売っていたとしてどんなデザインのものがあるのか全く不明だった。

AIに描いてもらった十二支①

ポチ袋があるかと思って便箋の隣のご祝儀袋のコーナーを見ていると、店員(女性)と営業(男性)が手帳売り場のコーナーで仕事の打ち合わせをしていた。
話が一段落つくと、男性はためらいがちに「あの、仕事とは関係ないんですけど、山崎さんに…あの…ちょっと聞いてもらいたくて…」と口を開いた。
中2の体育祭後みたいな、告白が始まるような異様な雰囲気だったので、僕はポチ袋を探すフリをしてつい聞き耳を立ててしまった。
女性が「もしかして退職されるとかですか?」とモジモジしっぱなしの男性の話を促すと、
「違いますよ。そうじゃなくて、実は最近知り合った女性なんですけど、アプリでマッチングして…」
と予想外の話が始まった。それでそれで?
「その女性は前に付き合っていた彼氏とまだ一緒に住んでいるらしく、それはすぐには部屋を出られないからだと説明してくれていたんですけど、でも俺と付き合うことになったからにはそんな環境はよくないと引っ越しを考えているらしいんです」
これだけの話をするのに男はずっとしどろもどろのモジモジだった。そんなためらいがちに話すならやめなよと思ったし、そんな女性と交際するのもよしときなよ、と思ったけど、しかしそれはどうも本題ではなかった。
ポチ袋がご祝儀袋売り場にないことはもう判明していたけど、続きが気になる。それでそれで?
「その女性はLINEとか送っても、話した方が早いと言って返信をくれずに電話をかけてくるんです。でも、元彼が近くにいると夜は電話をしてくれなくて。で、この前LINE送ったのにいまだに返信も返電もないんです。……どう思います?」
何だその話。聞いて損した。ていうかなぜそれを仕事中のLOFTの店員に相談しているんだ。ポチ袋はどこですか、と質問させてくれ。
「お相手の方の仕事が忙しいとかじゃないですか?」
「いやそんなことないです」
「はあ…」
ご祝儀袋コーナーと面白みのない会話に見切りをつけ、フロア中央の年賀状コーナーへ移動すると、そこにこそポチ袋がたくさんあった。

AIに描いてもらった十二支②。鶏が多め


以下、生まれて初めてのポチ袋売り場で思ったこと

  • ポチ袋のほとんどに「ほんの気持ち」と印字してあった。(そうでなければ手書き風フォントで「おとし玉」。筆文字の「おとーむ」は一切なかった)
    僕がなけなしの給料から捻出したお年玉を勝手に「ほんの気持ち」呼ばわりしないでほしい。

  • 「辰」と「おとし玉」の組み合わせである「タツノオトシゴ」のイラストが描かれたポチ袋が多かった。シンプル竜よりタツノオトシゴの方が多数派ですらあった。

  • 人気キャラクターのミニオンとかミッキーマウスとかピーナッツのポチ袋があるのは分かるけど、あまりにもそのイラストが「印刷されているだけ」すぎて、もっと工夫を見せてほしかった。

  • ポケモンのもあった。「ギャラドスかな、カイリューかな。あ、タッツーもいるか」と思って見たら、ピカチュウと御三家が丸っこいフォルムに描き直されたイラストのものしかなかった。これはこれで12年間いつでも使えるから便利なんだろうけど、あんだけキャラクターを取り揃えておきながら無難なキャラクターで済ませるんだ…。
    ポチ袋は力を入れるべき商品ではないということなんだろうか。いろんな子供に渡すなら個性をなくしたキャラクターの方が使いやすいんだろうか。でもそれにしたってさあ…。

  • 「ウォーリーをさがせ」が印刷されたポチ袋があった。中身だけでなく袋も楽しんでもらえるからこれがいいなと思ったけど、僕が子供のときウォーリーのイラストが怖かったのをすっかり忘れていた。甥に怖がられたら嫌なのでやめた。

