イデア「僕は耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」


……or shoud I ?


ツイステッドワンダーランドのイデア・シュラウドを、ご存じだろうか

ナイトレイブンカレッジ(NRC )の一寮、イグニハイド寮の寮長である。陰気で内気。なんとなくオタク言語にポツリポツリ呟きながらなんとなくネットゲームなどにいそしんでいるハイスクール男子である。髪の毛の長髪がチリチリと炎のようで青いルージュのギザ歯。正直ルックス的に惹かれるものがある。弟がいる。正直推し(ジャミル)をオタクイベントコンテンツに追いやった戦犯である。どうしたものかがけも……もはや宇宙猫

実際あまりうまく言えないのではあるが、ディズニー映画ヴィランのモチーフと化している。「ヘラクレス」のハデスの映画がそれらしい。私はよく知らない。申し訳無い。

実際ハデスのその話、ペルセポネの冥界下りといって、ペルセポネという女神をハデスがさらってしまうという話になっていたりもする。ギリシア神話ではわりと温厚な神様っぽくてハデスに連れ帰って略奪したり、ゼウスの妻のデメテル(ペルセポネの母親)が娘に向かってとても怒っていて、奥さん(ペルセポネ)を娶る最中におなかすいただろうからザクロをどうぞしてくれて、娘のデメテルについてお母さんが文句を言っておくんだけど了解してくれる。ペルセポネについてはとても優しい。いい人だなあとなんとなく感じるわけではある。正直ハデスモチーフのイデアに関して、オタク気質があるけど真面目で、実際いい人なんだろうなあと思うところがある。別のディズニー映画のモチーフとしてのヴィラン男性的に、内気で優しいのかななんて考えている。そんな折になんとなく似てるなあと思うことができた。イザナミイザナギの黄泉戸喫(よもつへぐい)の話である。
黄泉比良坂は三途の川的なスポットで、生きてる人と死んだ人の境界線に至る場所。イザナミはカグツチという神様を生んで死んでしまったけれど、イザナギはどうしても帰ってきてほしくて黄泉比良坂に戻ってしまう、イザナミは「わかった帰るけど、準備をするからこっち見ないでね」という話をして、こっそり覗いちゃってどろどろに腐ってるイザナミをみちゃって、怒って追いかける。こわいなあというはなし。
ハデスはイザナミイザナギではないので、ペルセポネを腐ったりさせずに単にザクロをあげちゃって、娘に関してデメテルにおこらせちゃって言う通りにさせてくれる。そんなところを一切見せずに終わらせちゃう。やさしい~!ハデスいいひと~!、むしろツイステのイデアはそれほどまでに内気なんだろうなと考えてしまって、あんまり持っていないR的に忘れちゃう。ヘラクレスという映画的にみたこともないので、あまり見てみたいなと思うけどそんなに話すことでもない。YouTubeで見るべきだろうか。

イデアに関してなんとなく人物像を考えてみる。

弟と仲がよくて、内気でなんとなく人がいい。あまり人間的にはよく知らない。でも、なんとなく人に関して善良なドライさがあるんだろうなと考える。オルトとはまるで機械のようで機械としてうまくやっているようだから、機械修理の上手い器用さで何とかしている。天才的な何らかのなにかを持ってるんだろう。そんな風に感じる。
なんとなくドライさを感じているイデアは、人間として善良なドライさであるんですけど、斜めに見てあんまり上手く見てられないんだろうなあみたいなものを少しだけ考えている。俯瞰で感じるそのように、人間ってものはそういうものって見下して考えるものを持っているのかもしれないな。キャッチャーインザライのホールデンみたいに
ホールデンっていうティーンの男が病院で療養中で、学校があんまり芳しくなくて中退処分をうけちゃって、色々なところにフラフラと当て所なくさ迷ってうちへ戻るっていうはなし。なんとなく辟易としちゃって斜めに見て、やってらんないなってかんがえるのがイデアのような気がして、純真無垢な善良な子供たちがオルトであるとおもうんだけど、その大好きな妹であるフィービーがオルトのそれだなあってなんとなく思っている。キラキラしていてオーバーオールを着て、回転木馬を笑いながら乗るような、胸がざわつくようなイデアのホールデンさがそこにあるような気がしている。人間の善良なドライさとしてそこにあるような気がして、野崎孝先生の訳のwiki版のそれがとてもイデアのようで素敵だなと思ったので、なんとなく引用してみたいと思います。今日もツイステやって遊ぼうと思います。

それでは。

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」

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