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捨てアカのアイコンが往々にして初期設定であるのと同様に、会社での僕も最低限の格好しかしていない

11月13日(月)

石造りの建物。
というとお洒落に聞こえるけど、そんなことない。
「石造りの建物というとお洒落に聞こえるけどそんなことない。夏は暑いし冬は寒い。あれは欧州の環境に合った建築なのだ」といろんなエッセイで何度か目にしたことはあるけど、本当にそう。夏は暑いし冬は寒い。
職場が石造りの建物なんだけど、めちゃくちゃ寒い。外の方が暖かい。手がかじかんで動かないからタイピングミスがすごく増えたし、常にずっと内臓の奥から震えて歯がガチガチ鳴っている。
「常にずっと」というのは「朝8時30分から夕方5時30分までずっと」という意味です。誇張なく、まじのずっと。
会社は冷房も暖房も手遅れになるまでつけてくれないので、しばらく震えながら労働させられる。

ハンバーガー屋かと思ったら歯医者だった

11月14日(火)

仕事でおまんじゅうを買うことがあった。
箱入りのおまんじゅうを3つ買い、それを上司Aに2箱、上司Bに1箱を渡さなくてはいけない。
紙袋の中には、おまんじゅう3箱と折り畳まれた紙袋2枚が入っていた。全て同じおまんじゅう、同じ紙袋。
紙袋の中から、上司A用におまんじゅう2箱と紙袋1枚を取り出し、紙袋をガサゴソと広げ、おまんじゅう2箱をその中に入れ、渡した。
折り畳まれた紙袋は強めのクセがついていて、かじかんだ手でとなると広げるのも一苦労で、上司Aの前で手間取ってしまった。
残った紙袋の中にはおまんじゅう1箱と紙袋1枚が入っているので、紙袋1枚は抜き取って職場の紙袋ストック棚にしまい、もともとの紙袋ごとおまんじゅう1箱を上司Bに渡した。
ぺしゃんこの紙袋をいちいち広げる手間が省けたので、今回はすぐに渡せた。

すると、その後上司Bから呼び出され、「もともとの紙袋は人に渡すときには使わずに、中の折り畳まれた紙袋に入れ直して渡すものだよ。まあいいけど」と指摘された。

①確かにこれまでお土産など買うと紙袋が余分に入っていることがあり、何なんだろうと不思議だったけど、あれはそういうことだったのかと合点して嬉しい気持ちと、②そんな常識すらを知らなくて恥ずかしい気持ちと、③もったいねー!面倒くせー!効率悪ー!知らねー!うるせー!うぜー!という気持ちとが、ちょうど33%ずつだった。
残りの1%は、④寒い。
僕としては、上司Bの目の前でモタモタガサゴソと紙袋を広げる手間をショートカットして効率よくスマートにできたつもりだったけど、そういう常識があることを踏まえると、上司Aにはちゃんと真新しい紙袋で渡したのに上司Bにはわざと外気に曝された使用済みの不潔で汚穢な紙袋で渡したと思われかねない行為だった。

同じようなマナーなのか、小学生のとき文通していた友達が、毎回白紙の便箋1枚を余分に入れていたことを思い出した。
あれは何だったんだ、と検索したところ、
・紙が貴重だったので、返信用の便箋として使ってもらうため
・外に透けないようにするため
・「文面は1枚で終わってしまったが、本当はもっと書きたい」という気持ちを表現するため
であるとのこと。
は?

11月15日(水)

白い陶器風の容器もクリスマス気分があがる

アヲハタのクリスマスプレザーブ(ラムブラウン)を買った。毎年クリスマス前に数量限定で出る、ドライフルーツと洋酒を使用したミンスミート風のジャム。
さも当然、みたいな顔して「ミンスミート風」と書いたけど、ミンスミートって何なんだ。でも食べたことなくても、ハリーポッターに出てくる「糖蜜パイ」や「はちみつ酒」みたいに、おいしいのは分かる。そういう憧れの味のするジャムです。
このシリーズのジャムは、この数年スーパーマーケットで見かけることすらできなかったので、800円という贅沢品だったけど久しぶり過ぎて思わず買ってしまった。
こういうとき「カフェでコーヒー2杯我慢したと思えば」と自分に言い聞かせて買うけど、普段カフェなんか行かないから、我慢も何もない。僕がこれまで我慢してきたコーヒーはどこへ消えたんだろうと不思議な気持ちになる。

ジャムづいてきたので、オリエンタルのマースチャツネ(半額)も買っちゃった。マースは「Mango Apple Raisin Spice」の頭文字。

11月16日(木)