  • 「こんな額ですまん!」とか「経済回そうや」とかユーモラスなポチ袋もあった。このユーモア、小学生にはウケるんだろうか。本当に?うーん。

  • 結局これ(下写真)にした。大事なのは外より中身の額だ、と当たり前のことに気付いたから。

20分はしっかり悩み、これを持ってレジを探していると、先ほどの営業の男性はまだ店員に恋の相談をしていた

LOFTで売られていた「MARMAR;D」という韓国の会社?のハンドクリームも買った。
6種類あって、6種類とも僕の好きな香りでとても困った。

グリーンローズ:雨の森の中咲いている野バラの香り
 ⇒本当に「雨の森の中の野バラ」が頭に浮かぶ香りだった。
ベルガモット:雨上がりの日差しを浴びた柑橘系の木の香り
 ⇒本当に「雨上がりの日差し」を感じる眩しい香りだった。
アースフィグ:雨上がりの後、土に落ちた熟したいちじくの香り
 ⇒これが一番すごかった。雨上がりの湿った土の上でどちゃっと潰れたいちじくそのものだった。みんなも嗅いでみてほしい。

迷いに迷って「レザーウッド(静かな森の中にある革工房と木の香り)」を買った。
⇒12月の昼下がりに森を散歩していたら見慣れない建物があった。扉を押して中に入ると、やかんを載せた石油ストーブでじんわりと暖められた部屋にひとり、職人風のお兄さんが座っていた。布にノコギリのようなものを当てがっていて、集中しているのか、僕が入ってきたことには気付かない。
室内は、物は多いのに茶系の色で統一されているため、ごちゃごちゃとうるさくは感じない。
窓ガラスは水蒸気で曇り、まるで世界から孤立したようだ。窓の外の木が揺れる葉音すら聞こえない。ジョキリ、ジョキリと湿った音をお兄さんが立てている。
奥に進むと、かすかに焦げたような甘い香りが鼻をくすぐった。烏龍茶のような、焼いたメレンゲのような。なんだろうここは、カフェだろうか。
違う。エスプレッソマシーンだと思っていたものは大きなミシンだった。ならば洋服の仕立て屋さんかと思ったけど、大小さまざまな工具も並んでいるから、ひょっとすると家具屋さんかもしれない。あるいは彫刻家のアトリエか。壁にはなぜか大きな世界地図が掲げてある、と思ったらびっくりした。地図ではなかった。これは――
「牛革だよ」
いつの間にかお兄さんが横に並んでいた。身長は185センチはあるだろう。夕方、お風呂上がりに聞くラジオみたいに低い声をしていた。
「すみません、勝手に入って」
「いいんだよ。こう見えて一応お店だからね。いつでも大歓迎さ」
「お店?」
「そう、革工房。オーダーに応じて、この牛革を裁断し、漉いて、縫合し、鞄や財布を作る。完成品もいくつか置いてあるんだけど、見る?」
そう言ってお兄さんは商品棚からショルダーバッグを2つ持ってきた。
「革は使い続けると、その人だけの風合いに成長するんだ。初めはこんな白っぽい色でも、5年経てばこんな飴色に」
説明しながら、お兄さんは飴色のバッグを僕の肩にかけてくれた。その瞬間、外国の煙草のような甘い香りがふわりと漂った。
窓の外で揺れる針葉樹の清浄な香り。店内を埋め尽くす革が放つ土埃のような香り。お兄さんの甘く沈みこむような香り。それらが混じり合い、僕のうなじをくすぐる。
頭が火照ったようにぼんやりするのはストーブの熱のせいだろうか。
「革の色の変化とは、断じて劣化ではなくて、成長なんだ。でこ彦くん、」
どうして僕の名前を?
「でこ彦くん、安心して。大人になるのは悪いことではないよ」
ストーブの上のやかんが蒸気を立てて蓋をカチリと鳴らした。
そんな香りのハンドクリームだった。

12月7日(木)

通勤電車のお供にしていた荻原浩『明日の記憶』(光文社文庫)を読み終えた。
若年性アルツハイマーになった50歳の男性が主人公で、渡辺謙主演、堤幸彦監督の映画でも有名。
荻原浩には珍しく1人称で語られるので、本人の記憶から何が消えて何が残っているのか如実に分かる仕組みになっていた。後半は涙を堪えながら読まなくてはならなかった。は〜、面白かった。

12月8日(金)

どうも頭が臭い気がして、ディアボーテ?ヒマワリ?のヘアミルクを買ってきた。
ヘアオイルだとギトギトするかな、と思ってミルクタイプにしたけど、それでもやっぱり僕がつけるとどうも徹夜明けの脂じみた印象になってしまう。

小6のときにワックスをつけて学校に行って「今日寝癖すごいね」と言われてから、僕はおしゃれしても意味ない存在だと悟ったのに、ちょっとまた調子に乗ってしまった。
それではさようなら。

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