DISCO PUNK再評価
2020年もそろそろ終わりですね。
来年あたりDISCO PUNK再評価しようじゃありませんか?
DISCO PUNKとは?
私が記憶する限り2002年頃カーラジオから
the raptureの必殺キラーチューン
house of jealous lovers
が流れてきた時
なんだ?コレは?
the pop groupを現代に蘇らせたような
ベースラインに明らかに
ハウスのそれとわかるhypeなビートに
絶叫ハイトーン。
掻き乱すギター。
頭がクラクラした。
!!!(chk chk chk)の大名盤 louden up now は時代を超えた魅力があり今でも
全然色褪せていない。
あの衝撃から早、
20年近くの年月が経つのか。
アメリカのレコード屋
アメーバミュージックがやってる番組
what's in my bag?
に!!!(chk chk chk)
のvocalニック オファーが出ていた
のだがほぼ白髪っぽくなっていて
メロウでソウルフルな曲を紹介している
(それ自体はかまわないが)
のを見てうわぁ、
時が進むのはええなぁと感慨深い
(なんか老けた?別に悪い意味じゃなくて)
いやニックってほら変態踊りで有名だからさ、
悪ガキっぽいというか
大人っぽくなったなぁというか。
2000年初頭ぐらいから
the rapture
!!!(chk chk chk)
LCD sound system
radio4
out hud(男女混成で!!!chk chk chkのメンバーが兼任していた)
いやあOut hud 今の方が刺さるなあ!
良いよコレ。
strokesミーツDISCOと謳われた
Moving units
kids達にここまでやる気を
起こさせてしまう魅力とは?
between us and them / moving units
これはあえて子供達のカバーで。
まるで日本の氣志團と呼応するかの様な
泣きのギターフレーズが涙を誘う
night on fire / VHS or BETA
etc..
lcd soundsystemのjames murphyが
やっていたプロデュースチームDFAが
プロデュースした楽曲はことごとくヒットし時代のトレンドとなって行く。
当時の彼等は鉄壁でneptunesにまで
影響を及ぼす様な存在だった。
その後DFAの作品をヨーロッパでは
trevor jackson主宰のOUT PUTが
ライセンスする様になったり
TIGER SUSHIという名のレーベルから
日本人のMutsumi kanamoriとmaurice fultonのDUO
Muのデタラメなチューン
”paris hilton"がクラブヒット!
2many DJ'sもよくこの楽曲をプレイしていた。
まるで戸川純再来の様な
MUのエキセントリックさに
ヤラレタ人も多かったのでは?
余談だが駆け出しの頃の
DFAに影響を与えたのは
英国のプロデューサーdavid holmesである。
彼のアルバムbow down to the exit sign
製作中にjames murphyとtim goldworthyが
出会いDFAが結成される。
tim goldworthyはそれ以前はU.N.K.L.Eの製作に参加していたらしい。
このアルバムに関してはこれだけで一つの記事が書けてしまう程重要な作品なのでそれはまたの機会に。
David holmesのこのアルバムに収録されている
ボビーギレスビーを
フューチャリングした楽曲
sick city
ここに2000年初頭の
DISCO PUNKの萌芽が窺えると思ったのは
筆者だけか?
David holmesはもともと
ダウンビート系というか
trip hop系プロデューサーとして
知られていたのでこんなにロックな楽曲を
リリースしたことが驚きでもあった。
このアルバムには他にも
jon spencerとMartina嬢、
いわゆるBoss hog夫妻ですね。
などが参加しているので
マニアックな方には一聴をお勧めします。
話を戻して
沢山のバンドがリリースされ
シーンは活況を呈したが
後のエレクトロシーンに
ちょい被ったくらいの時期に
満を持してリリースされた
the raptureのアルバム
pieces of people of we loveが大コケ。
よせばいいのにDFAの手から離れて
違う人にプロデュース依頼した楽曲は
ことごとく駄目だった。。
まぁDFA自体がというかjames murphyが
忙しかったというのもあるだろうが。。
今聴くといいね。
当時はやっぱり皆んなが
house of jealous lovers
第二弾を求めてたんだからしょうがないね。
radio4も代表曲
Dance to the undergroundが
アンセムだった。
アルバムgothamは名盤だが
それ以降にリリースされた
stealing of a nationが大コケ。
これもDFAの手を離れた作品。
ちょっとテクノ化しすぎたんじゃない?
というのがおおかたの評判だった。
まるでprimal screamのXTMNTRみたいだな
と当時皆んな思っていた。
ちょっとやりすぎ?
みたいな。
その後に出した原点回帰作の
enemies like thisも
ダメだったなぁ。
当時レコード屋のインディロックコーナーには
このへんのレコードが大量に売れ残るという
惨状が繰り広げられていた。
今聴くと微妙に良いのでは?
と思ってしまうが当時、
期待していたバンドの新作がことごとく
期待外れでみるみるうちに
シーンが失速していった感は否めない。
このムーブメントの副産物として
70年代のNEW YORKで起こっていた
NO WAVEやNEW WAVE時代の
ダンスパンクに脚光が当たり
YelloとかKonkとかESGとかCertain ratio
とか再発もかなり出ていた記憶がある。
余談だがこの頃初めて筆者は
マンチェスター時代の変態、
名プロデューサー
Martin hannettがESGなんかをプロデュースしていた事を知りショックを受ける。
というか驚き方が逆。
ESGがfactoryレーベルだったという方が
普通の驚き方。
DANCE PUNK / NEW WAVE系アーティスト
を寄せ集めたコンピレーションも
リリースされており
当時を知らなかった世代にも
NEW WAVE系DANCE PUNKは
発掘される運びとなった。
国内ではDJのKENJI TAKIMI氏
やMOODMAN氏らもこぞって
そういう選曲をしていた時期でもある。
再発リリースで秀逸だったのは
12inchでリリースしてくれていたコレとか
DISCO NOT DISCOシリーズ
cavern / liquid liquid
shack up / a certain ratio収録
soul jazz records presents "in the beginning there was rhythm"
soul jazz records presents New York noise
この辺りのコンピレーションが
果たした役割はかなりのものがあったと思う。
SOUL JAZZレーベル恐るべし!
というか感謝してます。
DUBやレゲエのコンピ100%ダイナマイト
も素晴らしかったしFREE JAZZのコンピも
本当に素晴らしかった。
そのあたりの話はまた今度。
話が逸れてしまったが
踊れるロックの歴史は意外と古く
当時の若者にも連綿と受け継がれる
ダンスロックの歴史を感じさせてくれた
このムーブメントの意義は大きかった。
その後このDISCO PUNKムーブメントは
イギリスのklaxonsあたりのNEW RAVEと
合流し2many DJ's胞するsoulwaxとも
繋がりhot chipなどが現れ
やがてフランスから飛び火してきた
justiceの決定打とともに燃え尽きた
というのが筆者の印象。
最後にいま聴いてもいいじゃん!
BRIAN ENOっぽいね。
LCD soundsystemの2枚目
sound of silverから
ALL MY FRIENDS
と
THE Juan Maclean
DFA古参のアーティスト
” THE " Juan Maclean
とdisco punkの歌姫
Nancy whangによる
happy house
この曲で今回は締め括りたいと思います。
では!
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