会社に履いていっている靴が汚い。写真を載せられないくらいやばい。
家の玄関には照明がなく、毎朝なんとなく履き、毎晩なんとなく脱いでいる。履いている日中は自分の足元なんか見ないから、こんなに汚いことに全く気付かなかった。休みの日にお手入れとかしたことない。休みの日に会社でのことを考える暇なんてない。
自分の身なりに気を遣う価値が自分にはないから。という根本的な理由もあるけど、それに会社にいる自分は「本当の自分」ではないから、というのが大きい。捨てアカのアイコンが往々にして初期設定であるのと同様に、会社での自分も最低限の格好しかしていない。
だから会社の机に自分の好きなもののフィギュアを置いたり家族写真を持ってきたりしている人を見ると、自分にはない感覚だ、とびっくりする。「自分の好きなもので固めた自分の城」みたいに環境整備している人を見ると、「押し付けがましい」と感じてしまう。ここはあなたの子供部屋ではないのだから、あなたの趣味を公の目につくところに放置するな、と苛立ってしまう。
僕は会社にはペンとかマグカップとかカーディガンとかいつでも捨てられるような、愛着もへったくれもないものしか持っていっていない。いつ失踪しても後悔のないようにしている。
『帰ってきた時効警察』で真加出くんが紙袋を鞄として使う理由を「だっていつでも捨てられるじゃないですか」と答えていたけど、あのドラマのその何でもない小ボケの一言を聞いて以来、僕は「いつでも捨てられるじゃないですか」でものを選ぶようになった。

左利きで同性愛者で山陰地方の中でも田舎出身の僕は、この世で「ここは僕の場所だ」と感じたことがないかも。紙袋のような人間関係、捨てアカの居心地、でいつもいる気がする。

11月17日(金)

通勤電車のお供にしていた荻原浩『四度目の氷河期』(新潮文庫)を読み終えた。
田舎で、未婚の母の子供(しかも日本人離れした風貌)として生まれた主人公ワタルは、ADHDと診断され、遺伝子研究という母親の職業も受け入れられがたく、地域でも学校でも常に「よそ者」「厄介者」として扱われ疎外感を抱いていた。そんな彼が喜びと悲しみを乗り越えて大人になるまでの軌跡――。
という王道のビルドゥングスロマンとして楽しめるけど、荻原浩がそんな普通の話を書くわけがない。
ワタルは、父親はクロマニョン人で、自分は遺伝子交配の実験の過程で生まれた存在だと思い至る。クロマニョン人の直系の子供として自分はどう生きるか模索する姿は感動的だった。
ワタルが本当にいい子なので、彼が楽しいことをしていても辛い目に遭っていてもずっと苦しかった。はあ〜面白かった。
木曜日の日記で「ここは僕の居場所じゃない、左利きは辛い」みたいなこと書いちゃったけど、それが恥ずかしくなるくらいワタルは孤独で、ちゃんと自分のための居場所に環境整備してた。

クリスマスケーキの予約をした。なんのこだわりもなく、ただ家の近くのケーキ屋というだけで選んだ。
去年もここのブッシュドノエルを買い、それは人生初めてのブッシュドノエルだったのだけど、蓋を開けてみたらただのロールケーキでガッカリした。でも、ただ家の近くのケーキ屋というだけでまた今年も予約をした。
クリスマスケーキは絶対に食べたいものでもないのに、長年の習慣のせいで、なければないで1年を無駄にしてしまった気がして落ち着いて年を越せない。
でも食べたいわけでもないので、朝から並んで本当に欲しいお店のクリスマスケーキの予約を争奪したり、高いお金を払ってとっておきのお店のものを買う気にもならない。だから家の近くの手頃なケーキ屋で渋々予約をした。
そしたら店員さんが覇気がなく、受け答えや一挙手一投足の感じが悪く、なぜ欲しくもないクリスマスケーキのためにこんな嫌な気持ちをさせられなきゃならないんだ…、と損した気持ちに。

去年のクリスマスケーキの断面を見ながらお別れです。来週はどんな1週間になるかしら!

更新後の追記

銭湯行ったら、高校生6人が猿みたいに固まってお湯に浸かっててかわいかった。
そのうち1人のことを「山田ってチー牛クソ陰キャだと思ってたのにまさかレイシストだとは思わんかったー!」と、「見直した」のニュアンスで話してて、チー牛とレイシストが対義語になることもレイシストが褒め言葉になることも不可解でびっくりした。
そしてチラッとその「山田」の顔を見たら6人のうち3番目にかわいくて(コラッ!順位づけをするな!)、全然チー牛じゃないから2度びっくりした。
「チー牛かと思った」と発言した子を見ると、5番目のナリをしていて(コラッ!)、というかはっきりいうとチー牛顔で3度びっくりした。
5番目(というか下から2番目)の子はその後も「女を酔わせて張っ倒したい」「俺酔ったらヤバいよ?」「俺に言い寄る女は大したものが来ない」「矢島、ほらブルドッグみたいな女子知らん?」みたいなことを言っていて、それは全然びっくりしなかった。こういうかわいくない男ほど仲間内で調子に乗りがちだから。
1番目にかわいい子と2番目にかわいい子(コラッ!)はその話には加わらず、2人だけで「これなんの曲だっけ」とオルゴールアレンジJ-POPのBGM当てクイズをやっていて、それもびっくりしなかった。かわいい男ほど粗野な会話には加わらないから。

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